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閑話:愛はあれども心は成らず

かなりマイルドですが、本当に念のため、この書き方で不安を覚える方は昼ご飯中の閲覧を避けてください。

 男はその日、いたく機嫌がよかった。

 なぜなら彼はこの間結婚したばかり。恋い焦がれた妻とようやく家庭を構えた身として、大黒柱として生計を立てて行かねばと張り切っている。

 男の日課は、毎日仕事の帰りに茶屋に寄ることだ。

 あまり客は多くないが、店主の淹れる茶はうまい。

 新しい店主は元は外国暮らしで、傭兵暮らしが立ち行かなくなったから帰ってきた人物だったが、帰宅と入れ替わりのように亡くなった親を敬愛し、店を引き継いだ。

 古い連中は、店主は外で暮らした時間の方が長いからと、たったそれだけで店を倦厭しがちだが、男のような新しい風を愛する者にすれば、年寄りの少ない店は居心地が良い。

 なにより外国で培った料理の腕は素晴らしく、ちょっとした軽食は客の舌を満足させてくれる。たまに珍しい話を聞かせてくれるから話題には事欠かないし、逆に客が愚痴を零しても、口は固いから外に漏れる心配がない。

 ある種、通の者達の憩いの場となった茶屋で、その日も男は店に寄った。

 店は薄暗く、店主も口数を減らしているが、夕方以降はわざと雰囲気を変えるのがこの店のやり方だ。

 男は慣れた様子でいつもの椅子にどっかり座り、店主に向かって声を張り上げる。


「酒、いつものだ」

「……嫁さんはよかったのかい」

「野暮いうなよ。嫁のために汗水流して働いた、ちょっとしたご褒美なんだからよ。それよか売上げになる方を喜ぶべきだろ。こんな寂れた店じゃ、酒の売上は貴重なんだから」


 店主が注文にケチをつけてくるのは珍しいが、貴重な常連客に逆らえるはずもない。

 男は陰鬱な表情を張りつかせた店主から酒を受け取り、一杯煽る。


「まったく、辛気くせえ顔を見せるくらいなら、女の一人や二人雇えばいいものを」


 続けて一杯煽ったところで、思い出す。

 最近、男は街中で気になる女達を見つけた。外国から来た観光客で、中央通りの高級宿に寝泊まりしている。この間、この店に立ち寄ったのを機会に観察していた。

 まったく付け入る隙がなかったから何もできなかったが、機会があれば女の誰かには話しかけたいものだ。

 そんなことを考えていると、ふいに瞼が重くなった。

 酒は強い方ではなかったが、今日はまた突然酒が染み渡るものだ。男はぐらぐらと揺れだした視界と意識を繋ぎ止めるように、強めに自らの目元を叩く。


「なんだ、こりゃあ……」


 まともに座っていられなくなって、体を支えようとした腕も崩れてしまう。

 地面を目の前にしたところで男の視界は真っ暗に閉ざされてしまい――。


 そして、身動き取れない状態で覚醒した。


「ん? おい、まて。なんだこりゃあ、どういうことだ。あ?」


 呂律が回っていなかったが、男はそう喋ったつもりだ。彼は何故か上半身裸の状態で、腕を肘掛けに、足を椅子に固定された状態で椅子に固定されている。

 場所はおそらく地下室で、ラトリアではごく普通に備わっている設備だ。ただし本来なら物置等になっているはずなのに、物がなにもないのは不気味だった。

 男はあまり広くない部屋を見渡して、灯りの届きにくい隅っこに男が立っているのに気が付いた。


「ああ? おい、こら店主、てめえ客にいったい何してやがる!」


 そこにいたのは他に間違いようもない、彼の行きつけの茶屋の店主だ。ただ、普段と違って底知れぬ不気味な雰囲気を纏っている。

 男に気付かれた店主は長いため息をついた。


「……本当はさぁ。別にやりたいわけじゃあなかったんだよ」

「あ?」

「でも殿下の目についたってなら余程ってことだし、いなくなっても惜しまれないクズなら、せめて世間様の役に立つじゃないか。でもいきなりこんな……まったく殿下はいつだって人使いが荒いんだから……」

「おい、おいこらクソ野郎! なにわけのわからないことをごちゃごちゃ言ってやがる!」

「ただの愚痴だよ」


 げんなりした様子で影から身を現した店主は、不思議なことに知っているのに知らない人物を彷彿とさせた。男は無意識の恐怖を誤魔化すように声を大きくし、全身を使って抗議する。


「こんのっ、このよそもんがっ! ラトリア人にこんなことしやがって、タダで済むとおもってんのか!!」

「いや、別に思ってないけど」

「ぶっ殺すぞ!!!」

「僕は命令に従ってるだけだから。いや、でも恨まれる理由くらいはわかってるでしょ」

「ああ!?」


 男の威勢は衰えない。きつく縛り上げているので抵抗は無意味なのだが、諦めの悪い様子に何故か店主の方が引いている。

 

