覚醒
エリックたちは、村への帰路へとつく。
奴隷市で手に入れた奴隷は、母子は馬車の荷台に乗せ、父親は歩かせることにした。
村人曰く、後ろの荷台にいるのが怖いとのことだった。
確かに無言でいても、威圧感を感じる巨体だ。
いや、無言だからこそ迫力が増している。
男の奴隷の足枷は外した。手枷はそのままにしてある。俺もそこまでは優しくない。
だから逃げようと思えば簡単にできる。全力で走ればいいのだから。
もしそうなったとしても、追いかける気にはならないな。
家族を見捨てるような卑劣な男は、使い物にならない。使いたくもない。
だが、この男も、家族を置いて逃げたりはしないだろう。
そんな気がする。
「お前、名は何と言うのだ」
「好きに呼べばよい」
街を出たあたりで名を尋ねたが、返答は芳しくなかった。
名前を教える気はないらしい。
しかし、呼び名が無いのも困りものだ。
「あだ名でもつけるか」
白い大男だから、メルトランゲーか、いや、山みたいな身体だからベーゼンとかか。
頭の中であだ名を転がしている内に、ニースへと帰り着いた。
買ってきた品物を倉庫に入れていると、エリカがレイナと共に出迎える。
駆け寄ってきたレイナに、オルレアーノで買ってきた焼き菓子を手渡してやった。
エリカには、奴隷を買ってきたと教えてやろう。
これで、開墾作業も始められる。
「おおい。エリカ。奴隷を買ってきたぞ」
行商から帰ってきたエリックが、奴隷を買ってきたと言った時、江莉香の頭の中には? しか浮かばなかった。
状況が理解できない江莉香の前に、4人の人間が引き出される。
初めに目についたのは、プロレスラーのような巨漢。
短く刈り込まれた髪は金髪で、青い瞳には突き刺すような力がある。そして腕には木製の巨大な手錠が絡みつく。
眼前の光景に、殴られたような衝撃を覚えた。
続いて女の人と子供が目に入る。女の人は背が高くて酷くやつれて見えた。子供たちも、ろくに食事を与えられていないのかやせ細っており、どうやら男の子と女の子の兄弟みたいだった。
「この男を使って丘を開墾しよう。使えるのが一人しか買えなくて済まないが、見ての通り力はあるだろう」
「エリック。なに言って・・・・・・」
あまりの事態に、江莉香の思考回路は完全にオーバーフロー状態になってしまった。
処理できない情報が多すぎると、人は固まってしまうらしい。
「どういう事」
奴隷って何?
いや。意味なら知っている。金品で売買された人たちの事だ。
だが、犯罪者の様に拘束された男の人の姿が衝撃的すぎて、脳が理解を拒否する。
むろん、この世界に奴隷制度があることは知っていた。王都でもそれらしき人たちの群れを目にした。
もちろんできるだけ見ないようにした。奴隷に落とされた人をまじまじと見るなんて、そんな失礼な真似が許される訳が無い。かと言ってこの世界の人たちが、野蛮だと切り捨てるのも違う気がする。
いや、そんなことより理解できないのだ。奴隷って何。
こういっては何だが、日本人には肌で理解できない存在なのだ。
我が国は有史以来、少なくともここ数百年、奴隷は存在していないはず。
もちろん実質的に奴隷のような生活を強いられていた人たちや、人身売買の憂き目にあう人はいただろう。だが、制度としての奴隷制など聞いたことが無い。
金品で人を売買するなんて、そんなおぞましい発想は、私の中に存在しない。
それなのに。
「これで少しは、開墾も出来るんじゃないか」
エリックはそう言って笑うのだった。
なんだろう。エリックの、このいいことしたみたいな雰囲気。もしかして私が喜ぶと思っているんじゃないやろな。
開墾に使う?
それって私の作戦に、この人たちを使うってこと?
