試合
アランからの挑発に頭に血が上ったエリックではあったが、意地になってセシリアの天幕に突撃することはなかった。
それは、冷静になったという事もあるが、忙しくてそんな暇がないという方が正しい。
騎兵の長からの命令をこなしているうちに日は経ち、オルレアーノより将軍が率いる本隊が到着すると、今年の蒐が始まった。
初日は整列、行進などの動きを本陣からの命令通りに行うという、面白みも何もない物であったが、二日目からは様相が変わる。
ブンッ。
頭上を木剣が鈍い音を立てて通り過ぎた。
横薙ぎの斬撃を前に屈みで躱すと同時に左腕の盾を構えたまま、相手の右脇に体当たりを食らわせた。
「くっ」
相手は後ろに下がり態勢を立て直そうとするが、もう遅い。
右手に握りしめた木剣を首筋に向かって押し込む。あと少し前に出れば喉をやられるだろう。すまないが、しばらく会話は身振り手振りになる。
「そこまで、赤。勝利」
審判役の判定が耳に届き、前進を止めた。
エリックの木剣は相手の喉元で止まっている。
「参った」
相手が引きつった声で、敗北を認めたので、ゆっくりと木剣を離した。
お互いに距離を取ると、審判役が手にした棒を地面に突き立てた。これで試合は終わりだ。
「ありがとう」
滑り止めの布を巻いた汗まみれの手で握手を交わすと、審判役から勝利の印のコインを手渡される。これで二枚目だ。この調子で勝ち進もう。
蒐の二日目。
軍団兵たちはいくつかの組に分けられ剣、槍、弓の三種類の武芸を競う試合が行われた。五回勝ち抜いた者には褒章が授与される。
エリックは一番得意な剣の組で参加していた。
「お見事です」
兜を脱ぎ、エミールが手渡してくれた布で首筋の汗を拭う。
「次はお前だな。いつも通りに行け」
「はいっ」
エミールの背中を叩き送り出す。
辺りを見渡すと、草原のいたるところで同じような試合が進んでいる。いくら練習用の木剣と言えども、当たりどころが悪ければ骨は折れるし、最悪死亡することもある。
周りは砂ぼこりと怒号が飛び交い乱戦のようなありさまだ。
剣の試合なのに、頭に血が上ったのか素手でのつかみ合いになってしまった兵士に、審判役が手にした棒で止めに入る。または、判定に納得できずに食って掛かる者。打ち所が悪かったのか額から血を流す者など大混乱だ。
「ハッ」
視線を戻すとエミールが相手の手から木剣を叩き落し勝利した。最近はギルドや代官の仕事で修練が減っていたが、それまでの積み上げが結果になっている。歴戦の兵士にだって負けるつもりはない。次の相手は誰だ。
「セシリア。見える?」
試合を見物している江莉香は傍らのセシリアに声を掛ける。
「いいえ。あちらはどうですか」
セシリアが右の方を指さす。
江莉香は鐙を踏み込んで羽黒の上で立ち上がってみるが、状況はつかめない。
「うーん。よく分かんない」
男たちと砂ぼこりと怒号のミックスジュースの中から何とかエリックを見つけたいのだが、大勢が入り乱れている上、選手は全員、兜を被っているので、誰が誰やら分からない。
せっかくの、武術大会なんだから、もっとこう視聴者に対して分かりやすい試合進行は出来ないのかな。オリンピックを見習っていただきたい。
「いいぞ、そこだ。やれ」
「避けろ避けろ。ああ駄目だ」
「入ったぞ。あれは痛い」
江莉香の周りには招集された人夫や付近の農民、暇なオルレアーノの市民たちが、年に一度の大乱闘を楽しんでいる。
初日は一日中、前に進んだり止まったり方向転換したりと、面白くもない集団行動をさせられ、運動会の入場行進の練習を思い出した。つまんないと思っていたが、二日目は何と剣道や弓道の試合と言うではないか。
これは、是非とも見物しなくてはならないと期待したのだが、エンターテインメントを理解していないらしく、草原に参加者を適当に並べて一斉に試合を行う方式だった。
