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潜入

 太陽が小高い丘の向こうに沈み、辺りが月明かりだけになった頃。エリックはドルン川のほとりに立った。

 腰巻一つを身につけ、頭に将軍への書状を括り付けた間抜けな姿であったが、笑うものは誰もいなかった。


 「それでは。行ってくる」

 「うん。気をつけてね。岸に上がったら、その布で身体をしっかり拭くのよ」


 エリカがエリックの頭に巻かれた布を指さした。

 ぼんやりとした月明かりの下にエリカの心配げな顔が浮かび上がった。

 この暗闇なら、北方人の見張りに気づかれることもないだろう。


 「心配しなくてもそうするさ」

 

 エリックは片足を水につけた。秋も深まり川の水は冷たい。

 

 「エリック卿。こちらを向きなさい」

 「はい。何でしょう」


 コルネリアの呼びかけに素直に振り返ると、頭にコルネリアの左手が降ってきた。

 そのまま押さえ込むように力を入れられた。


 「なっ、何ですか」

 「静かに。目を閉じなさい。許可するまで開けることは許さん」


 有無を言わさず頭を押さえ付けられ、前かがみのまま目を閉じた。


 「ディナトー・ムスキク・アルフトーレ・ゾラン・ツェ・インドスタータ」


 コルネリアのルーンが響き渡ると、エリックの閉じた瞳の内側に一瞬閃光が走った。


 「うっ」


 声を上げそうになると、さらに頭を強く押し込まれる。黙れ、という事だろう。

 そのまま大人しくしていると、さらに魔法の詠唱が続いた。

 何かの魔法を付与されていることは理解できるが、せめて付与する前に何の魔法なのか説明してほしかった。


 「いいでしょう。ゆっくりと目を開きなさい」

 「はい・・・うわ。何ですかこれは、目が、目がおかしくなった」


 エリックは、目をこすり何度も瞬きを繰りかえす。


 「騒ぐな。目を触るな」


 瞼を開いたエリックの世界は緑一色に塗りつぶされていた。

 エリカにコルネリアと思しき人影。そして今から向かう対岸の崖。全てが鮮やかな緑色の輪郭を描いていた。

 狼狽するエリックを余所にコルネリアは五、六歩後ろに下がり、右手を上げた。


 「エリック卿。これは何本だ」

 「はい? 」

 「いいから。私の指は何本見える」


 緑色の世界で、コルネリアと思しき人物が指を立てていた。不気味なほど鮮明に、その姿が浮かび上がる。


 「三本ですね。何ですかこれは」

 「成功したようですね。エリカは見えますか」

 「ええっ、言われてみれば三本のような。よく見えたわね。エリック」


 エリカがコルネリアに向かって一歩進んで確認した。


 「コルネリア様。これは何の魔法ですか。元に戻るんですよね」

 「心配いらない。じきに元に戻る。これは、光の魔法の一つ、山猫の目の魔法。暗闇でも僅かな光さえあれば、昼間のように明るく見える。欠点は見える世界が緑一色なことだがな」

 「猫の魔法? なにそれ、可愛い」

 「これで、安全に夜の河を渡れるでしょう。さあ、行きなさい。この魔法、さして長くは続かない」

 「ありがとうございます。では」

 「それと、最後に一つ」


 水の中に進もうとすると、呼び止められた。


 「緑の世界のままで強い光。例えば、松明の明かりなどを見てはいけない」

 「分かりました」


 素直に頷いたのだが、さらに追い打ちをかけられた。


 「見ると最悪、目が潰れます」

 「ええっ」


 言うことを言ってしまうと、右手を挙げて行けと合図されてしまう。

 魔法使いという人は有難いのか迷惑なのか時々判断に困る人物が多い。いや、三人しか知らないが。そのうち誰一人、行動が読めない。

 そんなエリックの思いを知ってか知らずか、もう一人の魔法使いが声援を送った。


 「エリック。頑張ってね。セシリアによろしく。きっと助けるからって伝えて」

 「あ、ああ。行ってくる」


 緑色に光る水面に身体を滑り込ませた。

 予想通りに水は冷たい。のんびり泳いでいる暇はない。

 エリックは両手両足を大きく使い、夜のドルン河に進み出た。

 流れは穏やかだが、油断はできない。水の流れは同じように見えても、突如として流れが速くなることがある。

 速く、しかし、安全に進まなくては。

 緑一色の世界でエリックはもがきながらも、なんとか向こう岸に這い上がった。

 途中から水の冷たさで身体の感覚が無い。

 激しい呼吸を何とか整え、頭に巻いた布で身体を拭いて対岸を見ると、エリカたちが立っているのが見えた。見えるとは思えないが、一応手を振って安全を伝えると、なんと、向こうの二人も手を振り返した。そうか。自分達の目にも魔法をかけたのか。