私が奴隷を使って農場を切り開くと言いたいのか。そんな馬鹿な真似を私にしろと言うのか。
馬鹿にされてるのかな。
いや、違う。違うのよ。きっとこっちでは、車を買う感覚で奴隷を買うのよ。だから問題ないはずよ。
自分に必死に言い聞かせるようとしたが、もう一人の私が喚く。
車感覚だ? 舐めてんの。
人を何だと思っているのよ。
売り買いしていいわけないでしょうが。
駄目だ。
思考が勝手に転がっていって、自分でも不思議なほど、猛烈な勢いで怒りの感情がこみ上げてくる。
全身が発熱したみたいに熱くなる。
脳みそに、全身の血が上っていくのを感じる。音まで聞こえる。
「ふふっ、ふふっふ・・・」
鼻息みたいな笑い声が漏れた。
背中や腕が震える。お腹の下がぞわぞわと動く。怒りに震えるって言うけど、あれは慣用句ではなくて、本当に震えるんだ。
こんな経験は初めてよ。
『相変わらず、この世界はくそだな』
雑音のような声が頭の中に小さく響く。左腕が特に熱い。
いや、この世界がくそな訳じゃない。私がまだ適応できていないだけよ。エリックに悪気はあると思えない。
『ああ、野蛮なこんな世界から抜け出して早く日本に帰りたいよ』
帰りたいのは同感だけど、野蛮とさげすむのは違う。
これも社会形態の一つよ。
『何だ、随分物分かりがいいな。ここは怒りに任せて爆発するところだろうが。ドカンと行っとけよ』
まって、待って私。
ここで限界を突破しては駄目よ。本当に収拾がつかなくなる。
心の中の声に引っ張られそうになるのを、懸命にこらえた。
深呼吸しよう。そうしよう。
あれ。うまく息が吸い込めないや。凄く苦しい。
「どうした。大丈夫か」
エリックの声に反応しようと、声を出そうと試みたが出ない。代わりに全身に何かの力がみなぎり、自然と左腕が前に出た。
『風・・・・・・よ』
口から今まで発したことのない低い音と聞いたこともない発音が出た。
『大・・・風よ。古・・・・約に基・・・希う。この・・・・・たまえ』
左腕の腕輪が光ったかと思うと、耳の奥に痛みが走る。
痛みに耐えかね、反射的に耳を押さえようとしたが、身体がいうことを聞かない。
得体のしれない何かが、私の中で暴れだした。
突如として様子がおかしくなったエリカを見て、エリックは戸惑った。
あまりに唐突な変化だ。
大丈夫かと声をかけるが、返事をしてくれない。
しばらくすると、エリカは手を前に差し出し、何かをつぶやき始めた。
どこからか、地鳴りのような音が聞こえ、海側から突風が吹き上げてきた。
余りの強い風に、目を細める。
「なんだ。どうしたんだ」
両腕上げて風から顔を庇う。
レイナが小さな悲鳴を上げ、エリックにかじりついた。
エリカの黒い女中服と髪が、強風に煽られ表情は見えない。そして未だに何か呟いている。
風の音で上手く聞き取れないが、いつものエリカの声でないことだけはわかる。地獄の底から響いてくるかのような、恐ろし気な音だった。
風は更に強さを増し、声を出そうにも口を開くのも困難だ。
エリカが前に出した左手を振り上げると、高音の風切り音が起こった。
耳が悲鳴を上げる。
何かが、空の彼方へ飛び去って行くような音だった。
その後、天空から、すさまじい轟音が鳴り響いた。
近くで雷が落ちたような衝撃が村中を包み、あちこちから悲鳴が上がる。
耳が轟音から立ち直ると、風は止んでいた。
「何だったんだ。今のは」
エリカは、空に視線を向けたまま固まっている。
辺りを見渡すと、レイナはしがみついたまま泣き叫び、村人は腰を抜かしたように座り込む。奴隷の母子は、地面にひれ伏していた。
鞭で打たれようが棒で叩かれようが屈しなかった父親の方も、膝を地面につき両眼を見開く。これまで怒り以外の感情を表さなかった顔に、驚愕と僅かばかりの恐怖の色を浮かべていた。
「アルブーヌ・メイガリオーネ」
父親から漏れた声は消え入るような小さい声であったが、はっきりと聞こえた。
母親と子供たちも、小刻みに震えながら何か言っていた。
「アルブーヌ・メイガリオーネ・・・・・アルブーヌは北方語で白とか白いとかいう意味だな。メイガリオーネとはなんだ」
父親に声を掛けたが返事はなく、身じろき一つせずエリカを凝視していた。
「エリック」
呼びかけに振り向くと、そこにはいつもと同じようなエリカがいた。
ひとまず安堵の吐息を漏らす。
「大丈夫か。何だったんだ今のは。何かしたのか」
混乱したまま問いかける。
「うん。わかったわ。私、やっぱり魔法使いだわ」
彼女は眉をひそめ、困ったようにそう言った。
続く
は?( ゜Д゜) 突然の超展開。
皆様、付いてきていただいておりますでしょうか。
ちょっと心配。(>_<)




