荒唐無稽な話
村に戻った翌日。
エリックは一人でモレイ達を砂糖の工房に案内した。
彼はドーリア商会でもフスよりも立場が上の人物だ。信頼の証として彼になら砂糖の製造方法を見せてもいいだろう。
工房では畑の収穫も終わり、手の空いた村の女たちが忙しく働いている。
エリカは旅の疲れが出たのか、昨晩から熱を出したので、薬を飲ませて休ませることにした。
「これほどとは、驚きました」
工房での砂糖作りを一通り見終わると、モレイは深いため息をついた。
「ノルトビーンから砂糖を作る方法はギルドの人間でも一握りにしか教えていません。このことは御内密に」
「勿論でございます。ただ、何と申しますか、想像していたより簡単ですな」
「ええ、やってみると、こんなものかと思われるだろうが、エリカの地道な作業の賜物と思ってほしい。彼女がいなければ到達できませんでした」
モレイの指摘通り、一つ一つの作業は難しいものではない。お蔭でしっかりと教えれば数日で誰でも砂糖の精製は可能だ。
「おっしゃる通りですな。失礼いたしました」
「いや、いいんです。砂糖の作り方も完成してしまえば簡単に見えるのは仕方ない」
モレイの謝罪にエリックは手を振って応えた。
簡単に言ってしまえば、ビーンの煮汁を乾かすと後に砂糖が残るようなものだ。塩の作り方と変わりはない。手間は遥かにかかるが、知ってしまえば何という事も無いことだ。
「それで、ギルド長はこれからどの様になさるおつもりですか」
「どの様にとは」
「砂糖の増産はどの程度の見積もりを立てておいででしょうか」
どの程度といきなり言われても困ったな。エリカが何かしらの数字を出していたとは思うが、覚えていない。
「詳しい数字はエリカが計算している。体調がよくなったら説明させよう」
「いえいえ、その様な事は申しません。大雑把な感覚で結構です」
「そうですか。あそこの丘に畑が見えるだろう」
エリックは村の北に広がる丘を指し示した。
「はい」
「あの丘の全てをビーンの畑にするつもりです。今は村の者と教会の修道士が共に開墾してくれている。周辺の村からも買い付けているが、まずは自分たちで確保するつもりだ」
「ほうほう。見に行っても構いませんか」
「ああ、案内しましょう」
エリックはモレイ以下、王都から来た商会の人々をビーンの畑に連れて行った。モレイの後ろには四人の商会員とモリーニが続いた。
「この丘、全てを畑に変えるには相当な人手がいりますな」
丘の頂上から全体を見渡したモレイの言葉にエリックも頷く。
視線の先で修道士と村の者が並んで鍬を振るって畑の開墾をしている。しかし、丘全体にまで広げるにはどれ程の時間がかかるだろうか。灌木を切り開き石を取り除き、水路とため池も増やさなくてはならない。人手が足りないのは明らかだ。
「そうなんだ。教会から修道士が来てくれているが、彼らだけに任せるわけにはいかない。だが、村の者はよそ者の移住を嫌っているからな。人手は中々増やせない。村から外に出た身内に声を掛けている段階です」
「いきなり大量の移住者は受け入れが難しいですからな」
エリックの説明にモレイも同意を表す。
「オルレアーノの者から聞きましたが、エリカ様が奴隷の使用を禁じておられるとか。なぜでございます。奴隷を二百人ばかり使えば人手不足は解決すると思うのですが」
人手不足の話をすると誰もが抱くもっともな疑問だ。
エリックはこれまで通りの説明を繰り返す。
「エリカの国の法だそうです。人の売買は重罪だそうで、絶対に奴隷の使用は許さないとのことです。これは私も変える気はありません」
エリカはクロードウィグの家族が村の者から軽くみられることすら許さない、という態度を取っている。
本当に奴隷に対する拒否感が強い。それは奴隷が嫌いという感情から来ているようでもなく、エリックとしては理解しにくい感覚であった。
エリカとは考え方の根本が違うような気がする。だからこそ彼女は砂糖の精製に成功したと言えるのだが。
今の自分があるのはエリカの力が大きい。
エリックにはエリカの感情を優先することなど、わけの無い事だった。だから、彼女の考えに疑問を出す者に説明して回るのだ。
「なるほど。そう言えば、エリカ様のお国はどちらですか。随分と遠い国から来られたようですが」
「ああ、ニホンもしくはニッポン。と言うそうですよ」
エリックの言葉にモレイの顔が引きつる。ああ、そうだった。これも誤解を解いておかなくてはいけない。
「神々の国という意味ではありません。同じ発音の違う国、海に囲まれた島国だそうです」
「驚きました。しかし、そうなりますと聞いたことのない国ですな。どこにあるのでしょう」
「分からない。どこにあるか分かればいいのだが」
帰れるかは別にして、大まかな場所だけでも分かれば、エリカも喜ぶとは思うのだが、誰もニホンの場所を知らない。想像以上に遠い国なのだろう。
「なぜですか、エリカ様にお聞きになっていないのでしょうか」
「違う。エリカもどうやってロンダーに来たか知らないみたいだ。攫われたようなものと言っていました」
「そうだったのですね。おいたわしい」
モレイは何度も頷いた。
