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閑話:旅の合間で

 言いだしたのはエミールだった。


「義兄さん、俺に剣を教えてください!」


 輝かしい眼差しでライナルトを見上げる私の弟は、普段より二割増しで可愛い。無邪気なエミールの姿にヴェンデルが呆れた目をしていた。

 剣を大事に抱えるエミールを前にして、ライナルトはいつも通り、表情筋を動かさない。淡々と見下ろしながら薄い唇を開いた。


「剣術の相手ならアヒムかマルティナがいたと思うが」

「はい。知っての通り手が空いているときに試合を頼んでいました。ニーカさんにもお手合わせ願いまして筋がいいと褒めてもらったのですが……」

「ニーカが褒めるのならば間違いないのだろう。そのまま励めばよい」

「ですがニーカさんは、密接するほどの接近戦なら陛下の方が一日の長があると。ですが俺は陛下が戦っているところを見たことがありません」

「外では剣を振るっては、配下の顔が立つまい」

「ですので興味があります!」


 視界の端で、鬼の形相をしたアヒムに睨み付けられるニーカさんが口笛を吹いている。

 エミールの問いに、ライナルトはさもありなんと頷く。


「私に長があるとは流石に謙遜だろうが、たしかに接近戦ならば私も少しは覚えがある。だが、お前が学ぶべきものはないだろう」

「何故でしょうか」

「邪道であり王道ではない。武の道を進みたいなら、引き続きアヒム達に教えを乞うといいだろう。二人ならばお前のことを考えてくれている」


 たぶん、ニーカさんが言った「密接」とは普通の長剣ではなく短剣の使用を想定している。

 最近すっかり忘れがちだけど、元々ライナルトが得意とするのは短剣二刀流か、次点で棍だ。色々な戦い方ができて私は格好いいと思えども、そうは行かないのがオルレンドル宮廷の方々。夜盗のような戦い方はよろしくないと皇帝陛下の体裁を保つため、ライナルトには長剣を持つようお願いしている。

 とはいえ、普段から外套の中に仕込みをしているのは近しい人なら皆知っているし、いま、この旅においてもそれは変わらない。むしろ安全のためには、とニーカさんが許可を出したことで、職人に短剣を作らせて新調していた。彼は否定するが、私にはとても楽しみにしていたなという印象だ。

 ニーカさんが喋ってしまったことで、エミールの興味を引いてしまったのだ。


「義兄さん、学ぶべきことがあるかどうかは自分で決めます。もし戦うことが嫌じゃなかったら、是非俺と戦ってください」

 

 普通だとなかなか聞かない台詞だ。

 こうなったらエミールは止まることはない。そういう顔をしている元教え子に、先生だったマルティナが諦めの表情でたき火にくべる薪を割っている。

 エミールの熱意は本当だろう。


「義兄さん」

「……カレン」


 ずい、っと迫ってくるエミールに、ライナルトが私へ助けを求めた。

 もしこの手合わせを挑む人がエミールやヴェンデル以外であれば、ライナルトはにべもなく断るか、黙って短剣を握っていたろう。しかし相手は私の弟。奥さんの身内を傷つけてはならないという良識を踏まえ、私にエミールを止めてもらいたいのだろう。

 普通は他人も傷つけてはならないけど、そこはもう言ってもどうにもならない……ので、私はお茶を啜りながら答えた。


「いいんじゃないですか」

「……やった、さすが姉さん!」


 は!? と声を上げたのはアヒム。

 私はお小言が飛ぶ前に理由を述べた。


「エミールもそろそろ自分の発言に責任を持てる年でしょう。それに普段から鍛えてもらっているなら、易々と動けなくなるようなことにはなりません」


 ジェフがエミールの頑丈さを褒めていた記憶があるし、なによりライナルトは、その性格から一撃必殺を旨とする人。トドメをさせないと「消化不良」と感じる質の人で、そんな気持ち悪さを嫌がりスッキリさせたがる……遠回りに表現すると後顧の憂いを断つために原因になった相手の命を絶ってしまうから、将来のためにも多少は手加減を覚えてもらいたい。

 この間はせっかく崖から皆でジャンプという、自身の内側から芽生えた欲求を語ってくれたばかり。この調子で人に対する手心を学んでくれたら、彼の長生きにも繋がるはずだ。

 私の了解を得たとあってか、エミールはことさら喜んだ。


「流石は姉さん! 一代でコンラートを隆盛まで導いた賢女は言うことが違いますね!」

「流石は私の弟ね。言うことがとっても調子がいいわ」

「ありがとうございます!」


 褒めてはいない。

 全身で喜怒哀楽を表現する素直さが、私を含め皆がこの子に甘くなる理由だろうか。

 しかしここで立ちはだかるのは、当然アヒム。


「待った待った待った。カレンは許可してもおれの目の黒いうちは決してやらせませんよ!」

「なんで! アヒムだって義兄さんは強そうだって言ってたのに」

「やべー方の意味でな!」


 彼は勘が鋭いから危険を察知しているのだろう。父さんに頼まれているだけあり、険しい表情でエミールを止めようとするが、マルティナの口添えがないとあってか、止める力は弱い。どう言ってもエミールは引き下がらないし、最終的にヴェンデルのひと声で諦めた。


