模擬戦
蒐の三日目は軍団を二分し模擬戦闘を行う。
なだらかな丘陵が続く草原に一万人近い人間が二手に分かれ距離を取った。
これから、実戦形式での訓練が行われるのだ。
「左翼に展開。速歩」
騎兵長が号令を下すとラッパの音が鳴り響き、槍先に小旗を付けた騎士が先頭を切って進む。
それまで、ゆっくりと進んでいた騎兵隊は速度を僅かに上げた。
人間で言えば小走りだろうか。
エリックは、手綱を引き方向転換すると馬の脚を速めた。
アランに突かれた右胸はセシリアが塗ってくれた軟膏のおかげか、僅かに痛みが走る程度まで引いていた。
将軍のいる本陣から、伝令やラッパ、時には狼煙で命令が下される。部隊はその指示に従って、速やかな行動が求められる。一人の遅れは全体の遅れにつながる。
歩兵部隊と違い騎兵隊は素早い移動と方向転換が出来るため、与えられる指示も細かく頻繁だ。
それこそが騎兵の強みなのだが、それ故に命令の聞き逃しは許されない。
周囲の状況を常に確認し、次の動作に備える。
一年ぶりの騎馬による集団行動に飲み込まれそうになりながらも、なんとか食らいついていく。
ロランからの助言によれば、迷ったときは身なりの良い騎兵に付いて行くのではなく、経験豊富な歴戦の騎兵について動くと良いらしい。
見分け方は簡単で、馬術の優れたものが歴戦の戦士ということだ。
エリックは目星をつけた騎兵を常に視界に留める。
その騎兵は身なりはくたびれていたが、馬の扱いが見事であった。
最小限の動きで馬を扱い、上体に乱れがない。参考にするには打ってつけだった。
しかし、いつまでも彼を当てにも出来ない。新しい指示が飛んでくる。
「エリック。ステッセン」
先頭を進む騎兵長が大声で手招きする。
「はっ」
馬の足を速め、同時に呼ばれたステッセンと共に騎兵長の近くに馬を進めた。
ステッセンはエリックが目を付けていた騎兵だった。
「貴様たちは、更に左翼に100フェルメの位置に展開だ。あの丘の左側面を回れ。その後合流」
騎兵長が前方に広がる丘を槍で指し示す。
将軍からだけではなく、部隊長からも個別に指示が出る。
「はっ、左翼100フェルメ、直ちに展開します」
馬の速度を落とし、配下としてあてがわれた騎兵と合流。命令を下した。
20人の騎兵が集団から離れて別行動に移る。
先頭を進みたかったが、ステッセンの指揮の方が早く、エリックは彼の隊の後ろにつけることとなる。先頭は無理でもなんとか並びたい。だが、命令は速足。これ以上早く進んでも駄目だ。
周りを見ると、ステッセン隊は一塊で動いているのに対してエリック隊は縦長に伸びている。このまま速度を上げると配下が更にバラバラになってしまう。
結局、小さな丘を迂回して本隊と合流するまでステッセン隊の後ろを走り続けることとなった。
指示の出し方に違いは無いはずなのに何が違うのだろうか。
エリックが騎兵の運用に悩んでいた頃、江莉香は反対側の陣営に立っていた。
「すごい迫力ね」
羽黒に跨りながら、江莉香は前に広がる歩兵部隊が持つ槍の林に感心した。眼前には数千人の歩兵部隊が規則正しく整列している。
江莉香が配備された司令部はその後ろに置かれていた。
映画で見たことある光景だが、熱気というか熱量の違いが比べ物にならない。
「エリカ。準備は良いか」
声を掛けられたので振り返ると、フリードリヒが馬を進めてきた。
白銀に輝く鎧に羽飾りのついた兜、そして深紅のマントをはためかせている。まさに侍大将といったいでたちである。傍らには江莉香を一門に勧誘したダンボワーズ卿や供回りの騎士が付き従う。
この部隊の長は将軍の長男であるフリードリヒが務め、補佐にダンボワーズ卿という布陣だ。
「はい」
「よし。私に続くがいい。道を開けよ」
フリードリヒの命令に前方に整列した歩兵の列に道が出来た。
江莉香は馬を走らせるフリードリヒの一団の後に続くのだった。
乗馬の練習しておいてよかった。
フリードリヒの後を必死に追いかけ、ほとんど最前線と言っても良い場所で馬を止める。
「この距離ならいけるか」
「はい」
江莉香は問いかけに頷いた。フリードリヒが聞いたのは魔法の有効範囲だ。
