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奇襲

 見上げるような巨木が生い茂る森の中。周りから雄たけびと悲鳴、金属の撃ち合う音がセシリアを貫く。

 太陽は高い木の狭間から僅かに、その姿を映す。昼間だというのに地上はまるで夕暮れのように虚ろだ。

 どこからともなく飛んできた矢が、風切り音と共に眼前の木に突き刺さる。

 太く粗削りな矢柄に見たことのない色の矢羽。見慣れた王国軍の矢ではない。それはセシリアに対しての害意の象徴であった。


 「セシリア様。お早く。ここは我らが防ぎます」


 額に切り傷を負ったアラン卿が剣を掲げて叫び、近づく敵を一刀のもとに斬り伏せた。耳を覆いたくなるような悲鳴が上がる。

 

 「でも」

 「いいから、南へ。ランドリッツェの砦までお退きください」


 自分だけ逃げ出すことに躊躇っていると、更に矢が飛んできて足元の地面に突き刺さる。


 「貴様たちはセシリア様と共に行け」


 アラン卿が左右にある配下の騎兵に指示を出すと、二騎が馬首を翻した。


 「はっ。セシリア様。我らがここを斬り開きます。必ず後にお続きください」

 「お早く」


 騎兵たちの鬼気迫る進言に頷かざるを得なかった。


 「アラン様。ご武運を」

 「我が家名と騎士の誓いにかけて」


 アラン卿は口の端を僅かに上げた。微笑んでみせてくれたのだろうか。

 セシリアは馬首を翻し護衛の騎兵の後に続いた。

 周りには負傷した兵士や倒れた者の骸が横たわる。その中をセシリアは何とか馬を駆けさせる。エリカから送られた鐙は確実にセシリアの馬術の腕前を高めるのに貢献していた。

 アランは南へ逃げろと言うが、深い木々の中、どちらが南なのかは正確に分からない。護衛を信じて彼らの後を追うだけであった。



 それは、例年と何ら変わりのない行事の一つのはずであった。

 オルレアーノでの蒐を終えたセンプローズ将軍の一団は、歩兵騎兵合わせて四千の軍勢を率いて北部国境を流れるドルン河を渡った。毎年のように行われる北方民への軍事的な示威行為。

 ドルン河の防衛を担当する、ガエダ辺境伯の軍勢と共に友好的な部族の挨拶を受け、敵対する部族と散発的な戦闘を行いながらドルン河を北西に向かって下る。

 そして、北の海が見えた所で引き返すという、いつもと同じ遠征のはずであった。

 しかし、小さな山系を越えたところで、先を進むガエダ伯との連絡が途絶えた。

 不審に思い、調べてみると、どうやら道を北に変えたらしい。

 相談も無く進路を変えたことに憤りを覚えたが、捨て置く訳にもいかずその後を追う。

 ガエダ伯の軍の痕跡を追うセンプローズ軍の前に現れたのは、傷つき逃げてきたガエダ伯の兵士であった。 

 彼らの口からは、道案内の北方民の助言により進路を変えたところで、北方民の大軍から攻撃を受けたとの報を受ける。

 この地から、二日、北に向かったところの谷間に陣を構えて抵抗しているとの事であった。

 将軍は、前面に精鋭の歩兵部隊、後方に輜重隊、側面を騎兵に守らせる戦闘行軍の陣形に変更し救援に向かった。

 そして、谷に到着するはるか手前で、北方民が襲い掛かってきたのだ。

 油断していたわけではない。しかし、それは、あまりに唐突であった。

 深い森に誘い込まれたセンプローズ軍は、薄暗い木々の狭間より湧き出た獰猛な北方民の大軍から奇襲攻撃を受け混乱状態に陥った。

 戦闘隊形を取っていたと言えども、細い道で縦に長く伸びた軍団の中央に、北方民たちが側面から襲い掛かると、軍団は一瞬で分断された。

 北方民たちは分断した先頭集団を取り囲むように動く。セシリアは父に従い先頭集団にいたため、瞬く間に周りを北方民の兵に囲まれていた。斬りかかって来る北方民から逃れるうちに父である将軍を見失った。

