10.それは望郷のまなざし
本から選び取った名前だから思い入れはなくて、エルネスタが省略してくれるのなら、親しみが持てそうな気がする。
けれどもあっさり了承してしまった私にヴァルターは不安を覚えたらしい。
「エルネスタ、貴女は相手の立場が弱いのをいいことに好き勝手していないだろうか」
「失敬な。この子、こんなんだけど図太いしずけずけ物言うわよ。見た目に騙されてるんじゃないわ。これだから男ってヤツは」
「フィーニス、いやフィーネ。貴女も無理難題を押しつけられた時はしっかりと断るように。気紛れな彼女の言うことを真に受けていたら、身が持たないのは確実です」
「大丈夫ですよ。エルネスタさん、根っこは優しい人ですから」
「ほらご覧なさい。あふれ出るわたしのこの慈愛の心は万人に通じるのよ。それにわたしはちゃーんとこの子の着替えや布団だって用意してあげたんですからね」
勝った、と言わんばかりのエルネスタに胡乱げなヴァルターだ。
私もちゃんと雇い主のために捕捉した。
「誤解されそうだなあってときはたくさんありますけど、でもいい人です」
「は? 今日の飯やんないわよ」
「作るの私ですもの」
このやりとりにヴァルターは一応の納得を見せてくれたが、心配事は他にもあるらしかった。
「珍しく世話を焼いているのはわかったが、なら弟子部屋の暖房はどうにかしたのかな」
「なんでそんなことまであんたが突っ込むのよ」
「何番目かの弟子が泣きながら訴えたのを覚えている。せめて火鉢なり置いてあげてはと……」
「置いたけど壊れたのよ」
「貴女が癇癪を起こして、だろう。新しいのを用意してあげてはどうかな。いくら魔法があっても、この小屋では雪が積もっては満足に冬は越せない」
「重いから嫌。そのときになったら考えるわ」
このあたりで私は薬が完全に効き目を現した。彼らは仕事の話、わたしは退散してお別れとなったが、彼は私が予想するより、かなりいい人だった。
後日になって、私服の彼が持ってきたのは大型の火鉢に、炭やお布団だ。エルネスタから話を聞き、この間の購入分では足りないと判断したらしい。おまけで絨毯まで融通してくれた。
「いくらか冬用の服も持ってきました。すべて古着で申し訳ないが……」
「充分です充分です、ありがとうございます!」
新品だと遠慮されるのも考えたのか、使用人の娘さんが使っていた服もあって、おかげで服に変化が生まれた。
さらに驚いたのは、お風呂場改修のために大工さん達を連れてきてくれたこと。
この家の風呂が、ほぼ野ざらしなのは以前も述べた通りだ。
裏手には木製の簡素な屋根があって、その真下に穴を掘っただけ温泉と、木の板を置いただけの洗い場がある。溢れる温泉は下を通る小川に流れる仕組みだ。お湯はちょっと熱いくらいで、これは入る前に、厨房の湧き水を足して調整する。
設備はそれだけで、お風呂には囲いもない。せめて着替え場を作ろうと試みたが、私の大工の腕ではお察しだ。布を張ろうとしても風通りが良いせいで、すぐに飛んでいってしまう。
従ってお風呂は、わけもない羞恥心との戦いだ。
これに彼は手を加えた。
大工たちの仕事を眺めながらエルネスタが腕組みをする。
「わたしのときは何もしなかったくせに、若い娘が来た途端にこれはひどい贔屓だわ」
「レクスが貴女に人の世話がまともにできるはずがないと言っていまして。どうせ抜けているところばかりだから、この機会に細々と手を入れてこいと命じられました」
「蹴ってやろうかしらあの優男」
けっ、と悪態を吐くエルネスタ。
「女性二人の家の風呂に囲いもないのはと気にしていましてね。それに贔屓と言われるが、レクスが訪ねた折、たまりかねて改築を申し出たのに一蹴したのを忘れてしまいましたか」
「……そんなことあったかしら」
「これから隙間風も身に染みるでしょう。炭の貯蓄の少なさも指摘すれば口煩いと逃げられました」
「…………そーだったかしら」
「いまなら不便さも思い知ったろうから受け入れるだろうと言ってましてね」
思い当たる節があるのか、ぎりぃ、と歯を食いしばるエルネスタ。
「貴女一人であれば覗きに来る命知らずもいないだろうが、若い女性が増えてしまえば別だ。例えば貴女が留守をしてしまったときはどうしますか」
「周りに警戒はかけてるわよ?」
「感知だけでしょう。覗かれてからでは遅い」
これにとうとうエルネスタが折れた。
「わかった、わかったわよ好きになさい。ただし改修したのはそっちだからね、金は出さないわよ!」
「貴女に支払いは期待していません。リューベックが責任をもってあたるのでご心配なく」
こうして我が家のお風呂場は囲いと脱衣所が設けられ、かなりましなものになった。ついでに厨房も豪雪では使い物にならなくなると、家から繋がる屋根を増築してくれるみたいだ。
「はー……わたしは頼まれた仕事に戻るわ。フィーネ、こいつの相手は任せた」
エルネスタは家に引っ込み、ヴァルターは監督役としてしばらく残る。切り株に座って始めたのは剣磨きなのだが、手持ち無沙汰な私は彼とお話しすることにした。
