警告
柔らかな秋の日差しの中、小高い丘の上から眼下に広がる草原を眺める女がいた。
女の視線の先には多くの人と馬。そして、無数の天幕が並んでいる。
無数の人馬が立てる砂ぼこりがここまで飛んできそうだ。女は暫しの間ぼんやりとその風景を眺めていたが、飽きてしまったのか、つまらなさそうに息を吐く。
「セシリア様。ここにおいでででしたか」
声のする方を振り返ると、手入れの行き届いた軍団服を纏った男がほほ笑んでいた。
「はい。何か御用でしょうか。アラン様」
セシリアはそっけない返事を返したが、自覚はなかった。
アランはセシリアの機嫌の悪さに内心肩をすくめる。
彼が機嫌の悪い女へする対処法は二つ、根気よく優しく話しかけるか、気が付かないふりをして無難にやり過ごすかのどちらかだ。今回は後者を選んだ。
「兄上様がお呼びです」
セシリアは小さく頷くと、もう一度眼下の景色に目をやってから踵を返した。その後にアランが続く。
居並ぶ天幕のなかでも一際大きく立派で人の出入りの激しい天幕がある。兄、フリードリヒの天幕だ。兄の天幕に足を踏み入れると、白の外套を纏った女たちが兄と会話をしている。
セシリアの気配に二人が振り返ると、彼女の不機嫌は山の向こうへと消え去った。
「エリカ」
セシリアは数少ない友人と呼べる存在に駆け寄った。
「セシリア。お久しぶり」
自分に向かって振られた手を取る。
「本当に、コルネリア様もお元気そうで」
「久しいですね。セシリア」
二人とも揃いの白の外套を身に纏い、頭にはつばの広い帽子を乗せている。
「素敵な装いですね」
「ありがとう。この日のために仕立てたの」
いでたちを褒めると、エリカはその高い背をさらに伸ばして誇らしげだ。
「お二人ともよくお似合いです。コルネリア様。いつもと印象が違いますね」
「そうですか」
「はい。よくお似合いです」
セシリアの賛辞にコルネリアは目をパチクリさせた。
「でしょ。私用に考えたのに、コルネリアの方が似合っていて、なんか悔しい。いつも、ダブダブのローブを着ているからわからなかったけど、めっちゃスタイルいいのよね」
「何を言っているのですか」
エリカの気取らない会話に心が軽くなる。
「その辺でよいか、お嬢さんたち」
ひとしきり騒ぐとフリードリヒが声を掛けた。
「はい。すいません。若殿」
「これはこれは、エリカから若殿と呼ばれるとは」
「一応。クック、クリエ・・なんだっけ。子分になりましたので、その節は大変失礼いたしました」
エリカは一歩引いて腰をかがめた。
「なんのことだ」
「若殿のご使者を追い返しまして、聞いておられませんか」
「ああ、あれか、急かしたのはこちらの落ち度だ。気にするな」
フリードリヒは笑って手を振るとコルネリアに向き直る。
「コルネリア殿まで来られるとは、見物か、それとも参加していただけるのか」
「御一門が迷惑でなければ」
「迷惑なことがあろうか、栄えあるガーター騎士団の参加、感謝する」
フリードリヒは上機嫌に頷いた。
「それでは、お二人に天幕を用意させよう。誰か」
「兄様」
横からセシリアが大きな声を出す。
「なんだ」
「お二人は是非ともわたくしの天幕に」
「えっ、いいの」
「はい、わたくし一人では広すぎて、寂しいばかりです」
セシリアは兄の顔を見上げる。
「お二人が良いのなら私からは異論はない」
「ありがとうございます」
「やった」
「私はどちらでも」
許可を取り付けたので、二人の手を引くように兄の天幕を出た。
「エリカ。その、エリックは」
多くの人が行き交う中、恥ずかしさを我慢して一番聞きたかった事を問いかける。
「エリックは騎兵隊の集合場所に行っちゃった。寝泊まりする場所が別々なのね。ここに来る前に分かれたわよ」
「そうですか」
自分でわかるほど声の張りが消える。
「行ってみる? 」
「えっ」
「どこにいるのかは確認しておいた方がいいし」
