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114.老王を縛るもの

 ライナルトの言葉は捻りのない豪速球だ。

 あまりの直球に、さしものヤロスラフ王も上体を仰け反らせる。


「そなた、よくもまあこのわしを前にぬけぬけとそのような問いを」

「問題でもあるか?」

「いいや? 元々、わしは回りくどいのが嫌いだからの、馬鹿正直に真正面きってくる方が好みだとも。そういう意味では、わしはそなたが嫌いじゃあない」


 ヤロスラフ王の含み笑いに、ライナルトは素っ気ない。

 

「そう言われて喜ぶのはラトリアに尽くしたい者だけだ」

「ああ、だが女の趣味は一致せんな。わしは出しゃばりを可愛いとは思うても、伴侶にしたいとは思わん」

「喜ばしい話だな」


 ラトリアもヨー連合国同様に、女の人が活躍できる国ではないものね。足を組み直したライナルトは膝の上に両手を乗せる。


「それで、私の問いに答えるつもりはあるのか」

「聞きたいかね」

「もったいぶるな。別に回答がなくとも気を落としなどしない」


 ご老体は腕を組み、しばらく考えた。


「素直に答えてやる義理はあるまい。オルレンドルの政を司る立場であれば、いずれ真実を目の当たりにするのだろうし、大人しく時間が経つのを待っておれ」


 面と向かって答えるつもりはないということだけど、この返事でだけでも、ヤロスラフ王はヒントを私達に与えている。

 ご老体はいま、自身がラトリアの王として玉座に居ないことを確かに明言したのだ。国の頂点にあるべき人が、このような回答をすれば、さらに思うところも出てくる。期待した回答でなかったが、答えとしては及第点に近いだろう。

 私はそつない表情でヤロスラフ王の淹れたお茶を口に含み……自分好みの味のお茶に出会えたことに嬉しいような、この人と味覚が一致していることに複雑な気持ちを覚えながら液体を胃に落とす。

 それにしても、私の目にはこのひねくれたおじいさんが一瞬だけ気落ちしたように見えた。一体なにが老王の心に影を落としたのか気になるのだが、ヤロスラフ王はふいに視線を持ち上げてニーカさんを直視する。


「時にな、わしがそなた達に会うてもよいと思ったのには理由が二つある」

「……私、ですか?」


 驚きに目を見張るニーカさんへ、ヤロスラフ王は頷いた。


「その髪は我が国に連なる証であろう。加えて、わしはそなたの顔立ちに古い知り合いの面影を覚えている」

「いえ、私は……」

「そなた、姓をサガノフというだろう」

 

 彼女の考えが纏まる前に放たれた質問に、不意をつかれたニーカさんは口ごもった。彼女が迷いを見せたのは、祖父達がラトリアの内乱を発端とし国元を離れたからだ。サガノフ一家を問わず、国を追われたのはほぼ大半が現政権と対立した人々ばかり。彼女の家族がここにいるわけではないけれど、身内にヤロスラフ王の目が行くのを避けたいのだと察せられる。

 珍しく口八丁で躱すことに失敗したニーカさん。

 そんな彼女にヤロスラフ王は低い笑い声を漏らした。


「心配せずとも取って食うつもりはない。単に、わしの考える男がそなたの身内であるならば、まだ生きているのか知りたかっただけのこと」

「……申し訳ありませんが、ヤロスラフ王がなにをおっしゃっているのか、私にはわかりかねます」

「そうか? そこの男の側近とあらば、名など調べれば容易いことだが……よい。あれは昔から気に食わん男だったから、決して早死になどせんだろうと踏んでいた。それがわかれば充分よ」


 良い人ほど早死にするから、と言いたいのかもしれない。

 ヤロスラフ王はニーカさんの顔立ちに知り合いを見出したと言った。懐かしそうに双眸を細める様は戻れない過去を愛おしんでいるようでもある。

 しかし思い出に浸るのもいっときだけのもの。

 今度はヤロスラフ王との会話に見切りをつけ、立ち上がりかけたライナルトを見据えた。


「待て。理由のもう一つはそなたにある」

「呑気に雑談を交わす間柄ではあるまい。それとも玉座を離れた老人は、この私が素直に話を聞きたくなるような話でもしてくれるのか」

「益か不利益かで物事を計るのであれば、この場に居ること自体がそなたにとっての幸運だ。ここはラトリア国軍にも信頼厚い赤狼の団の総本部ぞ」

「ではこの場で私達を斬り捨てるか?」

「あなた」


 私が咎めるように強く口を出した。

 私はいざとなればなんだって付き添う覚悟があれど、エミールが危なくなるので喧嘩を売るような真似は止してもらいたい。

 ちょっと不満そうな夫に、私は怒っている、と主張するようにもう一度告げた。


「目的をお間違えではないですか。私達はラトリアへ観光に来たのであって、問題を起こしに来たわけではありません」

 

