競馬と馬券
アランの言葉から江莉香は勝利を確信した。
馬廻り衆が若殿の側近という事は、若殿が将軍の跡を継いで次の領主になった時、エリックは将軍の側近として傍にいるという事だろう。
これは完全に次世代の幹部候補生でしょう。将軍か若殿のどちらかの心中では、エリックを取り立てるのは既定路線となったに違いない。
今回は騎士にまでは取り立ててくれなかったけど時間の問題じゃないのかな。
あと一押しのとこまで来たじゃない。我ながら素晴らしい計画性。
江莉香が一人で悦に入っていると、眼前を多くの馬が通り過ぎていく。
「今日はやけに馬が多いな。そうか、これ全部そうなんだ」
江莉香は本日のメインイベントを思い出した。
蒐の最終日は論功行賞と競馬が行われる。多くの者にとっては競馬の日なのだ。
「エリックも出るんでしょ。競馬」
二人で甘い空気を醸し出しているエリックに声を掛ける。
いつまでも見つめ合っている恋人たちに割って入るのは気が引けたが、このままだと口から砂糖が出はるわ。続きは私の見てない所でお願いします。
「ああ、俺も出ることにしている。今年は上位に入りたいな」
夢から覚めたような顔でエリックが頷くと、すかさずセシリアが合の手を入れる。
「頑張ってね。エリック。応援しています」
「ありがとう」
そう言ってまた。二人で見つめ合う。
はいはい。私はお邪魔虫みたいね。
しかし、競馬か。
家の近所の競馬場にはお父さんと一緒に何回か行った事あるけど、凄い熱気よね。お金がかかっているのもあるけど、みんな大興奮の大絶叫。人気の馬が一位を取った時のあの一体感。他では経験できないわね。こっちでもそうなのかな。少し楽しみ。
みんなで丘を下って行くと窪地に木製の簡単な造りの柵と階段状の観客席を備えた、立派な競馬場が設営されていた。
「意外に本格的ね。もっとこう、野っぱらをただ走るだけかと思ってたわ」
「三周して、一位を決めるんだ。何十頭という馬が一斉に走るから見ものだぞ」
「へぇ。楽しそう」
エリックがようやく私の存在を思い出したらしく、説明してくれた。
「楽しいが、落馬したら命はない、危険な催しだ。毎年何人かはそれで命を落とす」
何でもないように恐ろしいことを口にした。
「ちょっと。大丈夫なの」
「大丈夫だ。危ないのは走りはじめだけだ」
エリックの大丈夫と私の大丈夫は京都から岩手ぐらい離れている。何が言いたいかと言うと、北海道より遠いのよ。時間的に。
「どこが大丈夫なのか分かりません。落っこちたらどうするのよ」
「心配するな。そんなへまはしない」
きっと、発進ゲートみたいなものはないんだろうな。安全への管理意識が違い過ぎる。
「今年は、どんな馬に乗るの」
セシリアが無邪気に尋ねた。彼女も当然のことのように受け入れている。
「何頭か連れてきました。ロランが世話をしてくれているので、どれも良い馬ですよ。見ますか」
「はい」
車を自慢する少年のようなまなざしだ。
村から連れてきた馬を繋いでいる場所ではロランが念入りに馬の世話をしていた。
ロランに馬の状態を尋ねるとロランは大きく胸を張った。
「若、みな仕上がっております。どれにしますか」
「そうだな」
エリックが一頭一頭見て回る。
きっと、ロランの選抜を受けた精鋭の馬たちに違いない。
「よし。こいつで行こう」
「お任せを」
エリックが引き出した一頭をロランが受け取る。
葦毛の綺麗な馬だ。覚えとこ。
エリックたちと別れ、セシリアと共に観覧席に向かった。
木製の観覧席は偉い人専用らしく、身なりの良い着飾った人たちであふれていた。
「私、ここに入っていいの」
どこか場違いな空気に二の足を踏んだ。
「はい。一緒に観ましょう」
「うん」
セシリアに手を取られて、端っこの空いた席に座ると、見覚えのある白いコートを着た人が。
「コルネリアも見に来たんですね」
「ああ、エリカ、それとセシリアでしたか。ええ、私も好きですから。競馬」
振り返ったコルネリアの表情はいつも通り乏しかったが、目が光ってる。
あら、意外。あんな下世話な催し興味ありませんとか言うと思ってた。
「コルネリア様もよかった。ご一緒しましょう」
