121.人と精霊の絆
知る……?
ウツィアはいったい何を知りたかったのだろう。
彼女はそれはそれは嬉しそうだ。
「男に自らの生存権を委ね甘んじている女達の姿を見たかったのです」
……あまりに幸福そうに教えてくれるから、私は自分の耳に入った言の葉が何かの間違いではないかと疑ってしまった。
「ええ、と……? せい……」
「御国も数年前までは、皇帝陛下に多くの側室がいらっしゃったと聞きます」
私の疑問に答えず、彼女はライナルトを通してカール帝の御代に思いを馳せている。
「ラトリアもそうなのです。陛下の側室はいくらか減りましたが、それでも物好きな女性が自ら陛下に身売りしようとします。そうでなくても娘を嫁がせねば生きていけないなどとのたまう愚かな家族のためだといって、側室を目指すのですけれど」
ウツィアはまだ若い。
また物腰も柔らかい女性のためか、堂々と自国の王室の制度を批判するような姿には軽く衝撃を覚えてしまう。しかも彼女は王室関係者。オルレンドルと違って廃止された制度でもないので、こうも口に出来るのは勇気を通り越して蛮勇だ。
彼女は続ける。
「海の向こうの大陸は女の立場が低いと聞きました。生きるために男に媚びを売るは必定。嫁いでいない女は物以下で、嫁いでも子を宿さねば価値はないと罵られるのだとか」
「それは……苦しいですね。余所のご事情ですから悪く言いたくはありませんが、ひとりの女としては聞くに堪えない気持ちです」
「まったくです。わたくしは彼女達と会話をしましたが、まるでラトリア人と話しているような錯覚を覚えました」
私は観光客だからラトリアという国は外側しか見ていないが、この国の女性を取り巻く環境は、私の想像を遙かに超えて厳しかったらしい。
彼女はそんな自国の『今』を違う視点で見たかったのだろうか。ヴェンデルはウツィアが見た目より乖離していることに気付いているのか、目に見えて驚いている様子はない。
私は彼女の行動の意味がわからず、喉も渇いていないのにお茶を一口いただく。
「けれど、人には様々な事情があります。皆が必ずしも、好きで命を預けているとは思えません。自らの環境から抜け出そうと努力している人もいるのではありませんか」
「おっしゃることはもっともです。ですがこの際、それはどうでも良いのです。重要なのは、男という強者に負け、それを諦めてしまった無様な生き様ですから」
……いまは主張、もとい意思が激しい人だ……とだけ述べておこう。
生き様、と口にしたときのウツィアは目に強い力を宿していたが、それも一瞬。すぐに表情を取り繕う。
「ですからわたくし、皇后陛下とお会いできたときは本当に嬉しかったのです」
「私ですか?」
「もちろんです。あなた様は自らが置かれた環境を良しとせず、諦めずに国を出たと聞きました。それからも悪評に負けずに皇帝陛下を支えられ、いまこうしてオルレンドルの母として君臨されている。自らの手で未来をつかみ取ったあなた様に、わたくしは感動したのですわ」
私はこういった場ではタブーであるにも関わらず……助けを求めるように夫を見た。
返答に窮したのは、私は彼女に尊敬されるような人生はひとつとして送っていないためだ。十六歳からずっと、その時その時に訪れる激流に流されないよう、どうにかして命綱を掴んでいた。結果として現在があるだけで、その間に濁流に呑まれて離れ離れになってしまった人たちがいる。結果としてライナルトやヴェンデル達が残っているだけだ。
私はまだ、自分の歩んできた道程を「色々あったけど、生きてて良かった」とは言い切れない。
彼女の称賛にお礼を言えなかった。
「……あの小さな世界で人々とふれ合った、ウツィア様のご感想はどんなものなのです?」
ふう、とウツィアはため息を吐いて首を振る。
「自らの命を握る男の目を向けようと必死に足掻く女の姿は、どれほど滑稽か。自国という贔屓目を抜きにした他国であれば、わたくしの感じ方も変わると思いましたが……あれは、わたくしが考えた以上に虚しい弱者でした」
人には様々な事情がある。
例えば家のためといえど内部の事情は糸で複雑に絡み合い、感情で縛り付けられる。外の人間が一概に物事を計り語るべきではない。私はそう考えるのだけれど、彼女には違う考えらしい。
「戦えない女は、それだけで許されないのです」
深く深く……まるで慈愛に満ちた母のように彼女は呟いた。
