116.短気は損気
悪い人と付き合ってきたせいか、私も世の中の悪事には大分目を瞑り、それどころか扱いもこの通り慣れてしまった。
経費という名の賄賂にシスは口元を緩ませるが、その顔立ちのためか、よくよく周りに注意を払えば、ラトリア人の女性からの受けは悪くなさそうだ。その分だけ男性からの敵意はさらに増したようだけど、シスは彼らのライバル心を称賛と受け取る才能がある。
「まったく色男も困ったもんさ」
悠々と扇子を取り出し煽り始めたが、彼が作り出す風は銀糸にも似た白髪以外にも男達を挑発している。思わず私が注意していた。
「あなたはちょっと口が過ぎるんじゃないの」
「僕は事実を言ってるだけだぜ? それにこう言っちゃなんだが、僕はある意味ラトリア人の男達の希望なんだ。こうして女性の心を掴む姿を見せつけるのだってわけがある」
「私は無駄に喧嘩を売らないでと言っているの。お酒が頭に回ったのなら、早く抜いてきてちょうだい」
「ンなこたわかってるけど、話は最後まで聞けよぅ」
これはウザ絡みの予感がする。
シスは演技めいた仕草で胸に手を当て自らに酔いしれた。
「それもこれも、ラトリア人は鍛え上げた筋肉ダルマの方がモテるし仕事も出来る……なんて時代錯誤な考えがあるからいけないんだ」
赤狼の団はヤロスラフ王を頂点に古い建物を長く利用し続け、所々に国旗を飾っている。昔の習わしを大事にしていると判明した彼らがラトリアを愛しているのは間違いないのに、ここにきてお国非難と受け取られる発言は止めてほしい。
こんなときだけど自分の美貌を最大限に活かして睫毛を揺らすのは、ことを荒立てたくない私への嫌がらせかしら。
「僕に言わせれば汗臭い野郎より気遣いの出来る繊細な男の方が絶対いいのに、ここの女性達は古い考えに凝り固まっちまって、自分たちを本当に大事にしてくれる、頭のいい連中を視界から取っ払っちまう」
「どちらにも長所があるというだけではないの。わざわざ波風立てて余所様を怒らせる真似をしないで」
「馬鹿言うな。この国じゃあ学者だってムッキムキじゃないと軟弱者扱いで、まともに話を聞いてもらえないんだぜ。人を売春野郎扱いしてくる奴等には、いっぺん現実を教えてやるのが優しさってもんだ」
なるほどね!
つまりここの酒場でお酒を嗜んでいたシスは、顔が良すぎるあまりラトリア人に侮辱されたから怒っているわけだ。
怒るシスの気持ちはわかる。私だって大事な友人兼師匠を嘲られたのは許せないが、ここはむやみやたらと喧嘩を売る場面じゃない。もしエミールが怪我でも負ってしまったら、私は父さんに顔向けできなくなってしまう。
「ラ――じゃなくてあなた、ちょっとこの怒りん坊さんをどうにかしてください!」
助けを求めると、ライナルトは眉を顰めながらもシスを抱え込み、もっていたハンカチで口を塞いでくれるが、シスに触れたくないと感じているのは丸わかりだ。
力が強いあまりシスの口どころか鼻まで塞いでいるように見えるが、この際黙らせてくれるならなんでもいい。シスの挑発に青筋を立てていた男達は迂闊に手出しができなくなって、いつの間にかヤーシャやエミールの注目を集めていたことに気付いた私は口に手を当てる。
「私達のことはどうぞお気になさらず、説明をお続けになって?」
ヤーシャは胡散臭いものを見る目を私達に向けていたが、部下に魔法をかけられた記憶は彼にトラウマを植え付けたらしい。シスには関わりたくないようで、決して近寄るものかと距離を置かれてしまっていた。
ライナルトがシスを抑えてくれたのなら、あとは邪魔する者などいない。
エミールの他文化への興味は尽きることなく、想定よりも長い時間を赤狼の団本部で過ごした。ヤーシャは私達には近寄りたくなさそうだったが、どのような経緯であれ案内人としての務めは最後まで果たすつもりらしく、赤狼から新たに護衛を借り受け、私達を宿まで送りとどけると言った。
「貴様らは一応父上の客人だからな、安全に宿まで帰してやらねば父上の名が廃る」
シスの話を聞きたいし安全面でも問題はなかったが、ここで断っては相手の面子が潰れてしまう。こちらもやり返しただけとはいえ、強制連行した身としてヤーシャの顔を立てることにしようとなった。
彼は私達の一歩先を歩きながら肩越しに振り返る。
「こうして赤狼の団が直々に一緒に歩いてやることで、少なくとも分別のある輩は貴様らに手出しはしないだろう。この私の心遣いに感謝するがいい」
