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12.竜

 いつも通りの朝、外の厨房では足元で火鉢を置き、鉄鍋でハムを焼いていた。

 エルネスタは朝は食べないと宣言するけれど、温かいご飯を用意すればしっかり食べる。このところの私たちの流行は外での食事で、風が穏やかな日であれば、寒い寒いと言いながら淹れたてのお茶を飲むことだ。

 ハムの焼き具合を確認していたら、黒鳥や黒犬が庭の中心に陣取り、森の通路をじっと見つめている。明らかにいつもとは違う行動で、呼びかけても使い魔達は振り返らない。


「ねーえ、そろそろエルネスタさん起こしてきてほしいんだけど、どうしちゃったのー?」


 大声で呼びかけたのを後悔したのは、この直後に黒服の軍人さん達が坂を上がってきたからだ。明らかに身分が高い上官と部下が揃っており、上官の人と目が合うと、私は鉄鍋を火から外す。

 なんで? の疑問は呑み込み、客人には動揺を悟られぬよう笑顔を繕う。


「おはようございます。なにか御用でいらっしゃいますか」


 上官の人に見覚えがあった。

 随分出世しているが間違いない。向こうで夫婦共に良くしてもらっているご夫妻の旦那様である、ノア・ヘリングさんだ。私の知るヘリングさんは物腰が穏やかでにこやかな風貌をしていたが、こちらのヘリングさんは真逆で、こちらを見つめる表情は冷え冷えとしている。

 知り合いと会う事態はあらかじめ予測していた。いちいち驚きはしないぞと気を引き締める。


「エルネスタの弟子だろうか」

「そうです。エルネスタさんでしたら、まだお休み中なのですが……」

「陛下のご命令です。彼女に用があるので、至急起こしてもらいたい」

 

 怖がらせないように笑いかけてくれたが、目が笑っていない。

 家に戻ろうとしたら、扉がキィ、と音を立てて開いた。玄関では不機嫌なエルネスタが腕を組み、壁に身体を預けながら客人を睨んでいる。


「ったく、朝っぱらからけったいなのが来るもんだから、煩くて二度寝もできやしない」

「騒いだ覚えはありません」

「結界に物々しい馬鹿が引っかかれば、こっちは嫌でも感覚を乱されるのよ」


 どうりで早起きしているはずだ。

 結界にヘリングさんたちが引っかかったから、事前に起きたっぽい。

 

「エルネスタ、私に対し反抗的な態度は推奨できない」

「あっそ。で、何の用よ。おたくの皇帝陛下に、引退した長老を呼び出す理由はないはずよね」

「陛下のお呼び立てです。馬を用意したので、至急同行願いたい」

「だから用件を言いなさい」


 ヘリングさんの視線が私に動く。私が邪魔らしいと部屋に引っ込もうとしたら黒犬がスカートを噛んで引き留め、同時にエルネスタが言った。


「見ての通り“色つき”よ。世間には戻せないし、わたしの管轄下にある子だから構わないわ」

「部外者です」

「あんた達に出す茶はないっつってんのよ。私が閉じこもって、あんたらを追い返さないうちにさっさと吐きなさい」


 ただでさえ朝は機嫌が悪いのに、軍人嫌いが彼女の苛々を加速度的に増加させている。断言はしないけどヴァルターに対しても、帝国の犬だから、なんて理由でつっけんどんな態度を取るのだ。空腹も加わって空気は剣呑、ヘリングさんの部下が緊張を隠せず身構えた。

 が、ここで引き下がれるのがヘリングさんであり、それはこちらの彼も変わらない。諦めた様子で嘆息をついた。


「先日捕らえた巨大生物です」


 あの竜だ!

 宮廷に運ばれた後は帝都でも噂になっていた。最後に見た姿は虫の息状態だったが、怪我が治ったのかもしれない。エルネスタに調査を依頼するのかと考えたが、やはり帝国。そして神秘嫌いのライナルト。やることは想定の斜め上、いやある意味想像通りだった。


「昨日息を止めましたので腹の中を改めたいのですが、鱗が刃を弾いてしまう。魔法院は貴女に依頼するのが最適だと結論を出した」


 ……殺してしまっていた。

 

「…………やる前に声かけなさいよ」

「魔法院を離れた人間に調査権は与えられない」

「都合の良いときに頼るくせに」

「それが引退を認めた条件でしょう。それで、返事は如何に」


 露骨な舌打ちの後に同意したが、準備の前に彼女はある条件を出した。


「その子連れて行くから」


 顎で指す対象は私。てっきり留守番と諦めてたから驚いた。

 これにはヘリングさんも驚きを隠せない様子で、傍目にも狼狽える。


「いくら弟子とはいえ、陛下が呼び出されたのは貴女だ。彼女には別室で待ってもらう必要が……」

「同行させるわよ。とにかくそうじゃないと行かないから、あんたもさっさと支度なさい」

「えっあっだって朝ご飯がまだ」

「いいから準備!」

「はいっ!」

「外套忘れんじゃないわよ! あと私の部屋から鞄持ってくる!」


 荷物持ちかな?

