115.酔っ払いも仕事はする
「どこまでも連れ添わせると言うか。多くの血を見たそなたの死後は地獄の業火に焼かれるが決まっているというのに、酷な男よの」
どこまでも呆れたようなヤロスラフ王だが、ライナルトは淡々としている。
「そも皇帝の伴侶になるとは、流れた血と怨嗟を背負うということ。覚悟もない女を選んだつもりはない」
「随分な自信だが、わしには熱に浮かされた若造の戯れ言にしか聞こえんよ。それを言いたくばあと二十年は連れ添ってから言いにこい」
「貴様は余命十年もなさそうだがな」
互いを刺激し合うのがお好きなようだけど、ライナルトの発言には見張りの方々がわざとらしく足を鳴らした。
もしかしたら靴底に鉄を仕込んでいるのかもしれない。屈強な男性が強く床を踏めば、たった一回でも大きな音が室内に響く。喧嘩慣れしてる人だって萎縮してしまうだろうが、夫は当然、その程度で揺らぐ人ではない。
ヤロスラフ王が片手を挙げると男性達は大人しくなり、心なしか殺気立った雰囲気も落ち着く。あくまで表面上のものだろうけど、よく教育が行き届いている。
きらびやかな王宮ではなく、こんな小さな部屋に大陸の中央と西を制する王が揃っているなんて誰が想像できるだろう。
両者はしばらく視線を交差させていたが、どちらからともなく会話を終わらせようとする雰囲気を滲ませた。
「さて、貴様の質問には答えた。私も失礼させてもらって良いかな、ご老体」
「好きにせい。ただな、これは個人的な忠告だが、我が国であまり目立つような行動をとるでないぞ、若造」
「無論、気をつけるつもりだ。重ねて言うが私は新婚旅行に来ただけなのでな」
「そんなもんはどうでもいいわい」
すぱっと切り捨てるヤロスラフ王に、ライナルトもわかっていると言わんばかりに頷いた。
「貴様個人はあくまでも黙認するだけであって、特別に私達の味方というわけではない。保護に動くつもりはないことは承知している」
「その通りだ。何かあったとてわしは関与せん」
ご老体の発言は、ただ手出ししないとだけ聞こえるけど……実質、私達をどうにかしようとする人がいたとして、ヤロスラフ王に止める手立てはないと……そのつもりでいた方が良さそうだ。
ライナルトが席を立つと私も続くが、退室前に振り返って老人を見た。
大国と謳われるラトリアを長年にわたり治めてきた王を改めて見下ろしたとき、少しだけ、言葉にし難い気持ちが湧き上がる。
――思ったよりも普通の人だ。
私にはヤロスラフ王に下げる頭はない。
だが、茶の一杯もご馳走になっていながら、言葉の一つも尽くさないのはオルレンドル……コンラートのカレンとしては礼儀にもとる。
伯が生きていたらそう言ったと……たぶん、思う。
「美味しいお茶をありがとうございました、ヤヌシュさん」
そう伝えて一介の貴族のように礼の形を取るとヤロスラフ王は皮肉げに笑った。
「オルレンドルに比べれば、肥沃とは言い難い土地ばかりのラトリアは貧しいのやもしれん」
といって顎を撫でる。
「だが他国よりも国民の質は秀でていると、このわしが保証しよう。我が国は誰より人を尊ぶからこそ、選ばれし民達は誰よりも生きる力に溢れている。荒波に揉まれ続けたからこそ、気概に満ちた一人一人が生きる力に溢れ輝いているのだ」
「……なにをおっしゃりたいのでしょう?」
「しかとその目に焼き付けて行け、ということだ。後に先にも、玉座にふんぞり返るしか能のないオルレンドルの臆病者が、我が首都と民を直接拝する機会は二度とあるまい」
臆病者……は私達というより、歴代のオルレンドルの皇帝を指している、
ライナルトも前帝などを同じように評していたのを私は知っているし、腹を立てる必要はないだろう。ヤロスラフ王の目を見たまま小さく頷いた。
「赤狼の団の長がそうまでおっしゃるのなら期待できるのでしょう。堅牢と名高い王城を含め、ラトリア人を知るにはよい機会、是非学ばせていただきましょう」
でも、と付け加えさせていただく。
「オルレンドルの民は時代に伴う新しい風を受け入れる柔軟性を宿しておりますので、強い鋼をしなやかに受け流せるのは容易にございます。我が国とて負けてはおりませんよ?」
「ふん、小娘が言いよる」
微笑むと、今度こそ振り返らない。団長室を後にすればエミールの元へ案内してもらうのだが、弟は念願の観光真っ最中だ。
ヤーシャは自国の歴史に興味津々なエミールならともかく、敵国の王に塩は送らないと言わんばかりの態度でそっぽを向くが、エミールはそれに気を悪くした様子もなく、彼に教わった内容を自らの知識と合わせながら私達に教えてくれる。
