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14.奪われた者達の邂逅

 その泣き声は胸を打つ切なさがある。はっきりと耳に届いているのにエルネスタは気付いおらず、それどころか従者と話し込んでいるから、代わりに声の主を探そうと立ち上がった。

 多分、茂みの向こう。

 あまりにも苦しそうだから、つらいのなら人を呼んであげたい。茂みを覗くと女性が座り込んでおり、こんな状況でなければ見とれてしまうほどの美しさを併せ持つ人だが、言動がどこか奇妙だった。

 年齢は二十代中頃で、見かけない格好をしている。ドレスは布地のひらひらが目立つけど、露出が多く、明るい藤色の長髪が魅惑的な肢体に絡みついているが、状態は悲惨だった。


「だ、大丈夫ですか……?」

 

 おそるおそる近付くも、気付いてくれる様子がない。

 両目は閉じられつつも、血混じりの涙を絶え間なく流し痛々しかった。唇は開閉を繰り返し、うまく発音できないながらも「痛い」を繰り返している。腕はお腹を押さえて苦しがっていた。

 私の臭いに気付くはずだがそれもなく、さめざめと涙を流している。

 もう数歩近づき、手が届くくらいの距離でようやくこちらに顔を向けた。やはり瞼が持ち上がらないが、お腹を押さえていた右腕が宙を彷徨う。


「だれかいるの?」


 奇妙にも声は耳より頭に直接響く感じがある。

 こちらが見えないから指は宙をさまよっている。はらはらと泣き続ける姿がつらそうで、安心させるためにその人の指先に触れていた。

 するとどうだろう、次の瞬間に私の視界は切り替わる。

 女の人の姿が変わった。

 全身傷だらけで、喉に醜い裂傷を作り、あちこち貫かれ、開いた眼からは眼球が抉られた姿だ。一瞬で変じた怖気の走る姿に悲鳴を上げかけるも、このとき初めて、相手は目がなくとも私を認識した。

 

「あなた、も、奪われたの、ですか?」


 頭に激痛が走る。

 知らないはずのものを見たのだ。知らない光景、知らない世界、知らない幸せな時間。

 脳の領域を侵していく記憶に頭が揺さぶられるが、焦点が合わず私の認識が働かない。目頭があつくなり涙が零れる傍らで、ようやく垣間見たのは、息絶えた(つがい)と割れた卵。天を仰ぎ轟く咆哮。巣の前に長い黒髪をたなびかせた少女だが、片手は番の血で穢れている。

『宵闇』

 そう呼ばれていたはずの純精霊だ。すっかり普通の少女の体をしているが、見たことある顔立ちでも、その表情は私が知るものと大分違う。私――じゃなくて、この視界の主に詰め寄り、視界いっぱいに詰め寄ると、邪悪に顔を歪ませ言った。


『わたしの代わりに人間で遊んできてちょうだい』

 

 眼球に小さな手が迫り……視界が真っ赤になって記憶が閉じる。

 気付いたら私は芝生の上で膝をつき、両腕を抱えていた。うつむきがちに全身震えていて、エルネスタがさっきから呼びかけている。はじめはなにも聞こえなかったが、段々と彼女の声が届きだした。

 彼女にしては相当焦っている。


「ちょっと、ちょっとってば! フィーネ、返事なさいフィーネ!」

「エルネスタさん……」

「貴女なにがあったのよ! 突然木陰に行ったと思ったらそんなところに座りこんで、話しかけても返事しないし、ずっとがたがた震えてるし!」

「あ、私、どうして」

「どうしてもなにも、こっちが聞きたいわ。なにがあったの、調子が悪いなら早く言いなさい! 短時間でもあんな不衛生なところにいたんだから、なにがあるのかわかんないのよ!?」

「そこの女の人は……」

「女の人?」

 