 なんとか、後方の部隊と合流を果たそうとするが、分断された軍団の間には多くの北方民が溢れ、その中を突破できそうにない。


 「セシリア様。こちらへ」


 護衛の騎兵は、敵がいないと思われる方向に馬首を変えた。それは、アランの言う南ではなく東。

 そこから、どう移動したのか覚えていない。

 覚えているのは護衛の一人が矢を受けて落馬したことだけ。もう一人の騎兵とはいつの間にか逸れてしまっていた。

 完全に夜のとばりの降りた森の中、セシリアは当てもなく馬を進めるしかなかった。僅かな風の音に怯えたのも初めの内だけであった。恐怖と空腹で疲労困憊になりすべての感覚が鈍くなる。

 疲れ果て馬が歩みを止めると、セシリアは岩の隙間に身を寄せて眠った。

 朦朧とする意識の中で夢を見た。懐かしい夢を。



 「セシリー。ほら凄いだろう」

 「ああ、エリック。すごいすごい」

 

 エリックが釣り上げた魚を自慢げに見せた。

 セシリアはいつもエリックの笑顔を眩しげに見上げるのだった。

 奴隷の娘として生まれ、いつも誰かに虐げられないかと怯えながら暮らしている自分だが、エリックと共に過ごす一時(ひととき)はいつも輝いていた。


 「ほら。セシリーもやってみろよ」

 「うん」

 

 エリックから釣竿を受け取り、針に餌を付けてもらう。


 「いいかい。あそこに大きな岩があるだろ。魚は大きな岩の陰に隠れてるんだ。そこに向かって投げるんだ。やってみろ」

 「わかった。・・・えい」


 セシリアの投げた針は、はるか手前の水面に吸い込まれた。

 隣でエリックが愉快そうに笑う。


 「笑うなんてひどい」

 「ごめん。ほら、いいかい。こうやって」


 エリックがセシリアの持つ竿を一緒に握ると振ってみせた。

 針は、エリックの言った岩場の陰に吸い込まれるように飛んでいく。


 「いったいった。エリック。すごい」

 「いいから、しっかり竿を持てよ。魚が食いついたときに持っていかれるぞ」

 「うん」

 「今日の昼ごはんは。セシリーが釣った魚にしよう。どっちが大きいか競争だ」

 「いいよ。絶対、エリックより大きい魚を釣るもん」

 「本当か。セシリーの腕。細いからな。釣り上げられないんじゃないか」

 「できるもん」

 

 そうだった。彼はいつもそうやって笑いかける。

 

 エリックはお父さんと一緒に一月に一回ほど、屋敷を訪れ将軍に奉仕していた。

 なにかの宴の日。

 庭のかがり火の不寝番をしていたエリックに、食べ物を届けたのをきっかけに仲良くなった。

 エリックは自分が奴隷の娘であることを一切気にかけていないようで、対等の友達として扱ってくれる。セシリアにとって母の次に大事な人であった。

 セシリアの母は北方民出身の奴隷であった。

 幼い頃に奴隷商に売られあちこちを転々とし、最後に売られたのがセンプローズ将軍の元であったという。そのころの話を決して母はしない。ただ、寂しそうに自分の髪をなでるのであった。どうやら、自分の父親が将軍らしいと小耳にはさんだのは六歳ぐらいの頃だっただろうか。しかし、娘としての立場は与えられず、奴隷と小間使いの中間のような立場で屋敷で働いていた。

 屋敷での奉公は楽なものではない。理不尽な暴力を受けたのは一度や二度ではなかった。

 しかし、そんな辛い日々の中でも、エリックといるほんの一時だけは、それら全てのしがらみから抜け出しているような心地になれ、自分が驚くほど笑っていることに気が付くのだった。

