凶報
隠していた身分を明かしたドーリア商会の三男ジュリオは、ニースのあらゆることを知りたがる。
入り江を歩き回り、険しい岬の先端まで足を踏み入れ、港を建設できそうな場所を探していたかと思うと、自分でも砂糖の精製をしてみたいと言い出し、村の女たちに交じって一日中ノルトビーンと格闘する。カマボコの工房でも同様の事をはじめ、汗だくになりながら魚のすり身を蒸すのだ。
そして、しまいにはオルレアーノの砂糖の店を見せてくれと言い出し、エリックはドーリア商会の面々を連れてオルレアーノに行くのだった。
少年のような好奇心を隠そうともしないジュリオの相手に疲れ始めた頃、ドルン川北岸でセンプローズ将軍の軍団が北方民の大軍に襲われたという報せが、ドーリア商会の早飛脚によってニースの村にも知らされた。
「それで、軍団はどうなったのだ。将軍やセシリア様の安否について何かないか」
書斎で知らせを受けたエリックは、飛び上がらんばかりに報せを受け取ったモリーニに詰め寄る。
「この報せからは不明です。ただ、お味方は敗走、ランドリッツェの砦は北方の蛮族に囲まれたとのことです」
「ランドリッツェはドルン川沿いの砦だ。そんな所まで押し寄せているのか。戦況は」
そこは、ロンダー王国の北部国境線。突破を許せば、王国に北方民が乱入することになる。
「不明でございます。この報せでは砦が囲まれたとしか。しかし、予断を許さぬ事態かと」
「分かった。教えてくれて感謝する」
「どうなさるおつもりですか」
モリーニが書斎を出ていこうとするエリックを呼び止めた。
「オルレアーノに向かう。新しい報せが来ているかもしれない。北方への援軍の編成があるだろう。若殿が未だオルレアーノにいらっしゃるかもしれない。供奉しなくては」
「お待ちください」
「モリーニ殿。すまないが貴方からエリカにこの話を伝えてくれ。今はジュリオ殿と共に教会にいるはずだ」
止めるのも聞かずに走り去る。
モリーニは急ぎ教会に向かうが、そこにはエリカの姿はなく、メッシーナ神父と共にビーンの畑に向かったと知らされる。息を切らせて丘に駆け上がり、畑全体の生産量と今後の見込みをジュリオに説明していたエリカに事の顛末を伝えた。
話を聞いたエリカたちが急いで屋敷に戻ると、旅装を整えたエリックとエミールが丁度馬に跨るところであった。
「待って。エリック。どういう事」
「ああ、分からないから調べてくる。後は頼んだ」
駆け寄ったエリカにひと声かけると鐙で馬の腹を強く蹴った。
「ちょっと、待ってよ。待ちなさい。話を聞けー」
エリカが遠ざかる二つの騎影に向かって絶叫した。
「で、どういうことなの。誰か説明できる人います? 」
江莉香は主のいなくなった書斎にギルドの主立った者たちを集めて会議を始めた。普段、魔導士の書を広げる窓を背にした大きな机の席に着き、他の者は椅子を並べて江莉香に向き合う。
「予測になりますが、よろしいでしょうか」
真っ先に報せを受け取ったモリーニが手を挙げる。
「お願いします」
「将軍の軍団が北方民の大軍に襲われ、大きな損害を受けたと思われます」
「負けたって事ですか」
「はい。この報せは商会の飛脚の中でも最も早いものが使われております。砦の一つが囲まれているという事は、小規模な敗北ではないはずです」
「この場合はどうするの」
ついつい早口になってしまう。
戦争なんて画面の向こう側の不幸な出来事だ。
わが身に降り注ぐなんてことは考えたことも無い。
「私も詳しくは存じませんが、砦に籠って援軍の到着を待つのではないかと」
「なるほど籠城戦ってことですね」
「はい」
「遠征に行った人の安否は分かりますか。将軍とかセシリアの無事は」
「この報せには載っておりません。ご無事かどうかまでは・・・」
「エリックはそれを調べに飛び出したのね」
エリックが焦って飛び出した気持ちが理解できた。
「そもそも、北方民てどんな人たちなんですか。敵なの」
江莉香の質問に今度はジュリオが手を挙げた。
「北方民とはドルン河以北に住んでいる人々すべてを指す言葉です。友好的な部族もいれば敵対的なものも数多くいます。今回将軍を襲ったのはそういった部族でしょう」
「強いんですか」
「はい。文明度は低いですが、その分彼らの身体は我々より頑健です。裸馬を駆り、半裸で剣一本で荒ぶる恐ろしい戦士たちと聞いています」
「そっか、うちの村のクロードウィグが北方民出身だ。あんな人ばかりいるの」
その恐ろしさを実感した江莉香にロランがさらに追い打ちをかける。
