レース
江莉香が見ている前で、その辺りを一周してきたエリックが意外なほどの唐突さで鐙を使うことを了承した。
自分で勧めておいてなんだけど、判断が速いな。
「もう少し、慣らしてくる」
そう一声かけると、草原の方に走って行ってしまった。江莉香とロランは取り残される形となった。
レース前に走り回って大丈夫なのかな。
「あの馬、速いんでしょ」
「ああ、速いは速いがな」
「ちゃんと、乗れてるみたいだし、上手くいくかもね」
ロランが唸り声を上げる。
確かに鐙一つでどれぐらい変わるか分からないけど、強い相手には強い馬を用意しなきゃダメよ。
「エミールは何番レースなの」
「えっと、私は六番目に出ます」
「OK、じゃあ、エミールの馬券も買っておくから頑張ってね」
「あの、エリカ様」
ロラン親子に手を振って、護衛の兵隊さんと一緒に賭博の胴元の所に戻ると、意外な人がいた。
身なりの良いその人が、ギャンブル目的の人だかりから抜け出してきたところだ。
「アラン様、どうしてここに。アラン様も馬券を買いに来たんですか」
「これは、エリカ様。こんなところで何をしておいでですか」
「はい。エリックに賭けようかと思いまして」
「いけない方だ。あまり感心しませんよ。ここは、よろしくない輩の集まる場所です」
アラン様はさわやかに笑ってみせるが、そんな場所なら騎士の貴方がいるのも不味いのでは。
「アラン様は誰に賭けたんですか」
ちょっと興味がわいたので聞いてみる。
「私は、私に賭けましたよ」
「ええっ。ご自分に賭けたのですか。いいんですか、そんなことして」
「構いませんよ。皆、強敵ぞろいですから八百長でもありませんしね」
凄い自信。ここまで行ったら確信なのかな。
「因みに、何番ですか」
「私は十一番目です」
おっと、さらに上のクラスですか。何というか、何でもできるのね。生まれも良くてハンサムで文武両道とか完璧超人かな。女だったら許さん。
「シンクレアは何番ですか」
「はい。十番です。本当は七番だったんですけど、若殿の馬廻りの人の挑発に乗って十番に」
江莉香の言葉にアランは楽しそうに笑いだした。
そりゃ、アラン様には笑い事でしょうけど、エリックにとっては真剣勝負なんですからね。
「失礼。シンクレアを笑ったわけではありませんよ」
知らない間に睨みつけていたのかもしれない。
「困った方々だ。いつもの新人の歓迎という訳ですか」
「新入りのいびりじゃないんですか」
「そうとも言いますね」
アランは肩をすくめてみせた。
どこの世界も人間のやることに変わりはないのね。
「やっぱり」
「ご心配ですか」
「そりゃ、心配ですよ。変に妨害とかされたら落馬してしまうかも。落ちたら死ぬんでしょ」
「流石にそこまではしないでしょうが、妨害はあるでしょうね」
「うーん。やっぱり止めた方がよかったかな。でもな。言い出したら聞かないからな」
「わかりました。私も出馬を十番に変更しましょう」
「へっ」
「それとなく、シンクレアを助けてみましょう。一位は私の物になってしまいますがね」
どうしてそんなことを言ってくるのか分からない。この人も、エリックの事、快く思っていないと思っていたけど。
「ありがとうございます。出来たら、一位も譲ってください」
「それは、八百長ですよ」
笑顔で返された。これは一本取られたわね。
他の馬廻りの人よりは為人がわかるから信用してもいいのかな。
「こうなったからには、賭けを変更しなくては。エリカ様はシンクレアに賭けるのですね」
「はい」
「では、お任せを。おい。賭けを変更するぞ。十番にアラン・トリエステルに銀貨十枚だ。エリカ様はお幾らになさいますか」
「同じだけ」
「承りました。おい。エリック・シンクレアに同じく十枚だ」
しまった。意地になって同じ金額をベットしてしまった。私、賭け事は向いてなさそう。
銀貨を十枚支払って、胴元から番号と名前を書かれた割符を受け取った。これが馬券なのね。
エミールの分も馬券を買って観客席に戻った。
「もう。どこまで行っていたのですか、心配しましたよ」
席に戻ると、セシリアに叱られた。
「ごめんなさい。馬券買うのに手間取っちゃって。エリックは十番目に出るんですって。今、何番」
「今、これは五番目が始まるところですけど。十番ですか」
セシリアが首をかしげた。
「うん。なんか、若殿の馬廻りの人と勝負することになっちゃって」