 それは、エリックも同じだったと確信できる。


 いつからだろう、あんな風に笑ってくれなくなったのは。

 ああ、そうよ。あの、忌まわしい運命という呪いを受けた日からだ。

 正確に分からない自分の誕生日を十回迎えた頃。身体の中に何か異様な熱のようなものを感じ始める。初めの内は体調が悪いだけだと思っていたが、それはどんどん膨れだし、ある日セシリアの身体からあふれ出した。

 それはセシリアが魔法の力に目覚めた瞬間であった。

 実際に何が起こったのかは覚えていない。目撃した者の話によると凄まじい水の奔流が屋敷の一室を洗ったらしい。

 大騒ぎする周りに翻弄され、気が付くと将軍の部屋で一対一で対峙していた。


 「セシリア。お前を正式にわしの娘として認める」


 それが、直接、父から掛けられた初めての言葉であった。

 その言葉と共に、セシリアの生活は一変した。母と暮らしていた長屋の一室から、屋敷の中の豪華な部屋を与えられ、それまで自分に命令していた上位の侍女たちが「お嬢様」と、(へりくだ)るのだ。

 目も覚めるような高価な衣服を身に纏い、専属の家庭教師から貴族の子女としての教育を受けさせられる。

 それは、(おぞ)ましさと恐怖を合わせた、形容しがたい何かであった。

 そして、その正体はエリックと顔を合わせた時に形となりセシリアに襲い掛かった。


 「セシリアお嬢様」


 小さな声でエリックが一礼した瞬間を自分は一生忘れないだろう。

 魔法使いであることは伏せられていたが、将軍の娘であるという話は大きく広められた。それまで唯一対等の友達であったエリックまでもが、自分に跪く。

 こんなものは、自分が望んでいるものではない。

 綺麗な服も、豪華な部屋も、かしずく侍女もいらないのだ。

 欲しかったものはただ一つ。

 それが、自分の掌からこぼれていくのを感じた。

 魔法の力なんかに目覚めなければ、その思いは年を重ねるごとに強くなる一方だった。

 救いがあったとすれば二つだけ。母が奴隷の身の上から解放され自由の身になり、エリックが未だに自分に向けて変わらぬ愛情を抱いていてくれる。ただそれだけであった。

 もし、あの日。魔法の力に目覚めなければ、今頃、自分はエリックの元に走っていたかもしれない。仮にそうなっても、誰も引き止めなかっただろう。将軍の娘とは言っても奴隷の女に産ませた妾腹の子。正式な娘としても認めていない小娘一人がどうしようと、誰も気に留めなかっただろうに。

 望んでもいない力に目覚めたばかりに、叶わぬ夢と消えた。

 この忌まわしい魔法という力に。

 だが、この力に目覚めた事は変えられない。

 この力に目覚めたからこそ、母が奴隷から解放されたことを思うと、無下に切り捨てることも出来ない。母にとっては良かったことなのだろう。

 わたくしは、魔法使いとして生きていかねばならないと覚悟した。

 そして、力をつけ、センプローズに貢献してみせよう。

 魔法使いともなれば、会話もほとんどしたことのない姉たちと違い、容易く他家に嫁がされないだろう。魔法使いの力はそのまま、その家の力。自分の力を示し。父を将軍を納得させる。わたくしの真に欲しいものを手に入れるために。


 「魔法って何の役に立つの? 」


 本当に、エリカの言う通りだ。何の役に立つというのだろう。こんな力、わたくしは要らない。

 わたくし。セシリア・アスティー・センプローズが欲しいものはただ一つ。


 顔に軽い衝撃を覚え夢から覚めた。

 愛用の白馬が、セシリアに顔を寄せていた。

 立ち上がり、その鼻面を撫でてやると、木々の隙間から太陽が覗いていた。

 南へ。アラン卿が言っていたランドリッツェの砦まで、退却すれば味方がいる。何としても、そこまでたどり着かなくては。


 「こんな所で、死ねない」


 セシリアは馬首を南へ向けた。



                  続く


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