108.かわいそうな間者
「ねえ待って、私達はずっと付けられていたということですか!?」
「ああ」
「ああ、ではないですあなた!」
なぜそういうことを黙っているのか。たまらず詰め寄る私に、ライナルトの答えは簡潔だ。
「貴方は知ると楽しめなくなるだろう」
……うん、そういう人だ。そういう人だった!
シスもライナルトを庇うわけではないが、と言った。
「尾行がいたところで、遊ぶのは変わりないじゃん。きみ達も、デートに人がつきまとったところで慣れっこだろ」
「な、慣れてるけど、できれば言ってもらいたい」
「まあいま知ったからいいじゃん」
適当!
とはいえ、私がいくら騒ぎ立てたところで、どうにかなる人達ではない。
マルティナも喋りたいことがありそうだし、彼女を促すと、やや困惑した様子でライナルトに尋ねた。
「尾行されている方の中に、やや相応しくないと思しき方がいらっしゃるのですが、お気付きでいらっしゃいますか?」
「相応しくない、とは?」
「尾行するにはあまりに感情がむき出しと申しましょうか、不慣れな……」
「なんかきみらをずっと睨んでる、尾行ド下手くそがいるから、覚えはないかってマルティナは言いたいワケ」
「……はい、シスさんのおっしゃるとおりです」
マルティナはド下手くそ、とは言い憚った様子だが、結局認めてしまった。ライナルトは追跡者の存在には気付けても、顔までは確認していなかったらしい。マルティナの違和感を詳しく問うが、彼女もなぜか不思議そうだ。
「尾行はもう少し手慣れた者が請け負うかと思うのですが、あまりにお二人に敵意むき出しなものですから、知り合いなのかと思ってしまったくらいで……」
「すっげー睨んでたもんな」
マルティナとシスが二人して言うものだからライナルトは考えてしまったようだが、結局、心当たりはなかったらしい。ただ、彼の答えにシスは懐疑的だ。
「お前は知らない間に敵を作るのが得意だから、覚えてない、はアテにならないんだよな」
「ならば顔を確認してみるしかあるまい」
「はじめっからそうすりゃいいんだよ」
……顔を確認するってどうやって?
と、思っていたらライナルトは私を伴っての散策を再開した。
馬車を捕まえて再び都内部に戻ると、私には行きたい店に入るように伝え、私は言われたとおり思うままに店を選び見て回る。
監視されていると思うとぎこちなくなったかもしれないが、悲しいかな、シスの言うとおりだった。お付きが変わるだけで、相手は手を出してくるわけでもないし、普段と何も変わらない。
私の疲労が思ったより濃かったためか、昼休憩から間を置かずお茶屋さんに入って足を休めたが、今度はシス達も一緒の席で、ライナルトは「わかった」と告げた。
「顔を確認した。精霊郷で樽腹の随従をしていた側近だな」
「色々追いつきません」
街中でヤロスラフと声にできないから、キエムの言葉を借りて樽腹と呼んだのはわかる。でも尾行者の正体が、精霊郷で会ったヤロスラフ王の側近?