「そうですね。そうですよね」
「馬が沢山いるところかな」
エリカの提案にはしゃいでしまった。
コルネリアを含めた三人で丘を下ると、後ろから数人の男たちが付いてくる。その事に気が付いたエリカがセシリアの耳元でささやいた。
「セシリア。後ろから誰か付いてくるんですけど」
「はい? 」
エリカの言葉に振り返るとアランの姿が目に入った。
「ああ、あの方々は、わたくしの供回りを務めてくれている方々です」
「供回りって。はぁ、やっぱりお姫様なのね。セシリアって」
「やめてください。魔法使いには必ず護衛の武人の方が付きます。エリカにも付きますよ」
「えっ、ほんと? やだな」
本当に嫌そうに顔をしかめるので笑ってしまった。
久しぶりにエリックに会える。セシリアの足取りは軽かった。
「そうだ。セシリア。面白いこと考えた」
「はい? 」
エリカが楽しそうに笑っている。何かしら。
オルレアーノの街を北に半日進んだ草原で毎年、蒐は行われていた。
蒐が始まる三日前に到着したエリック達は、陣営の前でエリカたち魔法使いとロランに引率された村人たちへと別れる。
「エリック様。馬を繋ぎました」
騎兵隊の長に着陣の挨拶を終えると、エミールが報告を上げる。
「よし、次は天幕を張るか」
「はい」
見渡す限り天幕が規則正しく並んでいる。
開いている場所に適当に張ってしまうと通行の邪魔になる為、天幕を張る場所は厳密に縄張りがされていた。村から積んできた天幕を縄目に沿って建てていると、見覚えのある白い外套が目に入った。
「エリカとコルネリア様だ。何かあったのか」
将軍の先触れとして着陣している若殿に挨拶をしているはずだが。
「あれ、本当ですね。どうされたのでしょう」
立ち上がり確認すると、向こうもこちらを見つけたようで近づいてきたが、その姿は変だった。
「何をしているんだ。エリカは」
「さあ? 」
エミールと二人で首をかしげた。
エリカは着ていた外套を脱いで、誰か別の人物に頭の上から被せていた。いい迷惑だろう。
そのままの恰好でついに前まで来た。
「エリック。いいもの捕まえたから見せてあげるね」
「何が捕まえただ。嫌がっているだろ」
外套を被せられた人は嫌そうにもぞもぞ動き、コルネリア様がいつも以上に無表情だ。かなり呆れているのだろう。
「そんなことないって、大喜びよ。どっちもね」
いたずらっ子のように笑うと外套を思いきり剥すと、小柄な女性が飛び出した。
「エリック・・・・」
「セッ・・・お嬢・・・様・・・」
本当に思いがけない人が外套の下から飛び出してきた。耳まで真っ赤にした愛しい人の顔が、いきなり目の前に現れて思考が止まり言葉が出ない。
「はい。見合って見合って」
茶化したエリカの声で我に返る。
「お久しぶりでございます」
一礼すると、セシリアもそれに答えた。
「久しぶり。元気でしたか」
「はい。お嬢様も」
「はい・・・・・」
そこから、言葉が続かず、また、見つめ合ってしまう。周りに誰もいなければいくらでも話したいことはあるが、多くの人に見られている。迂闊なことは言えない。
「セシリア。知ってる。エリックはお金持ちになったのよ」
エリカがセシリアに抱き着きながらこちらを見る。
「お金持ちですか? 何かしたのエリック」
セシリアの碧い瞳が覗き込んでくる。
「それはですね・・・・・」
「そうよ。エリックはね。村で砂糖を作って、その勢いで砂糖のギルドを作ったのよ。今はそのギルドの長」
「村で砂糖? 砂糖は南の国の品物では? いえ、わたくしも詳しくありませんが」
セシリアは目を丸くする。
「そうよ。その南の国の品物をニースの村で作っているの。毎日のように注文が来ているんだから」
「そんなことが、どうして教えてくれなかったのですか」
「いえ、それは色々とゴタゴタがありまして」
「それでも教えてほしかったです」