 もう一度書状を確認すると、教えられた通りに崖を上り始めた。崖は断崖絶壁と言うほどのものではなく、適度に飛び出した岩や、木々を足掛かりに登っていくことが出来る。

 山猫の目の魔法のお陰で、どの足場が安全か危険かが一目瞭然だ。

 闇夜を昼間と変わらぬ動きが出来る。軍団で魔法使いが優遇されるのも納得だ。俺には100年掛かっても出来ないことをやってしまうのが、魔法使いという連中だ。

 10フェルメほどよじ登ると、目印の双子岩が目に入る。双子岩に手を掛けると岩に挟まれた窪地に灌木が生い茂っている。

 ここが入り口だ。

 エリックは入り口を隠している灌木を慎重に動かすと、粗末な扉が現れた。

 扉を押すと聞いていた通り簡単に開いた。

 ここから先は完全な暗闇だ。山猫の目の魔法もどうやらここまでらしい。右側の壁に手をついて一歩一歩進むしかない。

 抜け道は急な上り坂になっており、冷えた身体にはきついが、ここまで来られたらあと一息だ。

 そう考えていると、前方が緑色に光っている。

 明かりがあるという事は誰かいるに違いない。よし。たどり着いたぞ。

 一息に光に向かって走り出し、こじんまりとした広場のような場所に出た。

 

 「何者だ」

 

 鉄格子の向こう側。小さな明かりの元、数人の男たちが剣を抜きはらった。


 「若殿の。フリードリヒ様の使いです」


 エリックは敵意は無いとばかりに両手を広げて叫んだ。


 「援軍か」

 「はい。フリードリヒ様からの書状を持ってまいりました。将軍閣下にお目通りを」

 「おお、よく来てくれた」


 鉄格子に兵が取りつくと金属の当たる音がし、鉄格子の一部が開いて入り口になった。


 「さあ。急げ」


 手招きする兵士に促され、小さな隙間から身体を滑り込ませる。


 「本当に河を渡ってきたんだな。大したものだ」

 「援軍は何人だ。ほかの領地からも来ているのか」


 兵士たちはエリックの肩を叩いて歓迎する。


 「閣下へのお目通りを」

 「ああ、そうだな。こっちだ」


 案内の兵士に先導されて、長い梯子を上っていく。

 登りきると、倉庫のような場所に出る。

 エリックは目を細めた。室内にはところどころに明かりが灯されており、それが目に突き刺さる。


 「どうした」


 光に動きの止まったエリックに兵士が声を掛ける。


 「いや。何でもない」


 僅かに目を開けながら答えた。


 「何か、羽織る物がいるな。すまんがこれで我慢してくれ」


 半裸のエリックが寒さに震えていると思ったのか、兵士が自分の外套を被せてくれた。


 「ありがとう」

 「後で、服も届けてやる」


 砦をどんどん上っていき、ついに将軍のいる部屋にたどり着いた。

 将軍の部屋は煌々と明かりが灯され、エリックはまともに目を開くことが出来ないが、役目とばかりに声を張り上げた。


 「フリードリヒ様からの書状をお届けに参りました」

 「ご苦労」

 

 近づく人の気配に目を閉じたまま書状を差し出した。

 暫くすると、将軍の声が聞こえた。


 「フリードリヒめが、兵三千を率いてきたぞ。後続の増援も続々と集まっておる」

 「おお、流石は若殿。疾風のごとき速さにございます」

 「うむ。このことを皆に伝えよ」

 「ははっ」


 将軍の声は疲れの色は見えるものの、いつも通り威厳のある声でエリックは安心した。


 「役目ご苦労。面を上げよ」


 将軍の命に目を閉じたまま面を上げた。


 「うん? 其方。エリックだな。どうした。なぜ目を閉じておるのだ」

 「ご無礼、平にご容赦を。夜の河を渡るため、コルネリア様に山猫の目なる魔法を付与していただきまして、明るい場所では目が開けませぬ」

 「なんと、コルネリア殿が来援してくれておるのか、心強い。待っておれ」

 

