122.垣間見える縮図
彼女の告白を聞いた時、私の全身を満たしていったのは納得だ。
驚愕もあったかもしれないが、いままでの疑問が氷解して腑に落ちる感覚にそっと吐息が漏れるのを止められない。
そうか、精霊郷を代表する者が選んだ人物であれば、この状況も理解できる。
あまり間を置いては失礼だ。
私は困ったようにウツィアへ問いかけた。
「精霊を伴侶にと……ヤロスラフ陛下もお認めになっていらっしゃる?」
「もちろん。オルレンドルの貴き方にお話しするにあたっては、陛下の許可なくばこのような真似をできるはずがありません」
「そうですか。であれば、ウツィア様と星の使い殿におかれましては、人と精霊を繋ぐ第一歩を踏み出されたこと、まことにめでたく存じます」
私はおめでとうと伝えたつもりだが、ウツィアが形作ったのは驚愕と困惑だ。それこそ彼女の反応が心外だった私は、他意はないと教えるために微笑んだ。
「意外ですか? ですが同じ精霊を知るものとして、またこれから各国に生じる混乱を思えば、王族と精霊の結びつきは民へ勇気を与えることでしょう。ラトリアと足並みを揃えて行けるというのは、私達にとっても心強いものです。ね、陛下」
「……后の言うとおりだな。我が国はまだ精霊との関係を模索している途中にある。ラトリアの歩みは我が国にとって教訓となろう」
「星の使い殿が偽りなく、人と手を取る姿勢を示してくれたのも朗報でしょう」
ライナルトは私が同意を求めたから、心にもない言葉を並び立てている。
私達の祝いの言葉を星穹は声なく受け止めるが、ウツィアは一瞬だけ下唇を噛んだ。
「かような招待でございましたのに、皇帝陛下、並びに皇后陛下にお祝いいただけるなど身に余る光栄にございます。ですがわたくしは精霊を多くを……」
彼女はわずかに声を途切れさせ、伏し目がちに視線を落とす。
「彼と竜くらいしか交流がございません。皇后陛下には、是非とも彼らとの付き合い方を教授いただければと思いますわ」
……これはどういう意図だろう。
でもせっかく釣り針に餌を付けてくれたのだから、つついてみるべきだ。
「私もウツィア様に学ばせていただくことがありそうです。ですが、竜というのは……」
「わたくしの愛しい人と同盟を結んでいる竜です。いまも未来について幾度も話し合いをしていますが、ラトリアに移住したいと話していますの」
「左様ですか。彼らと仲良きことは美しいことですね、陛下」
「ならば今後、ラトリアには架け橋になってもらうことが多くなろう。苦労を掛けるが、世界の調和のためにも力になってもらいたい」
「……ありがとうございます。わたくしも、是非力になりたいと思っています」
竜の分布については明言を避けるべきなので、これでいい。
私は興味が首をもたげた体で尋ねた。
「よろしければ、その竜にも興味がございます。もしラトリアに問題がなければ会わせていただきたいのですが、叶わぬ願いでしょうか」
あわよくばラトリア方の竜……蒼茫と顔を合わせたかったのだが、私の要望ははねのけれらた。
星穹が拒んだのだ。
獣耳をピンと立て、まっすぐに私を見据える。
「申し訳ないが、あれはいま羽を休め眠っている。其方と顔を合わせることはない」
「起こしていただくわけにはいかない?」
「不可能だ」
「ですが竜の分布については、三国間で深刻な問題になっています。私共の相互理解のためにも、一度肝心の竜と話すべきではないでしょうか」
「しかるべき時に目を覚ますまで起こすべきではない」
好かれていないのはわかりきっていたから、冷たくあしらわれても傷付きはしない。
ただ、私は彼に意地悪をしたかった。
理由はもちろん、黎明という私の友人達にある。
「星の使い殿は私が彼と会うべき理由をご存知でしょうに」
私はハンカチで口元を隠しながら星穹を意味ありげに見た。
「人を片割れに選ぶということは、愛情を知ったということと私は考えます。愛を知りながら想い合う番を引き離したままなのは、いささかそのお人柄を疑ってしまいますけれどね?」
他にもスタァの件は忘れていない。
私はまたあの子に会いたい。
片割れのことを語ると寂しそうに笑っていた孤独な子に、フィーネや黎明、シスやコンラート家の皆を会わせたい。
微笑む私と、表情をピクリとも動かさない星穹はしばらく見つめ合った。
――この場で話題にすると拗れそうだから黙っているだけで、白夜のこともいずれ聞かせてもらいますからね。
言外の想いを込めて、私は軽く息をつく。
一応、これで私が引いたと端から映るはずで、機を計っていたライナルトが私を止めてくれた。
「后、そこまでにしておけ。いまは祝福の席の和を乱す必要もあるまい」
「……陛下のおっしゃるとおりですね。失礼いたしました」
「いえ……」
と、様子を窺っていたウツィアに、すかさずライナルトが付け足す。
「かような話はヤロスラフ王とヨー連合国の首長達が揃った場にしておくべきだろう。ウツィア殿には酷というものだ」
あ、ライナルトもけっこう酷い。
この場に星穹を呼び出してラトリアの主導権を握っていると言外に語りかけたウツィアの前で「でも王じゃないから意味はない」と断言した。
