140.必要なのは語り合い
根回しやヨー連合国との話し合いを進めなければいけないのは当然として、本番に移る前にやっておくべきことがある。
いまフィーネと一緒に、並びながら座っているのはクシェンナ宮のお庭。
完全に内々の人向けの庭なのか、警備は少なめで、普段と違って人に注目される煩わしさがない。
フィーネ曰く「ここが便利」とのことで、彼女の言に従い庭にいるわけだが、宙に向かって腕を動かす義娘が、何をしているのかはさっぱり理解できない。
「フィーネ、ここなら本当に捕まえられるの?」
「うん。星の子が王宮を自由に出入りできるように作った経由地……裏道は、だいたいこのお庭を通じてるから、首を掴んで引っ張るなら、ここが一番便利」
「星穹に見つからずにできる?」
フィーネが探しているのはとある魚だ。
ただ、普通の魚と違ってかなりの知恵者だし、私たちを避けているから捕まえにくい。
そこでフィーネにお願いし、その人物を捕まえてほしいとお願いしたら、庭に連れて来られたわけだ。
私の問いに、フィーネは言った。
「わたしなら余裕。でも、おかあさんは見つかりたくなさそうだったから、慎重にやってあげてるの」
「そっか、ありがとうね」
彼女の成長はもっと時間がかかると思っていたから、言わずともこちらの状況を察してくれるなんて、その成長ぶりがめざましい。
一見何をしているのか指で不明な動きを繰り返すフィーネは、やがて呟いた。
「いた」
そう言うと、ぐっと手を握りしめ、後ろに引くような動作は、まるで本当の釣りみたいだ。
やがて空間を割るように現れたのは、一人の男性。
引っ張られた勢い余って、地面へ前のめりに倒れ込んでいたが、目を白黒させながら起き上がる。
自身の身に何が起きたか理解できない様子でいたが、興味津々で見下ろす私と目が合うと、よほど驚いたらしい。座ったまま、両手両足を駆使して面白いくらいに素早く後ずさった。
「な、ななななんだ!? なん……っ」
「はぁい。竜のぼうや」
「宵闇の……っ!?」
こうして驚く様を見ていると、黎明の言っていたように彼は随分若さを感じる。
ぼうや、と呼ばれた蒼茫は、私がフィーネを使って自分を呼び出したのだと気付いたらしい。
すぐさま身を翻そうとしたが、そこはフィーネの方が上手だった。
「だめよ。わたしの呼び出しを無視しようなんて、三百年は早いわ」
見えない手が蒼茫の足首を掴んだかのように、彼の身柄を固定する。
三百年だと、ほとんど誰も呼び出しを無視できなさそう。
フィーネは同胞の前だと、被っていた猫を捨てたように、途端に大人びた雰囲気になる。
足を組みながら膝に肘を立て、悠々と微笑む少女の前に、竜の青年はずるずると引っ立てられた。
「竜のぼうや。別に悪いようにはしないんだから、逃げるのはやめなさい」
「いや、逃げるなと言われても……」
焦りよりは困惑の方が勝っているようだけど、すぐにはっと我に返る。
「待てっ。オルレンドルから人が来たことは知っているが、なんで貴様が」
「初対面のひとを貴様呼ばわりなんて、失礼な子」
フィーネがため息をついた瞬間、見えない手が蒼茫の頭を叩く。
いたっ、と声を上げた青年は、無理やり正座をさせられようとして、じたばたと抵抗をはじめる。
「何故俺を……やめろ、勝手に触るなっ」
「お話し合いする必要があるから、座ってほしいだけ。大人しくしなさい」
「追放者が勝手にこんなことをして、星穹が黙っていると思うか!」
「あの子に見つかるような間抜けじゃないわ。というか、わたしのほうがおねえさんだって、あなた知らないの?」
フィーネは自分の方が強いと言いたいのだろう。
実際、星穹が仲間を助けに来る気配はないし、ちょうど巡回に現れた兵士が私たちに気付いた様子もない。
そもそも、実は身内しか立ち入りを許可されないような場所にいるので、注意されない方がおかしい。