セシリアが拗ねたように顔を横に向けた。
砂糖の話は秘密が多く、たまに出す手紙に書く訳にはいかなかった。
「すみません。若殿に村で出来た砂糖をお送りいたしましたが」
完成した砂糖はドーリア商会を通して王都にも献上しているのだが。聞いていないのだろうか。
「知りません。兄様に何が届いたかなんて、わたくしが知っているわけないでしょ」
「酷い。エリック。セシリアには渡していないの」
へそを曲げそうなセシリアに乗っかってエリカがこちらを煽って来る。
「王都に頻繁に・・・・・」
便りを出すのは難しいと言おうとして、そこで絶句する。
二人は目を細めてこちらを見ている。これは、何を言っても駄目だ。確かにドーリア商会を介して献上したときに一言添えればよかった。また、しくじってしまった。
「すみません」
ここは、謝るしか手が無いだろう。
右手を左肩に当てて頭を下げる。しばらくすると、笑い声が起こる。それも複数。
「これぐらいにしてあげましょ。セシリア」
「そうですね。エリック。頭を上げて」
顔を上げると、先ほどまでの不機嫌さはどこへ行ったのか、二人とも笑い合っていた。
どうやら、からかわれていたらしい。何にしても怒っていないようで助かった。
初めの緊張が解け、そこからは楽しく会話が出来た。
「それじゃ、行くわね。あの丘の上の天幕に泊まっているから、遊びに来てね。そうそう、セシリアの天幕だから、漏れなくこの子も居るから遠慮はいらないわ」
「もう、エリカ、止めてください。エリック。手が空いたら来てください」
「はい」
セシリアたちは手を振り立ち去った。
緊張が解けてほっと一息つくと、身なりの良い若武者が近づいてきた。セシリアたちの後ろからついてきた男たちの一人だ。恐らくセシリアの供回りだろう。歳は少し上に見える。
「君がエリックか。セシリア様から名前だけは聞いたことがある」
「はい。貴方は」
「これは失礼。私はアラン・トリエステル・センプローズ。セシリア様の供回りを束ねている」
やはりそうだった。去年、セシリアの望み通り王都に伺候すれば、彼の下に配属されたのだろうか。
「エリック・シンクレア・センプローズです。ニースの代官を拝命しています」
「君の軍での階級は」
「コモンドです」
コモンドは一兵卒に毛が生えた程度の地位だ。アランは身なりから見ても騎士だ。恐らく自分より階級は上なのだろう。
「そうか。では、命じさせてもらおう。セシリア様とその天幕には近づくな。以上だ。理解してくれたかな」
ある程度予想していたが、やはり、釘を刺してきたか。供回りとしては当然の言い分だが、人のよさそうな笑顔の下に貴族特有の冷たさを感じた。
「アラン卿は私の上官ではありません。命令はお受けできません」
軍での階級が上だとしても騎兵隊でもない人物から命令される覚えはない。
「そうだね。命令は出来ないか。これは、セシリア様の護衛としての要請ということにしておこう。それなら納得できるか」
エリックは答えない。特に理由もなく訪れるつもりもなかったが、彼に対して答える必要を認めなかったからだ。
「ふむ。分かってもらえないとは悲しいことだ」
そう言うと、アランは左手を剣の柄に置く。瞬間的にエリックの頭に血が上った。
「アラン卿」
「そういう訳だよ。理解したまえ」
それは、場合によっては斬り伏せるという意味だった。
「では、励みたまえ。それが、君の奉公というものだろう」
答えも聞かずに、アランは配下に合図を送ると立ち去った。
どうやら、セシリアに会いに行くのは命がけになったようだ。
「今更、この程度で引き下がれるか」
エリックはアランの後ろ姿に言葉をぶつけた。
続く
江莉香がおばさんと言うか、おじさんみたいになっちまった。やぁね。(=゜ω゜)ノ
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