 エルネスタが訝しげに周囲を見渡したものの、誰もいない。私も女性が姿を消していることに気付いた。


「……ここには貴女以外誰もいなかったわよ? 幻覚でも見た?」

「…………かも、しれません」

「しっかりなさい。変なもの見せたのは悪かったけど、ああでもしないとどうにもなんなかったのよ。ほら、立てる?」

「立てます。もう大丈夫」


 視界の歪みはなくなった。立ち上がった際は貧血に似た立ち眩みがしたものの、エルネスタが支えてくれたから事なきを得た。彼女は私の髪に鼻を寄せ、絶望的な半笑いを浮かべる。


「思ったよりひっどい臭いだったわね。こりゃ頭のてっぺんからつま先まで洗わなきゃダメだわ」

「石鹸で落ちるでしょうか」

「うちにあるのじゃ落ちにくいでしょうけど、まあ、そこは問題ないわよ。石鹸は別の家のを借りるから」

「え?」

「家に帰る前に寄るところができたの」

「じゃあまた移動ですか? でもこの格好じゃ……」

「大丈夫大丈夫。ほら、こっち来なさい」


 待っていたのは先ほどまでエルネスタと話し込んでいた従者だ。その人から二人分の外套を受け取るが、明らかに上等なしつらえの外套だ。

 

「こんなんじゃ今日はもうご飯作るの嫌でしょうし、わたしも皇帝に呼び出されて気分が悪い。家に臭いを移すのも嫌だから、休めるところにいきましょう」

「それってどこですか?」

「到着してからのお楽しみ」


 従者に付いていけばいいらしい。竜の死骸が気になっているが、後事は魔法院に任せれば良いらしく、帰り際にエルネスタはヘリングさんから金貨の詰まった袋をもらっていた。じゃらじゃらと袋を揺らして見せつけると、薄く微笑んだ。


「全部とったりしないわよ、あとで分けましょ」


 ヘリングさんとは話さなかった。一度だけ意味深にこちらに視線を寄越したが、話しかけられても答えられるものがない。

 従者の人に乗せてもらったのは簡素な馬車だ。走らせる間は窓を全開にして、外に鼻を向けながらエルネスタが尋ねていた。


「ところで貴女、エレナ・ココシュカの他にニーカ・サガノフとも知り合いだった?」

「……どうしてそうお思いに?」

「すぐにあの皇帝の懐刀を引き当てたでしょ。あと、名前も呼んでた。……気付いた人は少なかったけど、わたしは近くにいたしね」

「皇帝陛下にも聞かれてしまったでしょうか」

「かもね。だけど貴女と彼女が知り合いだったとしても、そんなところを考慮したり気にする人間じゃないわ。気にしなくていいんじゃない」


 で、と問いかける眼差しにわざと外を見た。


「向こうは知りません。私が一方的に覚えてただけです」

「そ。わかった」


 あとどのくらいこんなのを繰り返すのだろう。死んだと思った人が生きていた、生きていると思っている人が死んでいた。見たくないものばっかりで、吐き出す先もなく、感情の置き場が見当たらない。


「エルネスタさん、どうして私はあそこで黒鳥を呼び出さなきゃいけなかったんでしょう」

「ヘリングがいたでしょ」

「はい」

「あれ、貴女のこと知ってたみたいだから、置いていったら拙いんだと思ってね」


 感情が平坦なだけだと思ってたけど、そう言われてしまうと、ヘリングさんには私という“色つき”に対する驚きはなかった気がする。

 私を知っていたからなにが拙いのか、エルネスタは教えてくれる。


「貴女のそれ、白髪って滅多にいないって言ったじゃない」

「ですね。純粋な人間で白は初めて見たとか……」

「だからそれが原因」

「白であるのがそんなに?」

「白はオルレンドルに土地の返還をもとめた白夜の色だから、同じとなれば関わりがあるんじゃないか、もっといえば眷属じゃないかって疑われやすい。まして貴女はそんな目立つ容姿なのに身寄りもないし出自も知れないでしょ」