知らない人のチャンバラなんて見たって大して楽しくない。ここは、セシリアと一緒にエリックを応援して盛り上がりたいのよ。
セシリアから声援を受ければエリックはきっと百人力で、愛のパワーで実力以上の力がでるはず、それを肴に大騒ぎしたら絶対に楽しい。
あとは、サイダーと焼きそばがあれば完璧なんやけど。
江莉香が羽黒の上でスタンディングしたまま前に進むので、セシリアは不思議そうに見ている。
「エリカ。上手ですね」
「何が? 」
「立ったまま、前に進んでいます」
「ああ、これ? これは鐙があるから誰でも簡単にできるわよ。セシリアにも作ってあげる」
江莉香は鞍に腰を下ろす。踏ん張るところがあればこれぐらいなんでもない。
「ありがとうございます」
話していると、目の前で大きな音がして人が吹き飛ばされた。
「わー凄い。痛そう」
「本当に。大丈夫でしょうか」
吹き飛ばされた方は自分で動けないらしく、他の兵士に抱えられていった。勝者の方は肩を一回回して兜を脱ぐ。その顔に見覚えがあった。
「あれ、あの人。護衛の偉い人よね。アラン様」
「ええ、アラン様ですね。お強いんですね。初めて拝見しました」
こちらに気が付いたアランが笑顔で一礼してみせた。
セシリアの王都での護衛を担当している騎士で、江莉香にもずいぶん親切だ。
物腰の柔らかい好青年に見えて、剣の腕前まであるなんて女子に人気出そうな人ね。
「エリックとどっちが強いかな」
エリックも街で暴漢を一撃で叩きのめしたから、いい勝負になるかもしれない。
何気なく口に出したが、セシリアは答えてくれない。
あれっ聞こえなかったのかなと思い顔を見ると、にこりと笑われた。
あ、はい。
馬鹿な事を聞くなということですね。すみません。
千人以上の人が一斉に戦うとはいえ、負けた人はどんどん退場していくので、時間が経過するにつれ会場から人がいなくなる。引き揚げてくる人の中にエミールの姿を見つけた。
「エミール。こっちこっち」
羽黒の上から大声で叫ぶと、腕を押さえて俯いていたエミールの顔が上がる。
「怪我したの。大丈夫? 」
江莉香はエミールの傍に羽黒を付けると飛び降りた。
「いえ。打ち込まれただけです。折れてはいません」
悔しそうに腕をさする。
「ほら、見せて」
エミールの腕を取って裾を巻く上げると、真っ赤に晴れた腕が現れる。
「うわっ、真っ赤じゃない。ちょっと待って。冷やすから」
江莉香は汗拭き代わりに使っていた布に水を浸み込ませるとエミールの腕に巻いた。
「はい完成。このまま冷やすのよ。乾きそうになったら水を掛けて」
「ありがとうございます」
「どこまで行けたの? 」
「三回目で負けてしまいました」
「二回も勝ったんだ。凄いじゃない。エリックは」
「エリック様は勝ちました。あそこです」
エミールが指さしたところに一人の男が立っている。あれが、エリックらしい。よく見たらそうだ。
「セシリア。あれが、エリックみたいよって。あれ」
江莉香が声を掛けたが、セシリアはある一点を見つめていた。エミールに教えられるより先に自分で見つけていたようだ。
これが、恋する乙女のパワーか。どこにいてもお互いの姿を感じられるなんてロマンチックね。
そう考えたのだが、エリックは気が付かなかったようで、こちらに背を向けてしまった。
あんたはセシリアを見つけんかい。愛が足らへんよ。愛が。
江莉香の勝手な戯言は当然エリックには伝わらなかった。
四人目の対戦相手を前にエリックは緊張した。
目の前には十歳以上、年上の戦士が木剣を構えている。
構えといい、向けられる視線の強さといい、実戦経験豊富な戦士に違いない。
審判の合図の棒が振り下ろされる。
自分より強い相手に先手を取られると勝ち目は少ない。こちらから仕掛けるべきだ。
左の盾を前に出し一気に間合いを詰め、足を狙う。
むろん当たるなどとは思っていない。盾で弾かれると同時にこちらの盾で相手の剣筋を封じ込めよう。そのまま、力押しで体勢を崩せれば勝機はある。