「十番目とは強豪ぞろいですね。エリック卿に勝ち目はありませんよ」
コルネリアがズバッと言ってくる。やっぱりそうなんかな。
「一応。対策はしてきた。村で一番速い馬に変えたし。鐙を使うことも了承させたし」
「鐙をですか」
セシリアにも一セットプレゼントしているけど、結構気に入ってくれている。
「うん。最初は渋ったけど、乗ってみたら案外素直に使ってみるって言ってた」
「そうですか」
「ほう。思い切ったことを」
二人が考え込む仕草を見せた。どうしたんだろ。
そうこうしている内に第六レースが始まり、エミールが眼前を駆け抜けていく。第六からレースの様相が変わった感じだ。賞金と賞品も一気に上がり、それと共に出場する人馬のレベルも上がる。
エミールも先頭集団には食らいついているが、最後の直線のラストスパート勝負で完全置いて行かれた。
私は銀貨を一枚失った。第六でもこんなに速いのか。第十レースはどうなる事やら。
「エリック・シンクレア。私も同じ第十だ。よろしく頼むよ」
草原をひとっ走りして鐙の感覚も分かってきたエリックにアランが声を掛けた。
傍らには葦毛の立派な馬を従えている。馬格だけなら父の馬と遜色がない。
「よろしくお願いします。アラン卿」
「ああ、ところで、それは何だい」
アランが鞭で鐙を指し示す。
「これは、鐙というものです。エリカの国の馬具です」
「ほう。エリカ様の国のか。面白い。見せてくれ」
「どうぞ」
アランは鞭を小脇に抱えると鐙を手に取り、足を入れる場所に手を入れて感触を確かめていた。
「なかなか、興味深い馬具だ」
どうやらアラン卿は鐙に好意的だ。珍しい。いや、遠回しに馬鹿にしているのかもしれない。嫌味は感じられないが。
「シンクレア。逃げずに来たか。まずは褒めておこう」
エリックが失礼な感想を抱いていると、高圧的な台詞が頭上から振って来る。
視線を送るとオルヴェーク卿が、他の馬廻り衆と共に近づいてきた。
何と返答しよう考えているとアラン卿が前に進み出た。
「オルヴェーク卿も十番ですか。これは奇遇ですね」
「トリエステル・・・」
アランが大仰にオルヴェークに挨拶をした。
「其方も、十番だったか。一つ上かと思っていた」
「はい。私も当初はそう考えておりましたが、やはりまだ私には荷が重いようで、一つ下げさせていただきました」
「ふん」
オルヴェークは面白くなさそうに鼻で笑った。
「シンクレア。貴様の馬はどうした。先ほどと違うようだが」
「はい。流石に先ほどの馬では皆様に失敬と思いまして、村一番の馬を用意いたしました」
馬の背を撫でながら、少しアランの話し方を真似してみる。これをするとオルヴェーク卿が嫌がるだろう。
しかし所詮は真似。効果は見えずオルヴェークの興味は他に移った。
「その、鞍からぶら下がっている物は何だ」
アランと同じことを聞く。やはり気になるようだ。
「鐙と申します。足置きです」
「なぜそのような・・・」
一呼吸おいて全員が笑いだした。
「これはしたり。シンクレアは足置きが無ければ満足に乗馬できないか」
「そのような者がフリードリヒ様の馬廻りなど務まるのか」
「将軍閣下もとんだ見込み違いよ」
「勝負にならぬやもしれぬな」
口々に笑うと立ち去って行った。
あいつらには意地でも勝ってみせる。
「楽しくなってきたな。シンクレア」
本当に楽しそうに笑う。この人はこの人で何を考えているのか分からない。
一際、大きくファンファーレが鳴り響き第十レースの出場馬たちが入場した。
「エリック。頑張れー」
江莉香は立ち上がり大きく手を振る。
「ほら。セシリアも応援して」
「はっ、はい。エリックー」
セシリアが小さく手を振る。何だろう、大きく手を振ったら無作法なのかな。お嬢様も大変だ。
競馬場でおじさんたちが競馬新聞を丸めて振る気持ちが少しわかった。
「しっかし。馬が一気に大きくなったわね」
それまでの馬たちがポニーに見える、大きな立派な馬たちが現れた。江莉香にも馴染みのあるサラブレッドに近い品種なのかもしれない。
「ここからが競馬の本領ですよ」
コルネリアも若干前のめりだ。
一列に出場馬が並んだ。全部で二十頭以上いる。エリックは外側寄りに位置している。隣に馬を並べているのはアラン様だ。言葉通り助けてくれるのかもしれない。あの人が妨害するって事はないと思う。思いたい。
赤い旗が振り下ろされると、各馬一斉にスタート。
