106.絶対に成功させる覚悟
濡れ衣を着せてくるアヒムにライナルトが重々しく咎める。
「気持ちはわかる。だが、今回のカレンは本当になにもしていないのだろう。キルステンを甘く見ていた我らの失態だ」
ん?
クソ、と口汚く呟きながらアヒムは片手で頭を抱える。
「直前までは大人しくしてたのに、突然面白そうだからってひとりでふらっと消えちまいやがった瞬間に……」
「常時目を離さずにいるべきだったな。とはいえ、予期できたものではない。カレンが動けぬからと私も留守にしていたからな」
お待ちになって旦那様?
そこは私には一切責任はないと庇う場面であって、あたかも私にもすこーしだけ問題はある、みたいにおっしゃるのは違うのではありません?
悔しそうな幼馴染みと、難しげな表情で腕を組む夫に、私は自然と冷たい視線になって行く。
ここまで言われて黙っていられますか。
「あのですね、二人揃ってやたら私を疑っていたようですけど、私はあなた方の言うとおり部屋で大人しくしていたんです。むしろ被害者といっても差し支えありません。というか私だって吃驚したんだから、その扱いはどうかと思うの!」
事の始まりも原因は星の使い、もとい星穹だったとはいえ、ライナルトの眠りがきっかけなのだから巻き込まれた側に他ならない。
一切無実であると主張できるので、自信満々に胸を張って言える。
「ですので! この機会に私に対する偏見を改めてください!」
「へーへー悪かった悪かった」
「アヒム!」
心が籠もってないにも程がある!
叱ろうにも全然反省してないし、ライナルトにいたってはまるで謝る気がなく、思考は殆どをヤロスラフ王に向け、アヒムにも確認を取った。
「エミールは姉夫婦とドーリスに来たのだと話していたのだな」
「おうよ。そりゃもう、色々打ち解けてたからな」
詳しく聞くと、あのご老体はエミールを取り囲む荒くれ者たちを腕一本で黙らせてしまったらしい。おまけに腕利きの傭兵といった格好からは予想もつかぬほど博識で、あの子がラトリアの歴史に興味があると知ると喜んで街の歴史を教え、地元の人しかいけない教会も案内してくれたそうだ。
アヒムの語るヤロスラフ王は、あまりにも気の良いお爺さんだ。アヒムの心象も似たようなもので、未だに信じがたいといった様子で首を捻っている。
「顔は悪人面だし、はじめこそ何か騙してるんじゃねえかとは思ったが、実際はただの気の良い爺だったからなぁ……」
「街の人間はどんな反応だった」
「そらごく普通さ。ヤロスラフ王……ならぬヤヌシュ爺さんは知り合いも多くて、すごいところは歩いてるだけで話しかけられる。今回見せてもらった教会も、爺さんの一声で司祭が入れてくれたようなもんだ」
随分と慕われている様子。アヒムの所感では、街の人が老人を自国の王だと気付いている様子はなかった。精霊郷で会ったヤロスラフ王は如何にも王様、といった装束を身に纏う居丈高な人物だったけど、ヤヌシュはたっぷりの白鬚が消え失せ、髪もすっきり纏めて別人になっていたけど……。
アヒムは身を震わせ、自らの肩をさすった。
「こうなったからにゃ宿を変えるのも手かもしれん。いまからカレンとヴェンデルだけでも移すか?」
「ヤロスラフがその気なら、とっくに押しかけていてもおかしくあるまい」
「んじゃ、現状維持?」
「どのみち二手に分かれたところで、ここはやつの国だ。いまさら宿を変えたところで、どうにかなるとは思えん」
私も離れるのは嫌だし、仮にそんな提案されても断ってたけどね。
ただ、ライナルトとしてはこの状態に甘んじているつもりはないらしい。ヤロスラフ王に会ってみたい、と呟いた。
「そのつもりだが、一応あれとは私も顔を合わせておきたい」
「正気かよ」
「カレンを疑うわけではないが、直接見ておかねば気が済まん質なのでな」
