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103.ラトリア観光に行こう

 私が部屋に入るなり、真っ先に向かったのはテラスだ。

 見上げた王城の塔は空に向かってそびえ立ち、その存在感はひときわ際立っている。教会から鳴り響く鐘の音は、まるで違う世界に迷い込んだかのような幻想的な雰囲気が漂っていた。


「すごい、本当に違う国に来たのね」

「街中まで攻めにくそうとは徹底している」


 同じ景色を共有しているはずなのに、私と彼が考えるものは違う。新婚旅行なのに雰囲気はぶち壊しだけど、ここで彼が感動に目を輝かせるのもきっと不気味だ。

 少し離れた部屋からは同じようにヴェンデルが顔を出し、熱心に聖堂街を見つめている。 

 ラトリアの人々にとっては馴染み深い景色でも、外国人の私にとってはすべてが目新しいもので、この景色が永遠に記憶に残り続けることは間違いない。


「カレンはどこを見て回ってみたい?」

「あら、私の行きたいところでいいんですか。あなたはてっきり街を見回る必要があるとか言い出しそうなのに」

「そちらは慌てる必要はないし、私は目立つから、情報収集はシスに任せている」

「彼は何で買収したんです?」

「冬までの生活費だ」


 ……コンラートの負担が軽くなるから良いかも。

 でも、私の行きたいところと改めて言われても悩む。

 もちろん観光候補はたくさんあるのだけど、ラトリアはその時の状勢によって入れる場所が変わると聞いていたから、入ってから決めるつもりだったのだ。


「闘技場と教会は絶対行くと決めてたけど、あとはおいしい食事を出してくれるところかしら。ライナルトは食べたいものとかあります?」

「私にそれを聞くか?」

「ないの?」

「兎の煮込み」

「…………帰ったらとびっきりの、作りますね!」


 陽が高いうちに宿に入ったものの、この日出向いたのは近場の食堂だけ。

 なんだかんだで旅を続けていた私達は疲れが溜まっていたし、ふかふかの布団の誘惑には逆らえない。日数はたっぷりあるから、初のラトリア食に舌鼓を打つに留めたのである。

 初めてのラトリア料理は冒険をせず、数少ない観光客向けの店に決めたのだが、その種類は多彩だった。

 豆をすりつぶしたムースに、平たいパンや海鮮のスープ、魚の包み焼き。牛乳を発酵させた凝乳、いわゆるヨーグルトに香草をたっぷり混ぜて肉団子を和えたもの。いずれも外国人向けの味付けになっているらしいけど、味はかなり独特。包み焼きは魚が新鮮なおかげで身だけはおいしいけれど、香草の癖が強すぎるし、肉団子は変に酸味が際立って慣れていないと食べられない。

 全体的に臭み取りなんて概念がなさそうだ。

 観光客向けでこれだから地元民向けとはいかほどなのか。

 ラトリア初日から私たち姉弟やヴェンデルはフォークを持つ手を止めてしまった。

 私は肉団子の香草……雑草のようなソースに、平静を装うのが精一杯になっている。


「……ねえヴェンデル、ラトリアの名物って、他になにがあったんだっけ」

「生魚の塩漬けかな……そのままパンに挟んで食べるんだって……」

「食べられる自信ある?」

「ない……エミールは?」

「聞かないでくれ」


 平然と食べているのはお馴染み軍人組で、可もなく不可もなく、で淡々と食べるのがアヒムとマルティナにルカ。シスはこの味でも美味しくいただけるらしく、彼の食べっぷりはお店の人にも好評だ。

 そして料理とは正反対に、美味しいのはお茶と菓子。

 デザートはたっぷりの糸状の生地でチーズを挟み、カリカリに焼き上げたものに熱々のシロップをかけたものだけど、しょっぱいと甘いが合わさってお茶が進む。

 私たちの様子にアヒムが鼻の頭を掻いた。


「おれ達はこれでも平気だが、三人がこの調子じゃなあ……まともに食べられる店を探しておくか」

「そのあたりは僕に任しときなよ。食べ歩きなら得意だからね」

「ワタシもワタシも」

「ほどほどにしとけ、と言いたいが……しょうがねえ、任せた」


 食事に関してはシス達に期待しよう。

 宿でたっぷりの休息を取った翌日には教会のある聖堂街へ出向いた。いまのラトリアは王制のみで統一されているけど、かつては教会も絶大な権威を持っていた。その影響たるや政にも絡むほどだったものの、その勢いを削いだのが若きヤロスラフ三世だ。

 当時は教会の根幹が腐っていたらしく、民を苦しめる教会に少年が正義の鉄槌を下し、教会の最高司祭達は火あぶりに処された。この国は教会の干渉を受け付けない完全王制へと移行し、正しい流れを取り戻した……というのがラトリアに伝わる一般的なお話だ。

