129.ヤーシャ王子
事はエミールがヤーシャとジグムントとの関係を言及したことから始まる。
「ヤーシャってお兄さんとあんまり仲良くない感じか?」
「なぁ!?」
エミールは、クシェンナ宮でヤーシャがジグムントの配下から受けていた扱いが気になっていたのだと思う。
私も同じ質問をしようと思っていたけど、もっと言葉を柔らかくして聞くつもりだったから、直接聞いても嫌味にならない、エミールから醸し出される純朴さが羨ましい。
……ううん、私もやればできるはずなんだけど、最近はなんだかすっかりライナルト達に毒されてしまったから、あれこれと裏を考えてしまうのだ。
エミールの問いにヤーシャは見事に狼狽える。
それはもう、見ているこちらが同情を覚えてしまうほどの動揺っぷりだ。
「わ、わわ、私が、ジグムント兄上と、仲が良くない、だと!?」
「うん」
「まっすぐな目で頷くな! 馬鹿者」
「図星か?」
「だからそう率直な……やめろ! 仮にもオルレンドル皇妃の弟が、犬のようなまぬけ面を晒してどうする! 私は犬に弱いんだ!」
「犬なら俺も飼ってる。可愛いよな」
「む、どんな犬種を……いや違う!!!」
……この二人、仲がいいなぁ。
ヤーシャの言うとおり、エミールの怖いくらいまっすぐなところは、犬っぽいかも……?
って、違う違う。
エミールの疑問は的を射ている。ヤーシャには王位継承権がないが、国民から敬愛されるヤロスラフ王の息子には変わりないはず。加えて次期王位継承権を有するジグムントと父母を同じとするのに、あの扱われようだ。
臣下にすら王子として敬意を払われていない。客人の前であの様なのだから、ヤーシャが日常的に彼らからどう思われているのか丸わかりだ。
今こうしてヤーシャの護衛として付いている人達は彼を軽く扱っている気配はないが、冷静に観察すると、身に纏う衣類は赤狼の団の人達のものと似通っている。つまり彼の警護は国ではなく、赤狼の人が担っているのだ。
私からカードを抜き取ったヴェンデルがしかめっ面になる。ちょうどハズレを引いてくれたから助かった。
「エミールさぁ、気になってたとしても、もっと言葉を選ぼうよ。ヤーシャの家庭は問題あるって、そんなの聞かなくてもわかってるんだからさ」
「んぐっ!?」
「こういうのは変に気を遣う方が困らせるんじゃないか。大体、本当に気にしてないならヤーシャも流すだろうし」
「あが……!」
「君の場合は無神経の域に達してるよ。ちょっと仲良くなったらすぐそうなんだから、気をつけなって」
ヴェンデルは気遣ってるつもりだろうけど、二人が会話を進める毎にヤーシャが苦しそうにもがいているので何の助けにもなっていない。
仕方ないので私が咳払いで間に入る。
「エミール、ヴェンデル。余所には余所の事情があるのだから、むやみやたらと人の心の傷を抉ってはいけません。普段お友達に気遣うように、ヤーシャにも優しく接してあげなさい」
「誰が心の傷だ!!」
「あら」
心臓を押さえていたかと思ったら元気に立ち上がった。
ヤーシャは私達に指を突き付ける。
「私は一切傷ついてなどいない! あと、兄上との仲は良好だし、これ以上ないほど心を通じ合わせている」
そのわりにあなたの警護の人達、困ったような居たたまれないようなお顔になっているのだけど、やっぱり突っ込まない方が良いだろうか。
同じように雰囲気を読みとっていたエミールが、おそるおそるヤーシャへ話しかける。
「……俺の前では強がらなくてもいいぞ?」
「ない! 強がってなど、決して! 大体、お前は年下だろうが!」
「年齢は気にしなくていいよ。困ったときはお互い様だろ」
「年下は年下らしくしろ!」
若干涙目になっている王子は、胸に手を当てる。
「よいか。私の父は偉大なるヤロスラフ三世だ。そのヤロスラフ王の数多いる子の中で、私と兄上は唯一母を同じとする兄弟だ」
「うん」
「我ら兄弟は、母に愛を持って育てていただいたのだ。互いを助け合いながら生きよと言った母の言葉を、兄上は忘れていない。私も同じ気持ちだ」
「いや、でもさ、部下の人……」
「あれは、ちょっぴり行き違いがあるだけだ。兄上は断じて、私を疎んじてはいない」
ヤーシャの目が血走っている。
たぶん、これは触れてはいけない話題なのだ。青年の心に触れるのならもっと繊細に切り込まなければいけなかったものを、エミールはやってしまった。いくら私の弟とはいえ、これはやってしまったか……そう思っていたが、エミールはエミールだった。
「じゃあジグムント閣下の部下に冷遇されてたの、あれってヤーシャが弱いと思われてるからってことでいいのか」
ヤーシャが白目を剥いて椅子に倒れた。
過呼吸気味なのは図星だったせいだろうか。エミールは私がうっすら思っていたことをずけずけと言ってのけてしまう。婉曲的な表現を用いて話す機会が多いためか、ズバズバ斬り進んでくれる姿は見てて心地良いが、果たして青年は無事だろうか。
椅子と一体化するんじゃないかと思うほどのめり込む青年は、涙目になって背もたれに爪を立てながら歯茎を剥き出しにした。
「私が弱いなどと、貴様、王子に向かってなんという侮辱!」
「でもヤーシャって学の人だろ」
「な、ななななにを根拠に」
声が震えてる。
エミールは自分の手の平を見せつけるように開いた。
「ヤーシャは剣を使う人の手じゃない。ヴェンデルと同じで筆を取る人だから、よく思われてないのかなーって感じたんだけど、違ったか?」
あ、なるほど。
普段から鍛錬しているエミールにすれば一目瞭然だったのだろう。
武を重んじ学を軽視すると名高いラトリアだと、その差は歴然だと聞いたことがある。
真っ青になったヤーシャははじめ「あ」とか「う」とかうめき声を上げていたが、やがて恨みがましそうに、エミールのみならず私達を睨めつける。
……弟はともかく私はとばっちりじゃないかしら?
