107.皇帝夫妻のお忍び逢瀬
国の違いで面白いな、と感じたのはお茶屋さんひとつにしてもお国柄が出るということ。
街並みを見ていて特に思うのはお茶を主に出す軽食店。
ファルクラム領やオルレンドルでもちょっとお茶をするために店に入ることはあるけど、両国で人気なのは街路に面した外の席だ。二階席から街並みを見下ろせる店なんかは特に人気を博しているけれど、ラトリアのドーリスでは、特にこういった店は屋内がほとんどで、外の席は外国の人にしか人気がない。
これには私のみならず皆に不人気だった。
店内に飾り気はないし、はじめはお日様を浴びながらお茶をしたほうが日光浴もできて楽しいとおもったのだけど、ドーリスではこれが正反対。
まず基本的に内乱が発生し、その後もいくらか小競り合いが続くから、時によっては喧嘩が絶えず、場合によっては命の奪い合いに発展する。
身を守る意味でも安全を保証する店内の方が皆安心するらしく、従って普段はともかく、出入り口はガチガチに閉じられる仕様になっている。
次にラトリアの人々は、お茶をするとなったら、基本は外ではなく自宅に人を招く。
私がここのお茶が美味しいと思ったように、それぞれの家庭に拘りがあり、また互いの信頼関係を示す意味でも軽食店を利用する人は少ないそうだ。その分、居間は飾り付けて派手にしている場合が多い。
それでも外の習慣が入ってくるから、多少はお茶屋さんは広がってはいるものの、そういった店を利用するのは、大半が外国人観光客になる。
私は休憩のために立ち寄った狭いお店で、すっぱめのお茶の最後の一口を飲み干した。
かなり慣れない味だけど、これが女性の美容にいいらしい。
ただ、予想より酸味が強い。檸檬ほどではないにしても、その酸っぱさについ目を閉じ口をすぼめてしまい、その姿にライナルトが多少呆れていた。
「だから蜂蜜なり入れろといったものを」
「だってそのまま飲むのがお勧めだって言われたら、甘くするのは邪道かなって思っちゃうじゃない」
彼が小さな欠片を二つに裂き、私の口に押し込んでくるのは、赤い花びらが混じった飴菓子だ。これは彼の頼んだお茶にオマケでついてきていた。かなり独特な香料が効いていてさっぱりして美味しいけれど、ライナルトは苦手らしい。
どうもラトリア料理は、食事系がライナルトで、甘味系は私の口に合っている。
飴といっても噛めば簡単にほどける軽さで、ライナルトのお皿にだけオマケをつけてくれた女性の考えは正しかった。でも奥さんを前にして積極的に迫るのは如何なものかと思います。ライナルトが目にもくれないので良かったけど。
口直しが終わったところで立ち上がると、お会計を済ませて店の外に出て、目的地までの距離を測った。
「意外と遠いですね」
「馬車を捕まえるか?」
「せっかくの観光なんだから、さっと見て終わらせるだけなんてつまらないでしょ。もうちょっとだけ歩かせて」
無言で差し出された腕に手を掛けて歩き出す私たちだけど、後ろからはシスとマルティナが付いてきている。彼らは極力距離を取ってくれているので、二人だけの時間の空気は守られ、新婚旅行をしたいとの私の要望を忠実に叶えてくれているのだった。
いまは朝から外を歩き、肉と野菜をくるんだ包み焼きを堪能し、散策している最中。この後は港へ向かうので、途中で馬車を拾う予定だ。
あまり観光客がいないのか、外国人の私たちは少し目立つけど、危険な場所は行かないので大丈夫なはずだ。ライナルトはお店に目もくれないけれど、私は雑貨などに興味津々なので、店が開かれていると簡単に目を奪われる。
すでにちょっとした髪留めを数点購入し、同じくお店で購入した小鞄に入れながら持ち歩いていると、ファルクラム領時代や、エルネスタ家での家政婦生活を思いだす。私たちが観光客なのは店の人にバレバレなのもあって、たまに宿泊先を訊ねられるけど、安全のために都度話を誤魔化していた。
街を歩いていると、小声でライナルトが感想を漏らす。
「まったく、人の妻に手を出そうとする輩が多い」
「手って言うけど、私はおばちゃんと話をしているだけで、あなたのほうが異性から声をかけられ過ぎだと思う」
