123.言外の争い
突然の申し出にヤーシャは固まったが、彼の心中は足元で語られる。
わずかに一歩下がって信じられないものを見る様子の青年は、ヴェンデルの真意を探りたいらしい。
「わ、私に教えを乞うとは見る目のある方だと存じ上げる。しかしながら、いま私が馳せ参じたのはひとえに我が従姉妹が、ちち……私の客人に無礼を働いていないかを」
「ごめん。そういうのちょっと得意じゃないし、時間が勿体ないから早く行こ」
「私が案内するのか!?」
「え、だめ?」
……うーん、と私は場も忘れて感慨深くなっていた。
なぜかって、ヴェンデルはエミールと違い内向的な性格だ。会話も得意じゃないし交友関係もエミールほど広くない。本人もそのことは都度口にしていたのだが、いまのヴェンデルはヤーシャを上手に乗せている。
困惑を怒りに変えたヤーシャが怒鳴った。
「当たり前だろう! 貴様、王族を使用人のように扱うなど……」
「じゃいいや」
「待て!!」
私は内心でヴェンデルの勝利を悟った。
顔を真っ赤にしたヤーシャは何度か歯がみを繰り返したが、兵士の冷ややかな視線に我に返った。あるいは年下に余裕のない姿は見せたくなかったのかもしれない。
彼は面白いほどに胸を反って胸を叩いた。
「お前達はちち……私の客人だったのだから、最後まで送りとどける義務がある。どうせ道すがらなのだから、我がラトリアが誇るクシェンナ宮を私自ら案内してやろう」
「やったー」
わざとらしい歓喜の傍ら、ヤーシャの見えないところでヴェンデルは私達に向かってぐっと親指を立てた。そしてそのまま青年の傍らであらぬ方向を指差す。
遠目には赤珊瑚のような材質の棒が幾重もの枝を生やしている植物があった。
「王子、あそこに植えてある植物を教えてよ。真っ赤でうねうねした固いやつは、オルレンドルじゃ見たことない」
「ん? あれは……たしかにオルレンドルでは見ないだろうな」
「どゆこと」
「陸のものではないんだ。海底に植生していたのが陸に流れつき、陛下に献上された。あそこまで立派なものは百年以上はないと言われている」
……海に縁遠いから私も知らなかったけど、もしかして海の生物すら不思議な生態系を備えているのだろうか。
私の合図にライナルトが屈む。
「ねえライナルト、ラトリア入りしてからヴェンデルが行く先々で植物を採集しているのは知っていました?」
「いや、初めて聞いた」
「小さな手帳を持ってきているの。見たことのない植物を見つけては挟んで、細かく記帳してるのよ」
「……他にも母御の影響ではないか」
「もちろんエマ先生の影響もあるでしょうね。」
そうだ。せっかくだし、この旅行中にヴェンデルとは進路についてもっと話し合っておくといいかもしれない。ぼかしているけどオルレンドル次期後継者について、興味を示せないライナルトは「ヴェンデルでもいい」と考えているくらいなのだ。
彼だってヴェンデルの望みであるコンラート領再興を忘れてなどいないが、困ったことに再興と皇位は両立できると言って憚らない人だ。
話し合いはまだ先でも大丈夫……と思っていたけど、ラトリアの複雑な人間模様を目の当たりにして不安になってきてしまったし、すれ違いが生じないようにちゃんとしよう。
ああ、思いも寄らない機会をくれたヤーシャには感謝するべきかもしれない。
私が家族会議について思いを馳せる一方で、ヴェンデルは不思議そうにヤーシャに質問している。
「……ってことは植物じゃない?」
「陸の木々とは違う感じだが、触れば不思議と柔らかい。定期的に海水を撒かねばならないから他の植物と一緒には植えられないし、あそこの土は他と混ざらぬよう管理されている」
「え、でも周りの緑は……」
「作りものだ」
ヴェンデルの瞳はここにきて一番輝いたかもしれない。
そう思うほどに興味津々で海の植物に熱い視線を送っている。ともすれば一歩踏み出し駆け出してしまいそうだが、マルティナがそっとヴェンデルの肩に手を置いたことで正気に戻った。
ヤーシャは他にも説明したいことがありそうだったが、兵士の目を気にして説明を切り上げる。出入り口まで私達を案内し、馬車乗り場を前にしてやっと人心地着いたように長い息を吐いた。
「宿まで無事に送りとどけると私が約束しよう。従姉妹殿が一体なにを考えたのか、私にはわからないが……」
「ヤーシャ」
青年を呼んだのは私達ではない。
ヤーシャが条件反射で肩を跳ねさせたのは、驚愕と言うより身を竦ませたといった方が正しい。あれだけ自信満々だったヤーシャが途端に自信を喪失したようになって、せわしない態度で視線を落とす。
「ジグムント兄上。どうしてここに」
「ウツィアの無茶な要求に応えてくださった皇帝陛下、並びに皇后陛下へ礼を欠いては無礼者と誹られよう」
「そ、そうですか」
「お前こそ何故ここにいる」
「それは……従姉妹殿が呼ぶ前に私が……」
