117.魔窟への招待状
「どのようにと聞かれましても……」
難しい質問だ。
偉大な人のように見えた、などと嘘の回答をするのは簡単だが、求めるのは偽りだけに包まれた優しい言葉ではないのだと彼の目が語っている。
「そうですねぇ……」
考えるふりをして時間を稼ぐ間に、ヤーシャの人となりについて想いを馳せた。
彼は王族だけあってラトリア人の中でもいっそう矜持が高く、態度が大きい。他国の人間には敵対心を丸出しで言葉も飾り気がないほど率直だけど、私は嫌いじゃない。
問題はコンラートを害したヤロスラフ王の息子である点だが、道徳にもとるなら親の罪を子に問うのは誤りだ。少なくとも伯ならばそう教えたかもしれないという考えのもと、じっとこちらの様子を伺うヤーシャに向かって答えた。
「何か重責に囚われてるように思いましたね」
そう答えると、青年は息を呑むように喉を動かした。
「やはり、貴様もそう思ったのか」
「私でも感じたのですから、夫ならばなおさら違いを感じ取ったかもしれませんね。いまのあなたのお父上は、強そうでいて、ちょっとした刺激で簡単に崩れてしまいそうです」
これはただのハッタリ。あの曲者のお爺さんが脆く崩れ落ちる様なんて私には想像つかないが、言葉でつついてみるとヤーシャは面白いくらい動揺した。さっと顔色を変えると感情任せに私を怒鳴りつけようと口を開き、ライナルト達がいるであろう方向に意識を囚われる。
叫ぶ寸前で冷静になったのか、声を潜めながら精一杯の抗議を私へ向けた。
「父上に陰謀を企てるなど許さんぞ!」
「やだ、誤解です。私はただ所感を述べただけですから、陰謀なんてそんな」
新婚旅行を台無しになんかしたくないので、青年で遊ぶのを止めて真っ直ぐに見据える。
「ですが私の感想は変わりません。噂に聞く偉大なヤロスラフ王にしては随分な変わりようでいらっしゃる。あなたもそう感じているからこそ、いえ、むしろ確認したかったからこそ、私をこんなところに呼びだしたのではないですか」
「それは……」
つい視線を逸らすヤーシャの姿に、私はヤロスラフ王を思い出している。情報という名の材料が足りないので料理は完成しないが、現在の姿が息子の心を激しく揺らがせるほどの変容だとすると、一体どんな理由が国民の信頼を一身に集めた指導者の心を打ちのめしたのだろう。
「あなたは確か、次期国王であらせられるジグムント様とお母上を同じとしているのでしょう」
「……そうだが?」
噂の真偽は確かめられたのは僥倖だが、実兄の名前にヤーシャは表情を曇らせる。
……同じ父母を持っているのに、兄だけ王位継承権を与えられたことでも関連しているのかしら?
私はヤーシャの変化に気付かないふりをして続ける。
「私から申し上げるのも差し出がましいですが、心配でしたらお兄様と協力なさるのが一番なのでは。実のお兄様でなくても、血の繋がったご兄姉はいらっしゃるでしょうし」
「……余計なお世話だ」
「失礼しました」
あっさり引き下がったからか、今度は明らかに機嫌を損ねてしまった。
ただこの様子を見るに、兄弟仲は良くなさそう。
苛立ちを押さえるためか爪を噛むヤーシャは、もういい、と私を忌々しそうに睨めつける。
「エミールがよい姉だと言っていたからと真に受けた私が阿呆だった。人が真面目に問いかけているというのに、挑発するようなことばかり言う」
「これでも誠実にお答えしたのですが、どこで機嫌を損ねてしまいました?」
「……そういうところだ! 貴様の物言いは、常に我らに対し棘がある」
「心外です。私なりに真剣にお答えさせていただきましたが、それでも気に食わないとおっしゃるなら単にお互いの反りが合わないだけかと思います」
……私はちょっとだけ、わざとらしく首を傾げる。
自分でも声量が低くなったのを感じていたから、警戒したヤーシャは正しい。
「私はラトリア人すべてを嫌っているわけではないのですが……でも、そうですね、私の言葉に棘があるとおっしゃるなら当たっているのかもしれませんが、だとしても、それがどうかしたのですか」
「どうかしたとは、よく言ったものだ。私は王位継承権こそなくとも、この国の立派な王子だぞ」
「ヤーシャ様は軽く考えすぎなのではありませんか」
「軽く、だと?」
「私はエミールの姉でありオルレンドル帝国皇妃ですが、同時に旧コンラートを故郷とした者です」
改めて言い直すのもくだらないくらいだ。
ヤーシャも忘れてはいなかったろうに、どうして改めて言われた程度で驚くのだろう。もしやエミールと仲良くなったことで、忘れた気になっていた?