「そうなの? 怖い思いはしたくないし、助かったわ。ありがとう」
素直にお礼を言っただけで驚かれてしまったのは心外だ。
宿に到着する前にシスに帰宅させられた部下達を見に行くといって帰ろうとしたのだが、エミール以外の面々の顔を端から端まで確認してゆく。
何か悩んでいる素振りに、赤狼の団の人が声をかける。
「ヤーシャ」
「うるさい、言いたいことなど百も承知なのだから、いちいち口を挟むな」
苛立ちと迷いを込めた態度に赤狼の人は苦虫を噛み潰したような表情だが、この人達自身、ヤーシャを止めることには躊躇いがあるようだ。
ヤーシャはライナルトへしかめっ面を作った。シスは「論外」と呟いて即目をそらし、残るは私かニーカさんとなる。しばらく悩んだ彼は私を呼んだ。
「あら、私に御用?」
「そうだ、少し話がある」
「一体なにかしら」
私はライナルトが止めようとした手をするっと躱し、ささっとヤーシャの後を追う。心配性が過ぎる夫はシスとニーカさんに任せて、人気の少ない小路に入った。この首都は大通り沿いは見た目を整えているから、一歩道を間違えるだけでまるで別世界だ。
具体的には苔むした壁や汚れが目立ち、酷いところではゴミが散乱している。薄気味悪く一目で近寄ってはならない場所だとわかるような場所だが、ヤーシャはライナルト達から見えない位置に行きたかっただけらしい。小道を数歩進んだ先で壁に背を預け腕を組み、私をジロリと睨んだ。
赤狼の人もついてきていないから、正真正銘二人きりだ。
「構えるな。父上が貴様に手出ししないと決めたのだから何もしない。無論、だからといって気を許したわけではないが……」
「心配しているなら初めからついてきたりしませんよ」
これでもオルレンドルの皇妃として、多少なりとも人の目利きは養われている最中だ。ヤーシャがヤロスラフ王を、父としても敬愛しているのを言動から感じ取っているからこそ不安を感じていない。
私としては彼の人となりを買っての判断だったが、ヤーシャはこれを曲解した。
「あまり私を侮るなよ。本気さえ出せば貴様らなど捕縛することくらい簡単なんだ」
「存じていますけど、脅されなくたってよろしいではありませんか。私が怯えて口を噤んでしまったらどうされるおつもりなんですか」
「ふん、精霊郷でも物怖じせず振る舞っていた女が見た目通りでなどあるものか」
「あなたはどちらにいてもお変わりありませんね」
「当然だ。父上を助けて差し上げる役目を背負っているのだ、どのような場所であろうと泰然とあり優雅な振る舞いを心がけるのが私の義務だからな」
「優雅とは程遠かったような……」
ということは、あの精霊郷もどきにいたのはやっぱりヤーシャ本人。
作りものの可能性を疑っていたから、これで疑問がひとつ晴れ、お礼代わりに愛想を支払う。そんな私を不気味に感じるらしいヤーシャとは、せめてエミールの姉としてなら仲良くしてもと思ったが、和解は遠そうだ。
ヤーシャは気を取り直したように喉を鳴らし声調を整える。
「此度の貴様はオルレンドルの皇后ではなく、ただの主婦としてこの国に来たらしいな」
「主婦……ええ、間違いではありませんからそうなりますね」
ただの奥さんでいられるのは時間制限付きなのだけど、その限界がいつ訪れるのかは私達も把握できていないし説明する必要はないだろう。
「貴様を見ていたが、あの面々の中では、ラトリアでは大人しくしていようという協調性は感じられた。ゆえに私は、父上と面会を果たした貴様に聞きたいことがある」
「面会と言っても少し話しただけですが、私に答えられるような質問ですか?」
「問題ないはずだ。別に国と国の問題に発展するわけではないからな」
居丈高な態度は変わらないが、彼からは聞きたくない話を無理して持ち出しているような感情のせめぎ合いを感じる。
いざ直接話してみて感じるのは、ヤーシャは王族にしては感情を隠すのが下手だ。いえ、むしろだからこそ王位の継承権がないのだろうか。それとも継承権を与えられなかったからこそ感情をむき出しにできるのか……そんな取り留めのない考えが頭を過る。
瞳に苦渋を湛えた青年の姿がヤロスラフ王に重なった。
「貴様から見て、父上はどのように映った?」
体調不良のため更新が一日遅れました。
いつもお話にお付き合いいただきありがとうございます。