フリードリヒの狙い
替え馬をも乗り潰す勢いでエリックはオルレアーノの城門を潜り抜ける。
街は軍団敗北の報を受け騒然としていた。
足を休ませる暇も無くセンプローズ邸に向かうとそこは、多くの人々が行き交う本陣と化していた。
状況を確認すべく高位の騎士を探そうと、人の波をかき分けるように前庭を抜け屋敷内に足を踏み入れようとすると、槍を手にした警備の兵に前を防がれる。
「ニースのエリック・シンクレア・センプローズだ」
懐から馬廻り衆の印綬を見せると、警備の兵の態度が変わる。
「失礼いたしました。お通り下さい」
屋敷内は外に比べれば落ち着いていたが、それでも兵士や使用人たちが慌ただしく動き回っていた。
状況に詳しそうなものを探すエリックの前に、ダンボワーズ卿が部屋から出てくるのが見えた。
「千人長」
「おお、シンクレア。よく来た。フリードリヒ様が救援軍の指揮をとられる。馬廻り衆は全騎出撃だ」
「ははっ。それで、遠征に向かったお味方はどうなっておりましょうか。ランドリッツェの砦が包囲されたとか」
「うむ。深い森で奇襲を受けたらしい。閣下は軍を纏め何とか砦にたどり着いたが、蛮族どもに囲まれておる」
「閣下は御無事なのですね」
「勿論だ。だが、事態は一刻を争う。急ぎ支度をせよ」
「はっ、ただちに。しかしながら千人長、今一つお尋ねしとうございます」
「なんだ」
「お嬢様は、セシリア様は御無事でしょうか」
一番の関心事を口に出来たが、ダンボワーズの答えはあやふやであった。
「分からぬ。しかし、閣下がご無事であられたという事は、心配あるまい。閣下は御息女を残して自らがお退きになられる方ではない」
「ごもっとも」
「では、急ぐがよい」
「ははっ」
エリックは深く一礼し踵を返す。
今からニースにとんぼ返りだ。ありったけの武器と兵糧を用意しなくては。千人長の仰る通り将軍が無事という事はセシリアも無事だと信じるほかない。だが、無事に退却できたとしても、北方民に包囲された砦の中で震えていると思うと、居ても立っても居られない。
疲れた体に鞭打って屋敷を出ようとするエリックにダンボワーズ卿が呼び止めた。
「待て。シンクレア。若殿がお呼びだ」
指示された部屋に足を踏み入れると、センプローズ一門の有力者に囲まれたフリードリヒが血走った眼で指示を出していた。
「エリック・シンクレア。参上いたしました」
フリードリヒの前に出ると膝をついて一礼した。
「ああ、エリック。戦支度は整ったか」
「申し訳ございません。お味方が囲まれたとの報の確認のため参りましたので、未だ。これより、ニースに戻り支度を整えてまいります」
「急げ。エリカを連れてくるのだ」
「エリカをですか」
意外な言葉に面を上げて尋ねた。
「そうだ」
「恐れながら、エリカに実戦は早いかと存じます。先日の蒐でも良い働きが出来なかったと悔やんでおりました。戦のお役に立つかどうか」
「其方の懸念はもっともだ。だが今は、魔法使いは一人でも欲しい。誰しも初陣はある。エリカの場合はそれが此度というだけだ」
「エリカは魔法使いと言えども、碌に魔法も使えぬ一婦女子でございますれば」
無礼とは知りつつ抗弁する。
エリカとの付き合いはとても長いとは言えないが、それでもわかることがある。
言葉の端々から感じ取れる戦についての彼女の考え。
エリカは戦が嫌いと言うよりも戦が何か分かっていない。戦の無い平和な国で育ったというのは恐らく冗談ではなく本気で言っているのだろう。そんなエリカを無理やり連れてきても、役に立つどころか危ないだけだ。
戦とは命のやり取りなのだ。
殺さなければ殺される。その状況に陥った時にエリカに人を殺せるだろうか。そう問われれば無理だと答えるしかない。