 ただ、これらはラトリア人を身内に持つ人達に言われると、少し違う。

 聖堂内のステンドグラスを見上げながらニーカさんが教えてくれた。


「教会が猛威を振るってたのは事実だけど、当時は教会を斃さなきゃ、ヤロスラフ三世は玉座を得られなかったって私は聞いてますね」


 彼女のお爺さんが詳しいのは、この内乱で国を追われたせいだという。


「真実はわかりませんよ。いまでもヤロスラフ王の悪口をずっと言ってるくらい根に持ってるから、偏見が入ってそうだし」


 宗教を迫害したのはオルレンドルと同じでも、こちらは苛烈な迫害は行わなかったらしい。ただ教会の活動を大幅に制限したせいで、これが後々までの内乱の原因となる。


「その何回目かの内乱で、とばっちりを食らったのがおれのお袋です」


 アヒムが挙手。マルティナも密かに同意を示す。


「人々の教会への信仰は根深かった。数十年に一度は争いが起こるせいで衝突が起こり、国を追われた人が生まれてしまう。わたくしの両親もそれで傭兵になったと聞いています」

「それでもなんだかんだで全部綺麗に治めてるし、玉座に在り続けるあたりはヤロスラフ王も有能なんだよなー」

「軍隊がとにかくお強いですからね」

「ただ国の拡張計画が進むたびに、内乱でぽしゃって行く感じだな」


 ヤロスラフ三世は民から信仰を奪わなかった。そのためいまも教会には人が出入りして、熱心に祈りを捧げている。

 教会の象徴である双子月を象った首飾りを握り、祈りを捧げる姿はまさに敬虔な信者で、彼らを目の当たりにしたライナルトは、理解できないものを観察する目になっている。前は制限されるかも、と思っていたけど、この姿を鑑みるに、オルレンドルの宗教家達の未来は潰えたかもしれない。

 教会観光を終えると広場を見渡す。

 円状になった噴水広場は、古いながらも建物同様に荘厳な雰囲気を保っている。設置されたベンチには人々が寄り添っているから、憩いの場として成り立っているのだろう。


「見てみて、エミール。聖堂街は教会だけじゃなくて、あちこちに色硝子を使った建物があるの、珍しいと思わない?」

「俺は教会自体をはじめて見るから、なにもかも珍しいです。ファルクラムやオルレンドルにあったらさぞ見応えがあっただろうに残念ですね」


 オルレンドルの宮廷には唯一カール帝が建てた教会があったけど、あれはライナルトが文官の反対を押し切って壊してしまったから……。

 改めて建物を観察するけれど、その建築模様は素晴らしくとも、やはりあの渓谷でみた橋を建造できる技術を有しているとは思えない。

 ライナルト達が街並みに興味を示す合間、マルティナと一緒に広間を廻っていると、子連れの女性達に話しかけられた。

 彼女達はにこやかに子供に指示を行い、持っていた花を一輪、私へ差し出させる。


「よかったらどうぞ。こちらでは見ない顔だけど、外国からのお客さま?」

 

 マルティナは私に花を受け取らせなかった。

 さっと私の背中を押して女性達に背を向けたのである。


「連れと一緒に行動していますからお断りします。それでは」


 断った途端、女性が零したのは舌打ちだ。

 驚く暇もない。足早に皆の元へ向かっているとマルティナが教えてくれた。

 あれは花を受け取ったが最後、無理やり観光ガイドとして自らを雇わせる常套手段なのだそう。


「あちこちに外国人を狙って案内を申し出る観光詐欺が存在します。教会前ならまだ大丈夫かと思いましたが、この様子では期待しない方が良いですね」

「この分だと、闘技場も問題かしら」

「あちらはスリが多いそうです。窃盗団らしいと噂ですから、カレン様は絶対に一人行動をしてはなりませんよ」

「マルティナ、かなり詳しくない?」

「……いざラトリアに行くとなると不安でしたので、父母の知り合いから首都の話を聞いてきました」


 ……恥ずかしげに顔を赤らめる彼女は、なんて頼りになる秘書官だろう。そして浮かれていたとはいえ、詐欺にまるで気付けなかった自分は情けない。

 後から聞けばヴェンデル達も同じような被害に遭いかけ、アヒムによってけんもほろろに追い返されていた。シスは逆に相手を口説いて夜飲みの約束を取り付けたと自慢したけど、私は翌日に財布をすっからかんにする彼の未来を見てしまう。

 それはマルティナも同じだったらしく、彼女は皆に厳重注意を行った。


「この首都ドーリスでは例えば皆さまがスリに遭ったり、強盗に遭っても、基本的に兵は頼れないと思ってくださいまし。彼らは外国人には親切ではないのです」

「えー」

「シス様は、えー、ではありません。貴方様が財布を盗まれるのは問題ありませんが、美人局で難癖をつけられては、皆さまに被害が広がります。アヒムさんだけでしたら対処も慣れているでしょうけど……」

「いや、おれだって無理だわ。っつうかおれなら良い、みたいに聞こえるのはどういうことだマルティナ。おい」


 突っ込むけれど無視されるアヒム。

 マルティナは構わずシスに力説した。


「子供達に迷惑をかけてはなりません。せっかくの旅行が台無しになってしまいますから、出かける場所はくれぐれも注意してくださいまし」

「……夜の酒場くらいはいいだろ?」

「止めはしませんが、賭場は自重ください。彼らはオルレンドル人より短気ですから、身内となれば子供でも遠慮なく取り立てます」

「人が負けるみたいに……」

「勝てるのですか?」


 にらみ合いの行く末は、マルティナの勝利だ。


「…………ちっ。しょうがないにゃー」


 優秀な秘書官により、ドーリス滞在における私達の平穏が守られた。



活動報告更新しました。

内容は2巻原稿進捗と悪女呪い1章完結についてです。

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にゃー
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