情け
薄暗い森の中を、白馬に跨った少女が一人馬を進める。
護衛の騎士とも逸れ、森を彷徨うセシリアにとって幸いだったのは、秋の森では食べ物には困らなかったという事だ。特に苦労せずに食べられる木の実や果実を見つけることが出来る。
夜には小枝と落ち葉を集めて火を起こし暖を取り眠った。
谷を迂回し木々や巨石を避けながら、なんとか南の国境線を目指すセシリアの前に絶望的な光景が広がった。
「ああ、なんてこと」
むせ返るような血の匂いと、地面に散らばる死体の数々。
南の国境線に向かっていると思っていたが、どうやらぐるりと一周して元の場所に戻ってきてしまったようだった。
敵の姿は見えないが、何の慰めにもならない。
来た道を引き返すべきなのだが、セシリアは誘い込まれるように王国の兵士や北方民の骸の中に足を踏み入れた。
戦闘から既に二日経過しているため、息をしている者はおらず。不気味な静けさの中に恐ろしい光景が広がっていた。
王国の兵士たちの大半が身ぐるみを剥がされ打ち捨てられている。見たくはないのだが、この地獄のような光景から目が離せない。
セシリアは声も無く涙を流しながら死体の倒れている向きに向かって進んだ。
きっと、こちらが南なのだろう。
敵に遭遇するかもしれないが、一人で森を進んでもドルン川にはたどり着かないことは明白だった。
馬の足音と息遣いと、時折鳥の声が聞こえる静寂の中で、それはセシリアの耳に驚くべき明瞭さを伴って響いた。
小さい音であったが、明らかに人のうめき声であった。
思わず馬の歩みを止めてしまった。立ち止まるべきではないと、頭の中でもう一人の自分が警告を発するが、身体が言う事を聞かない。
声は折り重なった北方民の骸の中から聞こえる。生き残りがいるのだ。
セシリアは馬に乗ったまま近づくと僅かだが動くものがある。
やはり息がある。
「タスケテ」
打ち捨てて進むべきだという理性は、そのか細い哀願を前に消し飛んでしまった。
セシリアは馬を飛び降りると、骸の間に入り込み、動く人影に駆け寄り、小柄なその身体を助け起こした
「気をしっかり持って」
腕の中の人影は、長い金髪に青ざめた血色の顔。華奢な身体に胸のふくらみ。
「貴方。女の子? どうしてこんな所に・・・」
自分の事を棚に上げてセシリアは驚愕する。
いくら勇猛果敢な北方民でも女が剣を振り回すことは少ないはず。しかも、どう見ても戦士の身体つきではない。普通の女の子だ。化粧なのか呪いなのか目の周りや頬に赤い縁取りをしている。
彼女の身体を確認すると右肩に切られた傷があり、どす黒い血糊が固まっていた。
血は止まっているようだが、このまま放っておけば確実にこの娘は死ぬ。
「ククルメーイヤ・アレテノシ・タエレニートス・ロマ」
ルーンを唱え水の魔法を発動させると、右手を中心に大きな水の輪が現れる。その水の輪を傷口に押し当てた。回転する水の輪が傷口を洗うと赤黒い色に変わっていく。しばらく続け、完全に血糊を洗い流すと、痛々しい傷口が露わになる。
セシリアは馬に括り付けた袋から傷薬を取り出した。これは蒐での別れ際にエリカが持たせてくれた薬だ。
「ウァ・・・」
「我慢して」
傷口に黄色の軟膏を塗ってやると弱弱しい悲鳴が上がる。
しっかりと薬を塗りこんで傷口を綺麗な布地で覆ってやる。その後に身体を調べてやると小さな切り傷はあったが、大きな怪我は肩口の一つだけだった。
一通りの手当てを終えて一息ついたセシリアは馬に括り付けた水筒を手に取った。一口、口に含んで味を確かめた後、少女の頭を持ち上げて吸い口を当ててやる。
「飲みなさい」
「ア・・・アッ」
紫色の液体を少女の口に少しづつ流し込んでやる。
この秋に採れた葡萄で造られた新酒だ。ただの水よりは力になるだろう。
初めは拒むように口をそむける少女ではあったが、何度も促すと次第に飲み込むようになった。
「これから、どうしましょう」
ぐったりとする少女の身体を支えながらセシリアは途方に暮れた。思わず助けてしまったが、この後どうしたらいいか分からない。
視線をぐるりと見渡すと、赤と青の布地に鷹の紋章が描かれた旗が目に入った。
「あれは、ガエダ辺境伯様の旗印・・・という事は」
それまで、元の位置に戻ってきたと思っていたが、どうやらこの戦の跡はセンプローズの先を進んでいたガエダ辺境伯が襲撃を受けた後のようだ。南に向かうつもりが更に北に向かっていたようだ。
「ここにいても仕方ないわ。とにかく南へ向かわないと」
セシリアは少女を何とか立ち上がらせると、自分の馬に押し上げた。
「しっかり捕まっていなさい。落ちたら死にます」
少女の脚に鐙をしっかりとはめ込んでやる。
声が聞こえているのかいないのか判然としないが、セシリアは少女の後ろに跨る。大人用の鞍を付けていたので何とか女二人が跨ることが出来た。
「こうなったら仕方ありません。道なりに行きましょう」