ヤーシャは実兄に説明しようとしたが、口を噤んで黙ってしまった。ライナルトとの面談を邪魔しないように脇に避ける弟に、ジグムントはため息を吐き、彼の反応にヤーシャはいっそう気まずそうだ。
ただ、ジグムントは客人の前で無用の言い争いを続ける人ではない。
彼は私達の前に立つと腰を曲げた。
「皇帝陛下におかれては誤解を招くようなお呼び立てをしたこと、深くお詫び申し上げる。このように軽い謝罪でお許しいただけるとは思わないが、もしまだラトリアという国をご覧になりたい……そう思っていただけるのであれば、是非ともご滞在いただきたい」
「それは意外だ。私は貴公に嫌われているとものとばかり思っていた」
「ご冗談を。私は武をもって悪政を正した陛下を尊敬している」
どっちも本心なのか、そうでないのか掴みかねるやりとりだ。せっかく和んだ空気が台無しになってしまい、ヴェンデルが私に目で文句をいっている。
……流石に無理だってばー。
打って変わって饒舌なジグムントにライナルトは喉を鳴らす。ちなみに述べておくと、威圧感を与えそうだが、これがライナルトの対人における最大級の愛想です。
常人なら萎縮してしまう皇帝陛下の冷たい対応だが、彼と同じように腹に一物抱えた人間に馴染みのあるジグムントは、面の皮の厚さを保ったまま言ってのけた。
「皇帝陛下には再びの三国会議が行われるまで、我が国で健やかにお過ごしいただけたらと思っている。今回の礼にもならないが、もし陛下を困らせるような事態が発生したならばご連絡頂きたい。可及的速やかに対応することをお約束させていただく」
「そうか。では、いざとなればジグムント殿を頼りにさせていただこう」
「皇后陛下も……」
今度は私にも話しかけてくれるみたい。
彼は一度私を殺そうとしたことなんておくびにも出さなかった。
「此度御身にお目にかかり、流石は陛下のお選びになった方だと感嘆に溢れるばかりだった。ご子息共々、ラトリアをお楽しみ頂きたい」
「またとない機会ですもの。ジグムント様のお気遣いもありますし、是非楽しませていただこうと思います」
儀礼的な会話だけど、私はここに付け足す。
「それにラトリアは夜空の美しい場所です」
「夜空、ですか」
少し訝しげな表情は、会話に込められた意図を掴みかねているに違いないが、それはすぐ伝わる。
「私、ラトリアに来てからというもの星の美しさに感動するばかりなのです。夜空に浮かぶ双子月はまるでウツィア様と星の使い様を表しているようですけれど、お二人を輝かせる星の瞬きも、決して見過ごしてはならない光でしょう?」
「残念ながら、私は無骨者ゆえ星々にまで目は届きません」
「それはいけません。時間がありましたら、どうぞお考えになって。例え国や人が違おうと、この空は繋がっている。星を愛でる心は皆同じなのです」
私はもうわざとらしいくらいにはしゃいで言ってのけたと思う。
馬車に乗った私達がまともに会話を出来たのは宿に帰ってから。アヒム達に事情を聞くため集まったところで、ライナルトに尋ねられた。
あの会話で、私とジグムントが本当はなにを話していたのかを掴めた人は少ない。夫はその中で、誰よりも言葉の意味を知っている人だ。
「星の話、まだ諦められないか」
「諦める理由がございません。でも、言わせてくれてありがとう」
私はジグムントにスタァは諦めないぞ、と言ってしまったのである。あの子について聞きたくて仕方ないまま、痺れを切らした結果だった。
もう身体はくたくただけど、まだ休むわけには行かない。
最後に私達が不在中の出来事を確認する前に、ライナルトがアヒムに向けて言った。
「アヒム、謝罪は不要だ」
「せめて謝らせろこの野郎」
「使い魔が手出しできなかった時点でお前にできることはなかった」
「あっ、それワタシの前で言っちゃうワケ? 相変わらずムカつくわねこの顔面だけ皇帝」
……ルカの口の悪さ、ちょっとアヒムに似てきてない? それともシス?
幼馴染みや使い魔の謝罪を潰したのは、ライナルトなりの意味がある。
「謝罪程度で楽になられては困る。この先は特に注意しろ」
ヴェンデルの拉致は不可抗力だった。
アヒムでは止められるはずもない事態だから責任を感じさせるのは酷な話だが、いまの私達の仲間は限られているのだ。ライナルト的には駒が少ない以上、気を緩めるなという戒めを込めているのかもしれなかった……はずだ。
これは私から夫に対する希望なので「ヴェンデルに怪我はなかったのだから問題ない」と本気で言っている可能性もあるのが否定できない。
ヤロスラフ王に続けてクシェンナ宮と、立て続けの外出に私は疲れてしまった。
いま夫の人でなしの側面を見てしまったらちょっとだけ怒ってしまいそうだから、自分の都合の良いように考えることにした。
やっと落ち着ける環境に落ち着いたので、私は背もたれに身を預けてクッションを胸に抱きながら、ウツィアとの会話を思い出した。
「それにしても、ヨー連合国の方々があの場にいたら怒りそうなお話ばかりでしたね」