エルネスタは基本、仕事内容を私に見せたがらないのだ。だから作業場になる居間にはいられない。自室にいても考え事ばかりで気が滅入るし、だったら夕方になる前に芋の皮を剥き、もらったシャツを改修する方が賢明だ。
それにどことなくヴァルターは私と話したがっている感じがある。
ちくちくと針を動かしながらお喋りだ。
「私のためだけではないとおっしゃいますが、ここまでしていただいたのにお返しできるものがなにもありません」
「兄は見返りを期待しているのではありませんよ。それにエルネスタから聞きましたが、貴女はオルレンドルに身寄りがないと聞いている」
黒犬がとことこやってきて傍らに落ち着くと、黒鳥も混ざって寝転びだす。
変な気持ちだ。この子はリューベックさんを喰ったはずなのに、平然と怠惰を貪っている。
「エルネスタにはまだ関わるなと言われたが、貴女に私の相手を任せたと言うことは、少しは聞いても良いのでしょう。なにかこれだという確かな記憶はありませんか」
「たしかなものはこれって記憶はありますけど、その人が実在する自信がありません」
「その方の名前はわかりますか」
「いいえ、残念ながら……」
「……大事な方だと思いますか?」
「だと、思います。すごく会いたいと思っていますから」
状況は把握していても、迂闊にライナルトや皆の名前を声にしては頭のおかしい人扱いだ。なにより寂しさが時折襲ってくるので、うっかり泣いたら取り返しがつかない。
……帰りたいなぁ。
「となれば、やはり見つけて差し上げたいが……」
「ありがとうございます。ですけど、まだエルネスタさんから情勢を教わっている最中で、どこにいっても迷いやすい状況です。まずは足元を整え、それから考えようかと思っています」
「しっかりしていますね。ですが無茶をされないのならよかった」
元の世界に帰る方法とか、いま現在の『箱』がどうなっているかとか。
聞き込みをするにも基礎情報がないとグノーディアに入っても意味がない。下手な口を開いて御用になっては対策もとれなくなる。
それに、私が目覚めた場所。石棺だったのが不思議だけど、間違いなく精霊が絡んでいる。まるで木乃伊だった黒髪の少女は『宵闇』のはずだ。
「ヴァルターさんってエルネスタさんとはいつからお知り合いなんですか」
「気になりますか?」
「はい、エルネスタさんの態度がすごく砕けてますし、仲良しみたいなので」
「彼女が素直でないのは承知していますが、仲が良い……?」
「心を許しているようにみえます」
「私というよりは、彼女はレクスを信用しているのです。私は魔法使いをよく思わないライナルト陛下の近衛です。立場上彼女達に賛同できないことも多々あります」
「それならレクス様は違うとヴァルターさんはおっしゃる?」
クスッと笑われたのは、私が彼の兄を知らなすぎたせいだ。この様子からもレクス・ローラント・リューベックは相当な有名人なのである。
「兄は以前より魔法院と懇意なのです。陛下は魔法をお好みにならないが、彼は魔法や人智を超えた力も、すべては人の意志と使いようだと唱えています」
「陛下とは……」
「考えが異なるやもしれませんね」
そんな人が次期宰相の地位を守り続けているのが不思議でいたら苦笑されてしまった。
「本来であれば排斥されていても仕方ないのやもしれませんが、兄は群を抜いて優れています。いかな陛下といえど兄を追い立てれば大変なことになるでしょう」
モーリッツさんが謹慎中だから、ヴァルターのお兄さんが優秀となれば、なおさら代理となれそうな人がいないのかもしれない。
「すみません、物を知らなくて」
「謝る必要はありません。恥ずべきは無知を振りかざし人をあざ笑う者であって、知らぬこと自体は罪ではない。貴女はしっかりと学ぼうとしているではありませんか」
「ありがとうございます」
「それにこうしてレクスの事を聞いてもらえるのは新鮮で嬉しい」
「お話ぶりだけでも素晴らしい方だと伝わってきます」
「本当に素晴らしい人ですよ。私などとは大違いの人格者だ」
「ヴァルターさんも充分すごい人だと思いますが……」
ヴァルターの瞳は刃に向いていたが、こころなしか、一瞬だけ私の知るリューベックさんの面影を見出した。
「ヴァルターさんは近衛騎士隊長なんですよね。この間もうちにいらしてましたけど、お忙しくはないんですか」
「私がいないからと成り立たない組織ではありません。それに少々、最近の私は暇ですからね」
「暇?」
…………あっ。
「すみません、まさかまた失礼を働い――」
「ご心配なく、この髪は違います。まったく違う理由ですよ」
色つきが原因かと思っていたけど、違ったみたい。
髪色の話題になるとヴァルターは微妙な笑みを浮かべるので、この話題はまだ早いと切り替えた。
「いまのお話でも、陛下が神秘を好まれていないのは伝わりました。でもヴァルターさんがお傍にいるのなら、余程信頼されているんですね」
「そう言ってもらえるなら嬉しいですね。私なりに陛下には尽くしていますから」
「もしよかったら教えてください。私は陛下を噂でしか存じていませんが、いったいどんな方なんでしょうか」
書籍6巻の情報が出てきました。
3月7日発売予定となります。よろしくお願いします。
ツイッターのほうで没案髪等型出しました。