行商人
ビーン畑の拡張のために、丘陵地帯を開墾することになった。
開墾作業では、江莉香には手伝えることが無かった。
ため池の技術などは村人たちの方が詳しいため、魔導士の書の知識も必要ないし、いざ畑作りが始まったら、それこそ彼らはプロだ。口出しすることなどない。
そして何もない荒野に畑を作るなどという力仕事に参加しても、女の力では足手まといであった。
エリックや村人の食事を用意すること以外に、手伝えることがなくなってしまった。
「やれることが、あまりないわね」
汗水たらして働く男たちを、ただ眺めているのは精神的に落ち着かない。
その辺をぶらぶらと、散策することにした。
丘陵地帯は灌木と膝ぐらいの高さの草、そして時折大きな岩が転がっている地形が、なだらかな傾斜を描いて4キロほど続いている。
丘陵地帯を超えると川があり、その向こう側は違う貴族の領地らしい。
「使っていいのはこの丘までか」
江莉香は、丘陵地帯全てを畑にできた場合のビーンの収穫数を、ざっくり計算する。
「教会の畑基準で収穫できれば、オルレアーノ周辺はほぼ市場として独占できるわね。王都にも流せるけど、サトウキビの砂糖と競合したら砂糖戦争になるかもね」
江莉香は草地に突き出た大きな岩の上に登って、周りを見渡した。
あまり考え無しに歩くと、草に隠れた穴に落ちたり蛇を踏んだりしてしまう。普通に毒蛇なんかもいるらしいので、考えなしに歩き回るのは危険だった。
「こういう時に馬に乗れたら便利よね。エリックに一頭買ってもらおう」
岩の上に座り込むと、海から風が吹き上り髪を揺らした。
こちらに来てから髪の毛の手入れもろくにできない。髪は無秩序に伸びていく一方。髪のカラーリングも徐々に落ちて、元の黒い髪色に戻っていくのがもどかしい。
美容院に行きたいが、無い物ねだりにもほどがある。今は毛先を揃えるぐらいしかやれることが無かった。
「いい風ね。そうだ。丁度、周りに誰もいないからやってみよっか」
江莉香は岩の上でおもむろに立ち上がると、左腕を前に突き出して昨日の魔法の再現を試みはじめた。
「確か、何かの力が左腕に集まってきたのよね」
目を閉じて全神経を集中するが、何の変化も感じられない。海からただ風が吹き上げてくるのを感じるだけだ。
「うーん。やっぱ私じゃなくて、この腕輪が魔法を使えるんじゃないやろか。おーい。腕輪さん。聞こえますかー」
左手の銀色の腕輪をさすってみるが、当然何の反応もない。赤い宝石が光っているだけだ。
「それとも、何か感情が高ぶった時にだけ使えるのかな」
最初の時は狼に襲われた恐怖感。次は目の前に引き出された奴隷の人を見たショックと、その後にこみ上げてきた怒り。どちらにも強い心理的負荷がかかっていた。それが魔力になるのかもしれない。いわゆる精神力ってやつ。
「もう一回。怒ればいいのかな。でもなぁ」
どう考えても怒りに任せて魔法をぶっ放したら、よい結果にならない気がする。
たぶんだけどあの時の空気の塊みたいなものを、人や物に向かって発射していたらただでは済まなかっただろう。
飛行機みたいな爆音がしたもんね。
「この腕輪が魔導回路だとしたら、ここに魔力を流せば理論的には魔法が使えるはずよね」
王都でセシリアやコルネリアから聞いた魔法の話を思い返してみる。
魔法とは体内の魔力を魔術回路を通して、外部に発露させるものということらしい。
今度は腕ではなく、腕輪に意識を集中してみる。
「腕輪さん。よろしくお願いします。ちょっとだけ風を起こしてみせて」
『・・・・どい』
頭の奥で何かの音がする。あの時も何か音というか声みたいなものが響いていた。
「腕輪さん。聞こえますか。やっぱり意識があるのかな」
この音は腕輪が出しているとしか考えられない。