ライナルトに特徴を聞き出すと、どうも私がはじめて精霊郷の会談室を訪問した際に、敵意増し増しで当たりの強かった人物らしい。ヤロスラフ王の側近だけあってライナルトも顔は覚えていたらしく、間違いないと断言している。
たしかにあの人だったら、最初から私達に敵対的だったし、ずっと睨んでいると言われても納得だけど……。
「街中でまで、ご苦労なことですよね。四六時中あんな顔で疲れないのかしら」
「きみは連中を挑発してんのか」
シスが疑問を呈すが、心外だ。
私はあの側近の名前を知らない。ライナルトにも確認したが、彼の応えも否だ。
「樽腹は紹介しなかったし、私も聞かなかった」
「あのおじいさんに忠誠を誓っていたようですし、やはりおじいさんの差し金でしょうか」
「そのあたりはもう詳細が判明してから考えるべきだろう。いまは考えなくてもいいから、貴方は足を労るといい」
席を立つと、お店の人に追加注文を頼む気遣いまで見せてくれる。
このお店は現地語の訛りが強いから、私では上手く聞き取れない時もあって、ライナルトのように流暢に話せる人がいるのはとても助かる。今度はオルレンドルでもよく飲んでいたお茶を口に運ぶ。
……いまさらだけど、ラトリアにも当然現地の言葉が存在する。
ただ、かつてファルクラム領からオルレンドルへ移住したときと一緒だ。大陸においては、余程未開の土地でない限り、大陸共通語が行き届いている。それは各国に比べれば鎖国気味のラトリアでも変わらなかった。
多少の訛りを感じるときはあっても、私も外国語の勉強は行っていた。訛りが酷くなければ現地語でも日常会話程度は可能だし、これからも行き詰まることはなさそうだ。
懐かしい味にほっとひと息つくと宿に戻ったら、私の夫がさらなる追加情報を持ってきたのは深夜になってからだ。
この時はお酒を持ち寄り、皆で集まっていた。シスが飲みに行けないために集まった場で、シスとアヒムとニーカさんが利き酒勝負を行い、マルティナが審判を務めている。
先ほどまではヴェンデル達も一緒だったが、エミールは一人になりたいと言って、ヴェンデルは本を読むと部屋に戻ってしまった。ルカはたぶん、ふたりを見守るために消えたのだろう。
ライナルトは足を組みながら手元の紙切れを覗いており、勝負の見学がつまらなくなった私は、彼の背後から首に手を回す。
「なーに見てるんですか」
お酒の飲み比べのせいで、中々良い気分だった。
ライナルトの近くに珍しく起きてきた黎明がいて、ゆっくりと人間のお酒を嗜んでいる。美女二人に囲まれて、この人はなんて贅沢なのだろう。
「れいちゃん、お酒美味しい?」
「味はよくわかりませんが、この場の雰囲気は好きです」
「楽しんでくれてるならよかった。楽しいお酒の場は私も好き」
利き酒勝負は現在アヒムが優勢で、シスとニーカさんが手を組み始めたところだ。
黎明は時折シスを見て、少し手持ち無沙汰で寂しそうにしているので、私はライナルトから離れ、人形よろしく彼女の腕の中にすぽっと納まる。
彼女は竜だから、全体重をあずけてもびくともしないのが。例えようのない充足感が癖になりそうな中で、ライナルトは代わりに慰めようとしてきた黒鳥を片手ではね除けた。
黒鳥は……黒子犬に口でキャッチされてこちらに戻ってくる。
こころなしか落ち込む黒鳥を無視したライナルトが、手元の紙の内容を教えてくれた。
「尾行者していたあの若者、ヤロスラフの息子の一人らしい」
「はい?」
「こちらに置いている草に調べさせた」
草とは、オルレンドルがラトリアに送り込み、一般人として生活しているように装わせた間者のことだ。もちろん用語として知っているし、ライナルトが茶屋以外にもラトリアには人を置いて国状を探らせているのも覚えている。
ただ、疑問はそれ以外にあった。
「いつ調べさせたんですか……というか、いつの間に接触したんですか」
「昼間に寄った茶屋だ」
「あそこ!?」
「危険を犯す可能性があったが、知らないままにしておくよりはな。名前を調べておくよう伝えたら、会計の時にはこれを渡された」
「は、早いですね。お店の人と話し込んでたようには見えなかったし、もしかしてお知り合いだった?」
「ファルクラム時代に私が送り込んだ者だ。いまではうまく地元に溶け込んでくれている」
見せられた紙切れには、小文字でびっしりと文字が入っている。
あの敵意むき出しだった側近の人、会計の時点で相手の正体が判明する程度には有名人だったのはともかく……。
間者さん、まさかの主君の登場に、さぞびっくりしたんじゃないかしら、と心配が先に立ってしまったのだった。