142.認めたくない!
ギュウゥゥゥゥ……と上半身が締め付けられる感覚に、つい声が漏れる。
「きっ――つい……!」
「諦めてくださーい」
容赦ないのは、私の背後で補正下着を絞めるための紐を握るエレナさん。上半身、特にお腹が息もできない……というのは誇張でも、息苦しくて両目を閉じる。
「最近ずっと緩めの服しか着てなかったから……やっぱりキツいです!」
「それはもう仕方ないですよー」
「も、もうちょっと緩めてくれませんかっ」
「美容に関しては手をぬくなって、ルブタン侍女長さんから言われてるんですよねぇ」
「いたたたたた……ベ、ベティーナ、助けて!」
助けを求めるも、私の侍女は首を横に振る。
なぜオルレンドルにいるはずの彼女がラトリアにいるのかといえば、無論、今回の三国会議に際し、同行してきたからに他ならない。侍女頭に私の身支度を任命された侍女は無情にも言った。
「カレン様はオルレンドルの母。すなわち国を代表する顔にございます。そのお姿にわずかなりとも乱れがあれば、国の威信にかかわりましょう」
「それでも、もうちょっと手心というか……これ、いつもより苦しいし!」
「これでもラトリアにご出立する前と、まったく同じ衣装を用意してございます」
「嘘ぉ……」
つまり、ベティーナの言葉を信じるのなら、私に補整下着に対する耐性がなくなったか、それとも出立前より太っ……。
「まあなんですか、帰ったらお姉さんと一緒に運動しましょうね」
「エレナさん! せっかく現実から目を背けようとしてたのに!」
「はいはいそれよりもう一息ですよー」
「うきゅ」
さらにキュッと締め付けられて、口から空気と一緒に変な声が漏れる。
いまは三国会議を昼に控え朝からドタバタと大騒ぎしているが、気の置けない人達と旅をした弊害がこんなところで出ているとは思わなかった。道中はよく動いていたし、ラトリアに到着後も体調を崩したりで体重は落ちた。ご飯もオルレンドルに比べるといまいちな気がしたけど、しっかりと身になっていたと知り落ち込む。
信じたくないあまり、つい声が出た。
「食べる物は気をつけてたのに……!」
やっぱり新婚だし、好きな人には綺麗な自分を見てもらいたい。
できるだけ歩いていたし、健康には気を遣っていたが……原因を考える私へ、いままで傍観者と撤していたルカが言った。
「油じゃない?」
「……ラトリアの食べ物ってこと?」
「だってラトリアの料理って、食材の質を油と砂糖で誤魔化すのが殆どじゃない。それにワタシとシスの持ち込みを、しょっちゅう食べてたし。ちょっとずつでもシスと同じペースで食べてたら、そりゃあお肉になるわよ」
「シ、シス……!」
そういえば、珍しいからと彼の持ち込みをあれこれ口にしていた。
なんて盲点――と思ったが、一番の原因は、開放感と珍しさで、シスにつられた自分だ。
今後は食事に気を配らねばなるまい。といっても、ベティーナが来たからには助言をくれるだろうから、これ以上心配する必要はないのだけども。
私の悩みを余所にルカは首を傾げる。
「ワタシ的には、誤差の範囲だと思うんだけど。見た目も変わってないじゃない」
ドレスの類はね、ほんのちょっと体重変動で細かな調整がいるの。
私へ助け船を出すように、エレナさんが注意を行う。
「普通はそんな気にする必要ないですけど、カレンちゃんの場合は一分の隙もあっちゃだめなんです。着衣の乱れなんて、口さがない人達の絶好のカモなんですから」
「情報体のワタシにはまったく関係のない世界ねー」
サイズ直しをする必要がなかったのが幸いだった。
補整下着も久しぶりだったから苦しさが倍増だったけど、最終的には慣れたので、化粧に取りかかる頃には愚痴を飲み込んだ。
よくよく考えれば旅で気が抜けていただけで、本国じゃこの程度は当たり前……そもそも体重の管理は当たり前。私は相当気を抜いていたんだな、と気付かされる。
さらに言えば私の夫は、私が楽しそうだから止めなかったとか、そんなところだろう。
唇に紅が施されると同時に、オルレンドル皇妃としての自分を作り上げて行く。長らく公務から離れていたから、公の場でうまく振る舞えるか心配だ。
ベティーナの手が髪にかかったのを確認して、私はエレナさんに尋ねた。
「オルレンドルですが、マリーから音沙汰はありましたか?」
「サミュエル経由で連絡がきました。いまはサブロヴァ夫人の元に身を寄せているそうです」
マリーは無事、ファルクラムに到着したらしい。
姉さんのところにいるなら安心だし、なによりサミュエルがいるなら連絡がつきやすい。
これから彼には思わぬところで苦労をかけることになるが、サミュエルなのでまあいっか、という気分で、お気に入りの耳飾りを指に取る。