「腕輪さん。お手数ですが手伝ってください」
伝わるかどうかも不明だがとりあえず口に出してみる。
『・・・さ・な』
やはり、声のようなものが聞こえる。正確には声というより何かの意識のような半分夢を見ているような感覚だ。
右手を左腕に添えて、もう一度意識を集中する。
「ちっさい竜巻かなんか出ないかな。空気が上に巻き上がる感じで」
『ちゅ・・・がこ・・い・』
声が大きくなってきた感じがする。心なしか左腕も熱い。
江莉香は再び目を閉じて強く意識を集めた。
『風よ』
今度は明らかに聞き取れる明瞭な声が聞こえると、左腕から前と同じように何かが前方に出現した。目を開いて観察すると、足元の草が勢いよく巻き上げられていく。
魔法の発現に初めて意図的に成功した瞬間だった。
「うっわ。凄っ」
江莉香は呆然と巻き上げられる草や木の葉を見上げる。それらは空中に高く上がると、ふっと力をなくして地面に降ってきた。
ばらばらと音を立て、草木が地面に叩きつけられる。
「これが魔法か。うーん。凄い力ね。人間業ではないわね。やっぱり腕輪の力みたいか。ありがとう腕輪さん。遅くなったけど、狼から守ってくれてありがとうございます」
腕を高く掲げてそれに向かってお辞儀をした。
しかし、あの声みたいな意識はきれいに消えていた。
「風よって聞こえたわね。と言うことはやっぱり私じゃなくて、この腕輪さんが魔法使いってことか。私はガソリンみたいな物かな。腕輪さんが魔法を使って、魔力は私みたいな。不思議な指輪というより、アラジンの魔法のランプに近いのかも」
江莉香は再び腕輪をさすってみた。お話とは違い腕輪の妖精は出現しそうになかった。
「おーい。エリカ。そろそろ帰るぞ」
遠くでエリックの声がする。
「はーい」
大きな声で返事をする。
今日の作業は終了したみたい。太陽も遠くの山に沈んで行こうとしていた。
季節は夏の気配を感じさせていた。
ため池が完成して、いよいよ畑作りに取り掛かった頃、荷馬車に乗った男がエリックの家を訪れた。
エリックは自宅の小さな応接室に男を通す。ニースの村には年数回行商人が訪れるが、初めて見る男だった。
「初めまして。わたしは行商人のモリーニと申します。こちらの村をまわっているサムソンさんの紹介で来ました。話によるとニースで魚のハムが手に入ると聞いてきたのですが、売っていただけませんか。確かカマボコとかいう名前だったと、記憶しているのですが」
モリーニは日焼けした丸顔に、満面の笑みを浮かべる。
「その通りだが、まだ売り出して間もないのにどこで聞いたんだ」
「オルレアーノの市で売りに出されていたでしょう。あれがたいそう評判になりまして、私の耳にも飛び込んでまいりました。知人から少し分けてもらったのですが、あれは売れると思いまして少し譲っていただけないかと」
「それは構わないが、どこで売るつもりだ」
エリックとしては、オルレアーノ近郊では売ってほしくないのだが。
「私は普段オルレアーノからクレゾンをぬけ北への道を回っておりますので、北の方で売るつもりです」
「クレゾンより北か。もしかしてドルン川を越えていくのか」
「はい。毎回ではありませんが、ドルン川を越えると良い毛皮が手に入りますので、それを南で売っております」
「随分北まで行っているのだな。危険ではないのか」
ドルン川はロンダー王国の北の国境線だ。その向こう側には様々な異民族が住んでいる。彼らのことを一纏めにして北方民と呼んでいる。
野蛮な生活をしているため、凶暴なものが多いと聞く。
「そうですね。危険が無いとは申せませんが、友好的な部族もおりますので、彼らと商売をしております。こう言っては何ですが、危険な分稼ぎもありますので」
「そういうものか。行商人というのはたくましい」
応接室の扉がノックされた。
