120.王弟の娘
ウツィアはよく手入れされた、薄紫色の爪先を私達に向ける。
彼女と唯一接触したことのある私は、自己紹介も忘れて思わず口元を押さえてしまった。
「あなた……」
無論、彼女には覚えがあった。
ヤロスラフ王に呼び出しをされたのだから特別寵愛が深いのだろうと思われたのに、その実、私達では正体を掴めなかった人物が彼女だ。
ラトリアは規制が敷かれており、あまり外に情報が漏れることはない。ヤロスラフ王の側室全員は把握できなかったが、それでもウツィアと同年代の女性が側室にいるという話は掴めなかった。
その彼女がヤロスラフ王の弟であり、彼の王を裏切って処刑されたウーカシュの娘だと名乗っている。
あの時と変わらない無邪気な振る舞いで、ウツィアは私達の前へ歩み寄ると両手を合わせた。
「カレン皇后陛下も、お久しぶりにございます。皇帝陛下をお迎えできただけでも我が身にあまる光栄ですのに、オルレンドルの麗しき花と再び見えることができましたのは、まさしく僥倖と言えましょう」
「……あなたはあそこの出来事を覚えておいでなのですね」
「ふふ、初めてお会いしたときの素敵な衣装まで、すべて記憶してございますよ」
彼女の正体が気になるも、指摘する意味はない。私は黙り、歩み寄ってきたヴェンデルの手を取った。
どこにも怪我はないのは幸いだが、いまだにルカの存在が感じ取れないのが気になる。
私が憂いを隠せずにいるあいだに、ウツィアに向けてライナルトが嘆息をついた。
「ラトリアの招待とやらは随分と乱暴だな」
彼はジグムントのみならずウツィアも気に食わないようで、両者を交互に、つまらないものを見る目を隠さない。
「客の身内を連れ去り不安に陥れたことについて、なにか言葉はあるか」
「いいえ」
ウツィアは底冷えするようなライナルトの視線にも圧倒されず、嫣然とした微笑みを携えていた。
「すべては皆さまをお招きするために必要な手段でございましたので、特には何も。ですがいずれはオルレンドルのみならず、ヨー連合国の皆さまをお招きするのは決まっていたのです。それが遅いか早いか、どちらかの違いしかないのでしょう」
落ち着き払う彼女に、ジグムントや他の人々は口を噤んでいる。その場の雰囲気を読み解けば、どれほど鈍い人であろうが主人はウツィアだと理解するだろうが、ライナルトは彼女に優しくはない。
「招くと貴公は言うが、私は義息子を迎えに来ただけでな。王弟の娘である貴公は如何ほどの理由があって我らを呼び立てる」
「わたくしが皇帝陛下を招くには格が足りないとおっしゃるのですね」
声の質は柔らかく外見と相まって弱気な女性と見られそうだが、ウツィアは力不足と言われたことを正確に読みとっているから見た目通りの人ではない。
相手の立場が如何ほどのものかハッキリしていないのに、ライナルトの言葉は大分強いが、彼の態度も間違いではないのだ。
「おっしゃることはもっともでございますが、皇帝陛下は我が国に無断で都市入りされたことと存じます。それを踏まえれば説明責任を果たす必要があるとは思われないでしょうか」
「それについてはヤロスラフに話をつけてある」
ウツィアは正式に抗議ができると言いたげだが、ライナルトの神経は鋼どころか鋼鉄で出来ている。動揺すら見せずに言いきった。
「我らはラトリアを騒がしに来たのではないと……ヤロスラフとはこれで合意が取れているのだが、貴公の物言いはわざわざ王の決定を覆すようだ」
合意といっても事後承諾どころか黙認してもらっているだけに過ぎないが、ものは言いようである。これにウツィアは表情を曇らせた。
「それは大変失礼いたしました。ヤロスラフ王陛下にすでに承認を取っているとあらば……わたくしの誘いは余計なものであったと存じますが、であればなおさら、わたくしと卓を囲んでいただきたく存じます」
「聞こう」
「ご存知かと思いますが、陛下はすでにクシェンナ宮を離れて久しくあります。いま国を支えるはこちらのジグムントや、国のために心を尽くされる方々のみ。であればオルレンドルの尊き方として、責を果たしていただきたく存じます」
「その説明責任を果たさねばならん相手が貴公だと言うか」
「及ばずながら、そうであると自認しております」
ウツィアは自らをラトリアの代表だと言い切っているも同然だ。
ジグムントを前にして大胆な発言に、ライナルトは私をみる。
――ヴェンデルに怪我はなかったし、ここあたりでヴェンデルを連れていったことには溜飲を下げましょう。
そんな思いを込めた私の視線と、わずかな頷きは伝わってくれた。
正式な客人となることを決めるまでに揉めてしまったが、これも通過儀礼というもの。大人しく席に着いた私達に給仕が茶を用意する。
ウツィアがこちらに差し向けた手の平は、指先まで一挙一動が強者としての余裕を備えている。
「朝からお出かけになって、お疲れではありませんか。些末ながら、こちらの軽食は皆さまのお口に合うよう趣向を凝らしております。どうぞ我が家と思ってお寛ぎになってくださいませ」