 ライナルトの本質は簒奪。

 こんなところでヤロスラフ王を挑発するなどもっての他だが、流血沙汰も厭わない性格の一端は大森林の砦爆破に現れている。あれはファルクラム領を思って……なんて理由もあるが、それ以前にライナルトのやっかいな質が絡んでいる部分も大きい。

 敵地で血気盛んな人達に囲まれ、挑戦者の気持ちにでもなったのだろうが、勇敢とは程遠い、無謀かつ命知らずの行為は奥さんとして容認できるはずもない。

 本来の目的を思いだしてくれたライナルトはつまらなさそうに椅子に背を預け、ヤロスラフ王に向き直った。


「答えるかどうかは別だが、聞くだけ聞こう」

「……なんだつまらん。わしとしては、この場で大立ち回りしてくれても良かったんだが」

「ヤロスラフ王も、私の夫を挑発するのはお止めください」


 このおじいさんもおじいさんで、ライナルトの気質を見抜いているから大変煩わしい。

 ヤロスラフ王はふふんと口角をつり上げた。


「そこな若妻は、やはり日和見主義よの。婚家どころか国を乗っ取った奸婦ならば、血を恐れてどうするか。わしが逆の立場ならば、間違いなく相手の首を取っているぞ」

「私はそちら様との喧嘩を避けるべく、穏便にことを済ませようとしているはずなのですが!」


 私が食ってかかると、ヤロスラフ王は手を振った。

 

「冗談だ。なにせ今回はそなたの弟がいる」

「……エミール?」

「まあ、後顧の憂いを断つためならそなた達の首を刎ねるが最適だが、あれほど我が国へ、純粋でひたむきな感情を向けている子の期待は裏切らん」

「……物騒なお考えを披露していらっしゃいますが、王として招いたわけではないとか、本業に勤しむだけとかおっしゃっていませんでしたか」

「考えるくらい罪ではなかろうが」

「もうちょっと繕ってくださいませんか」


 やはりヤロスラフ王も流血での解決方法を考えてなかったわけではないらしく、老人は軽いため息を吐く。


「オルレンドルにおいては我が国が宗教を認めているという理由だけで、我が国の素晴らしい伝統や芸術が伝わりにくいのは知っている。限られた知識の中で隣国を知ろうと励み、直にふれ合おうとする若人を邪魔するのは野暮だろうて」


 残念そうな姿に、私達はエミールに命を救われたらしいのだと本当に伝わる。

 やっぱりヤロスラフ王も実力主義たるラトリアの長たる人物だ。警戒を露わにする私を押さえたライナルトが言った。


「妻を揶揄っていないで、本題はどうした」

「ああ、そうだったそうだった……なに、難しい話ではない」


 ヤロスラフ王はライナルトと私を交互に見る。


「精霊郷のときからそうだったが、やはりそなたは皇后を大事にしている。その寵愛たるや、この目で見るまで信じられなかったが、どうやらまことのものらしい」

「……それがどうした?」

「急くな。……少なくとも、そなたは真実皇后を愛し、皇后もまたそなたを愛している。つまり、互いにとって必要かつ大切な存在ということだ」


 ……急にこんな話題を出して、どうしたのだろう。

 私が戸惑いを隠せなくなったのは、ヤロスラフ王の瞳が陰ったせいだ。まだ六十代のはずヤロスラフ王が、途端に十以上も老け込んだ。

 まるで地の底で這いずり回り、あがき、もがき、割れた爪で地面を掻きながら空を見上げたような、惨憺たる有り様といったら言いすぎだろうか。

 疲労なんて言葉では生ぬるい、けれどどこか諦めてしまったような静けさを湛えてヤロスラフ王は尋ねた。

 

「オルレンドルのライナルト。その大事にしていた者に裏切られたとき、それでもまだ立っていられるかね」


 ライナルトの答えは決まっている。

 私にとってはわかりきった内容だ。ライナルトにとってはなおさら愚問のひとことで、疑問など一蹴しても良かったはずだが、老王の眼差しに何を感じ取ったか、正面から見つめ返した。


「裏切ることはない……と答えるのは簡単だが、それでは納得しないのだろうな」


 腕を組んだライナルトは軽く目を瞑り、当然のように言った。


「その時は私自ら首を手折り、奈落の縁で待っていてもらうことになるのだろう」


 そうして彼が没した後、奈落という地獄の果てまで、私を一緒に連れ添わせるのだろうか。

 ライナルトの迷いのない言葉に「そうか」と端的に返したヤロスラフ王と、しかめっ面を隠さないニーカさんがどこか可笑しく、私はつい唇の端を持ち上げていた。

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― 新着の感想 ―
なんか今回はじめてヴィラン側なんだなぁと感じました 血気盛ん…!
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