エリックの目論見は初手からつまずいた。
相手はエリックの剣を盾で受けず、半身を捻って躱した。
ぶつかるつもりで突進していたので、方向が変えられない。このまま進むべきだ。
だが、エリックは左腕に衝撃を覚える。相手が盾越しに剣を振り下ろしたのだ。木剣とは思えない重い衝撃。上体が乱れるのを感じるが、距離を取るしか選択が無い。
思い切って走り抜けると、顔の横を木剣が音を立てて通り過ぎる。
危ない。あと一歩遅かったら頭に直撃した。
相手に向き直り剣を前に出して態勢を整えた。
「早いな」
相手が残念そうにつぶやく。
「貴方は重いな」
言い返すと、相手の口が僅かに動いた。
あの重い一撃をまともに受けては駄目だ。こちらも受け流すように動こう。
エリックはまた踏み込んで頭を狙った一撃を放つが、今度は剣で押し返される。盾による打撃を何とか躱して、相手の左手に回りこむ。盾持ち片手剣の戦いはお互いに盾のある方向に動いてしまうが、この男の盾を突破するのは難しい。
その後何度かやり合うが、やはり、実戦経験のある熟練兵は手強い。
特に変わった剣さばきを見せるわけではなく、最低限の動きで、こちらの攻撃を跳ね返し、急所を狙ってくる。
父ブレグとの稽古を思い出した。
あの時も、何度打ち込んでも簡単に跳ね返されていたっけ。どうにかして、父から一本取りたくて、あれこれおかしなことを試したものだ。
エリックは相手の攻撃を躱し距離を取ると、ゆっくりと息を吐いた。
そうだな。このままの正攻法では勝てない。一か八か仕掛けてみるか。
エリックはそれまでと逆方向、相手から見て右手に回りこんだ。これでは勢いのある攻撃はやりにくいが盾を押し付けやすい。
相手は突進を予想したのか盾を掲げて待ち受ける。受け止めた後一撃を食らわせる気だ。
普通にすれば相手の思うつぼに陥る。ここは。
「ハッ」
エリックは盾を高く掲げて相手の顔に押し付けるように突進する。一瞬相手の顔が見えなくなった。という事は向こうもこちらが見えないはず。次は。
重たい衝撃が盾に伝わる。盾に上段からの木剣が振り下ろされると、エリックの盾は一回転して地面に落ちた。
「なっ」
相手は視界からエリックが消えたように感じた。実際にはエリックは盾を放り捨て身体を回転させ、相手の右背後に回りこんだのだ。だが、盾で身を庇っているという常識から一瞬視界から消えてしまったのだ。その為に僅かに対応が遅れた。
「セィッ」
エリックは回転したまま逆手に持った剣で相手の無防備な腰に剣を突き立てる。入りは浅かったが無防備な腰だ。
「そこまで。赤。勝利」
審判役が棒を振り上げて宣言した。
構えた盾を捨てるという奇策のおかげで何とか勝利出来た。
「ハァーッ」
エリックは大きなため息をつく。今までの緊張が解けた瞬間だった。
「おい、小僧」
相手が声を掛けてきた。卑怯だと言われるかと思ったが違うようだ。
「盾を捨てるのは命を捨てるのと同じだぞ。実戦ではするなよ」
笑いながら地面に落ちた盾を拾って差し出した。
「実戦では使えませんか」
差し出された盾を素直に受けとる。
「当たり前だ。一人で戦っているんじゃないんだ。盾はお前の命だけでなく仲間の命を守るためにもあるんだ。簡単に捨てるんじゃない」
「心得ました」
「だが、一本取られたのは違いない。名前は?」
「エリック。エリック・シンクレア・センプローズ。貴方は」
「ワルドーナ・エメリッヒ。第三中隊百人長だ」
「失礼いたしました」
エリックは姿勢を正して一礼した。
軍団の背骨と呼ばれる百人隊長。強いはずだ。勝てたのは運が良かったからだな。
「次で最後だ。勝ってこい」
ワルドーナに肩を叩かれる。重い一撃だったが、在りし日の父を思い出した。
続く
この作品初のまともな戦闘シーンですね。久しぶりに書きましたわ。(/・ω・)/




