118.ラトリア王宮で待ち構える者
私が慌てて振り返った先にはシスがいるが、私が問う前に彼は招待状をひったくる。
「シス」
「おいおいおい嘘だろ」
彼自身、欺かれた自分が信じられないといった様子で、招待状を穴が開きそうな勢いで見つめた。
「ありえない、ヴェンデルにはあの小娘以外にも僕が守りをつけてたのに、僕が気付けないはずがない」
「そうだ、ルカよ。あの子だっていたのに……」
「あの小娘からきみに何かサインは?」
「……胸騒ぎがしたかもしれない」
私が「向こうの世界」に攫われたときがそうだ。
この身の異常にルカやシスがすぐ気付いたように、残されたヴェンデルには魔法の加護が与えられていた。加えてアヒムが一緒ならまず問題ないと思っていたのに、蓋を開けてみればこのザマだ。
「まさか、ヤーシャが……」
ヴェンデルを連れ去るための時間稼ぎに私達を呼び止めた?
青年がグルだった可能性を考え、埒もない閃きをすぐに振り払った。
支配人に詳しく聞けば、ヴェンデル達が連れて行かれたのは私達がちょうど赤狼の団に向かっている頃だ。
こういっては悪いが、私でも感情を読みとれるヤーシャは巧みに人をあざむく策略性に欠けている。無論あの行いすら演技の可能性は拭えないが、おそらくは違うはずだ。
次に浮かんだのはヤロスラフ王だけど、あの御仁がこんな回りくどい手を使うようには思えない。
混乱する私達を前に、支配人が恭しくライナルトへ申し出た。
「差し出がましいとは存じますが、もしよろしければわたくしの方で馬車を手配できます。いかが致しましょうか」
「……ふむ、では頼もうか」
「かしこまりました……こちらの皆様で向かわれますか?」
ライナルトが一同を見渡すと、この中で真っ先に除外されそうなエミールが慌てて首を振り、シスの肩を両手でしっかり掴んだ。事の重大さは理解しているようだが、決して除け者にされてなるものかと言いたげな弟を見ながらライナルトは支配人に答えた。
「残る者はいない、全員乗れるだけの馬車を頼む」
「しばらくお待ちください」
躊躇いのないライナルトの行動に訝しんだのはニーカさんだ。
馬車の到着を待つため人のいない場所に移動した途端、悠々と椅子に座るライナルトの判断に異を唱えた。
「どう考えても罠だぞ」
「では無視するか? 義理とはいえ私の息子を無視しては、人道的な問題が生じるはずだが」
「私が言っているのは、お前が馬鹿正直に出向いてやるつもりかということだよ」
「ならこれを読んでみろ。はっきりと私達夫妻を招待したいと書いてある」
「そんなのは見ればわかる。もうちょっと相談しろと言ってるんだ」
「相談も、迷う必要もない」
ライナルトは招待状を奪い返し、人さし指と中指で挟みながら軽く振る。
「これにあるのは私達を茶会に招待したい、そのため先にヴェンデルを招待したというだけの文面だ。私達に含むところがあるならもっと違うやり方があるのだから、回りくどい手段を用いた時点で命を案ずる必要はなくなった」
そう、そうなのだ。
内容自体は特に物騒なものじゃない。三行の中にあるのは王宮からの私達を歓迎する言葉と、茶会へ招待する旨の内容だけ。いっそ簡素すぎて呆気にとられるくらいだが、私が焦りを感じ、そして誰の企みかを判じられないのは招待人の名前が載っていないせいだ。
私は自分に対する失望を隠しきれず、膝の上で手を握りしめた。
「ごめんなさい。違和感を感じた時点で引き返すべきだった」
「起こったことを悔やんでも仕方あるまい」
「ライナルト、でも……」
「招待状には宮廷に招きたいとあっただけなのだから、強制されたとて害を加えられてはなかろう」
隣に座ったライナルトに加え、シスが私を挟みこむように肘掛けに腰を落とす。
「どうしてもヤバヤバだったら、それこそ小娘も命がけできみに知らせたはずだ。そこの本当は別に心配してないヤツに同意するのは癪だけど、悔やむよりも相手の出方を考えた方が建設的だぜ」
「そう、そうね。いまは悔やむところじゃなかった……ごめんね、ありがとう」
「どういたしましてだ」
シスは涼やかに微笑むも、普段と違い目が笑っていない。瞳の奥にあるのは半精霊としての矜持を傷つけられた苛立ちか、その呟きを私は聞き逃さない。
「僕のを勝手に連れて行くなんて、やってくれるじゃないかクソ野郎」
そう、そうなのだ。私が後悔に駆られているのは、なにもヴェンデルが連れて行かれただけじゃない。単純な誘拐だけだったらこれほど焦る必要はなかったし、もっと悠々と構えていられる。
私が問題視しているのはシスが一切気付けなかった事実であり、つまりそれは彼ら以上の実力の持ち主である精霊『星の使い』こと星穹がとうとう身を乗り出したという合図だ。
私は口元を隠しながら姿の見えない存在に尋ねる。
「れいちゃん、あなたにも精霊の気配は感知できなかったのよね」
『そのようですね。わたくしも嬰児に助力しあなた方の存在を気取られぬよう隠していましたが、こういった細かい魔法は彼の方が上手のようで……』
「あなたの旦那様は関わっていそう?」
『いいえ、蒼茫の気配は感じません。あの子もわたくしと同じで、隠蔽や索敵は得意ではありませんから……』