一通り、砂糖関係の工房と畑を見せてやると、モレイ達商会員は頭を合わせて何やら相談を始める。
フスからおおよその話は聞いているだろうに、王都からこんな田舎までわざわざ船を仕立てて見に来るとは、商人の行動力には驚かされる。
「ギルド長。いえ、代官としてのエリック様。私共ドーリア商会からご提案したいことがございます」
相談が終わったようで、モレイが改まった態度で口を開いた。
ギルドにではなく代官への要請か。
「なんでしょう」
「ニースに港を造成いたしましょう」
「港? 砂浜に桟橋を作るという事ですか」
ニースにも港と呼んでいいかは微妙だが小さな桟橋があった。しかし、二か月ほど前に起こった嵐に破壊されて以来、放置している。蒐にギルド、オルレアーノの店とそれどころではなかったという事もあるが、元々ニースにあるのは数人乗りの小舟ばかり、なくても特に困ることはなかったからだ。
「はい。我々が乗ってきた船が接岸できる大きさの桟橋が必要です」
「あんな大きな船が、ですか」
モレイが大きく頷く。
彼らが乗ってきた船は人が三十人以上が乗りこめそうな大きさだ。
王都エンデュミオンでなら中型の大きさだろうが、ここニースでは立派な大型船だ。
そのため、遠浅の砂浜が続くニースには近づけず、入り江の中でも外海に近い場所に碇を下ろしていた。
「その他にもビーンや砂糖の保管用の倉庫、船の修理工房を備えた港です。ここを砂糖の積出港にするためです」
「フレジュスの港町のようなものですか」
ニースから風向きが良ければ半日で到着する町を思い浮かべた。
「はい。港があれば、各地からビーンを直接ニースに運び込むことが出来ます。また、精製した砂糖も素早く各地に卸せますよ。大きな船が停泊できれば将来は遠くの国と直接交易が出来るでしょう」
あまりに大きな話に困惑する。
この村で他の国との交易か。教会の二百人修道院よりも荒唐無稽だ。
「お話は分かりますが、砂糖は出来たばかりで、作る量を増やすのもこれからの話ですよ。港を作る力なんて我々には」
工房や畑の開墾とは訳が違う。そんな資金も人手も逆立ちしたって手当てできない。
だが、ニースにも外国の大きな船が来航し、人や物が行き交えば第二のフレジュスのようになるかもしれない。それはそれで夢のある話だ。
エリックは自分の空想が楽しくなった。
「資金、職人、人手に関しましては我々ドーリア商会にお任せください」
どうやら本気で言っているらしい。確かに港があれば便利なのは違いない。各地から船の集まるフレジュスへ砂糖を運べは国中に砂糖を売ることが出来る。
これは、俺一人の判断では無理だ。エリカや将軍閣下の意見や判断を仰がなくてはいけないだろう。
やれやれ、フスとは違いモレイ氏は教会並みの無茶を言ってくるんだな。
エリックがモレイ達の相手をしているころ江莉香は自室で眠っていた。
太陽が西に傾き始めた頃、全身にかいた汗と焼けるような熱で江莉香は目を覚ました。
「ん、んんん、今、何時」
昨晩の宴会の途中で急に熱が上がっていくのを感じ、そのまま寒気に見舞われた。慌ててペタルダから買った解熱剤を飲んでベッドに逃げ込んだが遅かった。
村に帰りついて安心したのか、それまでの疲れが出てしまい、一晩中、全身に熱と倦怠感が押し寄せたのだった。
久しぶりに家族と日本の夢を見た。
こちらに飛ばされた頃は毎日のように見て泣いていたが、今では少し悲しい程度にまでなった。こちらの暮らしに適応し始めた証拠と言える。
エリカは風邪を引くと扁桃腺が腫れて喉が痛くて辛いのだが、今回はその症状は出ていない。過労から熱が出ただけみたいだ。
これなら、熱さえ下がれば元に戻るだろう。
起き上がり、枕元に置いてある水差しから水と解熱作用があるペタルダの漢方薬を口に流し込む。
もうひと眠りするか迷っていると扉が叩かれた。
「どうぞ」
「エリカ様。お加減はどうですか」
小さな声と共にユリアが部屋に入ってきた。
「うん。熱も少し下がったみたいだから大丈夫よ。今日一日寝てれば治ると思う」
「良かったです。安心いたしました」
ユリアがエリカの額に手を当てた。
「まだ、熱がありますね。お薬は」
「今、飲んだ」
「お水は」
「飲んだ」
「では、汗をたくさんかいて熱を下げましょう」
「うん」
「では、脱いでください」
「? なにを」
「お召し物です。汗だくのままの恰好では、治りません。着替えましょう」
「ああ、わかったわ」
言われるがままに着替える。
子供みたいな扱いであったが、嬉しかった。
着替えを終え横になると、ユリアが水にぬらした布をおでこに乗せてくれる。
「冷たくて気持ちいいわ。ありがとう。ユリア」
「どういたしまして。では、もう一度お眠りください。後でお食事を持ってきますからね」
「うん」
言われるままに眠る事にした。
次はどんな夢を見るんだろう。
続く
この作品は小説なので完全に私のコントロール下にあるはずなのですが、ある種のシミュレーターのようになっていまして、たまに思いもよらない方向に向かったりします。
本当に、私の中で突然、江莉香が過労で倒れちゃった。
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