怪我人を抱えて、道なき道を進むのは難しい。恐らく敵は味方を追撃しているか、もう引き上げたかのどちらかだろう。今はそう信じて進むしかなかった。
セシリアは馬の腹を蹴って馬首を南に向けた。
ゆっくりと、踏み固められただけの道を南に下って行く。時折、王国軍の兵糧が道に散らばっていた。ほとんどが略奪されていたが、二人が口にする量の食料を手に入れることは難しくなかった。
「貴方。名前は」
少女に語り掛けるが、言葉が通じない。セシリアはしばらく記憶をたどり、母から教えられた北方語を口にする。
何度か目の問いかけにようやく返答が返ってきた。
「・・・アダンダ」
「アダンダ? それが名前なの」
問いかけに少女は小さく頷いたが、セシリアは内心で首をかしげた。
アダンダとは昔、母から聞いた北方民の間で信仰されている女神に仕える巫女の呼び名だったはず。この娘が巫女という事は納得できるが、名前もそうなのだろうか。
わたくしの北方語が上手く伝わらないのか、それとも巫女になると名前を失うのかしら。
「アダンダ。貴方、歳はいくつ」
うろ覚えの北方語での問いかけに、アダンダは分からないという風に首を横に振る。セシリアの北方語は母から教えてもらった簡単な単語と言い回しだけなので、円滑な会話ができない。
ただ、母の話だと北方民は王国の人間と違い、ペラペラと言葉を連ねて話す文化はないらしいから意味は通じているはず。もしかして、北方民には年齢という概念が無いのかもしれない。
セシリアは改めて少女の姿を観察した。手足は長く、背丈もセシリアより高いが全体的にやせ細っており、見た目より軽い。髪はセシリアの金髪よりも、より金属のような色合いで冷たく輝いている。年頃は同じか少し上なのかもしれない。
こうして二人は、何日も時間をかけて慎重にドルン川を目指した。
怪我人を抱えての逃避行。
可能な限りゆっくりと馬を進めたのだが、途中、傷口が悪化したためかアダンダが発熱したので、熱が下がるまで道を外れた洞窟に身を隠した。
その間、セシリアはアダンダの傷口を再び魔法で召喚した水で洗ってやり、エリカの薬を傷口に塗りこみ、熱さましの薬を飲ませてやった。
身体は疲れるが、セシリアはアダンダを心配する事で、自分の危機的状況を紛らわせていた。
体調を持ち直したアダンダと共に再びドルン川を目指す。
「でも、河にたどり着いたとして、この娘をどうしましょう」
勢いで助けてしまったが、本来は敵対している勢力の娘。このまま味方と合流してもこの娘の為になると思えない。良くて捕虜になるか、悪くすると奴隷にされるかもしれない。その前に北方民の仲間の所に帰してやらないと。
しかし、そうすると、北方民に近づかなければならない。今度は自分の身が危険になる。
セシリアが頭を悩ませていると、向こう側から解決策が押し寄せてきた。
「ああっ」
自分の口から絶望の吐息が出た。
考え事をしながら馬を進めていた為か、前方から走り寄って来る集団に気が付くのが遅れてしまう。瞬きする合間に北方民の騎馬隊に距離を詰められた。
こうなっては逃げ出すことも出来ず、セシリアはその場に固まってしまった。
「ダレダ」
先頭の髭面の男が声を掛けてきた。
不審そうな素振りをしてはいるが、敵意は見せない。
それは、セシリアの外見が北方人のそれと変わりない上に、この数日の逃避行で髪はぼさぼさ、身に着けている衣装も汗と泥にまみれみすぼらしくなっている。とてもセンプローズ一門の姫には見えない。
このような有様なので、いざとなればセシリアは北方民の振りをして事態をやり過ごす気でいた。
彼女の姿をよく観察すれば、身なりや馬具と言った物が違うのだが、そう問われれば王国軍から奪い取ったことにしてしまえばいい。現に騎馬集団の中にも王国軍から奪った武具を身に着けている者もいた。
「アダンダ」
口の中がカラカラになって上手く声が出たか自信が無かったが、返答する事は出来た。
何と答えるのが正解かは分からないが、嘘をつくことだけは避けた。この娘がアダンダであることは本当の事だ。
「ホントウカ? 」
男の問いかけに頷く。
片言の北方語は出来るだけ口にしない様にしよう。
「ヨクキタ。ツイテコイ」
セシリアの返答も聞かずに男たちは馬首を返す。
付いて行きたくはないが、ここで逃げ出しても逃げ切れるはずもない。
暫くは味方の振りをして隙を見て逃げ出すことにしよう。それに、アダンダを助けることだけは出来たのだから。
セシリアは騎馬集団に促されるまま後に続くのだった。
続く
今までのスローライフ?風のストーリーから一転。残酷な描写となっておりますが、皆さま大丈夫でしょうか。心配です。( ゜Д゜)/
一度書いたストーリーを丸々没にして再度の書き直し。(T_T)/
お蔭で少しよくなった気がします。
なんと一刻の事ですが日計ランキングで一位になりました。ありがとうございます。
あっ、この小説ではありませんよ。別枠で書いたエッセイの話です。
( ̄▽ ̄)//ナハハ




