112.ヤロスラフ王という人
お怒りを示すヤロスラフ王は、斧の手入れ中だったらしい。私達を連れてきたヤーシャには不思議そうな顔をしたものの、流石の洞察力と言おうか、すぐに納得したように頷く。
「なるほど。大方息子が返り討ちにあったところか?」
「いっ、いえ。ちがいます父上。私はこ、こやつらの道案内として父上の御許に……!」
「そう言うて、前も勘違いでひとりふたり駄目にしおったろうが」
「何故そのことを……っ!?」
大仰に驚くヤーシャは、きっと演技ではないのだろう。行動はバレバレだったようで、お叱りを覚悟していたようだったが、同時に真っ直ぐに尊敬の眼差しを父へ向けている。
……でも何気に流してしまいそうになったけど、ひとりふたり駄目にしたって、ろくでもないことは何度かやらかしていそうだ。
父子の会話に割り込んだのはエミールだった。
「ヤーシャさんに手伝ってくださいってお願いしたのは俺の方なんで、あんまり叱らないでもらえると嬉しいです」
「おう、坊も顔を出してくれるとは嬉しいものよ……客人がこう言っているのであれば今回は不問とするが、三度はないと知れよ。その軽率さを、お前の母親に諫めてもらわねばならん」
母親、と聞いた瞬間にヤーシャの顔色は変わり、途端に恭しい態度に変化する。
……噂だと彼のお母さんはジグムントと同じ人らしいけど、そこの関係はどうなってるのかしら、と気になる部分だ。
「は……肝に銘じますので、母上には、どうか……」
「お前次第だと言うておろうが。少しでも反省しているのなら、愚かにも虜囚となった愚かさを恥じんか」
「は、恥じると申しましても……私はどうすれば良いのか」
狼狽えるヤーシャに、呆れたようなヤロスラフ王は斧を片付ける。
「お主は案内役なのだろう。そこな教える気にもなれん無愛想を極めたような色男はともかく、坊の要望くらいは叶えてやるべきだと思うがね」
目を見張った青年は深々と頭を垂れる。ヤロスラフ王はエミールに気持ちの良い笑いを零した。
「まあ、そういうわけだ。先に面白くもない話をするでな、坊は息子と一緒にここを見回ってくるといい」
「いいんですか?」
「もちろんだ、なんだったらその辺の連中に話を聞いても良いぞ。これでも向こうにある闘技場の原型になった、歴史ある建造物だ。色々な話を聞けるだろうて」
もしこの場に魔法院のシャハナ老がいたら、この場にいられなかったことに、どれほど悔しがっただろうか。エミールも負けず劣らず表情を輝かせて、私達に振り返る。これでは姉として、危険だから待っていてねとは言えない。
「……マルティナと一緒に見て回っていらっしゃい。はしゃぎすぎて、皆さんに迷惑かけないようにね」
「はい、行ってきます!」
なにかあってもシスが隠れて視ているだろうし……まさか昼間から我を忘れて飲んだくれはしていないはず。
元気のあるエミールの返事にヤロスラフ王は満足げで、三人の姿が見えなくなるまで好好爺然とした態度を崩さなかったが、私達夫婦とニーカさんになるとコロリと態度を変えた。
「ほれ、ぼけっとつっ立っとらんで、早う座らんか」
「……では、お言葉に甘えまして……」
「ところで人の住処にくるのに、お主ら手土産のひとつも持ってきてないのか? ん?」
「ございません」
「なんだ、金持ちのくせにけち臭い。どうせなら特産の酒のひとつでも持ってこんかい」
…………こう、これまでに培われていたヤロスラフ王の印象と変わりすぎて、非常にやりにくい。私はきっと苦虫を噛みつぶしたような表情を隠せておらず、私の代わりにライナルトが切り込んだ。
「それで、ここの部屋ではお前の正体を知っている前提で話して問題ないのだろうな」
「まぁ待たんか。お主、生き急ぎすぎて面倒くさいと言われるだろう。そういうのは長生きできんぞ」
取り合おうとしないヤロスラフ王は、ゆっくりとした手つきで茶器に茶葉をたっぷり入れ、離れた場所に設置してある竃からヤカンを取った。容器から溢れるほどのお湯を注ぐとお湯を捨て、二度目に注いだお湯で人数分のお茶を用意してくれる。手つきは乱暴だが、芳醇な香りが鼻腔をくすぐってくれる。
部屋全体を見渡していたニーカさんが尋ねた。
「従者が口を挟むのは礼を失するだろうか」
「別に構わんよ、今回は王として招いたわけではない」
「では、個人的な興味でなんだが、ご老体はここに住んで長い?」