魔法という力は個人的な技能の為、その効力の範囲は人によってばらばらだ。それは資質や修練の結果によって決まる。
今の江莉香は遠くまで魔力を及ぼす事が出来なかった。
「魔法の発動後は速やかに下がれ」
「はい。あの。馬から降りてもいいですか」
「何か問題か」
「えっと。魔法の練習はしていましたけど、馬に乗ってはしていません」
コルネリアの指導の下に魔法の練習はしてきたつもりだが、それは全て地面に両足を付けたままで行っていた。馬上ではない。
「そうか。やり方は其方の好きにするがいい。だが、いずれは乗馬したまま使えるようにもなった方がよい」
江莉香の弱音にフリードリヒは、何でもないように答えると、そのまま立ち去った。
よく考えたらそうよね。実際の戦場でも馬に乗ったままと、一々下馬してから魔法を使うのでは進むにしても逃げるにしても不便だ。
ここは、やったことないけど羽黒の上から魔法を使うべきなのか。
「コルネリア。どうしよう」
傍らに馬を並べる師匠に泣きついた。
「降りなさい」
「はい」
江莉香は羽黒から降りた。
コルネリアの指示はいつも的確で短い。
江莉香に課せられた課題は将軍の部隊に向かって風を送る事。
初めに役目を告げられた時は、練習通りにやれば大丈夫と考えたが、話を詳しく聞くと自信は急速にしぼんでいった。
どうしよ。上手くいかなかったら。怒られるかな。だって軍隊だし。みんな口調が怖い。
弱気な事を考えて自然に視線が下がる。
「来ましたよ」
馬上のコルネリアの声に反応して慌てて頭を上げるが羽黒から降りたため相手が視界に入らない。
ともかく、前から将軍の歩兵部隊が前進しているのは間違いないはず、江莉香は緊張を紛らわすため左腕の銀の腕輪をさすった。
心臓が早鐘を打っている江莉香の前方、丁度200mぐらいの場所を味方の騎馬の一団が駆け抜けた。いよいよ、江莉香の出番が迫る。
騎馬兵たちは馬に括り付けた樽を切り離していく。
彼らが駆け抜けた後には地面に無数の樽が転がり、落ちた拍子に蓋が外れ中から黄色い粉が零れだす。
「弓隊。着火。構え」
前方からダンボワーズの大音声が耳に入り、目の前に展開した弓兵たちが一斉に弦を引き絞った。
「放て」
高々と掲げられたダンボワーズの剣が振り下ろされると、鏃に火が付いた矢が無数に放たれ樽が転がっているあたりに向かって落ちていく。
火矢による攻撃は一度で終わることなく何度も続けられる。1分ぐらいしただろうか前方から黒い煙が立ち上り始めた。
「エリカ。出番です」
「はいー」
裏返った声も自覚できないほどの緊張の中、江莉香は腕輪に向かって念じた。
魔法としては何度も成功させている。一定方向、この場合は将軍の部隊に向かって風を送り、濛々と立ち上がる煙を流し込む煙幕攻撃だ。
この煙を吸い込むと、咳き込んだり目が痛くて開けられなくなったりするらしい。
風向きが変わってこっちに流れ込んできたら大変だ。
全身に流れる魔力を左腕の腕輪に流し込むイメージ。そして、腕輪に対しての依頼。
いつも通りにすれば出来るはずなのに、一向に風が吹く気配が無かった。
元の風は江莉香から見て右から左に向かって吹いており煙幕はそれに乗って広がっている。
もう一度、集中して魔力を腕輪に込めるが、いつものような魔法の波動を感じない。
焦りを覚え何度も繰り返すが、やはり効果が無く煙の流れに変化はない。風向きが変わっていないのは誰の目に見ても明らかだ。
「なんで。なんでよ」
ゆっくりと流れる煙幕に向かって江莉香は金切り声を上げる。
「落ち着きなさい」
コルネリアのアドバイスは何の役にも立たなかった。一度パニックに陥った人間にはもっとも無駄な言葉かもしれない。
不安と焦りで体が熱くなるが、一向に風向きは変わらない。
こうなると、人は短絡的な方向へ物事を考え始める。江莉香もそうだった。
魔力を腕輪に流し込みながら、煙幕に向かって一気に放出した。
全体の風向きを変えるのではなく、煙幕周辺の空気を無理やりに将軍側に押し出そうとしたのだ。
その結果。煙幕周辺で何本もの竜巻が出現した。
「おおっ」