「そのまま許さずにいると、こっそりへーかと手合わせ始めちゃうから、目の届く範囲でやらせた方がいいよ」


 そういうわけで火蓋が切って落とされたライナルトによる対人物理戦闘術講座。

 人目があるところでのみ、という条件で開始されたそれは、わずか六十も数えないうちに終わりを迎えた。

 ライナルトに向かって、嬉々として剣を握るエミール。

 対して二本の短剣は鞘に納めたまま、無言で向き合うライナルト。

 私には腕試しであろうと殺意のない相手に殺傷武器を持って立ち向かえる胆力はないけれど、そこは強い私の弟。

 開幕はエミールの気合いの入ったひと声で、剣を握りしめたエミールが突進する猪のように駆け出した。

 手加減という言葉を知らないのか。横殴り振られた刃を、ライナルトは冷静に下がって空振りへと導いた。体勢を立て直す隙まで与える彼に、シスはどこかから集めてきた木の実を囓りながら盛り上がる。


「いいぞいいぞ、そのままそいつの脚でも落としちまえ。くっつけるなら僕が得意だから、遠慮するな!」

「シスは縁起でもないこと言わないで」

「マスターマスター。ワタシもお洋服を直せるから大丈夫」

「あなたもそうじゃないから」


 ルカも断然エミール応援派だ。大人組は冷静に見守る人が多いので、ハラハラしているのはヴェンデルくらい。エミールがライナルトを傷つけやしないかと、一振り一振りを怖いもの見たさで見守っている。

 観客の盛り上がりを余所に、ライナルトの目は淡々とエミールを観察している。

 彼が言うには、剣を振る腕だけに注視するのではなく、体全体へ注視して足先や目の動きも観察するのだそうだ。

 いまだ短剣を抜こうともしないし、エミールの振る刃を躱すだけ。相手にされないことに苛立ちを覚えたのか、わずかにエミールの動きが雑になった……と私の目から見ても明らかになった瞬間、ライナルトは動いた。


「遅い」


 なんと拳でエミールを殴った。

 ちょうど良いところに当たったのか、脳震盪を起こしたエミールの視界と足が連動してふらつくと、彼の後頭部に回ったライナルトの手の平に力が込められる。

 それまで腕組みでエミールを見守っていたアヒムの腰が浮いた。


「待て、やめ……」

 

 ライナルトは地面に向かってエミールの頭を落とした。

 額から土に思い切り打ちつけると、エミールの身体は手先が大きく痙攣し、それ以降動かなくなる。

 想像をこえる事態にヴェンデルが動けずにいると、アヒムとマルティナがエミールへ駆け寄った。

 彼らがエミールをひっくり返して呼吸や脈を測ると、無事を確認できたことでアヒムがライナルトへ詰め寄る。


「馬鹿野郎が! 子供相手になに本気出してる!」

「本気は出していない」

「だったらなおさら質が悪い。実力をわからせるためだとしても、こんな危険な方法をとるアホがどこにいる。頭はヘタしたら死ぬんだぞ!」

「もう、アヒムは心配性ねぇ」


 声を上げたのは、特に慌てもせずのんびりしているルカ。彼女は相変わらず木の実を摘まむシス同様に動揺ひとつ見せていない。

 私もヴェンデルを凍らせておくのはしのびないので、早々に種明かしを行った。


「シスとルカが揃っていながら、エミールに傷を付けるはずがないわ。だからそう慌てなくて大丈夫よ」


 私が教えると、シスが不満そうに唇を尖らせる。


「なんだよ、僕は何も言ってないじゃん」

「わかっているから心配しなかったの。あなたがむやみに友達が傷つく姿を放っておくわけないもの」

「生意気な弟子め、わかったような口を利くんじゃないよ」

「みんなの慌てふためく姿を楽しむような悪趣味に付き合いたくはないの」


 ただ、シスとルカは打ち合わせを行ったわけじゃないし、私達にあらかじめ知らせたわけでもない。

 私は彼らとの付き合いという経験則から安心していただけで、ライナルトはこれを意図してエミールを気絶させたわけではなかった。

 だが、彼の様子ではこれが手加減なのだ。

 むしろ反省せず、ニーカさんへ感心するように告げた。


「エミールは思ったよりも筋がいい」

「だろう。私のところに来てくれたら鍛え上げてやりたいけど、その気はないのかな」


 荒療治になれているせいもあって、やはり安全の基準値が人よりおかしい。

 この会話を受け、アヒムはエミールが目覚めるなりライナルトとの手合わせ禁止を言い渡した。


「姉さん……」

 

 お風呂に入れられた犬のようにしょんぼり肩を落とすエミールだが、このときには私もヴェンデル達にじっとりとした目を向けられており、たいへん居心地が悪い。

 始めに教えておかなかったことで恨まれてしまったため、両手を交差させバツ印を作った。


「ごめんなさい、諦めて。一試合できただけでもよかったと思ってちょうだい」

 

 私の目が届かないところで怪我をされると、今度は使い魔達の補助が間に合わないかもしれないので助け船を出せない。

 例外は将来への期待が上回ったらしいライナルトだが、当然彼も睨まれる側なので、無理はしない。

 結局、ライナルトとの手合わせ禁止令を出されたエミールは諦めるほかなく……。


「よし、じゃあ隠れて申し込めば……」

「聞こえてるからなぁ悪ガキめ!」


 すっかり遠慮の文字が消えたアヒムに、盛大に叱られる羽目になったのだった。

活動報告:カバー、書店特典公開(悪女呪い)あと全創作データロスト

 

 閑話になった理由ですが、端的に書きますと連載含め原稿といった書き物関係のデータをひとつ残らずロストしました。過去のものから余すことなく全部。いまの元転現行プロットもです。

 すべて一から集めて確認し直しなので、少しお時間ください…。

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