132.答えがほしくて
ダヌタ妃は肩をすくめる。
「あんたは信じられないだろうが、あたしは式典すら出たことがないんだよ」
「ない……んですか?」
かすれるような声になったのは、オルレンドルやファルクラムではおよそ考えられない話だったからだろう。
どちらの国も、王族入りした人間に求められるのは相応の振る舞いで、社交界に出ないことなど考えられない。
信じられないような私に、ダヌタ妃は頷いた。
「あたしが妃の座におさまったのは、ただヤロスラフとの間に子供ができたからだ。育てるにはヤロスラフの傍にいるのが一番安全だからだったからで、そうじゃなきゃ一人で育てる覚悟だってあったとも」
「でも、そうされなかった」
「まあね。なんだかんだで長く王城に留まり続けているよ。だからお妃様の義務なんてものは、炊事場からでしか見たことがない」
「炊事場?」
「あたしが王族の炊事場を仕切らせてもらってるんだよ。そのせいで、他の娘達からは毒を盛るんじゃないかって恐れられちまってるけど」
……たしかに、彼女が下働きを自称するのに足る役職だ。
おそるおそる尋ねた。
「あの……ヤロスラフ王陛下のことは、好きでいらっしゃる?」
「夫婦だから好き合うって思うのかい? 随分可愛い質問をするじゃないか」
たしかに子供っぽい問いだったかもしれない。
気恥ずかしくなって顔が赤くなるが、炎の灯りで誤魔化されてくれることを期待したい。
ダヌタ妃は気付いたかもしれないが、ふ、と笑うだけで留めた。
「好きじゃなきゃ、二人も子供は産まないさ。その点で言えば、あんたとあたしは似たもの同士かもね」
「に、似た者ですか?」
「あんたを見てれば、世間様の噂が馬鹿げていることはわかるよ。大衆が好む尊い血なんてもんに惹かれたんじゃない。好きだから一緒になったんだろうねってね。だからあたしも喋ってやろうって気になるのさ」
おかしなことに、国が違う私たちに共通点があるようだ。
だがライナルトによって唯一の皇后と定められた私と違い、彼女は王の子を生んだ実績がある。だが皆が称える偉業は、彼女にとって手柄でもなんでもない。
「あたしは運が良かっただけなのさ」
と、ダヌタ妃は言う。
「旦那の子供を二人産んだってだけだった。あの子が次期国王と指名されるまでは腫れ物扱いもいいところだったのに、いきなり邪推を働かせる馬鹿が増えた。他の妃の料理に毒を盛るんじゃないかと疑われて、なら洗濯係をやろうってもんなら止められる」
「ご苦労なさっているようで……」
「なに、毒を盛られたときほどじゃない。あの時は半月も吐きながら寝台から離れられなかったからね」
……やっぱりどこの王宮も同じ事は起こっているらしい。
私が盛られたのは下剤だったけど、それだけでもかなり苦しかった。あの直後のライナルトの慌てようを考えると、ヤロスラフ王も相当慌てたと想像できる。
「あたしが苦労しているといったら、自分の仕事を取られて暇してるくらいで、息子達が守ってくれるから大変な思いもしていない。だから、いま悩みを抱えてるあんたに言える言葉を考えてたんだけど……」
「あ、いえ。無理にお考えいただかなくても。私はお話を伺えれば、それで充分でしたので」
「そりゃ決めるのはあんただろうが、一緒に考えたくなるのがあたしってもんなんだよ。もしかしたら余計なお世話かもしれないけどね」
ハキハキと答えるダヌタ妃は、息子であるヤーシャの反応を見るに怖いお母さんなのかもしれないが、尊敬に値する人物だというのは伝わる。
彼女ははっきりとヤロスラフ王や息子への愛情を語ったわけではないけれど、自分にとって大事にする事柄をはっきりと区別し、そして自らの判断に重きを置いて誇っている。宮廷においてそういう人を見つけるのは貴重だから、ヤロスラフ王も傍にいて欲しかったのではないだろうか。
しばらく悩んでいたダヌタ妃は、両手を組みながら悩ましげに言った。
「そうだね、ひとつだけとっておきの予言をしてあげよう」
「予言?」
彼女は魔法使いではないし、未来予知といった能力はない。
茶目っ気たっぷりに笑うダヌタ妃は人差し指を立てた。
「あたしはあんたの悩みに寄り添えないけど、あんたがいつか自分自身で解決を見つけられることは教えてあげられる」
「……それはなんでしょう。私には到底、見つけられる気がしないのですけれど」
「そりゃそうさ。こればっかりは、月日が経って、十年か二十年、あるいはもっと経ってからじゃなきゃわからない」
「……つまり、時間が経たなきゃわからない?」