コルネリア、セシリア、私の順で、女仲良く三人で腰掛けた。お昼近くになると兵隊の人たちだけでなく、人夫や一般の観客たちも集まりお祭り騒ぎだ。コーラとポップコーンが欲しいわね。
将軍閣下御一行様が貴賓席に着くと多くの馬たちが入場してくる。二十頭ぐらいかな。エリックの姿は見えない。このレースは出ないのかな。
そして、適当なラインで並ぶと赤い旗が振り下ろされ、騎手は一斉に鞭を入れた。馬たちが一斉に駆け出し大きな歓声が上がる。
これ、一周何メートルぐらいあるんだろ。
三周目に入ったところでファンファーレみたいなラッパが鳴り響くと、観客のボルテージも高くなる。五、六頭の馬が一塊となってゴールすると、拍手と口笛、歓声が入り混じった波が押し寄せる。一戦目から大盛り上がりだ。
秋の日差しの中多くの馬が駆け抜け、そして大声援。
うーん。これは完全に菊花賞。
「どれが一番だった。よく見えなかった」
「青い馬飾りの馬が一位でしたね」
コルネリアが淡々と教えてくれるが、いつもより弾んでいるみたい。本当に好きなのね。
一位の馬と騎手が観客席に向かって手を振っているのを見ていると一つの疑問が浮かんだ。
「ねぇ。これってお金賭けたりするの」
「ええ、一位の者には賞金が出るはずですよ」
「そうじゃなくて、私たち見ている人が、どの馬が勝つかとか賭けているのかなって」
「ああ、競馬賭博ですか。やっているでしょう。これで身持ちを崩した大商人やご婦人の話をよく聞きます」
「へぇ、やっぱりそうなんだ」
「エリカ。賭け事はいけません。賭けは身を滅ぼします」
会話の間に挟まれたセシリアが、たしなめた。
「別に、のめり込まなきゃいいんじゃないかな。セシリアだってエリックの馬が勝つのに賭けてみたいでしょ。お金とかじゃなくて応援の気持ちで」
「それは・・・そうですけど」
「よし。馬券を買おう。私、買ったことないのよね。でも、どこで売ってんだろ」
「バケン? 」
セシリアが首をかしげる。もしかして馬券は売ってないのかな。
「ちょっと聞いてくる」
「エリカ? 」
江莉香は立ち上がり観覧席を離れようとする。
「エリカ様。どちらへ」
どこからか槍を持った兵士が近づいて声を掛けてきた。
「ああ、丁度良かった、馬券っていうか。誰の馬が勝つか賭け事をしているとこ知らない」
声を掛けてきたのはセシリアの護衛の一人だった。
この人が何か知っていたらいいのだけど。
「賭けでございますか。申し上げにくいのですが、ご婦人が立ち寄られるような場所では」
「じゃ、護衛してね。よろしく」
「お待ちください。ああっもう」
渋る護衛を引き連れて、人だかりのある所へ向かった。
競馬に出場する馬が集まっている場所で、明らかに人だかりができている所があった。大きな岩の上におじさんが立ち、周りに兵士や人夫が集まって何事か騒いでいる。
「さあ、もうすぐ第三競争の締め切りだぞ。ないか。ないか」
この人が胴元で間違いなさそう。
そばには大きな机が用意されて、もう一人の男の人が何か書き込んでいる。賭けの管理をしているのだろう。机には銅貨や銀貨が積み上げられている。
「あそこで買えばいいの」
江莉香は振り返り尋ねると、付いてきた護衛の兵士が困ったように頷いた。
人だかりを何とかかき分け岩の前に出ると、声を張り上げる。
「エリック・シンクレア・センプローズに銀貨三枚」
腰のポーチから財布を出し、銀貨を机の上に置いた。
「毎度。お嬢さん。それは、何番目の競争だ」
「何番目? そう言えばいつ出るんだろう。私知らないわ」
「そいつは困った。何番目の競争か教えてくれ。それが分からんことには、賭けは成立しない」
「わかった」
第何レースか分からなかったら、賭けようがないわね。
しかし、この人混みからエリックを探すのはどうすればいいのかな。
江莉香は騒然とする、パドックのような場所で辺りを窺うのだった。
続く
昔、競馬好きの人にディープインパクト単勝に全財産を賭けたら一割増になって返ってきますよと、そそのかしたことがあったな。
実際に買っていたらその通りになったし。買っとけばよかった。
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