 逆らう理由もないし、むしろ好都合でもあるから同行させてもらうけど、こんなに早く宮廷に行ける日が来るなんて思いもしなかった。



 馬に乗れないエルネスタは、軍人に運ばれると聞き難色を示したが、そこは私の出番だ。


「エルネスタさん、エルネスタさん。私、馬に乗れます。エルネスタさんを乗せてこの方達についていけばいいんですよね」

「貴女、馬に乗れるの?」

「軍人さんを追いかけるくらいなら大丈夫です!」


 ここに来て習った乗馬が役に立つと思わなかったので、喜びが抑えきれなかったかもしれない。

 ややはしゃいでしまったものの、エルネスタは私と二人乗りになった。

 こうして私たちは宮廷に向かったのだが、道中、少しヘリングさんと話す機会があった。馬の背に揺られながら、おそるおそる話しかけたのだ。


「あの、すみません。もし間違えてたら失礼ですが、軍人さんはヘリングさんというお名前ですか?」

「……そうですが」


 ヘリングさんは振り返らない。雰囲気が違うので話しかけにくいが、拒絶は感じないので続けた。


「エレナ・ココシュカさんって、ご存知だったりしませんか?」


 向こうでは夫婦になった仲だから、知っていると期待したい。私のいた世界ではエルとエレナさんは交流があって、彼女の寛容さがエルを受け入れていた。エルネスタの出身地はファルクラムだし、この世界でもファルクラム王国時代から仲良くしているかもと考えたが、エルネスタの交友関係を探っても、一向にエレナさんの名前が出てこない。

 どのくらい歴史に差があるのか知りたくて、危険を犯して問うたら、エルネスタや部下達の間に流れる空気が凍った。聞いては不味い質問だったらしいが、ヘリングさんは淡々としている。


「エレナの知り合いですか」

「向こうは……覚えてないかも。ちょっとだけ親切にしていただいたことがあります」

「そうですか」

「い、色々励ましてもらいました」

「確かに、エレナは色々な人に積極的に声をかけていた。そういう縁もあったかもしれない」

「それで、あの、お礼を言いたかったんです。でも簡単に会える方じゃないので、どうしてるのかなぁ、と思いまして……」


 話ながら嫌な予感がしてきた。背中に汗が一筋流れると、簡潔な答えが返ってくる。


「先の内乱で亡くなりました」


 いつ、とか、どこで、とは言わない。ただそのひと言が胸にずんとのし掛かり、しばらく置いて長い息が漏れる。


「…………そうですか。不躾な質問をお許しください」

「お気になさらず。彼女が誰かの記憶に残っていたのならなによりだ」

 

 大丈夫、落ち込みはしない。こちらと向こうのエレナさんとは違う人だし、リリーやニーカさんの話を聞いた時点で、そういうこともあると覚悟していた。

 その後は沈黙を保ったまま馬を揺らし、宮廷まで送ってもらった。

 つい内部を見渡す私に、エルネスタは忠告を飛ばす。


「珍しいのはわかるけど、きょろきょろするんじゃないわよ」

「あ、はい……気をつけます。でも、りゅ……あの生き物はどこに置かれているんでしょう」

「見世物じゃないし、奥でしょうね。普通の人じゃ入れないところ」


 懐かしさを覚えると共に、辺りを支配する静寂には違和感を拭えない。

 竜の死骸は、私の記憶で述べるなら四妃ナーディアの住まいがあった区画にあったが、この世界に彼女はいない。私の目は一瞬だけ一軒家の幻想を見せたが、そこには青々とした芝生が広がるばかりだ。

 あたりにはすでに腐臭が立ちこめ始めている。芝生は赤黒い血液で汚れており、軍人や魔法使いに囲まれたそれは、運ばれた当初と違う点があるとすれば、首元からも血を流している。

 距離を置いた場所で近衛を控えさせた金髪の男性が佇んでいるが、その人こそオルレンドル帝国の主だ。細身の男性と話していたが、近衛のヴァルターが皇帝にひとふた言を告げれば、彼らの注目がエルネスタに逸れる。


「見せ物じゃないのよ」


 いつの間にか魔法使い達の注目も浴びており、彼らの中にはシャハナ老と弟子バネッサさんの姿もある。両者ともに訝しげなのは、こんなところに私を連れてきたからかもしれない。

 彼らの立場はこちらでも変わっていない。魔法院長老の中でもいち早く皇帝に恭順の姿勢を見せたから、新皇帝の即位と共に魔法院筆頭になった。

 ヘリングさんがエルネスタを皇帝の元へ行くよう促すが、彼女は断る。


「胸ぐら掴んでやりたくなるから断る。あの生き物の腹を割ってやりゃなんだっていいでしょ」

「確認したいものがあるから、極力中身は傷つけないように」

「無茶言うわね。わたし、魚を捌くのは苦手だってのに」


 力を無くした竜は間近で見ると鱗の一枚一枚が立派で輝いている。中空で見上げればさぞかし見応えがあったろうに、あちこちにできた傷が痛ましい。気になるのは新たに出来た首の傷口だけど、そちらには目を向けたくない。

 エルネスタは腹に触れると首を振った。


「本当に固いわね。皮膚もだけど、鱗までもが魔力を帯びてる。シャハナ達じゃ手に負えないはずね」


 おもむろに彼女の影から黒犬が出現する。姿を解けると漆黒の曲刀に変化するのだが、彼女はその柄を持ち、右足から踏み込んで腹に刃を突き刺した。刃の中頃まで突き刺したものの、腕は一向に動かない。これからどうするのかと見守っていたら、曲刀が黒犬に戻った。

 心なしか耳と尻尾がしょんぼり垂れている。

 エルネスタは腰に両手を当て、うん、と頷いた。


「すぐには無理ね」


 エルネスタにかかる期待は大きかったに違いない。いつの間にか取り囲んでいた人々――特に魔法使いたちから落胆が漏れ出たが、エルネスタは彼らを意に介さなかった。


「ってわけでフィーネ、出番だからおいでなさい」


 そんな「こんな結果わかってたわー」なんて顔して、人差し指でおいでおいでされても困るのだった。

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