主に聞き役になるのは、意外だけどライナルト。
私は話半分と言ったところで説明を聞くのだが、エミールは相当ラトリアについての知識をたたき込んできたらしい。想像をこえるラトリアへの造詣の深さが気になっていたら、その理由は本人の会話で明かされた。
「ヤーシャに聞いたんですが、広間の一部分に天井を張らずにいるのは儀式的側面が強いのだそうです。驚くことにラトリアの夏期、ある時期に必ず天井のぽっかり空いた隙間に双子月が納まったように見えるそうで……こんなの信じられますか、義兄さん」
「……必ず、ということは天体の研究が進んでいたということだろうか?」
「オルレンドルでもラトリアほどは進んでいないでしょうね。で、その日はラトリアの人達には特別で、たくさんのご馳走を作って並べて、穴を通して天に昇った人達に送るんだそうですよ。な、ヤーシャ」
「あ、ああ……」
早口になるエミールに、ヤーシャはやや引き気味だが、それは戸惑っているだけで嫌がっているのではない。
「我らはこれまで多くの父祖を亡くしているからな。家族や仲間のために散っていた同志が死の国でも飢えぬように食料を届ける義務がある」
それが天井にぽっかり空いた穴を通じ、空に運ばれると信じ伝えられているらしい。
聞けば闘技場も同じ考えのもとで作られているらしいが、あちらの捧げ物は古来から変わらぬ闘争心と人命だ。ただ、いまとなっては肝心の天体資料は内乱を繰り返すうちに焚書の憂き目に遭い、知識は失われてしまった。
特別な月を望める建物も闘技場とこの本営を残し倒壊した。
大量の食品を消費する関係で儀式は形骸化し、闘技場はただ力を競うだけの場所へ。先人が残した本来の意味で機能しているのは、赤狼の団と王城だけになったと語る。
「風習が廃れたって言うのは寂しいような気がするんだけど、ヤーシャは構わないのか?」
エミールが問えば、ヤーシャは困ったように視線を斜め上に向ける。
「寂しい気はするが、我々は父祖を尊ぶ心を忘れていない。確かに儀式は大事だが、父祖達とて子孫が飢えて死ぬなど好むはずないのだし許してくださるはずだ」
「ああ、気を悪くしたらごめん。田舎だと風習は絶対って話も聞くからさ」
「……たしかにそういう気質もあるのは知っているが……気は悪くしてない。ただ、よく知ってるなと思っただけだ。禁書の話なんて私は教えていなかったのに」
「オルレンドル魔法院の偉い人が建築好きで、いくつも書物を読ませてもらった。そこに載ってたんだ」
……シャハナ老。うん、納得の人だー。
ここまでくると弟の交友の広さ以前に、誰経由で知り合ったのかが気になるところ。私の弟だから誰と顔見知りでもおかしくはないが、シスかシュアンあたりの紹介だろうか。
エミールはあまりにも熱心だから聞いているラトリア人の人達はどこかほっこりと和んだ様子で遠巻きに見つめている。
うん、身内の贔屓をなくしても彼らの気持ちはわかる。
たとえばオルレンドルがラトリアからのお客様を迎え入れたとして、正直ラトリア人によい印象を抱いていなかったとしても、裏などなさそうな真っ直ぐな少年が自国の歴史を学び、嬉しそうに語ってくれたら好印象を抱く。
赤狼の人達も建物の端々を私達に開示するわけには行かない。
見せてもらえるのは限られた大部屋だけだったが、エミールの解説や、気を良くしたヤーシャの存在もあって、たった数部屋巡るだけでおなかいっぱい……となるほどの説明量だ。
しかし私的に残念なのは、古い建造物というのもあって、厚い石作りの建物は暗く重苦しい、もっと言えば息の詰まりそうな場所だということ。宿や喫茶のように内装に凝っているならまだしも、廊下などは暗すぎて閉じ込められるような感覚に陥り苦手意識を覚える。かといって弟や夫の楽しみを妨げるのは本望ではないので、マルティナの腕を掴んで引き寄せていた。
そんな私達に千鳥足で近寄るのは、私と同じ白髪の酔っ払い。
顔を赤くした青年は銀鼠色の瞳をとろんと緩ませ私に絡んできた。
なよっとした軽薄そうな姿に、ラトリア人の幾人かが軽蔑の眼差しを送っている。
「よぉ、辛気くさい顔してるじゃんか」
「なぁに、もう酔っちゃってるの?」
「ラトリアは混ぜものばっかの質の悪い酒がたっくさん出回ってるけど、ホンモノはい~い酒が多い。ニセモノが溢れかえる街中でも、ここはそのホンモノを扱ってる場所なんだ」
そう言って、片手に持った瓶を掲げる。
口をゆるっとあけたシスは無防備の塊だが、瞳に煌めいていたのは悪い光だ。何か情報を仕入れてきたらしいと知った私は、財布から貨幣を取り出しシスに握らせる。
必要経費といってごねる前に払っておいた方が得だった。