それが何も言われないということは、フィーネの認識阻害が上手く働いているということで、邪魔も入らない。
ぷっ、と小馬鹿にするようなフィーネの表情は実に様になっていた。
これを聞いたら嫌がるだろうけど、こういうところはちょっとライナルトと共通している。
蒼茫は煽り耐性は低いのか、目に見えて苛立った。
「用事があるなら、そう言えばいい。卑怯にも拉致までしでかして、一体何のようだ」
「あなたが逃げ回るからじゃない」
「逃げていない。一体なにを根拠に、偉大なる竜へ無礼を働いている」
「おくさんと会うのが気まずいから逃げるだけの情けない竜なんて、しらなーい」
奥さん、と聞いた蒼茫が激昂しかけたのは一瞬だ。
彼の目の前には、これまで姿を隠していた藤色の髪をした女性が座っている。
黎明の出現に、蒼茫はぽかんと口を開き、その後慌てた様子で距離を置こうとする。
これを許さないのはフィーネだった。
「ほら、わたしが隠した黎明の存在にも気付かないし、こっちの方が一枚上手だったでしょ。だよね、おかあさん」
「ほんとほんと、フィーネの方が上手上手。どんな精霊よりも凄いのね」
鼻の穴をほんのり膨らませて、猫みたいにごつんと頭をぶつけてくる少女。
黎明は蒼茫と話そうと決めてから、一方的に逃げ続けられる状況を繰り返していたためにフィーネに協力を仰いだのだが、これが正解だった。
フィーネ曰く、別の場所に黎明の気配を置いて、本物を近くに隠した上で、安心させた蒼茫を捕まえる作戦は成功した。
で、私とフィーネという傍聴人はほぼ部外者。
一方、蒼茫に距離を置かれた黎明は、見るからに肩を落としている。
「あなたが星の子と彼女に接触したときは、わたくしを探している様子だったと聞きました。わたくしに会いたかったのだと思ったのは、わたくしの勘違いだったのでしょうか」
「ちが……っ」
「やはりわたくしが、あなたの知るわたくしではないから……」
ぱっと見、凜々しく力強さのある青年だが、目尻に涙を浮かべる黎明を目にした途端、まるで少年のように狼狽えた。女性の涙を引っ込める方法を知らないのか、私たちの存在も忘れ、前のめりになって主張した。
「違う! 確かに君は俺の知る黎明ではない。それでも彼女と同じように、万物に慈愛を注ぐ、この世界で誰よりも心の美しい精霊だ。その清らかさには創造主たる神であっても敵わないと知っている」
「わぁ」
「すごーい」
驚嘆をあげる私とフィーネ。
流石は数百年かけて黎明を口説いただけあって、蒼茫は拳を握る。
「こちらでは、君は俺の番だった」
躊躇うように黎明に手を伸ばし、拒絶されないと知ると目尻の涙を拭う姿は、私たちに向けた態度と天と地の差がある。
「だから君を失ったあと、違う君がこちらに来たと知って、会いたくなった。だけどいざ接触しようとして気付いたんだ」
「何を、ですか?」
「世界の壁の向こうの君は、俺の番ではなかったかもしれない。君はとても一途な人だから、『俺』という存在は変わらずとも、会ったこともないこちらの俺を嫌悪するかもしれない」
……嫌われるのが怖かった。そんなところだろうか。
私も『向こう』のライナルトと会ったとき、似て非なる存在であることに悩んだので、蒼茫の言い分はわからないでもない。
いま、このクシェンナ宮の片隅では、ヨー連合国のキエムとライナルトの話し合いが行われているはずだ。
一方で、私は蒼茫の意思を問うため、かつ黎明の気がかりを消化するためにここにいる。
黎明が居るから大丈夫……とは思っていたけど、思ったより拗れるかも? と考え始めた矢先に、黎明が両手を持ち上げて伸ばした。
「黎明?」
「相変わらず考えすぎですね……と、言いたいところですが、それはわたくしも同じでしょうか」
黎明は似て非なる世界の番を引き寄せる。
番に対しては乱暴に振り払うわけにも行かないのか、二人の唇が重なったとき、蒼茫の喉から場にそぐわない、絶叫にも似た音が漏れた。