「……やだなぁ、攫った理由はわかってないかもしれないけど、恨みは自覚ないの? ほんとのほんとに?」

「てめ、何が言いたい、この――」


 聞くに耐えない罵詈雑言に、店主は黙って耳を塞ぐ。

 年単位の時間を掛けて掘った地下二階だから音が漏れることはないが、単に下品な音を耳に入れたくなかったのだ。

 彼の待ち人は、そう遅い到着ではなかった。やがて天井の一部が開き、降りてきたのは一組の男女だ。

 店主は唯一の出入り口が開いた瞬間に、男の口を布で塞いでいる。

 降りてきた二人に、店主は恭しく頭を下げた。

 彼にとって、久しくとっていないオルレンドル人らしい挨拶の形だ。


「殿下、お久しぶりにございます」

「ああ。あの時はろくに挨拶も出来ずに済まなかったな」

「お忍びでしたらそんなもんでしょうよ。ただ、連絡もなしにいきなり現れるから心臓止まるかと思いましたけど」

「つつがないようで何よりだ」

「おかげさまで、すっかりラトリアに馴染みました」


 軽い挨拶の後に、店主が視線を動かしたのは、赤毛の女性だ。

 ただ、こちらへの挨拶は短い。


「よぉ。相変わらず金魚の糞かい」

「ぶち転がすぞ」


 真顔で短いやり取りを交わすと、店主は本来の主君……なぜか唐突にこのラトリアに現れた、オルレンドル皇帝の視線に合わせる。

 突然現れた異国人に目を丸めるラトリア人について、皇帝に彼の苦労を教えるため説明した。


「ご要望のラトリア人を攫えってご命令、この通りです」

「市民か?」

「普通ですよ。この国じゃどこにでもいる亭主関白の男だ」

 

 ライナルトは男の傍まで近寄ると、張りつけたような表情で頭の天辺から足先まで見下ろす。主の後ろ姿に茶屋の店主こと、オルレンドル皇帝の間者は声をかけた。


「観光客の美しいお嬢さんをつけ回してた不届き者はコイツで合ってますか」

「よく正解を引き当ててくれた」

「まあ、目に見てわかりやすかったんで……」


 ライナルトは際立って美しい容姿を持つ男だが、無感情な分、こういったときは声に出来ない恐ろしさが先立つ。縛られた男も例に漏れないようで、異常に喉を鳴らすのだが――。


「道具はありませんよ。うちはただの茶屋なんだから、期待されても困ります」


 店主は特に気にしない。ライナルトも、ニーカもだ。

 彼らの主は腰から短剣を引き抜いた。

  

「適当にやる」

「かしこまりました」


 店主がなぜラトリア人の男を攫う必要があったのかは、そう命令された紙を渡されたからその通りにしただけだ。普段なら引き渡しを終えてお終いだが、この時は理由を聞く機会を得られた。

 ライナルトは刃物に怯えた男に話しかける。


「お前の行動自体に恨みはない」

「!?」

「だが、そうだな。私の妻によからぬ企みを抱いたことが理由と言えば理由だ。お前は初めて彼女を見かけた際に刃物を抜こうとした。護衛の姿を確認して、手を引いたな」

「ぐ!?」

「その後も何度か宿の前に立ち、隙を窺っていた。若い女に声をかけて、強引に連れ込んでいたとも聞いた」


 こんな話は、ラトリア――というより、この手の男には珍しくない。強いて言うなら、彼の主の目に留まったのが運の尽きだ。

 ライナルトの指が男の右耳を掴む。

 空いたもう片手がしっかり刃物を握っているのを見て、これから何が起こるのかを察した男は絶叫したが、意に介してはもらえなかった。


「お前如きで彼女の安全が揺るぐことはない……気に留める必要のない些事だが、最近の私は、少し確かめたくてな。ちょうどよいから、お前にした」


 ニーカと店主は顔を見合わせ、背中を向ける。本来なら最後まで付き添うのが彼らの仕事だが、店主の仕事に抜かりはない。男は決して縄抜けできないだろうと、聞こえてくる苦痛の叫びから目を背けた。


「このところの私は只人のように優しくなった、と思うのだ」


 この言葉に、ニーカが誰とも知れず呟く。


「そうだな、飛び降りしたいなんて無意味な要望を自分から出したのは珍しかった」


 店主には何の事だがわからないが、その間もライナルトの独白は続いた。


「もしかしたら、彼女に影響を受けた今ならば、傷つく人間の姿を見れば心が動くかもしれない。普通の感覚がわかるのかもしれないと……思うのだが」


 ライナルトが投げ捨て、軽い音を立てて落ちたのは小さな「あるもの」だ。血で真っ赤にそまった男は怒りを忘れ、痛みに泣き続ける。

 悲痛な声に、ニーカと店主は、どちらからともなく梯子に手を掛ける。

 その間も主君の言葉は耳に入った。


「お前の命には何も感じない。だが、もう少し続けてみよう。彼女によれば人の命には限りがあり尊いものだそうだから、もっと何かを訴えてくれるのであれば、手を止めようと思うのかもしれない」