「そう。そしてたぶん、あんたの求めるような答えをあげても、きっと本当の意味では解決しない。だってオルレンドルの皇帝様が、うちの旦那みたいに血を流すことでしか解決できない人間なら、誰かに与えられた答えを鵜呑みにする伴侶なんて必要としないだろうからね」
……あ、いま胸がズキッと痛くなった。
ダヌタ妃に会えば自分自身を納得させてくれる話を聞けるかもしれないと、安易に抱いていた思いが見透かされた心地だ。
にこり、と会ってから一番優しい笑みをダヌタ妃が浮かべる。
「あんたの苦悩をあたしは知らないけど、あたしは聞く気がない。でも、これでも他の妃達を見てきた身だ。なんとなくは理解できるよ」
……やっぱり安易に答えを求めても無駄なのだろうか。
ダヌタ妃と出会えたことを無駄とは言わないが、気落ちは止められない。
彼女はくつくつと、夫に似た笑いを零した。
「しょんぼりするんじゃあないよ。でも、仕方ないのさ。妃なんてけったいな役割を担った女が納得できる答えなんてものは、そこらに転がってはいない。やれることを精一杯、がむしゃらになって進めていたら、いつか時間が経ってるものだ」
「……悩むなとおっしゃりたい?」
「悩み続けるのは大事だよ。だから悩んで悩んで悩み続けるといい。そしていつか、ふっ、と気付いたときに出てくる漠然とした感覚が、あんたが心から求めるものだ」
抽象的な彼女の言葉は、私がほしかったものじゃない。
だからだろうか、初対面の相手に大変失礼なのは承知の上で、がっかりしなかったと言ったら嘘になる。そしてダヌタ妃は、私の心を見抜いているだろうと思うから、なおさら情けなさも倍増だ。
ライナルトに握ってもらった手の温かさを思い出し、手の平を見つめてしまう。
「むずかしいですね」
「難しくするも、簡単にするのもあんた次第だ」
でも、悩むことが胸を張ってライナルトの隣に居続けることに繋がるのなら、これからも考え続けなければならない。
……オルレンドルで皇妃の責務を務めながら、ライナルトのためにできることを、自分の心の有り様をずっと考え続ける。
安易に答えを求めた自分に行儀を忘れて上体を折り曲げると、ニーカさんが身じろぎした。
「カ、カレン嬢?」
「…………情けなぁい」
ちょっとしんどいな、と思ってしまった自分自身に弱音を漏らすと、ダヌタ妃が新しいお茶を淹れてくれる。
「疲れたら、周りの人間にたくさん甘えるんだね。ヤロスラフはその辺まるっきり役立たずで、あたしがぶん殴ることもしょっちゅうだったけど、あんたはまだ新婚だ。いまのうちにしっかり旦那を教育しておきな」
「がんばりまぁす……」
ついついしぼんで行く声。
考え続けると思考の沼に沈んでしまいそうで、気を反らすためにある問いを投げた。
「ついでにお聞きしたいのですが、ご長男の現在の行動についてはご存知でしょうか」
「なんだい、けっこう突っ込んでくる子だね」
「いまは他のことを考えたい気分なのでぇ……」
あまりに元気をなくすから同情されたのだろうか。彼女は自らの所感を語ってくれた。
「ウツィアの好きにやらせてる件だろう。まあ、よく思ってないのが多くいることも知ってるけど、あの子にはあの子の考えがある。あたしがこの立場を維持することを選んだ以上、とっくに止められる話じゃないし、信じたようにやらせるさ」
「素敵なお母さまだし、見習いたい教育方針だと思いますけどぉ、うちはちょっと困るんですよぅ……」
ついつい本音を吐くと、ダヌタ妃は大口を開ける。
「あはははは! そりゃあ、あたしとヤロスラフの子供だから当然さ。その点で言えば、お間抜けに見えるヤーシャも、もうちょっとすれば見違えるような男になるからね!」
息子を自慢するダヌタ妃は心から楽しいようで、息子達に対する愛情が感じ取れる。
その後、彼女は私たちに追加のお菓子を振る舞って、今後クシェンナ宮における行動の約束もしてくれた。本来だったら決して許されないことを、彼女は「好きにしていい」と豪快に許可してくれたのだ。
肩を落として帰路を辿る私の背中をニーカさんが優しく叩く。
ダヌタ妃はクシェンナ宮の滞在を許可してくれたが、目的も果たしてしまったし明日は宿に帰ろうか……そう考えていたところで、私の目がある光を捉えた。
光に包まれたのは、ここにいるはずのない見知った人影だ。
「……スタァ?」
「転生令嬢と数奇な人生を」の漫画がハヤコミで連載開始です。
他「悪女呪い」のコミカライズについて等を活動報告に書きました。