が、当然のようにライナルトは淹れられた茶や菓子類に手を付けない。
食事の安全性には既にヴェンデルが手を付けているから問題ないので、これは単に彼が招待主としてウツィアを認めていないという姿勢だ。
これにウツィアは寂しげに視線を落とす。
「わたくしではヤロスラフ陛下ほどの格は足りないと……残念です」
大の大人が若い女性に冷たい態度を取る光景は胸が痛む、これは多少なりとも仕方ない。なにせいくらウツィアがジグムントを従えているとはいえ、彼女の立場が如何ほどなのかが計りかねる。ラトリア内部の状勢は未だ不明のままだし、オルレンドルとラトリアの国交状況を踏まえれば、一概にライナルトの態度は間違っていると言えない。
なのでオルレンドルの場合……私に求められる役割は、こうだ。
「……ヴェンデル、こちらでいただいたお菓子に何かおすすめはある?」
「え?」
「私はまだラトリア料理に詳しくないから、教えてもらえると嬉しいわ」
ライナルトの態度に冷や冷やし通しだったヴェンデルはまだこういった公式の場に出したことがないから、求められている役割を知らない。私の言葉にひとこと困惑を漏らしたが、賢い子なのですぐに応えてくれた。
「ウツィア様のおすすめはこれだったかな」
「チーズと蜂蜜の焼き菓子ね。では、そちらを一切れいただけますか」
まあ、と口元を押さえるウツィアの瞳は、おおげさなまでに潤んでいる。これが彼女の自然な動作か演技かは計りかねるのだが、私は構わず彼女と視線を交わらせる。
「おもてなしの前に野暮なことをお伺いするのは無粋と存じますが、ひとつお伺いしても?」
「どうぞ、なんでもお聞きください」
「義息子には信頼の置ける護衛を置いていました。彼らはいまどこにいるのでしょう?」
「それでしたら、隣室で寛いでいただいております。もちろん乱暴などは働いておりませんので、ご安心くださいませ」
「そうですか……」
「ああ、ヴェンデル様の影にいらっしゃった可愛らしいお嬢さんにも危害は加えておりません。どうぞそこも信頼いただけると嬉しいですわ」
当たり前のように言ってくるが、ルカのような使い魔なんてほぼ存在しない。それをごく普通のように言ってのけるだけで信頼には程遠い言葉だ。
ウツィアはお茶に三杯の砂糖を加えて混ぜる。
「後でお会いになっていただければ、わたくしの言葉は真実であったと伝わるはずです。ですからどうぞ、いまはゆっくりお寛ぎくださいませ」
「お言葉に甘えてウツィア様とお話したいのですが……」
「まあ、嬉しい」
「ですが、どうかお許しくださいね。私はあなた様について多少混乱しているのです」
「混乱、でございますか?」
少しでも疑問を解決しておかねばならない。
私は長らくの疑問を口にした。
「私共が初めてお会いしたときのことをウツィア様は覚えているとおっしゃいました。であれば、あのときのことをお伺いしてもよろしいと、そう考えてもよろしいのですね」
「カレン様の疑問をわたくしは拒絶などいたしません。どうぞ、ここにいる者達は気になさらず、なんでもお尋ねになってください。決して口外はいたしませんから」
ジグムントは席に座らない。
ウツィアの背後を守るように立つ彼は、忠実な騎士のように彼女を守っている。
……ウツィアが本当に王弟の娘なら、この二人はいとこにあたるはずだ。
「私はウツィア様のお立場がどのようなものなのか、少々計りかねております。失礼ながら、一度はあなた様をヤロスラフ王のご側室なのではと勘違いすらしておりました」
「わたくしが陛下の側室、ですか」
「ご不快でしたらお詫びします。ですが、ウツィア様もご存知でしょう。私を含めて、あそこに呼び出された女性達が各指導者の伴侶だったのは周知の事実」
私の言葉に、ウツィアは笑いを堪えきれないといった様子で笑いを零す。
「そう見られるのは当然でしょうね。わたくしも特別名乗りませんでしたから、そう思われるのは仕方のないこと」
「ですがあなたはご自分を王弟殿下のご息女とおっしゃった。……失礼ながら、どうしてあなただけが違ったのでしょう」
「自然な疑問にございますね。たしかにわたくしは陛下の側室ではありません。元はこちらのジグムントの婚約者でしたし……」
……婚約者?
耳を疑う私に向かってウツィアは鈴を転がすように笑った。
「以前の話にございます。わたくし共の婚約は、父が陛下に反逆を企てた時点で解消しておりますわ。ですから私と陛下は、ただの伯父と姪の関係です」
新たな事実に目を丸くする私に、ウツィアはさらにトンデモ発言を続けた。
「誤解を与えたまま過ごすのは本意ではありません。ですからお教えいたしますが、あの女性達はわたくしが知るために呼んでもらったのです」
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