 将軍が近習に何かを命じると、また、ルーンの詠唱が聞こえた。


 「其方にかけられた魔力は解除した。目を開けるがよい」


 年老いた声に言われるがままに目を開けると、世界が元の色を取り戻していた。

 部屋には、将軍と側近が数名立っている。

 その中の一人がローブに身を纏い長い杖を持っていた。センプローズ一門の筆頭魔法使い。名前を何と言っただろうか。覚えていない。


 「ありがとうございます」

 「うむ」


 礼を言いながらエリックの視線は部屋の隅々までむけた。

 ここには居ない。


 「閣下。セシリア様はご無事でしょうか」


 エリックの言葉に室内の会話の全てが止まった。

 重苦しい沈黙にエリックは最悪の事態を覚悟した。鼻の奥に血が集まる感覚。恐怖に身が震える。


 「セシリアは森で逸れてしまった。行方は今だ不明だ」

 「なんと・・・」

 「奇襲受けた混乱のさなかに姿が見えなくなった。護衛の者は半数が討ち取られてしまった」


 娘の安否が分からぬと言うのに、表情を変えない将軍に怒りを覚えた。


 「失礼いたします」


 もう、ここには用は無いとばかりに、エリックは部屋を出て行った。

 本来であれば、将軍からフリードリヒ宛の書状を受け取らねばならないのだが、それどころではなかった。魔法は解けてしまったが、再び河を泳ぎ渡り、セシリアの捜索に向かわねば。

 そもそも、最初から魔法を当てにしていたわけではない。来た道を帰るぐらいどうと言うことか。

 対岸に戻ることを決心し、砦の広場に足を踏み入れる。

 そこには多くの焚火を前に、所狭しと兵たちがうずくまっていた。怪我をした者たちが多いが、皆表情は晴れやかだ。援軍が到着したことが彼らに希望を与えている。籠城軍の士気は高い。

 五体満足の俺の方がよっほど冴えない表情だろう。


 「エリック・シンクレア。なぜここに」

 

 城壁を背にしていた男が、驚いたように声を掛けてきた。暗がりから光の届く範囲に出てきた、その男の頭には手当の跡が見て取れた。


 「アラン卿・・・お嬢様はどうした。セシリアは」


 その顔を見た瞬間エリックは我を忘れ、アランに掴みかかった。

 護衛の半数は討ち死にしたと聞いていたのに、アランがのうのうと現れたことに激怒したのだ。

 エリックは激情のままにアランの胸ぐらを掴み、その勢いのまま城壁に叩きつけると、アランは小さくうめき声を上げた。


 「すまない。先にお逃げ遊ばしたが・・・」

 「貴方が護衛の長だったのだろう。なぜ・・・」


 アランは胸ぐらをつかんでくるエリックに抵抗しなかった。

 かがり火に照らし出されるアランの表情は青白く、いつもの貴族特有の余裕も見えず、憔悴しきっている。


 「押し寄せる敵を防ぐのに・・・いや、言い訳しても詮無いことだ」

 「何処だ。何処で、見失った」

 「襲撃を受けた場所だ。そこから護衛と共に南に向かわれた」


 暫く、アランを締め上げていると、後ろから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


 「エリック・シンクレア。閣下がお呼びだ・・・何をしている」


 呼びかけてきた側近が眉をひそめる。

 エリックはようやくアランから手を離した。

 アランが喉を押さえながら咳き込むが、知ったことではない。


 「いえ。何でもありません。直ちに御前に」

 「うむ。急げ」


 エリックはそのまま将軍の部屋に向かった。

 振り返ることも無く。

 


                   続く

異世界ファンタジーのいい所は、怪我しても回復魔法で一瞬で治せるので、怪我人のえぐみが低い事ですよね。ウチには出てこないけど・・・


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