「ベティーナ、装飾品は他にどれだけ持ってきた?」
「鞄五つ分ほどです。あまり持ってこられず……」
「十分よ。新品はある?」
「はい。まだご覧になっていないものを持参してございます」
「新しいものだけでいいの。あとで部屋に広げておいてちょうだいな」
「かしこまりました」
不思議そうな面持ちの侍女に、私の意図を知らせる。
「ヨーの五大部族の一つ、ドゥンナ族の族長が女性なの。イル様に贈る分と、サゥのキエム様にはキヨ様への贈りものを持っていってもらおうと思って」
イル族長とは個人的に親交を、キヨ嬢は向こうで様々暴れ回っているみたいだから、贈答と称した資金援助のつもりだ。男性方についてはライナルトが援助と称した賄賂を渡している可能性があるし、余計な事をせず、同性の繋がりを保っておく方がいい。イル族長は私に好意的だったのもあるし、先方としてはオルレンドルとの繋がりをサゥだけに任せているのは気に食わないはず。
彼女が受け取らない選択はないだろうし、そうすれば私も五大部族との仲を深められる。
キエム以外に伝手を作るのは悪くないはずと考えながら、他にもう一人、贈答品を用意するべき相手を思い出した。
「……そうね。ダヌタ妃にも贈りましょう。会ってくれないから手渡しはできないけど、こうなったら無理にでも」
現在ラトリアを支配している――と言えるのはウツィアだが、対外的にはダヌタ妃の方が上だ。
あれから公的に面会を申し込んでも、断られるばかりの彼女に贈るべき装飾品を考える。
「そうね、会議が始まる前に贈ってしまいましょう。支度を終わらせたらすぐ見るわ」
ちなみに、派手な贈りものをダヌタ妃が喜ぶかといったら微妙だ。
私も彼女に宝石の類を送るなら、袖を通しやすくて肌触りの良い普段着を送った方が喜ばれると思う。綿や絹の布を贈る手配をするつもりだが、それはそれとして、多少なりとも国同士が会話をするきっかけにはなる。
私は私で伝手を作っておくのは大切だ……と自分に言いきかせ、ベティーナに仕上げてもらった自分を鏡で見る。
手織りのレースをふんだんに使ったドレスに青玉が嵌まった首飾り。本当はもっと細かい意匠が好きなんだけど、大粒の宝石は力の象徴だからと押し切られた。私の好みにそぐわない代わりに、蒼玉の周りは、金剛石と蘭玉を砕いたように散りばめられている。
「陛下にも同じ青石を用いたブローチを用意してございます」
流石にベティーナはよくわかっている。
生地に所々梳かしが入っているのは、一流の職人を抱えているという無言のお披露目だ。他国にはない技術を広めるのが私の仕事というのもある。
工夫してもらっているが、正直、生地が幾重にも重なったドレスは重い。
支度だけでどっと疲れた心地だが、三国会議の時間まではあっという間だ。
迎えに来たライナルトが私の顔を見たとき、怪訝そうに眉をひそめた。
「耐えられるか?」
「平気平気。久しぶりだから驚いただけです」
今回ばかりは休めと言えない彼は、杖代わりにするよう私に腕を差し出す。
パリッとした衣装に身を包み、髪を撫でつけた、世界で一番格好良い人の背後には、孔雀の如く着飾った魔法使いがいる。
「シス……派手すぎない」
下手をすれば私たちよりも目立っていないだろうか。
彼がこれほど着飾るのは『箱』の頃以来だ。絶妙に服を着崩すシスは、たくさんの指輪を嵌めた手を振った。
「へーきへーき。今日の僕のテーマは成金だから、お上品に飾った君らとじゃ全然違うし」
「それはそうだけど……」
「僕の方が顔がいいから注目は集めちゃうけど、そこは生来の美ってやつだから嫉妬は勘弁してくれよ」
実際とても美しい人だけど、お金の使い方が下手そうな金持ちの格好でほとんど台無しだ。
何気に近衛の服を借りたアヒムがため息を吐いていたが、もはや苦言を呈する気力はないらしい。
シスは気取った仕草で私の片手を取り、キザったらしい動作で、手の甲に唇を落とす。
「ま、僕に反対する理由はないし、今日という場に立ち合うことを感謝してくれ」
「感謝してるし、期待してる。苦労をかけるけどお願いね」
「同族のためだ。たまには魔法院のトップ勢として頑張ってあげようじゃないか」
……魔法院じゃ名前だけの存在だからすっかり忘れてた。
器用に片目を瞑ってウィンクする様に笑っていると、斜め上の横側から不満そうな視線を感じる。
不満そうなライナルトに、おそらく狙ってやったであろうシスの笑い声が木霊した。
イル族長は書籍で追記した、キエムと同じ下剋上した部族の長。
ヨーで医療改善&女性を助ける目的で、全方位敵に回しながらも戦い、主人公ばりに暴れ回っているキヨを気に入っています。
カレンの目的、入りませんでした。悲しい。
次回をお待ちください。




