113.王様業は図太さと共に在る
ヤロスラフ王の反応は、もしかしたらこの王様の素が垣間見えた瞬間だったかもしれない。
なにせご老体ときたら、唇を半開きにして、ライナルトの発した言葉に首を傾げていたからだ。これまで培ってきたオルレンドルの皇帝陛下像から、まるで想像できない言葉を咀嚼し呑み込むまでに多大な時間を要している。
「……年を取るとどうもいかん。お主、いま新婚旅行などと、そこらの若造と変わらぬような浮かれあんぽんたんな言葉を抜かしたか?」
「確認する必要があるほど耄碌したか?」
「嫌味を言うでないわ、老人にはもっと優しくせんと嫌われるぞ」
「まさかラトリアの老王が私に好かれたいと思っているとは心外だ」
木製のカップを握り、ガンガンと机に叩きつけるヤロスラフ王。
「儂は会ったことはないが、同じ王としてお主の父、カールのことを好いておった」
「人の趣味が悪いな」
「やかましい。お主は他人など知らんと言いたげに振る舞い、我が国を挑発するように、あちこちに砦を建設し始めた」
「よく調べさせているが、挑発とは言い過ぎだな。あれは自衛のために建設させているのであって、受け取る側に問題があるとみえる」
ヤロスラフ王を擁護したいわけではないけど、問題は何もないと思う。
ライナルトは感心した風を装うが、いかにもわざとらしい。ライナルトがラトリアの首都に間者を置いていたように、ラトリアもオルレンドルの国政に探りを入れていることを、お互い察していないわけがないためだ。
ヤロスラフ王はとっくに王様らしさを脱ぎ散らかし、なぜか悔しそうに言った。
「直に足を運ぶとは驚いたが、父王の王冠を簒奪し、正統な血の流れる妹を追いやった冷血漢ならば、我が国に来た理由もそれなりにあると考えるのが妥当だろうが!」
「では私が嘘をついていると?」
「若妻にうつつを抜かしていると思うよりはマシだわ、馬鹿め!」
こっそり横目では、ニーカさんがヤロスラフ王に同意するように頷いている。しかしライナルトといえば、いっそう冷ややかな眼差しを向けるだけ。
「この私が伴侶に選んだ相手なのだから、魅力に溢れ、かつこの心を奪う人間なのは当然だろう。新婚旅行を所望されれば叶えたくなるのが、夫というものだ」
「堂々と自慢するでない。他人の惚気など痒くてしょうがないわ」
「気の多いばかりの、どこぞの王とは違うのでな」
「儂はこれでも一途だ」
明らかにご機嫌を損ねた様子だけど、ここでライナルトがすかさずひと言。
「我が父のことを言ったつもりだった。そうも反応されるとは、さては思い当たる節でもあったか」
「ぐぬ……!」
ヤロスラフ王は子沢山で有名だが、その奥方については伏せられている人も多い。ヤーシャもそうだけど、王位継承権を有していない子がいるのも、一般女性を囲っているからとの噂が立っているからだった。
このままでは自身の女性周りを聞かれると思ったか、ヤロスラフ王はすかさず話題を変える。
「一応聞くが、我が国を偵察しようという心は……」
「ついで見程度行おう。お前が逆の立場ならば、グノーディアに興味がないと言うのか」
素直に言っちゃうライナルト。でも、逆に素直すぎるのがよかったらしい。ヤロスラフ王も、興味ないと言われると逆に複雑らしいから、安堵したようである。
後ろに佇む方々はやや奇妙な顔をしてライナルトを見ていたが、夫はそんなことはお構いなしだ。
「どのみち私達はドーリスを訪ねる必要があったのだ。精霊を介すか介さないかだけの違いなのだから、少し早く到着しただけで騒ぎ立てるな」
「……主、儂が本業中でよかったのぅ」
ここで私はたまらず問うた。
「ヤロスラフ王、私には少々あなたのお言葉の意味がわかりかねているのですが、先ほどから本業と副業と使い分けていらっしゃるのは、なにか理由がおありなのですか?」
「理由? 理由も何も、そのままの意味だがな」
「そちらの事情に詳しくないのです。できればあなたのお考えを聞かせてもらえませんか」
理由を請えば、ヤロスラフ王は大きく鼻息を出して肩から力を抜く。
