11.いまはクッキーでも頬張って
「もしや陛下のお人柄に興味がある?」
「はい、いけませんか」
「いけなくはないのですが、陛下、ですか。妙な事を聞きたがるものだと思いまして」
「妙でしょうか? オルレンドルを統べる方ですから、知りたいとおもうのは当然ではありません?」
「気を悪くしないでください。あの方は魔法使い達には良く思われていない。ですから貴女に人となりに興味を持たれるとは思わなかったのです」
「ですがヴァルターさんは陛下を嫌っておりませんし……」
「なぜそうお思いに?」
「なぜですか……なんとなくですが」
半分は勘。もう半分は私の知るリューベックさんの性格を鑑みての結論だ。ライナルトの名を出す際のヴァルターには、皇帝に親しみを感じている響きがある。
「エルネスタからはどこまで話を聞きましたか」
「詳しくは聞けていません。エルネスタさん周りも関わってるんでしょうか、まずは歴史の勉強だと言ってあんまり話してくれなくて」
なにかを思い出しているのか、傍目にも口数が少なくなるから探り探りになってしまうので、エルネスタと皇帝の関係は不明なままだ。私も度々顔を合わせる商人に話を聞いているが、政治の中心的人物の話になってくると、噂以上のものは仕入れられない。その点エルネスタは魔法院の上位に食い込んでいたので、内容によっては噂の正体を正しく教えてくれる。
「己を語りたがらないのは彼女らしい」
手を止めたヴァルターにあたたかいお茶を差し出した。彼は礼を言って受け取ると、目を細めて空を見上げる。
「陛下は、ひと言で表すなら、孤独な御方だ」
面白そうにそういった。
「だがそれを寂しいとは思っていない、思うこともない」
「……強い方だとお思いになる?」
「強いというより失いのでしょう」
あくまで所感だ、と軽く笑って。
「あの方は普通の人の心にあるものが失くて当たり前なのです。言葉を伝え、誰かの手を取り、想い合い、積み重ねて進むより個々の強さを重視している。おっと、軍隊の連携といったものは欠かしませんよ。戦に大事なのは互いの背中を守り合うことですから」
「……あくまでも陛下個人のお話ですね。ええ、大丈夫、理解しております」
「そもそもあの方はなにかと対等であろうという考えがない。愛を、あるいは親愛を必要とも感じない」
さらっと愛などと口にするも、ヴァルターが声にすると違和感はなかった。
「同情、憐憫、普通の人が心を揺るがすものはあの方を満たしません。常に誓いを立てられる側であり、捧げ合いでなにかを満たそうとは思わない」
「人に求めるのは能力だけ?」
「そうなります」
軽い調子で言うではないか。その理由をヴァルターはあっけらかんと明かしてくれた。
「私の陛下に対する所感は隠してもしょうがありません。ご本人の前で述べたこともありますし、それでも近衛でいられるのは、ひとえに能力重視の御方だからだ」
「たくさん敵を作るのではないですか?」
「ですから大変ですよ。しかし同時にやり甲斐もあります」
能力重視主義はいまさら驚くまでもない。そう考えていたら、不意にこんな質問を受けた。
「もしやフィーネは陛下と顔見知りだったりはしないだろうか」
びっくりして首を横に振ったが、ヴァルターの方が訝しむ有様だ。
「なんでそんな質問をされるんですか」
「不思議だな。貴女は陛下を知っている雰囲気がしたのです。だから私も話す気になったのですが、本当に知り合いではない?」
「ありません。嘘をついているのではなくて、もしお顔を合わせたとしても、陛下は私を存じません」
「陛下『は』」
ああもう、言葉尻を捕らえてくる。
「ヴァルターさん。誓って、私が陛下を拝見したのは、この間の行進が初めてです。そもそもオルレンドルの皇帝陛下なんですから、誰だって存じているはずですよ」
知らない振りをしているつもりだけど難しい。
髪を一房掴んでみせた。
「それに、こんな髪ですもの。宮廷に一歩でも入ったら悪目立ちするに決まってます。知られずに出入りするなんて不可能でしょう?」
「……本当に?」
「本当です。たとえば陛下とお顔を合わせたとしたら、すぐにわかるはずですよ」
クッキー入りの籠を渡せば食べてくれるが、やや納得できないといった面持ちだ。
「……おや」
驚きに目を見張った様子に嬉しくなった。エルネスタは美味しければ無言で食べてくれるが、味付けには深く問わない。口に合っている様子だから味に問題ないのはわかっていても、改めて気付いてもらえるのは嬉しい。