「昔からだよ。どのくらいかと聞かれたら、そこの後ろに突っ立ってる連中を拾って育てていたくらいには長い」
壁に立っていらっしゃる屈強なおじさま二人は、およそ四十前後だろうか。
あまり広いと言えない部屋の壁には熊から剥いだ毛皮、牡鹿の剥製、実用性の高い武具と野性味に溢れている。長く使っているのか、木材も色褪せた年季の入った寝台は薄い綿を詰めた布団で、これが一国の王の生活空間だと言われたら首を傾げたくなる仕様だ。
淹れられたお茶は、ヤロスラフ王みずから飲み干してみせた。
「ほれ、食え食え。ここではなかなか美味い食い物だ」
出されたお茶請けは干し肉で、出された物を食べないのは失礼にあたるからと手を伸ばしたら、固くて中々かみ切れない。香辛料が利いていても、なお獣臭さが強くてなんとも言えない味を醸し出す。
ライナルトも儀礼的に一口かみちぎると嚥下した。
「本題に移っても?」
「ほんにせっかちな男だな……いや、まあ構わん。坊のように相手をしても楽しい子ならともかく、お前と向き合っても楽しくない」
ヤロスラフ王は小指で耳の穴をほじくると、先端にこびりついた垢をふっと吐き散らす。
「儂がヤロスラフだということは、外で吹聴してくれるなよ。そんなことをされたら、まーた城に戻らねばならん。商売あがったりではこちらも困るでな」
その言い方は心底迷惑そうな響きがあって、私は驚きの声を上げた。
「つまり本当に私達のことを黙っていてくださっているのですね」
「お前達が、たかだか数名程度でこちらに来たのは確認している。呑気に遊び回る観光客のことなんぞ、いちいち吹聴したところで、街の安全は脅かされんわ」
「強気でいらっしゃる。ここで私共を殺された方が、御身にとっては都合がよろしいでしょうに」
「お前さんも棘があるの」
「故郷を焼かれた恨みは消えておりませんので」
我ながら眩いくらいの笑顔を作れたと思うが、ヤロスラフ王が怯むかは別問題だ。老人はわざとらしく肩をふるわせた。
「いまの儂は、ただ本業に勤しむ勤労な人間だというのに、オルレンドルは皇帝皇后揃って老人を苛める趣味でもあるのか」
「勤労な王とではなく老人とのたまうか」
細かく発言を拾うライナルトに、ヤロスラフ王は器用に片目を見開く。
「いまの儂は本業に戻っているからな。ゆえに、たとえばコンラート近くに砦を作ったのは何故かと聞かれても、理由など答えられんぞ。なにせ最近そちらの副業は手を付けておらんからな、作った、としか聞いとらん」
答えを先回りしてくるあたり、こちらの疑問はきちんと考えていたらしい。爆破の件を知っているのかが気になるけど、あえて問うような無謀は犯さない。だから気にするべきは、先ほどから本業・副業と言葉を使い分けている点だ。
ライナルトは軽く息をつくと、両手を組む。
「私の認識を合わせるためにも確認しておこう。お前は国王業を副業と言ったが、それは赤狼の団長であることを本業としている。そう考えているとして相違ないか」
「さっきからそう言っているだろうが。いちいち確認せねば気がすまんのか」
ヤロスラフ王の顔にはありありと面倒くさい、と書かれているようだけれど……普通は王様業を副業とは言わない。
老人は頬杖をついた。
「それで、尋ねてくるのであれば儂も聞いておくが、お主はどういうつもりでラトリアに来た」
「どうせ息子が動かずとも、独自に探らせていただろうに」
そうね。後ろの方々は私達の正体を聞いて一切動揺してないし、本業の方に探らせただろう。ヤロスラフ王は否定も肯定もしないが、文句は忘れない。
「言っておくが、儂だから放置したようなもんであって、これがヨーの若造なら騒ぎ立てるばかりだぞ。ちっとは感謝せんか」
「……ありがとうございますとでも、言っておけと?」
「そうだ。そこな皇后はわかっているではないか」
…………なんか、こう。
これが例えばオルレンドルの貴族であれば、面白い人のひと言で済ませられるのだけど……。
私は冷静さを保とうとしているが、なかなか難しい。なぜなら次から次へと繰り出される発言が、このおじいさんへの印象をクルクル変えてしまって、頭がおかしくなりそう。
ライナルトは私より恨みが少ない分、切り替えが早かった。精霊郷もどきで対峙していたヤロスラフ王とは違うと認めたのか、足を組んで堂々と告げる。
「新婚旅行」
「あん?」
「ラトリアには新婚旅行のつもりできた。問題はあるか」