あからさまなライナルトにウツィアは不快そうに目尻を痙攣させたが、笑顔で表情を上書きして星穹の肩を押す。
「ここまででいいわ」
「もういいのか?」
「ええ、人の問題に巻き込まないと言ったのにごめんなさい。あとはわたくしが皆さまをもてなすから、貴方は貴方の成すべきことをしていらして」
「わかった。では……オルレンドルの方々、此方はこれで失礼する」
去り際、さっとウツィアの頬を撫でて消えゆく星穹は、本当にただ呼ばれたから来たんだなーというのがわかる消えっぷりで消失していった。
ウツィアはコホン、と可愛らしい咳を零し、侍女に命じた。
「皆さまに新しいお茶をお持ちして。それから軽食と、例のものも」
あとは退室するまで他愛ない話しかしなかったので割愛しよう。
時間にすると半刻もなかったろう。ウツィアは本当に最後まで私達と話をしただけで、その内容もラトリアの歴史によるものがほとんどだ。「例のもの」と侍女に持ってこさせたのも単なる手土産で、ラトリアの工芸品だという。
ウツィアや部屋に残るらしいジグムントと別れると、外に待機させられていたみんなと合流したときは、元気そうなヴェンデルの姿に今にも死にそうだったアヒムがほっと胸をなで下ろした。
まだクシェンナ宮の中だし衛兵の目があるから気を持ち直したが、やっぱり心配でたまらなかったのだろう。
意外だったのはルカも姿を現したまま、彼の傍らにいたこと。
こちらは露骨にご機嫌斜めで頬を膨らましている。泣いていたのか目尻は赤く、人の目も気にせずエミールに抱き上げられ、幼子を慰めるように背中を優しく叩かれている。
「最悪よ、最悪だわ」
なにが最悪なのかはまだ聞けない。
安全な場所まで抜け出るまでが招待だ。
来たときと同じく帰り路を辿る私達だが、クシェンナ宮に目新しい変化はない。ただ行きほどの緊張感はないので隣国の宮廷を目に焼き付けていると、慌ただしく声をかける者がいた。
「お前ら、無事か!?」
ヤーシャだ。
まさかの人物に私はつい声を出してしまった。
「まあ、ヤーシャ……王子。どうしてここへ」
「どうしてもなにもあるか! 私が宿に送り届けたはずなのに、宮廷にいると聞けば誰でも驚く!」
走ってきたせいで息の荒いヤーシャは、私達を先導する兵士を見て眉を顰める。
「兄上のところの……」
密かな動揺を示す彼は、もしかして私達を心配したのだろうか。
護衛も付けずひとりでやってきたヤーシャは兵士に命じる。
「この者達は私が送りとどける。お前は兄上の元へ戻れ」
「失礼ながら、ヤーシャ殿の指令は受け入れかねます」
「なぜだ!」
これはびっくり。ヤーシャは王位継承権がないとはいえ、ヤロスラフ王の息子でジグムントの実弟だ。だというのに彼が向けられるのは冷たい視線で、兵士の態度は王子に対するものじゃない。ヤーシャ自身も言ってから「しまった」と失態を悟ったようだが、あからさまに狼狽えた青年の気持ちを兵士はわざと汲まなかった。
「自分はジグムント様に客人をクシェンナ宮の外まで無事に送りとどけろと命じられております。撤回されたくばジグムント様に申し出下さい」
「ぐ……」
ぐっと拳を握りしめて奥歯を噛むヤーシャ。
このやりとりだけでラトリアにおける彼の立場が伝わるようだ。彼の事情に私達は関係ないが、兵士に冷たくされるヤーシャの姿にはいたたまれない気持ちになってしまう。
兵士は、まるでヤーシャなどいない人間のように私達に向き直った。
「足を止めてしまったこと、大変失礼いたしました。引き続き馬車まで案内いたします」
ヤーシャは敵国の王子でここはラトリアのクシェンナ宮。
余計な差し出口を挟むべきではないし、私達は早々に彼らから離れるのが最善。
……でも、彼は私達を心配したのだろう。
本人は否定しそうだが態度が物語っている。
私と同じ考えだったのか、悔しそうに兵士を睨む青年にヴェンデルが話しかけた。
「ヤーシャ……様だよね」
「……ん? お前は……あ、ああ、そうだ。私がヤーシャだ。ヤロスラフ王が……」
「十三番目の王子なんでしょ、知ってる。僕はヴェンデルだ」
「それこそ知っている。コンラート……の遺児で、オルレンドルの皇子だ」
「……僕、皇子だっけ?」
皇位継承権は周りに認めてもらえないけど、一応皇子です。
私の心の突っ込みをよそにヴェンデルは頷く。
「成り行きだからなったつもりないけど、まあそう」
まあそう、で済ませちゃうのはどうかとお義母さん思う。
ヤーシャはコンラートの部分で若干言い淀んだ。眉間にしわが寄った青年の脳裏に浮かんだのは、父がオルレンドル前帝と交わした密約だが、ヴェンデルに動揺はない。
「あのさ」
「う、うむ?」
むしろ堂々とした態度だから、ヤーシャも調子が狂ったのかもしれない。
ヴェンデルは軽い口調で、ここがクシェンナ宮であることも忘れたかのような自然体で頼んだ。
「よかったら帰りがてら、クシェンナ宮について教えてよ」
「転生令嬢と数奇な人生を5 皇位簒奪」ボイスブック配信が10/18になりました!
引き続き東城さんのナレーションで13時間分お楽しみいただけます。
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