128.皇妃様は使用人
石造りの城内は基本的にあちこちが暗い。
光をふんだんに取り入れる造りになっている場所は問題ないが、たとえば奥まった通路になるとたちまち真っ暗になってしまうから、壁の明かりは必須になる。
そんな細まった通路を抜けた先には、もうもうと煮立った煙をあげる鍋がずらりと並んでおり、料理人達が一斉にパン生地を捏ねて両手で揉んでいる。
複数いるうちの、料理人のおじさんが叫ぶ。
「エレナちゃん、そこの芋剥いといてくれるかい!」
「はーい」
料理補助の使用人が慌てた様子で駆け込んでくる。
「エレナや、その作業が終わったら、ひとっ走りして塩を二袋もらってきておいてくれるかい。伝達漏れで運ばれてなくって、このままじゃ明日の分がなくなりそうなんだ!」
「塩ですね、お任せくださいませー」
給仕の若い使用人が悲鳴を上げる。
「ちょっと誰かー! 南瓜運ぶの手伝ってぇ!」
「ニーカさぁん」
「任された……そこの、私が運ぶから芋剥きを代わってくれ」
「あ、ありがとう……!」
私の言葉に、袖をまくるニーカさんが立ち上がる。向かいには先ほどまで材料の運び込みを行っていた女の子が、力のない足取りで私の向かいに座った。
「はぁぁ……もう、手が痛くて仕方ない……見てよコレ、せっかくのクシェンナ宮務めなのに荒れ放題なんて、華のある仕事とは程遠いわ」
「大丈夫? ナイフ、握れるかしら」
「そのくらいなら大丈夫……芋剥きの方が大分マシだから」
素朴な顔立ちのこの女の子は、人当たりが良く明るいので、よく話すようになった娘だ。慣れた手つきで芋を掴むと、私から受け取ったナイフで芋の皮を剥きはじめる。
たしか彼女は朝も大量の袋を運んでいた。疲れが抜けていないのか、姿勢を崩した体勢は上級使用人に見つかれば説教間違いなしだが、幸いここはクシェンナ宮でも兵士や下級使用人達の食事を用意する第三厨房だ。ここに勤める使用人達の感覚は平民にかなり近いものがあり、気兼ねなく接することができる。
使用人服に身を包んだいまの私は赤毛。
第三者には顔立ちもラトリア人に見えているはずなので、仲間として接してもらえている。
女の子の愚痴は止まらない。
「まったく! 西塔の兵士がサボらず、割り当て通りちゃんと運んでくれたらこんなことしなくて済むのに、あいつらときたら荷運びは自分たちの仕事じゃないって言うばっかり」
「言っても改善されないの?」
「エレナ。あんたとニーカって下から来たばっかりだったっけ」
「ええ、そう」
「下」は「街」の別称だ。
このラトリアの中心都市において王城は街よりも高い位置に存在しているから、クシェンナ宮の人々は街を「下」と呼ぶ。
私とニーカさんは田舎から出てきたばかりの、ちょっとした貴族の親戚筋ということになっている。新入りとして入ってきたので、皆からは様々な雑用を言いつけられている状況だ。
ついでに言えば、名前も友人であるエレナさんからお借りしている。ニーカさんはそのままで問題ないけど、私は流石に偽名を使った方がいいというライナルトのお達しだ。
新入りに教授すべく、先輩使用人は人差し指を立てた。
「だったら覚えておきなさい。ここの兵士なんて、自分が盛り立てたわけでもない家柄を服に着たような連中ばっかりなんだから」
「そんなに酷いの?」
「酷いなんてもんじゃないわ。ちょっと気に食わない仕事があると「それは栄えあるラトリア兵の仕事ではない」って、すーぐこっちに押しつけてくるんだから」
「ひどい話ね」
「でしょ!?」
相手の気を悪くしないよう頷けば、彼女は溜まっていた鬱憤を晴らすように喋りだす。
「あいつらって、矜持だけは一人前なの。噂じゃ西塔側の連中だけが酷いって話らしいけど、こっちにしてみれば貴族なんてみんな一緒よ。金を持ってることだけがご自慢の、鼻っ柱が高いだけのろくでなし!」
「嫌な思いをさせられてるのね」
「あんたも覚悟しておきなさいよ。連中ってば、女にだって容赦しないでこき使ってくるんだから」
クシェンナ宮での話だから他人事のように聞いていられるけど、耳に痛い話なのは変わりない。ないとは信じたくても、オルレンドルにあるうちの宮廷でも同じようなことが起こっている可能性はある。帰ったら一度精査してみようかしら、と思わせる会話だ。
あ、と先輩使用人は顔は閃きを得たような顔になる。
「でもニーカの場合はどうかしらね。彼女って明らかにできる人だし、勧誘を受けたりするんじゃないかしら」
ニーカさんは私と一緒にクシェンナ宮にきてからこちら、一度も武力を行使したことがない。だというのに彼女が戦える人だとバレているのは、ニーカさんのミスではなく、武人と接する機会の多いラトリア人の慧眼によるものなのだと窺える。この指摘が入ることはニーカさん本人からすでに示唆されていたから、私の回答はすでに用意されていた。
「たしかに彼女、剣を取ってた時期があるのだけど……」