「いや…………それより、街のあちこちに消火設備が備わっている。ああいう設備はオルレンドルでも真似をしていいかもしれんな」
「火事が起きると簡単に広がってしまうし、消火設備は良いかもね」
さっきの間はなにかしら。
和やかな夫婦の会話に浸りつつ、無理をしないで途中で馬車を拾い、念願の港へと移動する。そこで目撃したのは、オルレンドルとは比べものにならないほど立派な漁港と、活気溢れる店の数々だ。
海の近く特有の潮の匂いが全体を占める中で、まず目撃したのは、港へ直接買い付けに来た人々で賑わうお店や競りだ。新鮮な魚が積み下ろされながらも漁師たちの力強い声が響き、活気ある朝の風景が広がっている。
漁以外にも貿易を主とした船が停泊しており、無秩序な美しさが際立ち、岸壁には多くの大型船が停泊している。船からは屈強な船乗りが行き交って、それぞれが目的地に向けての準備をしていた。
船乗り達の格好に、私はつい夫の腕を引く。
「ねえねえライナルト、思ったよりラトリアって他国との貿易が盛んなんですね」
「オルレンドルやヨーよりも交易しているようだな」
「お店でも魚介類の生食が多かったかも。新鮮だからって思ってたけど、生食が盛んなのは、そっち側の影響なのかしら……って、そんな嫌な顔しなくても……」
「生は勧めたくない」
「新鮮なものは大丈夫ですってばー」
基本的に生ものにいい思い出がないようで、とにかく生食を回避したがる夫。
なお、私のいくつかめの目標として、ラトリアではお刺身を食べるのが目標だ。密かにシスに良いお店を探してもらっている最中である。
港には土産店といった店はない。
ただ実用的な設備や店が備わっているだけなのだけど、今回は特に面白いものを見られた。
海軍だ。
少し離れ区画だけど、遠くから十数の船が出港して行くのを目撃した。
近隣に停泊している船と違い、飾り立てた国旗や、立派な造りもほぼ同じで、
話を聞けばラトリアの海軍だそうで、元々海の違法行為を取り締まる意味で海軍は備わっていたものの、特に数年前から海路に力を入れるようになったという。
軍は専用の港を持っている。
一般市民は立ち入り禁止なので間近で見学は叶わないが、ライナルトは船が見える間は、ずっとその光景を目で追っていた。
漁港は観光客向けには作られていない。
見学できるものは少なく、評判のたっぷり貝のスープとパンを食べてから街に戻ろうとなったのだけど、入った店でいざスープが出てくると、彼は真顔になった。
スープを一口飲むなり、よく噛みもせず具材を呑み込んでしまうのだ。
お店を出てから、私は彼に尋ねた。
「貝のスープ、お嫌いでした?」
「嫌いではないが、得意でもないと知った」
私は魚介の風味が贅沢に盛り込まれて大満足だった……のだけど、彼の口には合わなかったらしい。
そういえばオルレンドルって、港があって魚介類は流通していても、貝を贅沢に使ったスープは滅多になかったかもしれない。食べるのも七割肉類だし、残り三割は白身魚。やっぱり貝類は人気がない。
私の感想としては貝類がほとんどで、香草で余計な味を加えられてないのが逆に食べやすかった。魚も臭みがなくすべてが新鮮で、満足といって差し支えない。
いつの間にか距離をつめていたシスとマルティナも感想を述べていた。
「僕は美味かったけど、マルティナは駄目だったな。おかげでもらえたからよかったけどね」
「不慣れな味で……」
魚介料理はしょっちゅう出回るわけではないし、味の好みは育った環境が関係しているだろう。けれど余程でなければ離れている、と言った二人がそばに来た理由は不明だ。不思議に思っていたら、シスが親指を立てる仕草を作りながら後ろを差し、ライナルトに尋ねた。
「ま、念のための確認さ。きみたちを付けてくるヤツもいるし、一応このまま継続するかいって確認しに来ただけ」
「みたところ手を出してくる様子はなかった。私としては継続したいが、問題でもあったか」
「いや、マルティナが気にしてさ~……」
待って待って待ってどういうこと。