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伊達政宗、輝宗を殺すのは伊達じゃない その拾

 この滝を全て合わせた落差が六百五十六フィート(二百五十メートル)を誇るスイスの観光名所である、ここライヘンバッハの滝。この滝は岩棚(いわだな)に当たっていくつかの滝に分かれている。その中で一番上の滝の前にある(がけ)に、(そで)のない(すそ)が二重の外套(がいとう)羽織(はお)る鼻筋が通り盛り上がった人物がいた。

 角張る顎の、その男性は滝を眺めながら登山杖を握りしめていた。口には柄が真っ直ぐで長いビリヤードパイプがくわえられており、その口元は笑っているように見受けられる。

 岩に強く打ち当たった滝は、(きり)と化して彼の足元に存在する。

 彼は視線を、滝から谷底に移す。滝が長い年月を掛けて削っていった谷の底は、(はる)彼方(かなた)にあり霧が邪魔をして目視は難しい。これから彼は谷底にとある人物をたたき落とすべく、心していた。彼にそのようなことをさせるのは、彼を破滅へと導こうとする悪党・ジェームズ・モリアーティ教授。そのモリアーティと対峙(たいじ)するのは、今なお谷底を見つめる彼、シャーロック・ホームズである。

 モリアーティとホームズ。この二人は同等の優れた才を有するも、その能力の使い道は両極端だ。一方は難事件を解決するために使用し、一方は完全犯罪に使用する。彼らが対峙するのは必然である。

 ホームズは死してモリアーティを破滅させることを決していた。また、モリアーティはずる賢くも、ホームズを谷底に突き落として自分は生き長らえることを狙っていた。そのために、モリアーティは右腕であるセバスチャン・モラン大佐をライヘンバッハの滝に待機させていた。無論、崖に立つホームズはそのことを承知していた。

 滝の轟音(ごうおん)に足音は掻き消されるも、ホームズはモリアーティが近づいてくる気配を感じ取って振り向く。数百フィート先には、老人を連想させるように腰が曲がって前かがみとなるモリアーティがいた。モリアーティは顔に、想像を絶するような人生で獲得した(しわ)とすごみを刻み込んでいる。曲がった腰が真っ直ぐとなれば、六フィート(約百八十三センチメートル)にもなるホームズの身長に負けず劣らずの長身となるだろう。しかし、その腰が完治することはなく、それが原因でのらりくらりと左右に揺れ動いている。

 ホームズは体を完全にモリアーティのいる方向に向けて、登山杖に体重を掛ける。

「やあ」

 ホームズはムスッとした表情で、だが好意的な声でモリアーティに挨拶をした。

「どうだ、ホームズ? のこのことライヘンバッハの滝に誘い出された気分は」

「別に僕は、君の(てのひら)(おど)らされていたわけじゃない。僕は僕で、君を倒すための行動をしてきたんだ」

「ロンドンを代表する名探偵。面白い肩書きだ。果たして、私の肩書きである教授とどちらが優れているのか」

「別に名探偵を名乗ったつもりはない。僕の同居人が勝手に褒めちぎったまでだ」

「私は負けない」

 モリアーティはニヤリと笑う。

「そうかい。では、谷底へと落ちてもらう」

「私を殺すか? 君だってちょうど今、殺人を犯そうとしている。私とやっていることは変わらないではないか」

「罪なき者をたくさん殺してきた君には言われたくない」

「命は(とうと)いものだ。お前が私を殺したら、私のような殺人者と変わらない」

「命が尊い、という言葉を君の口から聞ける時がくるとはね。冥土(めいど)土産(みやげ)としておこう」

「ほう。私もろとも死ぬというのか?」

「自分が死ぬ勇気を持たないと、君は殺せないだろう?」

「勇気ある者から、戦場では死んでいくんだ」

「戦場......。いや、ここは戦場ではなく僕達の墓場だ」

「僕()は余計だ」

 ホームズは登山杖を持って場所を少しずつ移動していった。

「死ぬ勇気は、僕には確かにある」

「死ぬのなら君の伝記作家に、何か言い残すことはないのか?」

「伝記作家、という呼称はあまり好まない。これでも僕は、ワトスン君のことを尊敬しているんだ」

「ではその博士に、言い残すことは?」

「たくさんあるよ」

「博士に手紙を書く時間を与える。()()()()()()()

「そうすることにしよう」

 ホームズはノートからページを破り、手の上で文字を記していった。モリアーティの厚意(こうい)でこの手紙が書けていること。モリアーティ一味を有罪にする決定的証拠の数々をどこに隠したか、ということや財産は兄・マイクロフトに(あず)けたこと。ワトスンの奥さん、そしてワトスン自身への感謝の言葉。思い付くことを書いていった。不意にも、一滴(いってき)の液体がホームズの顔から落ちた。それが汗か涙かは、(さだ)かではない。けれどホームズは少なからず、その時に悲しい感情があったことは確かである。

 遺書を三枚に分けて書き上げて折ると、(から)のシガレット・ケースにその三枚をしまい込んで地面に優しく置いた。少しの間、手はシガレット・ケースから離れなかったがついに意を決した。立ち上がって顔を上げ、目はモリアーティを(とら)える。その(まなこ)の奥には、一点の(くも)りもない。

「ホームズよ。どちらが正しいか、白黒つけようじゃないか」

「ふん。完璧な人間などいないさ。君も、僕も......。ということは、僕らは二人とも谷底に落ちるということさ」

 ホームズもモリアーティも、どちらも勝利を確信していた。今ここに、出会うべきではなかった世紀の大天才の二人が、闘志(とうし)()()しにしたのである。

 ホームズは泣きません。私の願望です。

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