「街を歩いてるときには、そこまで敵愾心は感じなかったんですが……」

「白夜の色は秘密だからね。でも逆にいえば上の連中ほど警戒しているのよ」


 いまのオルレンドルでは疑わしき時点で罰せられるには充分だ。たとえエルネスタの身内であろうと庇えない、とはっきり述べた。


「だから私がオルレンドルに敵意がなくて、有用な魔法使いだと示さなくてはならなかったと?」

「そういうこと」

「では、エルネスタさんからみて私はどうでしたか。有用性は示せたでしょうか」

「私の言うことを聞いてくれたし、大丈夫だと思いたいわ」


 ただ、と気の抜けた様子で窓枠に上体を預けた。 


「これはわたしの個人的な感想だけど、魔法使いの才能がないのはともかく、実力に反して使い魔が立派すぎ」

「ですよねぇ」


 でも黒鳥が褒められたのは嬉しい。

 エルネスタは私に魔法は教えないといったものの、暇なときは、本当に簡単なものなら教えてくれる。たとえば薪の火熾しに物を軽くする魔法と、生活の小技に使えるちょっとした手助けだが、彼女曰く、それ以上は私には負担が大きいから駄目らしい。シスやルカと似た見立てだった。

 段々と窓の外の景色が変わってきている。道は端に至るまで整備され、硝子灯が惜しげもなく設置される、いわゆる貴族街に突入したのだ。『向こう』ではキルステン邸だった場所も通過して、向かうのはさらに奥だ。


「……いま通過したお屋敷って、ヴィルヘルミナ皇女殿下が使ってた家でしたっけ」

「そうよー。皇女殿下が恋人のために用意した家。ま、それももう、いまじゃもぬけの空らしいけど」


 馬車が停止すると、エルネスタは開閉を待たずして自ら扉を開けて出ていく。

 到着先は見たことのない屋敷で、その背に追い縋るように問いかけた。


「エルネスタさん、先の皇位争いは、ヴィルヘルミナ皇女殿下が負けたのは聞いていますけど、いまの話に出た皇女殿下の恋人の名前ってわかりますか?」

「恋人? また変なのに興味持つわねぇ」

「よかったら教えてください」

「知らないわ。っていうかあの家が恋人のために用意されたってのも、レクスが話してたのをぼんやり聞いてただけだもの。名前を言ってた気もするけど、興味なかったから覚えてない」


 本気で「誰だっけ」といった顔をしている。

 

「前々から思ってたんですけど、エルネスタさん、魔法院の長老だったんですよね」

「引退したけどね」

「皇位争い時にはすでに陛下の陣営には加わってたと聞きました。ですが政のあたりになると登場人物のお名前が曖昧になる気がするのですが」

「気がするじゃなくて、事実よ。だって覚えてないもの」


 魔法使い側の事情には確実に明るいのだが、政関係になると精細に欠けるのだ。それでも元の世界の知識と掛け合わせて憶測は立てられるので、さほどは困ってはいないが……。

 家政婦働きで得られる報酬があっても、いまだオルレンドル事情をすべて把握しきれていないのはこのあたりに原因がある。


「銃の改良のために籠もりっきりだったから詳しくないのよ。そのあともやることがあったし、外との交渉はシャハナの役目だったからね」


 つまり、彼女は政関連にはやや疎い。


「大体そこまで世の中に興味があったのなら、なんであんな小屋に住んでるのよ。もうちょっと世渡りが上手かったと思わない?」

「たしかにそうか……あいたっ」


 おでこを撥ねられた。

  

「皇位争いのくだりに興味ある?」

「そうですね、少しは……いえ、思いっきりあります」


 私が向こうに帰るための話には関連しないけど、興味がないと言ったら嘘になる。

 

「だったら後で聞いたら?」

「聞いたらって、だれに?」

「だから詳しいヤツ」


 話の流れが掴めない。困惑を隠せずにいると、エルネスタは屋敷を指差した。


「今日はリューベックに泊まるから、レクスに直接聞きなさいよ」

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