「……悪いか」
このヤーシャと護衛の人達の諦めた表情から察するに、まさに正解をついていたらしい。
ヴェンデルが信じられない面持ちで口を開いた。
「嘘だ。戦うのが苦手ってだけであんなに酷い態度を取られるの? だってあのときの部下の人にとって、ヤーシャは主の弟じゃないか」
「私ではお前の言葉からは察することしか出来ないが、少なくともラトリアでは当たり前のことだ。剣もまともに使えない弱者など、王位を拝するには足りない軟弱者で……」
「待った。ってことは、まさかヤーシャに王位継承権がないのって……」
これは完全にヤーシャが不覚を取った。彼は慌てて自分の口を押さえたが、ここまでバレては意味がないと悟った。がっくりと肩と視線を落とした。
「弱い王には、ラトリアを統治する資格はない……そういうことだ」
情けない表情を見せる青年。場は重苦しい空気に包まれると思われたが、ヴェンデルが腕を組みうなりはじめたことで、また違う雰囲気に変わりはじめた。
「ラトリアっていい国だと思う反面、閉鎖的なところも多いよね。今回の三国会談で交流できるようになって、お互い留学できるようになったらもっと変わっていくのかな。エミールはどう思う」
「文化的な交流は大事だと思うぞ……ですよね、姉さん」
「思うだけで、かつ発言をこの場に留めてくれるのなら私は何も咎めません」
迂闊にも「いいと思う」とは言えないので私の回答は保留。
さて、これ以上ヤーシャを涙目にするのは本意ではない。真っ青になり、口に手をあてアワワしているアヒムが可哀想になってきたので、実はヤーシャとジグムントの関係を知ってから、ずっと気になった質問を口にした。
「よかったら貴方のお母さまについて話を聞かせてもらえないかしら」と。
「ちょっと、エレナ」
先輩使用人に呼ばれて我に返った私は、自分が召使いとしてクシェンナ宮に潜り込んでいることを思いだした。
元々とある理由からクシェンナ宮に近づけないかしら……とは思っていたのだが、まさかあんな他愛ない質問がクシェンナ宮に潜り込むきっかけになるとは思わなかった。
「ごめん、なんの話をしてたっけ。街にいる男の人?」
笑って誤魔化す私に、彼女はちょっとお怒り気味で「もう」と呟く。
「違う違う。ヤーシャ殿下のお笑い試合の話。できる男を演出して大言壮語を吐いてた殿下が、十二歳の男の子にこっぴどくやられて、諸侯の失笑を買っちゃったやつよ」
「……あ、そうだったわね」
ヤーシャが剣の話をしたとき、過剰に反応していた理由がこれ。
あの時の私は知らなかったのだが、ラトリアの王位継承者は王や名だたる諸侯の前で武を披露する必要がある。ヤーシャは兄が並み居る強者を実力でねじ伏せた武人なだけに、かけられる期待が並大抵ではなかった。それが子供にこっぴどく負けてしまったものだから、以降、彼はこのように王と兄の面を汚した恥さらしとして、現在はいない者扱い。使用人からは笑い話として上げられるまでになっている。
……たしかに彼はこんなことを言いたくないわよね、といまなら私も納得できる。
そして赤狼の団の人が彼を護衛していた理由も、やっと察せた。王城仕えのでは折り合いが悪いから、ヤロスラフ王が直に命令して人を付けたのではないか。
直に聞いたわけではなかったが、きっと合っていると自信をもって断言できる。なぜならヤロスラフ王とヤーシャのやりとりを鑑みるに、あの王は息子を疎んじるような人ではないからだ。