「そうだ。奴らは恐れ知らずの戦士たちばかりだ。奴らとは長い年月争っている。普段は様々な部族に分かれて、大きな集団を作らず暮らしているが、略奪遠征をおこなう場合は万の軍勢を集めることもある」
「万って、将軍の連れて行ったのって、軍団の半分の五千人ぐらいだったわよね。そんなの勝てないわよ」
「無論。数は少なくとも我らも精鋭の戦士たちだ。むざとやられはせん」
「でも、負けちゃったんでしょ」
「そうなりますね。楽観できません」
メッシーナ神父がため息とともに頷いた。
これは最悪の事態を想定するしかないかな。状況がよく分からない以上、楽観視するより悲観的に考えよう。
「これ、最悪どんなことになるの」
江莉香の疑問にロランが答える。
「国境線を越えた北方民がこちらに押し寄せてくるだろう。後は略奪と虐殺か」
「はぁ。そんなことになるの」
さらっと恐ろしいことを口にする。
「過去に幾らでも例のあることだ。軍団兵とはそもそも、国境を越えてくる者を追い返すためにあるのだ。大昔の話だがオルレアーノにも蛮族が押し寄せたこともある」
「目と鼻の先じゃない」
「そうだ。ニースも無事とは言えない」
「ど、どうしよう」
安全保障を軍隊に丸投げすればいいという話でもないようだ。今はその軍隊の半分がやられたみたいだし。エリックが戻ってくるまで、何もしないわけにもいかない。と言うか、何かしてないと落ち着かない。
「よし。ギルド長代理として提案します。ニースを守るためにも、当ギルドは全力を挙げて将軍と軍団を支援します。異論のある方は」
江莉香は集まった面々を見回すが、だれも異論を上げなかった
「無いですね。で、どうすればいい。何が必要」
モレイとモリーニが声を上げた。
「とにかく、正確な情報を集めましょう」
「そうですね。いつ、どこで、どれ程の被害か確認を」
「それは、今、エリックがやってくれているわ。ここから何ができるかよ」
声に苛立ちが混じるのを止めることが出来なかった。そんな江莉香にジュリオが柔らかい声色で提案する。
「援軍を送るにしても街で立て籠もるにしても、まずは兵糧の確保が最優先です。幸い秋の取入れが終わったばかりです。集めるだけ集めましょう。モレイ。我が商会から王都に流れる小麦は全て停止とする。手持ちの小麦の全て集めるぞ」
「はっ。直ちに」
「腹が減ってはってやつね。ジュリオさん、お願いします」
「お任せを」
続いてロランが口を開く。
「援軍の招集は間違いないだろう。それに協力しよう」
「何を集めたらいい」
「武器と兵士だ」
「兵士って言ってもエリックとエミールは行っちゃったし・・・」
そう口にした後に、衝撃的な事実に気が付いた。
「・・・ああ、そうか。私がいたわね」
自分の言葉に心臓が早鐘を打つ。
そうだった。私には従軍の義務があった。
江莉香の言葉に皆がざわめく。
「うん・・・仕方ないか。行きたくないけど、行くしかないのかな」
「きっ、危険です。エリカ様。お考え直しを」
ユリアが悲鳴のような声を上げた。
「私だって、本音としては行きたくないけど、そうも言ってられないでしょ。こう見えても一応、百人長だし・・・私が行って何の役に立つのか分かんないけど」
蒐での失態が頭をよぎり声が震える。
戦争に参加しても、自分の役割が見えない。
「戦なのですよ。怪我だけではすみません。お命が危ないのですよ」
「分かってるわよ。でも、セシリアの命も危ないのよ。放っておけないわ。それに一門との契約の時も、友人の危機は見捨てないって約束しちゃったもん」
戦争に行きたくない理由は星の数ほどあるが、行かなくてはならない理由は、一つしかなかった。
「彼女は私の友人よ。私も行くわ」
江莉香は大きな声で断言すると、ロランが膝を打って賛同を表す。
「よく言ってくれた。当然わしも行く」
「じゃ。ロランは武器の調達をお願い」
「承った」
「他に何かありますか。何でも言ってください。この際お金がいくらかかっても構いません。払えるか払えないかは後で考えます」
兵糧と武器以外に何が必要なのかも分からないが、かき集められるだけかき集めよう。
「採算度外視であれば傭兵団を組織できます」
「なにそれ」
モレイの提案に首を捻った。
言葉としては知っているが、実際にはどういう人か知らない。
「金で雇った兵士です。戦力としては今一ですが、数は揃えられます」
「何人ぐらい」
「百名程度であればすぐにでも」
「採用」
「お待ちください」
性急な判断にメッシーナ神父から待ったがかかる。