「はい。お砂糖は入ってますけど、甘くないクッキーです」
「チーズ入りとはまた珍しい。胡椒が効いている」
「お口に合うならこちらもどうぞ、少し辛みがある実を入れてますよ。エルネスタさんはお酒のつまみにしてます」
もともと私の婚約者は甘いものを進んで食べる人じゃないから、一緒に楽しみたいなと思って、料理人のリオさんに教わったものだ。
ライナルトはもちろん、ウェイトリーさんといった大人組には好評だった。たくさん作ってしまったし、あとで大工さん達にも差し入れするつもりだ。
ヴァルターもクッキーを気に入ってくれた。
あっという間に数枚食べ終えてしまうと、料理の腕を褒めてくれる。
「エルネスタは貴女の料理を絶賛していた。見違えるほど顔色も良くなったし、食事をしっかりと摂っているのでしょう。それほどの腕前となれば、どこかで修行でも?」
「いいえ、ただの家庭料理の範囲ですから、きっとエルネスタさんのお口に合ったんです」
料理に力を入れるのは、本職の使用人さんに比べ、家事の細かいいろはが行き届かず、ゆっくりになってしまうせいもある。できる範囲で彼女に喜んでもらいたいのもあるし、エルと同じ顔をしたエルネスタが元気になっていってくれるのは嬉しい。
あとは、料理を頑張る最大の理由があるとしたら、それはライナルト。
いまの私は当主代理でも、貴族でもない、ただの家政婦。ただ“帰る”決意だけでは手がかりすらない状態で、目標でもないとやっていられない。
「美味しいですね。レクスに持って帰ってやりたいくらいだ」
「ありがとうございます」
「世辞ではありませんよ。余りがあるなら包んでもらえますか」
力を入れているために「美味しい」は最大の褒め言葉だ。
結婚式のために手入れしていた肌が荒れるのも、これからひび割れが出来ていくのも、いつかみんなを絶賛させられるのなら、いちいち悲しまずに済む。
我ながら女々しくて笑ってしまうけど、ひとりになりたがっていたあの頃に比べ、私はだいぶ欲しがりになってしまった。もう家族と離ればなれの生活は想像できないし、これからも、この先もみんなといるつもりだったから、夜を迎える度にひとりを実感する。
だから帰る手立てが見つからない以上、こうなったらとびきりの「美味しい」をもらうために、料理修業を兼ねると決めたのだ。
ヴァルターが過剰に褒めてくれるので、私もその気になってしまった。
「そうおっしゃってくれるなら喜んでお包みしますけど、まさか本当にお兄様に持っていかれるのですか?」
「食が細くて心配なくらいでして、最近は誘わねば茶菓子も口にしない。なにか新しい甘味があればと思っていたところです」
「たしかご病気がちなんでしたか」
「ええ、ですから私が兄の代わりに立つことも少なくない。兄にも私が当主をやってくれたらいいのにと、呑気に言われて大変ですよ」
クッキーは蜜蝋布で丁寧に包ませてもらったが、手渡す際も、彼はリューベックさんとは異なる対応を見せた。手に口付けをしないし、お喋りも朗らかで、話して気持ちの良い人となりだ。帰る頃には別人の認識で、私もすっかり彼に慣れてしまった。
大工さん達の手際は素早く、風呂の囲いは半分くらい出来上がっていた。まだ屋根や家の修繕を残しているが、それは大工さんが別途手を入れてくれるそうだ。
客人が帰宅した後は、エルネスタにそっと探りを入れた。
「エルネスタさん、ヴァルターさんにお薬を渡してましたけど、なにを処方されてるんですか」
「レクスの咳止め」
「咳止めをエルネスタさんがわざわざ処方されるんですか」
「咳き込みすぎるせいで喉を傷つけるから、抑えてやんないと血を吐いて見た目酷いことになるのよね」
「リューベック家にも薬師はいるはずですよね、調合できないんですか?」
「あいつは体調に波が出やすいのよ。お抱えの薬師も基本的な調合はできるけど、わたしが作る方が確実だから、酷いときは依頼されるの」
「ああ、それでリューベック家と仲良く……」
「仲良くはないわよ」
リューベック家当主は病弱であまり表に出ない人らしいが、その病名は一切不明だ。
どんな人か気になるけれど、私に縁ができるのは一体いつになることやら……などと思っていたのだけれど、転換期は急にやってくる。
宮廷からエルネスタに呼び出しが入ったのは、それからわずか数日後の出来事だ。