「だったら星穹で決まりね」
フィーネの話や彼がラトリアに課されたであろう任務を総合すると、余程本腰を入れて国という足元を探し回らない限り、彼が私達を探し出すのは難しいと考えていた。
それでも一応警戒していたラトリア入りの時点で彼の介入はなかったし、ヤロスラフ王と接触した後も無事だったから……と思っていたけど、こればかりは私達……というより私の見通しが甘かったという他ない。
支配人が手配した馬車の中では話をすり合わせて行く中で、シスがこんな話をした。
「赤狼の団でいくらか様子を探ってきたんだけどさ、やっぱりあの爺さんに実権はほとんどないみたいだ」
「それ、追放されたってこと?」
「あの慕われようを見る限り、追放は違うんじゃないかな。あれは単に肝心の本人がもう玉座に興味がないって感じ。大分前から赤狼の団の方に籠もって、政には手を付けてないんだ」
この話を聞き、ライナルトが身を乗り出す。
「いつからだ?」
「いつから赤狼に引き籠もってるかって? それがさぁ、あの連中の話と、僕がこっそり聞き耳を立ててた情報が確かなら、色々変なんだよね」
「御託はいい、どの時期からヤロスラフ王は玉座から離れている」
「……知りたい?」
「疑問を解決させる必要がある。あれが玉座から退いたのは私が星の使いに呼び出される前からか」
「ンだよ、わかってるんなら聞くんじゃないよ」
シスはつまらなさそうに肩をすくめるが、私達にとってはかねがねの疑問であるパズルを埋める大事な欠片のひとつだ。その証拠にニーカさんもラトリア王宮の内情が掴みにくい理由を教えてくれた。
「管理が行き届いているといえばそれまでだが、中央に近い人間、特に口が軽くなりがちな侍女の出入りを徹底的に制限しているせいで、必要な情報が手に入りにくい」
「申請なしに宮廷を離れるだけでも罰があるらしいね。ただ、赤狼ってのはヤロスラフ信者の集まりだから、自分たちの敬愛する王様をないがしろにする王宮に不満を持つ連中ばっかりだ」
ヤロスラフ王は今回の件じゃ完全に使われる側だった……ことが確定したのは喜ばしい。加えて、シスはこんな話も教えてくれた。
「もっとも近い内乱を企てたのは息子のヤツェクと王弟のウーカシュだ。ヤロスラフにとっちゃ一番目をかけてた息子と、無条件で背中を預けられる弟だった……ってのは知ってるかい」
「私は信頼厚い、というくらいしか……」
「んまぁ、それも仕方ないかもな。でも国内じゃ、ヤロスラフに敵わなくてもどっちもそれなりに人気だった」
――大事にしていた者に裏切られたとき、それでもまだ立っていられるかね。
そうライナルトに問うたヤロスラフ王の真意が見えてきた。
「内乱で、息子は戦死。王弟はヤロスラフと観衆の前でコレだったんだってさ」
シスは親指を立てながら、自らの首の前で横に動かす。
「反逆者の鎮圧で内乱は終結した。だけど話には続きがあって、ウーカシュを捕らえてから処刑が実行されるまでは、十五日以上も間が空いた」
「それのどこがおかしいの?」
「ラトリアにしちゃ悠長過ぎる。いっとくけど、戦争責任を問う裁判なんてこの国にはないんだからな。勝った方が正義、あるのはそれだけだ」
つまり……内乱を企てた果てに鎮圧された王弟と息子は、ヤロスラフ王にとってかけがえのない人達だった。だとすれば、彼の王はどのくらい前から玉座に関心を見出せなくなっていたのだろう。
陰りを見せた彼の王の面差しに想いを馳せるも、考えるだけ時間は与えられなかった。
馬車は一直線に王宮へ向かう。あっという間に坂を駆け上がり正門で堰き止められるも、私達のことは伝わっていたのか、咎められすらしなかった。
馬車の小窓からのぞくのは、厳つい門を越えた先だ。
外側から見ることが叶わなかった古城は、まるで伝説から抜け出たかのような佇まいを見せている。間近で見るとあちこち修繕された跡がそのままで、その佇まいが古からの歴史を語っているようだ。
無骨な壁に囲まれた庭園には精緻に整えられた花壇が並び、使用人が色とりどりの花を手入れしている。古い噴水には、透明な水が静かに流れ、奥には古びた石のベンチがひっそりと置かれており、ベンチでは兵士達が腰掛けて楽しそうに談笑していた姿が……なんだか意外だった。
馬車はかなり奥まで通された。
おそらく特別な人間しか通れないであろう専用通路と隠された入り口、私達が降りた先で待っていたのは、驚くべきことに見覚えがある。
無論、ヤーシャやヤロスラフ王ではない。星穹でも星穹といった精霊でもない。
であればラトリア人の知った顔など数少なく限られている。
私達を迎えたのは次期国王ジグムントその人だ。
不可解だったのは、外套を羽織っているにしても次期国王にしては贅沢は最小限の武人を強調した出で立ちだった点だ。側仕えの侍従も、王子に付き添う警護としては人数が足りない。
涼やかな面差しの王子は一歩進み出て、淡々と抑揚のない声を発した。
「オルレンドルのライナルト皇帝陛下とカレン皇后陛下。貴方がたの到着をお待ちしていた」
まるでただの案内役とでもいいたげな態度。私の中で膨れ上がり続ける違和感は、きっとこの場の全員が共有していたはずだった。