先頭は立派ないでたちの騎手が跨る黒い馬。続いて白の斑馬。エリックは集団に巻き込まれたみたいで見えない。
コースは右回り。一周目はほとんど一塊のまま通過していく。
「エリック。いた」
「見えませんでした」
「真ん中あたりを走っていましたね」
見失ってしまったがコルネリアが教えてくれる。
「真ん中か、どうにかして抜け出さないと」
「まだ、一周目です。慌てない」
段々と馬列が縦長になっていく。よく分からないけど、真ん中より前にいないと不味い気がする。
二周目が終わるころには先頭集団が形成され始めた。
「あっ、見えた。前から五番目、六番目かな」
「はい。見えました」
先頭集団の後ろに何とか食らいついていた。
いつしかセシリアも立ち上がって応援している。
そのころエリックは馬を思い通りに御せず悪戦していた。
この馬は、集団で走るのが嫌なのか外へ外へと出ていこうとする。
それを何とか中へと向けるのだが、上手くいかない。それに前を馬廻り衆が占め、馬を入れる隙もなさそうだ。
隣をアラン卿が馬を走らせている。こちらと違ってその姿に余裕があるように見える。
馬の御には苦労しているが、父の馬は足を残しているようだ。こうなったら。
「よし。お前の好きに走るがいい」
三周目の合図が聞こえた時、エリックは馬の首筋を撫でて、外に膨らんでいく道を選んだ。
このまま、馬廻り衆の後ろについても埒が明かない。
エリックは直線をそのまま斜めに進んでいく。当然遠回りになり先頭から少し離された。
最後の曲がり角を回った時、先頭集団からは離されたが、代りに前には他の馬影はない。
「お前の脚を見せろ」
エリックは渾身の力を込めて鞭を入れると父の馬は一気に加速した。前が開けて機嫌がよくなったのか、その急激な速さに振り落とされそうになるが、鐙がしっかりと身体を支える。
なんだ、使えるじゃないか。
どんどん、先頭集団が迫る。先頭はオルヴェーク卿のようだ。
それに気が付いたのはエリックが先頭に躍り出たからだった。
「勝った」
そう確信した時、左手に馬影があるのに気が付いた。
俺よりも、さらに外側だと。
よくは見えないが、アラン卿だと本能で感じた。
剣術では負けたが、馬術まで負けてたまるか。
葦毛の影がどんどんと近づく。しかし、外など見ても仕方ない。ただ前だけを見据えて鞭を入れる。頭を空っぽにして最後の直線を走り切った。
エリックとアランがほとんど同時にゴールラインを駆け抜けた。
「キャー。エリック。どっち、どっちが勝った」
「分かりません。同時としか。エリーック」
「よい戦いでした。甲乙つけがたし」
女、三人で飛び上がるように歓声を上げた。周りもみんな立ち上がり、大興奮で歓声を送っている。
「写真よ。写真判定よ」
「ああ、どちらが勝ったのでしょうか。この場合はどうやって決めるのでしょう」
「審判が下しますが。難しいでしょうね。ほとんど同着に見えました」
中々一位を発表しない。審判も揉めているのだろう。
「エリック・シンクレア」
「アラン卿」
「良い戦いだった。私のカイネロイアに勝るとも劣らない馬ではないか」
アランが握手を求めてきたのでその手をしっかりと握った。今までで一番の競馬だった。
「ありがとうございます」
「何という名だ。その馬の名は」
そう言えば、名前を決めていなかった。ただ父の馬としか呼んでいなかった。
「アンゼ・ロッタ」
咄嗟に口から出てくる。
「アンゼ・ロッタ。東の風という意味だな。良い名だ。覚えておこう」
アランは良い笑顔でもう一度、手を握った。初めて彼の本当の笑顔を見た気がした。
二人で馬を並べて進んでいると、終点から杖を持った男が進み出る。彼が競馬の審判だろう。
「第十番の結果を発表する。稀に見る接戦故。どちらとも軍配を上げ難し。よって、アラン・トリエステル・センプローズ並びにエリック・シンクレア・センプローズの同着一位とする」
大歓声が巻き起こった。それが、自分たちに向けられていると気が付くのにしばらく時が必要だった。
「エリック。歓声に応えたまえ。勝者を称えるこの音色に」
アランが観客席に向かって大きく手を振る。
エリックもそれに倣って手を振るのだった。
達成感が身体を貫いていく。
続く
テレレレテッテレテレレーテッレテレレレー。パカーン。
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