 そこまで聞いて、彼らは梯子を昇り終えた。

 主君と憐れな犠牲者を二人きりにした店主は息をつく。


「……殿下、ちょっとヤバさが際立ってないか?」

「あれでかなりまとも寄りになってきてる」

「どこが?」

「人選は無作為じゃないし、悲鳴で同情心を得ようとしてた。普通の人を理解しようという試みなんじゃないかと私は思う」

「悪いがまったくわからん」

「合流は外でいいって言ったのに、拷問するなら家の地下を貸しますよと言ったどの口が言うんだ」


 呆れたニーカと店主は黙って地下を抜ける。

 階上は茶屋の裏側になっていて、店主の個人的な間になっていた。勝手知ったる我が家といった風に座るニーカに、店主は慣れた手つきで茶を淹れはじめる。

 この時の時刻は昼。

 店主は男を拉致し、地下二階に押し込めてから一晩置いた。翌日堂々と訪ねてきたニーカ達を出迎えた次第だ。

 なあ、と彼女が問う。


「いきなり市民を攫って危なくなかったか」

「危ないよ」


 店主も何気なく答える。


「だがあいつは根っからのクズだし、身内にも疎まれたから探す人間はいない。念のため偽装しといたから、ばれる心配はない」

「ふーん」

「現に……ここはあいつの通う店だったのに、誰も探しに来ない。新婚の嫁さんだって、一人たりともだ」


 店主の声にはわずかな隙があった。その機微を感じ取ったニーカが眉を動かす。


「……あの男がここの常連だったのは助かった。だが、あれはどういう人間だったんだ?」


 ライナルトは男の素性を気にしなかったが、ニーカは違う。店主は隠し立てしなかった。

 

「あいつは、二十歳も下のお嬢さんを手に入れるために、その娘の恋人と母親をぶっ殺した。その娘はかわいそうに、寝たきりになった父親の命を盾にとられて自殺も出来やしない状態だ」


 嫌々首を振る店主に、ニーカは疑問をぶつける。


「その様子だと、犯罪は明らかそうだ。なぜ国は動かない?」

「あの娘の父親は文学者で、恋人はその弟子だった。あの野郎の方が『強かった』んだ」


 二人の間に走る、奇妙な沈黙。

 ニーカは思う。

 腕っ節の強さは決して免罪の理由にはならない。

 少なくとも、オルレンドルではまったく理由にならない建前だが、ラトリアではまかり通る。

 異国のルールにとやかくは言えないが、良い気分がしないのはニーカも同じだ。鬱屈した気持ちを誤魔化すために吐き出した。

 

「……詳しいな?」

「あいつと婚姻を結ぶ前は、家族で茶を飲みに来てくれたんでな。それこそ、一家で来てた頃は店の雰囲気も穏やかで――この店が、あの野郎に目をつけられるきっかけに……」


 言いかけた店主は我に返って首を振る。


「いや、まったく、この国は考えが古くさい。獣の道理を押し通すなんざ、怖気が走って仕方がないな」


 諦観の息をつく男に、ニーカは胡乱げな視線を向ける。


「無辜の民に同情するのは結構だが、間者の自覚は捨てるなよ」

「わかってるさ。この見た目がラトリア人だからと、自分から殿下に申し出たのは忘れてない」

「あと、殿下じゃなくて陛下とお呼びしろ。お前が発った時は殿下だったから仕方がないが……」


 ライナルトがファルクラム貴族だったときからの忠臣だから互いの信頼は厚い。しかしニーカの言葉に、途端店主がなんとも言えない表情でうなり出し、手を震わせながら歯ぎしりを零す。

 ぎょっとしたニーカが肩をふるわせた。


「おい、なんだどうした」 

「…………そっちについても突っ込みたかったんだがよぉ」


 言いたい。けれど言うのが怖い。そんな雰囲気で店主は額に汗を浮かせる。


「殿下が口にしてた、私の妻って言葉…………あの時、殿下の隣にいたあの子、正真正銘、殿下の奥方なんか?」

「……ああ」


 いまの「ああ」は納得の「ああ」ではなく、店主の恐怖を理解しての「嗚呼」だ。

 たしかに以前、店に寄ったときに店主はカレンの登場にいたく驚いていた。そして、ファルクラム貴族時代ではついぞ見せたことのないライナルトの甘い表情は、ニーカでこそ慣れたが、ライナルトと長い付き合いである人ほど不気味に違いない。

 気持ちは痛いほどわかる――。

 店主の腕に立つ鳥肌へ、ニーカは更なる追撃をくわえる。


「正真正銘、恋愛婚だ」

「なん……だと……」

「その上、義理の弟と息子も同行している」


 唖然とする男に、やや満足げなニーカは深々と頷いた。

 ここはファルクラム時代からの同僚間ではおなじみになっている、ライナルトの求婚騒動について語る絶好の機会である。

 新鮮な反応を求め、ニーカは息を吸う。

 

 地下二階で実験体になっている人間など、最初から彼らの眼中にはないのだった。

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