「教会としては、傭兵団の使用はお控えいただきたく」
「どうしてですか」
いい案だと思ったんだけどな。
「教会は傭兵団を禁止指定しております。ギルドの一員として反対いたします」
「メッシーナ神父。教会の御立場は理解できるが、今はそのような・・・」
神父の言葉に、モレイが口を挿む。しかし。
「替わりの案がございます」
神父がモレイの言葉に被せてきた。普段ではありえない行為だ。
「エリカ様の護衛として神聖騎士団の派遣を要請いたしましょう」
その進言に江莉香以外の全員が、声を上げた。
「なんと、その様なことが出来るのですか」
「それは、朗報です。下手な傭兵団を雇うより何倍も心強い」
皆が手を叩いて喜んだ。
「待って待って、話を進めないで。神父様。なんですか、そのなんとか騎士団って。強いの」
「正しくは、神々の恩寵により守られし騎士の集いと申します。信仰心熱い騎士たちにより結成されている、教会の守護者たちです。一人一人が一騎当千の兵達です。傭兵などとは比べるべくもありません」
「その人たちが手伝ってくれると」
「オルレアーノの、司教様にお願いいたしましょう」
よし、なんかよく分からないけど、強そうな人たちの助力を得られそうだ。
「ありがとうございます。お代はいくらかかっても構いません。集められるだけお願いします」
その言葉にメッシーナ神父は困ったようにほほ笑んだ。
「エリカ様。教会の騎士たちは傭兵ではありません。彼らは剣によって神々に奉仕する修道士です。そのようなお気遣いは無用です」
「えっ、でも、ただ働きってわけにもいかないでしょ」
「ただではありませんよ。その行いは神々からの祝福を受けられるのですから」
「なっ、なるほど」
うーん。やっぱり、宗教に命をかける人の心理は理解できない。
困惑しているとジュリオが新しい提案を出す。
「エリカ様、騎士様たちの兵糧を我々が用意いたしましょう。それを、お礼代わりとしてはいかがでしょうか」
「そうですよね。それぐらいなら受け取ってくれますよね」
ご飯代と言うか、必要経費ぐらいは出さないと。それにしたって命の価値よりは安いでしょうけど。
「分かりました。ありがたく頂戴いたしましょう」
「よかった。他に何かありませんか」
一同を見渡すが意見を述べる者はいなかった。
「とりあえずこんな所で。何か思いついたら遠慮なく言ってください。では皆さん、お願いいたします。今は行動あるのみ」
江莉香が立ち上がり号令を下すと、全員が一斉に動き出す。部屋を出ていく男たちをかき分けユリアが駆け寄ると両手をしっかりと握った。
「エリカ様。本当に行かれるおつもりですか」
「うん。心配しないで。魔法使いは専属の護衛の人がいるから大丈夫よ。神父様も護衛の人を付けてくれるって言ってたでしょ」
「でも」
「それより、私とエリックがいない間、ギルドをお願いね。ここで、ユリアをギルド代理補佐に任命するから。適当にやっておいて」
「そんな。私では無理です」
「ユリアしかいないの。お願いね。砂糖を作って売るだけでいいから、それも無理だったら止めてもいいし、好きにして」
泣きそうな顔のユリアをなだめると、それまで一言も口を挿まなかったコルネリアが、静かに進み出た。
「エリカ。貴方のような女を火の玉女と呼ぶのですよ。少しは冷静に判断しなさい」
「火の玉女ですか。今は褒め言葉と受け取ります」
「エリカ。私に何か言いたいことはありませんか」
コルネリアが普段の無表情とは違い、少し悪い笑顔を作る。
彼女の言いたいことはなんとなくわかる。
「うっ。意地悪だ」
「知らなかったのですか。では、一つ賢くなりましたね」
「でも」
「いいから言いなさい」
どうしよう。援軍に行くと言った時から、言いたいけど言い出せなかったことだ。ても、コルネリアから水を向けてくれているという事は、その、厚意に縋るべきだろう。
「一緒に行ってください。コルネリア様」
「いいでしょう。任せなさい」
今度は、本当に笑って頷いてくれた。
「本当に。いいの。だって、コルネリアには関係ないでしょ。一門でもないし」
「関係ないとは心外ですよ。セシリアは私の友人でもあります。友人を助けるのに一門などと些末な話。それに、私はこのギルドの相談役ですよ。相談したくないのですか」
「したいです」
「よろしい」
感極まってコルネリアに抱き着いた。
セシリア無事でいて。必ず助けてあげるから。待ってて。
続く
はい。前話から、戦争編に突入しました。
最後までお付き合いいただければ幸いです。