周りや前方の弓兵隊から歓声が上がる。
だが、竜巻というものはその性質上、下にある空気を上に押し上げる効果がある。
江莉香の起こした竜巻は煙幕を吸い込み、高々と空中に巻き上げたのだった。
こうなっては当然だが、将軍の部隊に向かって流れた煙幕はごく僅か、大半は薄く広範囲にまき散らされる結果となった。
「失格。煙幕が薄くなった」
コルネリアの無情な一言に本気で泣きそうになる。
「ごめんなさい」
「気を静めよ。もう一度やり直し。腕輪の力を信じなさい」
「はい」
江莉香は大きく息を吸い込むと、突き出した左手に右手を添え目を閉じて集中する。
まだ、樽からまき散らされた煙幕の元は残っている。
この数日、将軍の娘と同じような待遇を受けていながら、このざまだと申し訳ないというか、少しでも役に立つところを見せないと立つ瀬がない。
「腕輪さん。お願い」
必死の祈りが通じたのか、頭の中に例のよく聞き取れない言葉が反響しだした。
今度は自分の後ろから吹いてくる風を感じた。
よし。これならいける。
江莉香は目を見開いて、風を操る。
煙幕が徐々に向こう側に動き始めるのが見えた。
これで、大丈夫だと思ったその時、向こう側から強い力を感じた。
その強い力を知覚した瞬間。江莉香は根拠もなくそれを魔力だと認識した。
将軍側の魔法使いの魔力だ。
「まずいですね」
コルネリアが呟く。
それまでとは逆に煙幕が徐々にこちらに向かって流れ始め、周りに動揺したざわめきが広がる。
駄目。押し切られる。
スパークする頭の中で江莉香は悲鳴を上げた。
「ふむ。流儀に反しますが、仕方ありません・・・・・・・アストルローゼ」
コルネリアの言葉が聞こえたかと思うと、すぐ隣に大きな魔力の柱が出現した。
それは正に巨大な柱というべき強大さと揺るぎなさを誇っていた。江莉香は呆然と馬上のコルネリアを見上げる。
彼女は馬に括り付けていた杖を両手で掲げ、両眼を見開いて呪文を唱え始めた。
「エメ・アナダス・クェロクノー・アンダ・トカン・ナトローシュナ」
江莉香が起こした風をはるかに上回る突風が辺りに巻き起こり、コルネリアの白いコートの裾が翻った。
「ロン・ハイデ・キッシャ・テデウレーベカ」
コルネリアが掲げた杖を振り下ろすと辺りを覆うような空気の塊が一気に煙幕に向かって突っ込んでいった。
こちらに流れ始めた煙はコルネリアの放った魔力を帯びた空気に飲み込まれると、一気に流れを変える。
何て力なんや。これがコルネリアの魔法。
濁流のように煙幕が流れ始めると同時にラッパの音が響き渡る。
この数日間に何度も聞いて覚えた音。前進ラッパの音色だった。
大きな喊声が沸き、後ろから左右から完全武装の男たちが一斉に進みだした。
江莉香は急いで羽黒に這い上がるとフリードリヒの指示通り後退を始めるが、前進する兵士の群れに飲み込まれそうになる。
警護役の騎兵に誘導され、なんとか兵士の波を乗り越えた所でコルネリアに向かって頭を下げた。
「コルネリア様。すみません。私が不甲斐ないばっかりに」
自分の不始末を押し付けた形となって申し訳ない。
前方では喊声と砂ぼこり、そして煙幕が交じり合って状況は不明だ。
「初めのうちは皆同じようなものです。謝罪は不要。修練あるのみです」
「はい。頑張ります」
いつもは無表情の彼女が少し笑って慰めてくれたので、涙が出そうになる。
いや、たぶん泣いてるわ。
遠くから、またもラッパの音が響く。今度は突撃ラッパだ。喊声がさらに大きくなった。
「物凄い、魔力量でした。流石ですね」
村で感じた魔力とは桁違いの力の奔流。あれが、コルネリアの真の力なのだろう。
「落ち込む必要はありません。私よりエリカの魔力量の方が多いかもしれません」
「でも、使いこなせません」
「その腕輪を理解しなさい。それが一番だ」
「分かりました」
江莉香は左腕をさすった。痛みと熱を感じる。
続く
エリックに続いて江莉香も凹む回になりました。
いきなりは無理ですがな。(/ω\)エーン
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