これは、臆病とか力の有る無しの話ではない。まだ、セシリアの方がいざという時に覚悟を決めることができるだろう。
それにだ、考えたくはないが、これが最後の奉公になるかもしれない。そうなった時にエリカまで失ってしまったら、せっかく豊かになりだしたニースは元の寂れた漁村に戻るだろう。
エリカさえ生きていればニースの村は町にでもそれ以上にでもなれる。閣下もエリカの能力を認めておられる。自分が戦死した後でも悪いようにはしないだろう。
自分が死んでも代りの代官はいくらでもいるが、エリカの代りは何処にもいない。セシリアとは別の意味で絶対に失ってはいけないのだ。
なんとか、エリカの従軍を止めなくては。
必死に言い訳を並び立てるエリックにフリードリヒから意外な言葉が飛び出した。
「私も、エリカの力に過度な期待はしておらぬ」
「ならば」
フリードリヒの言葉に脈があるかと期待したが違っていた。
「私が期待しているのは、ニースにいるもう一人の魔法使いだ。まだ、いらっしゃるのだろう」
「コルネリア様でございますか」
確かにコルネリアはニースに滞在し、提供した離れで魔法の探求を行っているが、それとエリカとの繋がりが分からない。
「そうだ、蒐でも力を見たが、やはり侮れん。此度の戦、是非にともコルネリア殿のご助力が欲しい。だが、コルネリア殿はガーター騎士団の魔法使い。一門でない王家直属の魔法騎士。我らには彼女を指揮する資格はなく、ご承知いただけぬやもしれぬ。だが、エリカはコルネリア殿と昵懇の仲だ。エリカが出陣するとなると必ずご助力いただけるはず。違うか」
そういうことか、コルネリア様を釣り出す餌としてエリカが必要なのか。若殿の意図がようやく理解できた。
確かにエリックの目から見てもあの二人は姉妹のように仲が良い。エリカが出陣となれば若殿の目論見通りとなるだろう。
「仰せの通りかと。エリカはその、ついでということでしょうか」
「そうではない。初めに申した通り、魔法使いは一人でも欲しい。それが半人前でも何かの役に立つ。此度の戦、手持ちの札を出し惜しみしている場合ではない。我がセンプローズ一門の総力を挙げて援軍を結成する。いいか、エリック。其方の役目はなんとしてでもエリカを動かしてコルネリア殿のご助力を引き出すことだ。手段を選ぶな。よいな」
「ははっ」
フリードリヒの念押しに従うしかないエリックであった。味方を救うためには、一人でも多くの魔法使いが必要な事は分かり切っていることでもあった。
気は進まないが、二人を連れてこなくてはならないようだ。いや、コルネリア様だけでも連れてくればエリカの従軍は大目に見てもらえるかもしれない。その辺りを彼女と相談できれば、あるいは。
屋敷を出たエリックは、エミールには街に残り新しい報せを集めておくようにと命じ、ドーリア商会で新しい馬を借りることとした。
商会から貸し出された馬に自分の鞍を付け替えていると、建物からフスが転がるように飛び出してきた。
「エリック様も援軍に向かわれるのですか」
「当然です。これから、村に戻って準備をしてきます」
「分かりました。こちらでも戦の支度をしております。北に向かわれる前にお立ち寄りください」
「ありがとう。済まないがフス殿。一つ頼みがあります」
「何でございましょう」
「将軍のご無事は確認できたが、残念ながらセシリアお嬢様のご無事は確証が無い。恐らく閣下とご一緒で大丈夫だとは思うが、念のために安否について調べておいてください」
「セシリア様ですね。承りました。北に人をやりましょう」
「お願いします」
馬に飛び乗りニースの村への道を急いだエリックであったが、ニースとオルレアーノの中間地点の山小屋を過ぎたあたりで前から来た集団と鉢合わせになった。