だとしたら当事者と傍観者の意識の差をこれほど思い知らされる出来事もない。
「あなた方に故郷を滅ぼされたのですから、弟を介したくらいで仲良く出来るとお思いなのでしょうか」
息を呑むヤーシャを前に、自分でも意外だったな、と冷静に己を観察する私がいる。
あの日の崩壊から月日が経った。
コンラート領へは二度目の来訪を果たし、墓参りも済ませた。
精霊郷もどきではヤロスラフ王に対し大人げない態度を取ったが、それでも私はあの日の出来事については、心で整理を付けたと思っていた。ヴェンデルと違い、宿に残らず一緒に赤狼の団に出向いたのがその証拠だ。
私はついさっき、親の罪に子は関係ない、ヤーシャは嫌いになれないと感じたばかり。
もちろんその思いは変わってないと言えるはずが……どうしてだろう。父の姿を案じる彼の姿に、突然悔しさを覚えてしまった。
自分の変化へみずから問題を提起すると、すぐに答えらしき理由が浮かぶ。
もしかして、改めてコンラートの寂しい屋敷を目の当たりにしたから?
「貴様に意を尋ねようとした私が間違っていたと言いたいのか?」
慎重に問いかけたヤーシャへ、私は手の平で口元を覆うように笑んだ。
「いまのは一介の旅行者が口にするには過ぎた言葉でした」
私はいま、コンラート領崩壊の悔しさをヤーシャへ向けていた。
椅子に深く背を預けて「やってはならないことだね」と亡き伯がじんわりと微笑む姿や、クロードさんが意地悪く口角をつり上げる姿が想像できてしまうから不思議だ。
たとえ私の中で作り上げられた幻影であっても、彼らは私を冷静にさせてくれる。
「お父上を心配する心は私でも理解できます……ですから改めて質問に対し答えるのなら、あのご老人は随分お辛そうだった……そう思いました」
「…………そうか」
お互い気まずさを携えながら戻ったから、エミールはさぞ戸惑ったに違いない。
言葉控えめなヤーシャはこちらをろくに見ようともせずに別れ、私達も宿に向かって歩き出す。
宿まではあと少しだった。相変わらずの雑踏を道行く中で、前を向いていた私の顔をのぞき込むのはシスだ。
「わぉ、ぶっさいくな顔!」
かなり失礼だが、玩具を見つけたような輝かしい目をしていたから毒気が抜けてしまう。
「知ってるわ。同じことを二度も繰り返してしまったって反省しているところだから、それ以上はやめて」
「なんだ、たった二度で反省会か。まさかそんだけで、さっきから旦那の方を見ようともしてないワケ?」
「ええ、そうよ文句ある?」
一度目はヤロスラフ王へ、二度目はヤーシャに。
しかも後者は息子で直接的に関係がないだけに、私の気分はいっそう暗い。鬱々とした顔をライナルトに見せるのは御免なので、私はずっと前を向き続けていて、それでもライナルトは黙って私の手を握ってくれていた。
そんな私達を見て、シスがライナルトにひと言「めんどくない?」と尋ねたが、彼はいつもと変わらず、こう返す。
「面倒よりも理解し難い感覚だが、私は受け入れるだけだ」
普段なら聞き流すであろうシスの質問に答えたのは、私に聞かせるためか。
私がほしい言葉や慰めを都度くれるあたりが、お付き合いする以前からできた人だった。
これで落ち込んだ気分が立ち直るわけではなかったが、少なくともヴェンデルを前に表情を繕う程度はできる。
首を長くして待っているであろうルカへの謝罪を考えながら宿の玄関を潜った私達だが、中に入るなり、何故か待機していた宿の支配人がライナルトに話しかける。
「皆様方がお出かけになってから、お客様がいらっしゃいまして……これを皆さまに渡すようわたくし共に告げると、お連れ様と一緒に外出を……」
「……連れ、とはまさか少年か?」
「左様にございます。護衛の方と一緒にお出かけになりました」
連れの少年となればヴェンデルだ。
しかもアヒム達も一緒に出かけたらしいが、違和感を覚えるのはこれだけでも十分で、私は赤狼の団に行く前の奇妙な予感を思い出す。
だって私達には「お客様」なんて人に心当たりがない。
珍しく流れる汗を隠せない支配人に渡されたのは、紙の端々に金泊を丁寧にはり付けた封筒だ。まずライナルトが中身の一枚紙を開くのだが、一瞬で中に目を通すと私に向かって中身を開示した。
書いてあったのは三行ほどの短い文で、それゆえに内容も頭にはいりやすい。
手紙には「お客様」に連れ出されたヴェンデルの行き先が書かれている。
意味を理解した瞬間、私の中で開催されていた反省会が吹き飛び、そして力が余って手紙を握りしめていた。
「王宮ってどういうこと……!?」