「どうぞ」
エリックが声を掛けると扉が開きエリカが、飲み物を運んできた。
葡萄酒を水で割ったもので、このあたりで最もありふれた飲み物だ。エリカは陶器のポットから器に注ぎ男たちの前に出した。
「ありがとう。お嬢さん」
モリーニは礼を言って器に口を付けた。
「エリカ。こちらの行商人モリーニさんがカマボコを売ってほしいと言っているが、どうする」
エリックがエリカに声を掛けると、急にモリーニが咳き込み始めた。テーブルの上には噴出した葡萄酒が広がる。
「大丈夫ですか。もしかしてお口に合いませんでしたか」
エリカはモリーニが噴出した葡萄酒をふき取ると、モリーニは慌てたように手を振る。
「すみません。いえ、慌てて飲んでしまって、息が出来なくなりまして。・・・・・・貴方がエリカ様で」
「はい? そうですけど」
「すみません。てっきり女中の方かと」
「ん? いえ、女中ですけど」
エリカは首をかしげながらも掃除を続けた。
「エリカのことを知っているのか」
「いえいえ。そういう訳では。失礼いたしました」
モリーニは懐から布を取り出して、額の汗を拭き始めた。
何か不審な点があるが、カマボコを買いたいと言う商人だ。話ぐらいは聞くべきか。エリックはそれ以上追求しないことにした。
「エリカはどう思う」
「買ってくれるなら、売るべきよ。どれぐらい買われるおつもりですか」
エリカはエリックの後ろに立つと交渉を始めた。
「そうですね。荷馬車一台で参りましたので、その半分が埋まるほどの荷を売っていただけると助かります」
「荷馬車半分の量ですか。家の前に止めてあるあれですよね。あれだと木箱で10箱いや15箱ぐらいかな。それなら用意できますね。ところでどこで売るおつもりですか、出来ればオルレアーノ近郊はやめてほしいのですけど」
エリカはエリックと同じことを聞きはじめる。
「北で売りたいそうだ。クレゾンより北の道を回っているらしい」
エリックは首を上げて、モリーニの代りに説明してやる。
「クレゾンってどこ。何日ぐらいかかるの」
「オルレアーノから、アルノ川を上っていくとある街だ。ここからだと10日以上かかるな」
「10日か、売るにはぎりぎりのラインかな」
「あの、何のお話でしょうか」
二人の会話にモリーニが入ってきた。
「ああ。すいません。カマボコは最長20日しか持たないので、あまり遠いと売れないかなと思いまして」
「そういうことでしたか。ハムと聞いていたのでもっと長持ちするかと思いましたが、20日ですか」
モリーニは顎に手を当て考えるそぶりを始めた。
「すみません。色々と改良していますが、今のところ20日が限界ですね。どうします」
「クレゾンで売る分には問題ないかと、売ってください」
モリーニは懐から財布を取り出した。
「ありがとうございます。すぐにでも準備しますね。価格は・・・・エリック、値段はどうしよう。わざわざ買いに来てくれる人がいるなんて考えてなかったわ」
「エリカに任せるよ。俺たちがオルレアーノまで行かなくて済むから安くするべきなんだろうな」
「そうよね。ちょっと待ってくださいね。詳しく計算しますので待っていてください。エリックは工場に行って15箱分用意してもらって」
エリカの言葉にエリックが腰を上げる。
「わかった。では少し席を外すので、ゆっくりしていってくれ」
そう言い残すと、二人はモリーニを置いて応接室から出て行ってしまった。
自分以外誰もいなくなった部屋で、モリーニは器に注がれた葡萄酒に再び口をつける。
「話通りの、いやそれ以上の女だな。こりゃ、面白いことになりそうだ」
独り言を呟くと一気に飲み干した。
続く
この話を書いている時に気が付きました。今までほとんど季節の描写いれてねぇ。
申し訳ございません。




