包囲軍
北方民のアダンダを助けたことにより仲間と認識されたセシリアは、皮肉なことに北方民たちに護衛され安全に南に向かうことが出来た。
アダンダは途中からは別の男の馬に乗り換え、抱きかかえられるように運ばれていた。
わたくしが運ぶより、その方が安全でしょう。
深い森を抜けると、ついにドルン河北岸の地にたどり着いた。
河さえ渡ればロンダー王国だ。
久しぶりに明るい太陽の下に出ることが出来たが、眼前に広がる光景は安心できるようなものではなかった。
滔々と北西に向かって流れるドルン河は、狭い箇所でも200フェルメ(約300m)以上の川幅を持ち、流れはゆるやかだが馬で渡るには危険な深みを持っていた。
ドルン河の北岸には高さ50フェルメ(70m)程の断崖が突き出すようにそびえ立ち、その上にランドリッツェの砦が築かれている。この砦からはドルン河とその北側に広がる森林地帯を一望に監視できる。王国の北部国境における戦略的要衝だ。
つい先日滞在した砦を北方民たちが取り囲むように布陣している。その数は王国軍の何倍もいるように見えた。
砦の下には小さな集落が広がっていたが、それらの一部は火を付けられたのか白い煙が燻っていた。
砦の塔にはロンダー王国の旗とセンプローズ、ガエダ伯の軍旗がはためいており、いまだに味方が立て籠もり陥落は免れているようだった。
セシリアたち一行は包囲軍の中に入っていく。
どこに案内されるかと不安に押しつぶされそうになるが、ここは、北方民の振りを貫き通すしかない。
王国の軍団とは違い、無秩序な天幕が立ち並ぶ中を進むと、何人かの男たちがアダンダに駆け寄るのが見えた。どうやら無事に彼女の身内に引き合わせることが出来たようだった。
アダンダはそのまま、大事そうに運ばれていく。
彼女の事はこれで大丈夫でしょう。
セシリアは肩の荷を一つ降ろすことが出来、小さく息を吐きだした。
「オマエガ、タスケタノカ」
ここまで案内してくれた北方民と会話をしていた男がセシリアに話しかけてきた。
その男は、セシリアの腰回りほどあろうかという二の腕にエリック二人分ほどの太さの胴体。その巨大な身体には毛皮を巻きつけ、いたるところに刀傷があった。まるで山の洞窟に住んでいて旅人を襲うと伝わる、おとぎ話に出てくる鬼のような姿だった。
その異形に恐れおののきながらも頷くと、男は一転し満面の笑みを浮かべて喜んだのだ。
セシリアはその落差にまた驚いた。
「アダンダガ、イキテイテウレシイ。レイヲスル」
ついて来いとばかりに手招きをする。
拒否するわけにもいかず、セシリアは馬を降りると男の後に続いた。
案内された粗末な天幕に入ると、焚火を前に敷物を敷いた老婆が座っていた。老婆の顔にはアダンダと同じ赤い塗料で隈取が施されている。やはり彼女らは女神に仕える巫女の様だった。
促されるままに焚火を挟んで老婆と向かう敷物に座ると、老婆が口を開いた。
「ドコノ、ウジダ」
「ウジ? 」
ウジとは何のことでしょう・・・
しわがれて聞き取りにくい声に首をかしげた。
ああ、どこの部族かを聞いているのね。さて、何と答えましょうか・・・
セシリアは母の出身部族を応えようとしたが、寸でのところで踏みとどまった。
もしかしたら近くにその部族がいるかもしれない。引き合わされでもしたら、わたくしが嘘をついていることが知れてしまう。そんな危険は冒せない。
「ニース」
「シラヌ。チイサイウジカ」
エリックの治める村の名を口にすると、案内した男が腕を組んで問いかけてくるので頷く。
老婆は頷きながら更に質問を重ねた。
「ナカマハ、ココニイルノカ」
「イナイ」
「ホロンダカ」
「チガウ」
問われるままに答える。返答は単語一言の必要最小限であったが、北方民の話し方に合っているようで、不審がられはしなかった。
話が進むにつれ、彼らはセシリアの事を小さな部族の巫女と思ったようだったが、否定も肯定もしなかった。
このような会話の手法が彼らに通じるとは思わないが、セシリアは慎重に立ち回った。
男の方はこの部族の長の様で、老婆は巫女たちの頭を務めているらしかった。
セシリアが助けた少女はこの老婆の後継者らしく、先の戦で乱戦に巻き込まれ行方不明になり、諦めかけていたという事らしい。その、娘を助けてくれたセシリアを戦が終わるまで客人として迎えてくれるという事で話がまとまる。
予想外の好待遇にセシリアは安堵のため息をついた。これで、いきなり殺されたり慰み者にされる心配はなくなったのだ。
尋問が終わり立ち上がったセシリアは最後にこの部族の名を聞いた。
「ワレラハ、ラミ。イダイナル"イゼントドール"ノマツエイ」
