125.皇位継承権はなくとも
彼に思いも寄らぬ方向から言葉で殴られたシス。
悪いのはライナルトだけど、謝ることは絶対にしないだろうから気を逸らさなくてはならない。そう思っていたのは私だけではなかったらしく、エミールが私に尋ねてきた。
「姉さん、れいさんはどうだったんですか」
「あら、気になるの?」
「気になってます。ルカが魔法を使えなかったのなら、れいさんも魔法を使えなかった?」
「……そういえば出さなかったな」
ライナルトも気になったらしい。
宮廷では事を大きくしないため黙っていたが、黎明は始終無反応だった。問題が発生したときは必ず忠告をくれる彼女だから、何もないなら良しとしていたのだ。
二人の声に応えて黎明が出現する。
ただし、今回はまだライナルトを狙おうとしていたシスの背後にふわっと現れた。アヒムとマルティナを振り払おうとしていた彼の両脇に手を差し込むと、軽々と持ち上げてしまったのだ。
「いけませんよ、嬰児。貴方は強すぎるのですから、他人様を傷つけてはいけません」
「あっこいつ……! ちょ、やめろ、僕を子供扱いするんじゃない!」
シスは足をバタバタと動かし、その足に食器がぶつかることを恐れたニーカさんが、さっと茶器類を保護。シスの抵抗をものともしない黎明は、椅子の空けてもらった隙間に腰を下ろした。シスを抱えているから、なんとも形容しがたい姿だ。
ただ、彼女はそんなことは気にしないし、誰も指摘しない。
長命種の黎明にとって、半精霊や人間はみな等しい子供なのだ。下手に刺激すると次に『よしよし』されるのは自分なので、皆の前でそれは避けたい。
……そしてこの中で『よしよし』最多数はシス、次いで私とルカと、この場にいないフィーネ。そしてライナルト以外は実は経験済みである。
なまじ彼女に抱きしめてもらえるのも悪い気がしないだけに、振りほどくには罪悪感が伴う。そして最近気付いてきたが、黎明が誰かの体温を欲するときは寂しいときだ。
次の標的にならないためにも、皆黙って生贄を差し出し、黎明はぎゅう、とシスを抱きしめる。
「わたくしからは、みな等しく愛しい子です」
「そういう問題じゃないっていつも言ってるだろうが……!」
「黎明、番の反応はなかったか」
「あっライナルトこの野郎……」
ここですかさずライナルト、シスの妨害。
黎明は悩ましげにため息を吐いた。
「クシェンナ宮……でしたでしょうか。実は皆さまがあの宮に踏み入れたとき、微かに蒼茫の匂いが残っていたのです。ですからわたくし、裏で蒼茫や星穹に話しかけていたのですが……」
寂しさの原因がわかった。
この反応をみるに、二人は何も応えなかったのだ。
私にすれば蒼茫がクシェンナ宮に立ち寄っていることが判明したのは幸いなのだけど、やはり彼女は寂しさを隠せないらしい。
彼女を慰めるように…………じゃないかな。ルカが「ねえ!」と大声を上げた。
「あの宮廷はいったいなんなの! 初っぱなから警戒されてたワタシはともかく、シスが内部をこっそり探索しようとしてできなかった理由は!」
「馬鹿やめろ!」
「蒼茫を見つけてあげようとしてたのよネッ!」
「このクソガキ!!」
今日のシス災難続きだ。
うっかりバラされてお怒りのシスのお腹に、黎明の腕がのめり込む。
ぐえ、とシスはヒキガエルの潰されたような声を上げるも、黎明は気付かない。唇を震わせ、感極まってしまっている。
「わたくしは……なんて幸せものなのでしょう。明けの森を出てから、これほどの幸せを何度ももらえるなんて思ってもみませんでした」
「ねえ、ワタシの質問!」
「そうでした……クシェンナ宮はそれ全体を大きな力が包んでいます。わたくしはさほど影響ありませんが、貴女や嬰児では厳しいかもしれませんね」
「アナタのさほど、はどのくらい?」
「動けなくはありません。ただ、わたくしと彼女は繋がっていますから、無理をすると……」
「あ、それがわかれば結構よ。マスターに危険が出るようだったら大人しくしていてちょうだい」
そしてルカは、いまだにライナルトの返答に納得できていないヴェンデルに振り返る。
「そこの坊やも、いつまでも不貞腐れてるんじゃないわ」
「坊やはやめてよ。あと、別に不貞腐れてもない」
「知らないの? アナタってとっても顔に出やすいのよ、お馬鹿さん」