「ん?」
「いまはもう、戦える状態ではなくなってしまったの。だからお誘いを受けても、入隊することはないと思う」
「……そっか、変なこと言っちゃったよ。ごめん」
嘘は言っていない。私を守るって理由があるから、間違ってもラトリア軍には入隊できないのである。
でもこんな理由だけで素直に謝ってくれるあたり、彼女、根はいい子なのだろう。
私は肩をすくめるように動かす。
「本人も気にしてないから。それより、お城で働くって凄いことだと思ってきたんだけど、思ったより大変そうなのね」
「素敵な出会いがあるって期待したとか?」
やはりこの手の話題には乗ってくれやすい。
可能なら私もこの気に乗じたいが、残念ながらこういう話においては、ライナルトと決めた約束事がある。
「ううん、私、夫がいるからそっちの方は期待してないの」
「……エレナって既婚者だったの」
「ええ、ニーカもそうよ」
もちろんこちらは嘘である。
ただ、こちらの方が面倒にならないからとニーカさんと話を合わせて事前に決めた『設定』だ。この設定を基に私は話を続ける。
「私達の地元じゃあまり稼げるところがなくって、給料に期待してお城勤めに賭けることにしたの。だけど思ったよりお給料が安いからびっくりしちゃって」
「あー……なるほど」
彼女は私に同情するような笑いを浮かべる。
「高給取りになるのは、よっぽどいいところのお姫様じゃないと無理だね。それでもクシェンナ宮は衣食住の保証されてるから、お金は貯めやすいんだけどさ」
「そうなんだ……」
事前情報でクシェンナ宮で働く召使い達、特に女性は一度宮廷に入ると許可を得られない限り、家に帰ることすら難しいと聞いているから、お金が貯めやすいとはここから来ているのだろう。また、私のように出稼ぎ目的で入る人も多いらしい。
オルレンドルの宮廷と違うのは、ラトリア人であれば比較的容易に入り込むことができるということ。ただしこれは前述した『外』へ出て行く難しさが関係している。
興味を引く話なだけに、私も思わず聞き入ってしまう。もちろん、芋の皮を剥く手は緩めないし、ここは婚姻前にエルネスタ宅で培ったお手伝いさん業の腕の見せ所だ。
「上にいけるとしたらもっと経験を重ねるか、上の人から礼儀作法を教えてもらえるようなお気に入りの子だけよ。それと、あんたやニーカは心配ないけど、立派な赤毛であるだけ有利だね」
「あら、じゃあ、紹介制みたいになるのかしら」
「そんなことない。もっと簡単っていうか、よくある手段として言われてるのは、少なくとも一年は誰の下に付くか見定めて……」
彼女は少し体を寄せて、声を落とす。指で硬貨の形を作って片目を瞑った。
「こう、袖の下を通して便宜を図ってもらって……って感じだから、貯めたお金も、それで出て行きやすいの。家に送るお金も、ちょっと考えた方がいいよ」
「……なんだかいろいろ難しいのね。でも、教えてくれてありがとう」
私とニーカさんがクシェンナ宮に使用人として入り込んだのは、たった五日前。二人一組で動かしてもらえるようヤーシャに融通してもらったとはいえ、突然配属された新人は警戒されがちだったから、ここまで教えてもらえるようになったのには進展を感じる――と実感していたら、彼女が心を開いてくれたのは意外な理由だった。
「気にしないで。あんたがあたしの敵じゃないってわかった以上は、仲良く出来そうだしね!」
「……敵?」
「そうそう。旦那もちってことは他の子にも話しておいてあげるから、心配しないで」
彼女はなにを言っているのだろう。
話がさっぱり見えずに首を傾げていると、彼女は口を大きく開けて笑う。
「クシェンナ宮は婚姻相手を捜しに入ってくる女の方が多いんだよ。だから、あんたみたいに婚姻適齢期の人が入ると、自然に警戒しちゃうってわけ」
「そこのうるさいのと新入り! 無駄口叩いてないで手ぇ動かせ!」
ちょっと話し声が大きかったらしい。
料理人から叱咤が入り、私達は慌てて芋剥きに戻るのだが、こんなことでお喋りは止まらない。先輩使用人は機を見計らうと声を落として「あのね」とお喋りを続ける。
「それよか、最近街に降りた子に話を聞いたんだけど、通り沿いの高級宿にすっっごくいい男が泊まってるらしいの。外国人らしいんだけど、いいところの貴族で、お嫁さんを探しに来たんじゃないかってもっぱらの噂なの!」
嬉しそうな先輩使用人の笑顔に、私はなんともいえない愛想笑いを浮かべる。
なぜなら彼女の言葉それぞれに私は覚えがありすぎる。
それは私の旦那様ですとは言えず、こんなところでも猛威を振るう夫の顔面力に乾いた笑いを浮かべる。
……私はいまごろ、私達へ苦い顔を隠せないであろうライナルトを想像する。
なぜ私とニーカさんが使用人の体でクシェンナ宮にいるのかというと、それは当然、ヴェンデルの部屋に招かれたヤーシャを発端としているのであった。