族長の高らかな宣言にセシリアは驚愕する。
「ホントウカ」
「ソウダ。シッテイルノカ」
セシリアが頷くと族長は満足そうに笑うのだった。
だが、セシリアには笑い事ではなかった。この部族の名は、ラミ族。それはつい先ほど口にしようとした母の出身部族であった。
何という奇縁なのでしょう。わたくしの一族。
呆然と立ち尽くすセシリアであった。
江莉香がアナーニー司教座教会でボスケッティ神父にメッシーナ神父からの書簡を渡すと、驚くべき迅速さで護衛の騎士を付けてくれることになった。
それ自体は喜ばしい事ではあるのだが、次の言葉に江莉香は落胆した。
「援軍に参加する神聖騎士団から三十名をエリカ様の護衛に割り当てましょう」
思ったより少ない人数だ。
ボスケッティ神父が胸を張って言うのだが、いくら騎士様でも三十人だけじゃ、傭兵百人より弱いんじゃないのかな。馬に乗れるとは言えヨーロッパの騎士みたいに全身を鎧で包んでいるわけでもないし。
ただ、これは江莉香の思い違いであった。
その日の内に編成された護衛部隊を、ボスケッティ神父に付き添われ、教会の石段の上から閲兵したのだが、その規模に驚いた。
教会前の広場に神聖騎士団が三列に分かれて整列している。
騎士は皆、鎧を着けずに修道士の恰好をしているが、腰には長剣を携え馬に跨っている。その馬の轡を完全武装の歩兵が取り、さらに背後に長い槍を携えた兵士がもう一頭馬を引き連れていた。
「エリカ様。彼らが貴方を護衛いたします。どうぞ心安らかにしてください」
「えっと、この人たち全員が護衛なのですか」
「左様です」
「聞いていたより、随分多い気がするのですけど」
「いえ。きっちり三十名招集いたしました。その他の者たちは騎士の従者でございます」
「なるほど」
どうやら、教会の騎士三十人と言うのは、騎士三十人、従者六十人、馬六十頭以上の実質戦力九十名の部隊らしい。これなら、傭兵さん百人より強いのも納得だ。
「皆の者。この戦いは神々の栄光と王国の安寧を守る戦いである。この度、エリカ様はその先頭にお立ちになると奮い立たれた。神々に仕える騎士としてエリカ様を命に代えてもお守りせよ。それが、其方たちに神々がお与えになられた高潔な使命である」
「「おう」」
ボスケッティ神父の演説に百名近い男たちが一斉に声を上げ、その迫力に江莉香は後ずさった。
何とも恐ろしい。いや、頼もしい護衛部隊であった。また一つ教会の力の一端を見せつけられた気分だ。
軍勢の招集が三千を超えた頃にフリードリヒは進軍を命じた。
残りの部隊は集まり次第後を追うように伝える。とにかく一刻も早く包囲された砦の近くに布陣し、立て籠もっている味方を励ますことが先決との判断だった。
部隊は陸上を進む兵士の部隊とアルノ河を遡る兵糧部隊の二つに分けられた。船で北上する方が便利で速いのだが、かき集めた船の数では全軍を運ぶには足りなかった。
ともかく集めるだけ集めた河川船舶はセンプローズの兵糧を担当しているドーリア商会が用立てた兵糧の運搬に充てられる。
エリックは軍勢と共にフリードリヒの馬廻り衆として陸上の街道を進み、江莉香とコルネリアは一日遅れで船で北上することとなった。
「やっぱり船は楽ちんね」
大量に用意したビスケットをかじりながら江莉香は呟いた。ゆっくりと進む船からは、刈り入れの終わった秋の田園地帯の風景が流れて行く。
これが、戦争ではなく行楽だったらどれ程良かっただろう。
「そうですね」
隣で同じようにビスケットをかじるコルネリアが同意した。
江莉香は当初、河を船で遡ると聞いた時嫌な予感がしていたが、幸いなことに杞憂であった。
江莉香が当初、思い描いていた川船は保津川下りなどに使われるような小型の船だった。事実、兵糧を運ぶ船は船頭が一人か二人の小型船ばかりであった。
しかし、江莉香が乗り込んだのはドーリア商会のジュリオがフレジュスの港町で用立てた帆柱付きの立派な川船であった。
この船に積み込まれている物資はセンプローズ一門が調達した物資と言うよりは、ニースのギルドが自力でかき集めた物資だ。これらの品の裁量権は実質的にエリックと江莉香の手中にあると言える。
船倉にジュリオがかき集めた兵糧を満載し、風の力でアルノ河を遡っていく。
船は街道を進むより遠回りで遅いのだが、まず、歩かなくていいのが素晴らしい。その上、日が暮れてもある程度なら進めるので、実際には陸を進むよりも早かった。すぐにでもエリックに追いつくだろう。
江莉香は身体を震わせた。それは、恐怖からなのか下から上がってくる冷気の為か。
続く