そしてルカはルカで今回黒鳥がいないので、お姉さんぶりたい気持ちがヴェンデル達に向いている。
ルカの言葉に、ヴェンデルはムッとなった。
「僕は、別に……」
しかし途中で言い淀んで言葉を止めてしまう。少し怒ったようなヴェンデルへ、ライナルトが言った。
「私の言葉だけを真として考える必要はない」
「違う。正しいとか、そういうんじゃなくて、僕はただ……」
「先のはあくまでも私のやり方だ。私が無駄として捉えるものを、お前が必要とし、好ましいと考え、その信念に感銘を受けるのも自由だ」
そんなこといって、もしヴェンデルがライナルトと相反する意見を持ってしまったら、将来どうするのだろう。
……と、アヒムの顔に書いてある。
…………嫌な考えだけど、その時は義息子だろうが容赦しないだけだと思う。
ヴェンデルはおそるおそる問うた。
「あの人、へーかにとって子供っぽくて好きじゃない感じでしょ」
「私はな」
「僕は、ウツィアさんが、ええと……やってることが幼稚で、ままごとみたいって言われても……」
ヴェンデルも結構言う。
でも口を挟まず黙って拝聴した。
「それでも信念を持って立ち上がるウツィアさんはカッコいいなって感じたよ……それでもいいの?」
「善し悪しは自分で決めるといい」
会話が終わりそうになったところで、私がライナルトのお腹をつつく。彼にしてはかなり考えを語ってくれたけど、まだまだ言葉は足りない。私の要求に夫は応えてくれた。
「私は王として民を導く役目を担っているが、その心が欲するものまで強いるつもりはない。強制された道などお前も歩みたくはなかろう」
「ああ、うん。たしかに、そういうのは嫌いだ」
「お前が見聞きし、感じ、その上で私と相反することがあるのなら、その時は玉座を望め。無論、私は対抗するだろうが、敗れるならそれまでだ」
うん、違う。そうじゃない。
ちょっといい感じの授業になったかしらと思っていたら、いきなり敵対を煽るような発言は慎んでもらいたい。
私は人さし指と親指でこめかみを揉み解していると、ルカが呆れたように言った。
「たしかにライナルトやヤロスラフは強い王様よ。たくさんの部下に囲まれて、慕われて……アナタからみれば凄い大人だと映るのかもしれないけど……」
ライナルトだけが正しいわけではない。むしろ敵を作りやすく、排除していった結果がいまの環境を作っているだけだと私達大人は知っているけど、少年少女からみた世界は違う。
ヴェンデルも宮廷生活を経て、普通よりは大人の汚さを経験して知っているはずだけど、まだ見たままの世界に影響されやすい年頃だ。特にオルレンドルではライナルトを讃える声が大きい。
ルカはそんなヴェンデルを取り囲む現状を理解している。
私からはとても言い難いが……ライナルトには世継ぎがいない。皇家には他にも親族がおり、またライナルトには名もなき異母兄弟がいたけれど、彼はその人達を政に近づけたがらないのが現状だ。また、有力な血筋の人は私も確認していたが、彼らは知らぬうちに、どういうわけか行方知れずになっている。
そんな中で、ヴェンデルは彼に可愛がられている若者だ。
いま皇位継承権はなくても後継者として指名される可能性は残されているから、ルカはヴェンデルの周りからかけられる期待と、あの子自身の悩みを知っているのだろう。
私の使い魔は、段々と悪い顔をするときの表情が製作者に似てきている。彼女は親指で皇帝陛下を指差した。
「でも倣う必要はないの。というかこんな戦争狂の真似事はしない方がいいし、コイツの理想の世界なんてなぞってしまったら、オルレンドルはとってもつまらなくなってしまうから」
「……ごめん。言いたいことはわかるけど、完全には理解できてないと思う」
「いいわ。なんにせよ、アナタがライナルトを倣ったって、思うとおりに行かないのが人生ってものだもの。好きにしたら良いのよ」
人生の年長者のように悟った言葉はアヒムの笑いを誘った。
普段ならお怒りを見せるルカだったが、彼女は強気な笑みを称え私をみる。
「だってほら、描いた設計図通りの人生を進むのなら、ライナルトにとって“無駄”ばっかり抱える奥さんを迎えるハズないんだから」
アヒムが半眼になり、シスが小さくざまあみろ、と呟いた。