「お考えも何もだ。儂は王にはなったが、王は故あってなったものであって、儂の本職はずっとこれよ」
「それが赤狼の団長?」
「一度は辞退したのだがな、儂以外に任せられるヤツがいなかったらしい。国王業と同じく、頼まれたからにゃ責任を持って、皆の命を預かるのが務めだろうよ」
それで赤狼は国と連携を取っている……なんて話があったはずだ。ヤロスラフ王自身が頭を務めているのなら、国の有事には力を貸すはずだ。背後の彼らがヤロスラフ王に従っているのは事実だし、その言葉に偽りはない。
そろそろはっきりと、彼らはヤロスラフ王の私兵なのだと認識しても良いだろう。
私の含むような視線に老人は「ああ」と肯定した。
「奪われた者としての気持ちは汲もう。だが儂はこの身は王として必要な事をやっているのだから、言い訳などせんし、謝る気もない。恨みたくば直接、その手で刃を握り向かってくるがよい」
「正直におっしゃいますね」
「これが儂の王の有り様というものよ。それを正直に述べているだけに過ぎん」
真正面から受け止めると言ってのけた姿に迷いはない。その信念に偽りはなさそうだが、でも何故だろう。その割に、王、と発した瞬間だけは瞳が翳ったような気がしてならない。
私は――それだけでヤロスラフ王を許すという気持ちにはなれないけど、少しだけ冷静になった。
精霊郷もどきのあの空間と違い、ここでヤロスラフ王を討てば、コンラート領での無念を晴らせるのよね、と思わなかったわけではない。
……もちろん、そんな考えはほんのちょっと過っただけ。
実行に移すだけの勇気はないが、大人しく引き下がると思われるのも癪で虚勢を張った。
「ここで悪戯に刃を突き立て、家族を危険に晒すほど愚かではありません。ええ、ですから後ろの方々、心配なさらずとも、あなた方の大事な団長様を傷付けるような真似はしませんとも」
「夫の顔を立ててかね? あの精霊郷もどきの時から思っていたが、お主、噂に聞く悪女にしては殊勝だの」
悪女とは、たしかコンラートの財産を奪って、皇妃になるべくライナルトをけしかけ、邪魔者だったヴィルヘルミナ皇女や実兄を北へ追いやった話だろうか。
最近は噂にひとつひとつ耳立てるのも面倒になって忘れていたけれど、確かにそんな話もあった。
ただ、ヤロスラフ王の言葉は心外だった。
「ここで私が暴れたところで隣の夫は私を責めたりはしません。私が立てているのは、コンラート伯カミルと、義息子に対してです」
「前の夫か」
「思慮深い御方でしたから、考え無しにあなたを傷つけても犠牲が増えるだけ。そんなことをやれば叱られてしまいます」
彼らがライナルトより私を警戒したのもちゃんと気付いているので、敵意はないと示すために、私の手はさっきから膝に置きっぱなしだ。武器になりそうなものからは距離を置いている。
私の言葉を聞いてライナルトが言った。
「この通り、私の妻が望まぬのだから、いまお前と事を構えるつもりはない。無論、手を出されてしまえばこちらも相応の報復を行うが……」
「儂としても、お前に我が民を害するつもりがあるのかを確認したかっただけだ。なにもやらんというなら、それでよい」
思ったよりあっさり進んだのが意外だけど、お互い敵意はないのは伝えられた。ヤロスラフ王が私達の背後に視線を送ると、あからさまな警戒は解かれたようだ。
ライナルトは背もたれに上体を預けてヤロスラフ王に話しかける。
「もう一つ尋ねたいのだが、貴様は最近、長くこちらで寝泊まりしているらしいな」
「なんでそんなことを知っとる」
「街の人間に話を聞けばすぐにわかる。『外』で仕事に行くため空席の時も多いくせに、今回は随分と長く街に残っている。年のせいもあるから、引退するのではとも案じられているらしいな」
このあたりの情報収集はシスやアヒムによるものだ。
「わしゃまだまだ現役だわい。で、それがどうした」
「貴様は本業中なのに副業の方が滞っている様子はない。誰が舵を取っている」
近況報告:「転生令嬢と数奇な人生を」コミカライズ決まりました、を更新。