「自らのために鬨の声を上げることすら叶わない。ヤロスラフ陛下は古い慣習から女を少しだけ掬い上げてくださいましたが、それでも戦う力なければ人形であることを強いられるだけ。わたくしはそんな現状にうんざりしていますの」
「それが生存権……?」
ぼそっと呟いたのはヴェンデル。小さな声でもしっかり聞いていたウツィアは羨ましそうに目を細めた。
「賢い後継者の存在は、オルレンドルの未来を明るく照らしますわね」
「ラトリアの場合、その後継者はそこの後ろに控えている御仁だったはずと記憶しているが」
「だった、とはとんでもありません、ライナルト陛下。こちらのジグムントは今もラトリアの王位継承第一位です」
私達の聞いた情報に間違いや変化はなかったらしい。
であればこのウツィアがジグムントを従えるようになったのは、つい最近だということになるが……。
私の疑問はライナルトが引き継いでくれた。
「どうやら后の質問に答える気があるらしい。ならば私からも疑問がある」
「なんなりとお尋ねください。それが皇帝陛下をお招きしたわたくしの義務にございます」
「今の話に間違いがなければ、星の使いと名乗ったあの精霊は貴公の願いを聞き届けたということになる。それになぜ、我らはジグムント殿下を差し置き、貴公の相手に興じねばならないのか」
そう、それ。私もかなり気になっていたが、精霊が関わるから尋ねて良いのか判断がつきかねていたから、彼の質問はかなりありがたい。
ジグムントについても王位継承権が失われていないとあっては、私達はラトリアを侮辱したと受け取られても不思議ではない。しかしジグムントは黙して語らず、ウツィアの忠実な臣下のように佇むだけだ。
ウツィアからまともな返答は得られないかもしれない。
けれど彼女は……いとも容易く私達の疑問を解決した。
「皇帝陛下の疑問にむつかしい言葉は必要ありません。星の使い……星穹にお願いしたからです。どうか、わたくしに他の国と人々を見せてくださいと」
「それを、彼が叶えた……」
「その通りです、皇后陛下」
彼女の頬はうっすらと上気している。
あの精霊の仮の名ではなく真の名で呼ぶ姿は無邪気な童のようだが、声音の乗るのはほんのりと色香が漂う。細められた瞳孔がここにいない精霊を思い描いているのは明らか。つい微笑ましくなってしまうような乙女の姿だが、私は途端に嫌な予感を覚え、直感はすぐに答えとして現れた。
ウツィアは酒に酔ったかのように虚空に手を伸ばす。
「いまもわたくしを見守ってくださっているのでしょう? この声が届いているなら、姿を見せてくださいな……わたくしの恋しい星穹」
その瞬間だ。
彼女の手を取るように姿を現したのは、人の姿でありながら獣の耳を持つ精霊だ。相変わらず表情すら読めず淡々としているが、ウツィアに応えたのだから無感情ではない。彼は掴んだ手を離さぬまま宙を移動して、私達と同じように地面に足を付ける。
そして表情筋をピクリとも動かさぬままウツィアを見下ろした。
「なぜ呼んだ」
「わたくしがあなたを必要と感じたから」
声調や態度は一貫して変わらないが、ライナルトや白夜といった感情がわかりにくい人や精霊を相手にしてきた私は自信を持って答えられる。
仮に私が彼を呼び出したとしても、いまのように柔らかく答えてくれることはない。
そう、星の使いは、手を重ねた相手に対し物腰が柔らかい。
彼女の手を振り払うという選択は頭にないのか、重ねた手に視線を向ける姿を優しく見守るウツィアが私達に振り返る。
「お三方をお呼びしたのは他でもありません。精霊と親交を深めたオルレンドルに、ラトリアもまた深い繋がりを得たのだとお教えしたいのです」
状況が飲み込めなかった。
王位継承権第一位のジグムントがウツィアを警護しているだけでも疑問が尽きないのに、さらなる爆弾が放り込まれた心地だ。
ラトリアが精霊と組んだのはとっくに承知していたが、それがウツィアと精霊の星の使いが手と手を取り合っているから、だなんて誰が答えを出せる。
しかもウツィアの元婚約者だというジグムントは彼らを平然と見つめていて、知っていてなお動じていない。
ウツィアは星の使いの肩に頭を傾けた。
「わたくしは、かつて人と精霊が絆を育んだように、この星穹を伴侶にするのです」
ダ・ヴィンチやこのラノの投票ありがとうございました!
お話もよろしくお付き合いください。