「ああ、エリック。やっといた」
「エリカ。どうしたんだ。これは」
集団の先頭にいたのは村にいるとばかり思っていたエリカであった。
「どうしたんだじゃないわよ。勝手に走り出して。こっちは大変だったんだから」
「すまん。それで、なぜここにいるんだ」
「なぜって、援軍よ援軍。集めているでしょ。オルレアーノで」
「集めてはいるが、もしかしてエリカが援軍なのか」
「そうよ」
エリックは、後先考えずに村を走り出したことを後悔した。
なんとかエリカの従軍を阻止しようと思っていたが、自分のいない間にエリカは援軍を編成してしまったようだ。何という行動力。いや、今更だが。
「何だってまた。自分から援軍だなんて、戦は嫌いなんだろう」
「嫌いに決まってるでしょうが。でも、しょうがないでしょ。セシリアがどうなってるか分かんないのに、村でじっとなんかしてられないわよ。それで、どうなの無事なの。無事ならこのまま家に帰るわよ」
「分からない。閣下の無事は確認できたらしいが、立て籠もった砦を包囲されているらしい。そこに居るとは思うのだが」
「それは無事とは言わないわよ。こうなったら助けに行くしかないでしょ」
エリカの言葉に言いしれない感動を覚え目頭が熱くなる。
「ありがとう。エリカ。恩に着る」
「はいはい。別に恩に着なくていいから、取りあえず山小屋で休憩しましょう。エリックも疲れたでしょ」
山小屋で火を起こし温かい食事をとると、ようやく人心地付けた。
そこで、エリカからギルドとして総力を挙げて援軍を編成したことを聞かされて、また驚くのだった。引き連れていた一行の中にはロランが育てていた軍用馬に多数のロバ、そして交易用の馬車が六台。これは現在ニースにある馬車の全てであった。
人員も村の若者を中心に十人以上引き連れている。その中にはフリードリヒが参加の要請を厳命したコルネリアに、今まさに戦っているはずの北方民のクロードウィグ。
エリカの話によると、ロランが兵糧と武具を用意し、村の若者に声を掛けそれらを運ぶ人夫を集めた。また、ジュリオ達ドーリア商会はフレジュスの港町で兵糧を集めオルレアーノに運び込み、メッシーナ神父は司教様に神聖騎士団を護衛として遣わしてもらう要請書を持たせてくれている。少なからず反対が出たが、「誰よりも土地勘があるでしょ」の一言で反対を押しきって連れてきた北方民のクロードウィグ。そして、フリードリヒ一番の関心事である魔法使いのコルネリア。
今のニースで用意できるすべての力を結集したと言えた。
この話を聞いた時、エリックにはエリカがおとぎ話に出てくる女将軍のように見えた。
しかし、おとぎ話の登場人物のように甘くはなかった。なぜなら一通り説明を終えた後、エリカはこう口にした。
「後は、よろしくね」
「ん、どういう意味だ」
「そのままの意味だけど、私が出来ることはしたから、あとはエリックの仕事よ。戦争とか全然分かんないし」
あまりにあっけらかんと言われてしまい、暫し言葉が出なかった。
しかし、エリカの言うとおりだろう、確かにここからは俺の仕事だな。
「わかった。任せろ。戦になったら護衛の騎士と一緒に安全なところにいてくれよ。危なくてかなわない」
「ご心配なく。言われなくても、そうさせてもらいます」
「頼むぞ」
「くどい」
そう言うと二人は笑い合うのだった。
エリックは凶報を受け取ってから初めて笑いが零れ、一息つくことが出来た。
続く
エリックもまだまだ修行が足りませんな。( ̄д ̄)
リーダーたるもの自ら動き回るのではなく、部下を信じてどっしりと構えていなくては。
平民出身の16歳の若者にそんなこと出来るわきゃ無いけど。
そもそも、将としての自覚が無いもんな。(;´・ω・)