ただ、このまま真正面から行くつもりはないらしい。ひとまず情報収集を行う必要があると考え、ヤヌシュの正体を大人組と共有した。ご老体の正体はさしものニーカさんも困惑を隠さなかったけど、彼女が一番立ち直りも早く、なぜかライナルトを意味深に見た。
「よく考えたら前帝陛下もお忍びで街に降りてたし、そっちの皇帝陛下もな……婚約者殿と揃って抜け出してたから驚くほどでもないぞ」
「私とカールを同じ扱いか?」
「まさか、王様業全員を平等に扱ってる」
「私はヤロスラフほど徹底はしていないつもりだがな。なにせ、話ではならず者集団の長なのだろう。であれば、相当長い期間二つの顔を使い分けていたはずだ」
その辺りを探るためにも、なのかもしれない。
話し合いが終わる頃には解散となるけれど、私の気分は晴れない。椅子から動かない私の肩をライナルトが寄せた。
「それで、なにが気になっている」
「気になっているんじゃありません。落ち込んでるんです」
「何に対して」
「あなたが私が何かしでかすんじゃないかって疑ってることと、せっかくの旅行がまたおかしくなりそうなこと!」
時期を見て三国会談に挑まなければならないから、すべて平和で終わるとは思っていなかったけど、もう少し穏便に進むと思っていた。だけど自分の楽しみを優先してヤロスラフ王を放っておくのは、私だって心穏やかでいられない。だからいま、この場所以外で感情を発散させはしない。ここでだけ、ライナルトの前でだけ思いっきり怒るのだ。
ああもう、我ながらなんて面倒くさい!
クッションを抱き込み、鼻から下をぎゅうっと押しつける。
「……愚痴をいうのはここだけだから、いいでしょ」
「元から何も言っていない」
「煩わしいとは思ったくせに」
「思うが、それを愛おしいと思うならまた別だろう」
「やっぱり思ってたぁ……」
わかってましたけどー!
膝枕を申しつけ、不貞腐れる私の頭を夫が撫でる。
「だがそう悲観するものでもない」
「根拠」
「ヤロスラフに会うつもりではいるが、その前の調査については私は出向くつもりはない」
理由は言わずもがな……彼は目立つからだ。
律儀にも今日の散策、ニーカさんがいるにもかかわらず、あちこち女性から仕掛けられたと報告してくれる。ここは、普通の奥さんだったらキィ……とハンカチでも咥える場面だろうか。ただ、この点に関しては予想していた事態と言おうか、淡々と語る様子からも何もなかったのは想像に容易く、深いため息だけに留めておいた。
「色男らしい理由ですこと」
「妬いてはくれんか。まあ、従って支度が整うまで私と貴方はいつも通りだ」
「まだ安心してません。ヤロスラフ王が何もしないって確証はないと思うけど、そこはどうするの」
「現時点で何も仕掛けてきていない。ならばあれにも相応の理由があって黙っているのだろう。脅威とすら思っていないのなら、それはそれで構わん」
こうまで言うので、もうしばらく平穏は守られるらしい。
彼は私の落ち着きを見計らって、額に手を当てる。
「それよりも興奮したせいで、また熱が高くなっている」
「休めば落ち着きます。明日からは私も一緒に出かけますから、治しておかなきゃいけないし……遊びに行くの禁止とか、絶対言わせませんよ」
髪を撫でる指が止まったのを見計らって体の向きを変える。
ライナルトを見上げながら顎を人さし指で押す。
「今日、ヴェンデルが良い感じのお茶屋さんを見つけたんですって。それと美味しそうな包み焼き屋さんに、珍しい香草売りさん。あとはオルレンドルよりも立派だって噂の港に、銀鉱山と商い通り!」
「一日では廻りきれないぞ」
「もちろん、数日かけて行くんです」
ヤロスラフ王とあんな形で会ってしまった以上、観光時間がどれだけ残されているのかがわからない。思い出作りを欠かさないために、行きたいところは全部巡らせてもらう。
時間勝負の特急ラトリア観光の始まりだ。
転生令嬢と数奇な人生を-希望の階-のオーディブル4巻が配信されました。
近況報告行進と合わせて感想を綴っています。