126.“君に色々教わりたい”
大人達の争いを余所に、ヴェンデルは思い悩んだような表情を隠さない。エミールが気になったようで尋ねると、気にしたのはヤーシャのようだ。
「あの人とはまだ話したいことがあったんだよね」
「クシェンナ宮でヤーシャを助けたの、ヴェンデルにしては知らない人に声をかけるのは珍しいと思ってたけど、そういうことか」
「立場的には近い感じだし、話が合うかもなって思ってさ」
「お……」
最後、弟達の会話に口を挟もうとしたライナルトを止めたのは私だ。おそらく「王の子だからといって話が合うとは限らない」と言おうとしたのだろうけど、わざわざ口を挟む必要はない。きっと説明して上げてほしいとお願いした手前、丁寧に説明してくれようとしたのだろうが、言って良いことと悪いことがある。今回の場合は、せっかくヴェンデルが自分の力で考え動いているのだから邪魔したくない。
こころなしか黎明達も微笑ましく見守っているようで、私は夫を笑顔で牽制すると、ちょうどヴェンデルが肩を落としたところだ。
「でも本当はもう少しくらい話せるかなって思ってたのに、彼のお兄さんが来ちゃってさ」
「あー、まあ、連絡先聞くような暇はなかったよな」
「うん。だから残念だ」
諦めたように息を吐くヴェンデルに、エミールが不思議そうに尋ねる。
「残念って、なんでだ?」
「……だっていまエミールが言ったじゃないか。連絡先聞きそびれたって。会うにも会えない状況だし……」
「…………いや、誘えばいいだろ?」
二人の間になんとも言い難い沈黙が走る。
たぶん、この場にいるほとんどの人はエミールのように「会えないなら呼び出せばいい」くらいの気軽さで、気になる人は声をかけられる人達だ。
……私もコンラート当主代理に就いてからはエミール側の人だけど、ファルクラム時代はヴェンデルのように、人を誘うにも機会がなければ躊躇していた。だから不満をありありと顔に描くヴェンデルの気持ちは嫌というほど理解できる。
これは相手の迷惑や都合を考えあぐねた結果の「そんな簡単に誘えたら苦労しない」という感情が入り交じった顔だ。特にオルレンドルとラトリアの関係を踏まえれば、ヴェンデルの悩みはまったくおかしなことではない。
ざっと私が見渡した限り、この子の葛藤を理解していそうなのは……マルティナくらいだ。ヴェンデルもそのことに気付いたのか、私や彼女に向かって怒りを露わにする。
「ねえ!」
「わかるわ、言いたいことはわかるけど……」
「……はい。この場合は、呼び出しても宜しいかと。ヴェンデルから赴くのは、少々不安が付きまといますので、わたくし達も賛成できませんし……」
「相手王子なんだけど! カレン!」
「……ヤーシャなら、赤狼の団に文でも送ればすぐじゃないかしら」
「そういうことじゃない!」
「……継承権もないし、構わないわよ、きっと」
隣のライナルトは止める気配もないし、彼もいいと言っている。たぶん。
私の許可が出るやエミールが立ち上がる。
「よし、姉さんの許可も出たし、早文でも書きにいくか!」
「やめてよ! 僕はエミールみたいな行動欲の権化と違って、考える時間が必要なんだ!」
「俺もこっちでできた友達とまた会いたいんだ。会う約束も取り付けなきゃいけないし、ついでにってだけだって」
エミールとヴェンデルの力では、普段から鍛えているエミールの方が勝る。抵抗も虚しく連れ去られて行く姿に、ニーカさんとアヒムが顔を見合わせた。
彼女はひどく真面目な形相で、親指を含めた指を三本立てる。
「来る」
「賭けにならねえ」
「じゃあ大穴で来ないに六で」
「馬鹿だろ! ……が、それなら乗った。来るに四だ」
「よし。ライナルトは?」
「来なければ気概があって面白いだろうな。十五」
「マルティナ」
「……来るに三です」
目の前で賭けをしだす大人達に、少女の姿をした使い魔が怒ったフリをする。
「まったくもう、アナタたちったらヴェンデルの教育に悪いことばっかりするんだから! ……マスター、ワタシはそろそろラトリアについて調べたいことがあるから、単独行動してくるわ」
「単独行動って、一人で行動するのは……」
「心配しないで。ワタシが行きたいのはオルレンドルにはない、ラトリアの書物が読める教会とか図書館よ。ホントにただの物見遊山だから怪しいことはしないわ」
つまりただ本を読みに行きたいだけらしい。これは他国の知識を集め見聞を深めるという、前から変わらないルカの目的に添った行動だ。ずっと私達に付き合ってくれて、彼女自身の時間は少ないから、笑顔で見送ってあげたいけど……。
それでもひとりで行動することに、私は不安を隠せない。そんな私の不安を、ルカは笑って蹴散らした。
「下手に人間が一緒より、一人で行動した方がいいの。ワタシひとりなら移動も簡単だし、もちろん人に攻撃的な行動なんかとらないわ。そんなことしたら、あの精霊に睨まれるかもしれないし……ちょっとだけだから」
「そういうことなら構わないけど……あんまり遅くまで出歩いては駄目よ?」
「へーきへーき。マスターに心配かけない範囲で帰ってくるわ」
そう言いながら、実際は深夜に帰ってきたという事実を、私は数日後に知ることになったりする。
私は各々が報告を終え、二人きりになった部屋でライナルトに手を伸ばす。
「わかった」
短い一言の後に、身体はふわっと抱き上げられる。彼の手によれば羽があるかのように軽く抱き上げられてしまうから、浮いた感覚を味わいたくて、私はよく寝台まで運んでもらう。
耳元でそっと話しかけた。
「私達の存在もバレてしまいましたし、そろそろ三国協議の日も早めてくるでしょうね」
「こうしてゆっくり出来る時間も少ないな。もっと楽しみたかったか?」
「……うーん、もっとのんびりしたかった……というのはあるんだけど」
私はあれだけ新婚旅行を楽しむぞ! と意気込んでいた自分に苦笑を漏らす。
「こんなことを言ってしまうのは駄目なんだけど、少し騒がしいくらいが、私達らしいかしらと思っちゃった」
刺激を期待するようになるなんて、ライナルトじゃあるまいし良くない兆候だ。
どのみちウツィアは私達を放置できないだろうから、先方の動きが見られる前に、いまは小休止と行きたい。
「ところでラトリア硬貨を十五枚も出すなんて、太っ腹ですね。よほどヤーシャに期待されてるの?」
「貴方を好ましいと思うように、最近は愚直な人間は嫌いではない」
私は一瞬考えた。
「……褒めてる?」
「無論だ。あとは、アヒム達に遊ぶ金を渡す必要がある」
「そっか、アヒムやマルティナは節約家ですものね」
「あの二人は金を使わないにも程がある。人の金だと思えば多少は使うだろう」
「アヒムはともかく、マルティナはどうかしら……」
大人達のささやかな賭けの結果だけど、ヴェンデルがしたたためた早文は、無事に赤狼の団へと届けられた。その翌日に、ある報せを受けて私はヴェンデル達の部屋を尋ねる。
ラトリア式の紋様が描かれたカードを数枚握っていた青年がジロリと私を睨む。
「……なんだ」
「いえなにも」
ヴェンデル達と卓を囲む王子様の姿があったのだった。