グレンタールの戦い 中編
司令部を出た瞬間に、リリーナが口を開く。
「エリック。貴様の配下にも働いてもらうぞ」
「今からですか」
性急な命令に驚く。
「当然だ。敵は待ってはくれぬ」
「ですが、部下たちは一昼夜の強行軍で」
広場の片隅で疲れ果てて座り込む部下たちの姿が見える。道中、僅かな仮眠だけで体力も気力も限界に近い。とてもではないが、今から動けるはずもない。
そんな想いに対して、リリーナの言は酷いものであった。
「死んでから、好きなだけ休めばよかろう」
「無茶な」
声色に怒りの色が乗る。だが、リリーナも引かない。髪を靡かせ振り返ると、強い眼差しを向ける。
「ならば、選べ。エリック・シンクレア。疲れた部下たちに鞭打って砦の防備を固めさせるか、貧弱な砦を頼りに嘆き戦うか。生きた兵に恨み言を並べられるか、あの世であの時こうしておればよかったと後悔するか。二つに一つだ」
リリーナの瞳には、例えようのない狂気の色が浮かんでいるように思えた。
俺は小さくため息をついて、決断する。
「・・・恨み言を選びます」
途端に狂気の色は消え失せ、挑みかかるような笑顔が広がった。
「善し。そうでなくてはな」
「ですが、彼らにも食事休憩だけは与えてさせて頂きます」
「食事だと」
またもやリリーナ様の形の良い眉が跳ね上がるが、百人長としてもここは譲れない。
「時はかけません。ビスケットをかじって、葡萄酒を一杯呷るだけです」
俺の部下達には、エリカが用意したビスケットを数日分配っている。強行軍の最中に走りながらでも口に出来た。火を起こす必要も、湯を沸かす必要もない。
「ビスケットとはあれだな。エリカが土産に持ってきた砂糖菓子」
「はい」
俺の返答に、リリーナ様は怪訝な顔つきになる。
「あのような高価な菓子を、部下に配給しておるのか」
「はい」
「皆にか」
「はい」
「気前の良いことだ」
「はい。いいえ。気前が良いのではなく、必要に迫られてのことです」
「必要だと」
「はい。兵たちの心を平静に保ち、戦意を維持する事も私の責務です。そのために配っております」
リリーナ様は何度か瞬きを繰り返した。長いまつ毛が揺れる。
「そうか・・・其の方は、不思議な男だな」
どういう意味だ。
「よかろう。部下たちに食事をとらせてやるがよい。ただし、わらわが作業の説明している合間に済ませよ。当然、貴様の食事は後だ」
「はっ」
助かった。部下たちには一呼吸つかせてやれる。
「それとな・・・」
「はい」
しばしの沈黙。
「ビスケットをわらわの部下にも配ってくれぬか」
突然、顔を赤らめるリリーナ様。一体どうしたんだ。
「断っておくがこれは命令ではないぞ。出来ればでよい。出来ればで」
「はい。お配りできますが」
ビスケットは、前年を上回る量を持ってきているから、他の部隊に融通することは出来る。むしろ、それを目的として持ち込んでいる。この砦にも大量の備蓄がある。
「そうか。頼む」
その恥ずかしそうな仕草を見て、思い当たるふしがあった。
「部下だけではなく、リリーナ様にも食べて頂けると光栄です。エリカも喜ぶでしょう」
「誤解するなよ。わらわが食したいから頼んでいるわけではない。わらわも配下の者たちに苦労を掛けておる故だ」
早口で返答するリリーナ様。
いや、絶対に気に入っているだろう、ビスケット。
良かったな、エリカ。お前の作戦通り、ビスケットの甘さの虜になった方が一人増えたぞ。
「サーシャ殿にも渡しておきましょう。彼女も気に入ると思います」
「苦しゅうない」
ご機嫌になるリリーナ様。後でサーシャを見つけて、持てる分だけ包んでやろう。
大股で進むリリーナ様の後に続き、通り過ぎざまにエミールに休息の指示を与える。何人動けるかは疑問だが、少しでも砦の補強をしなくてはならないのも事実だ。配下に文句を言われるのも隊長の役目か。
土塁と堀を抜けると、多くの兵士が働いていた。
その数の多さに内心で首を傾げる。
どう見ても砦全体で、千人以上の兵がいるような気がする。どこからやって来たのか。ああ、そうか。
「リリーナ様。部下をどれほど引き連れてきたのですか」
「ん。千と二十三名だ。軍団兵ではなく、当家の私兵だ」
「私兵・・・」
よく見ると、軍装が少し変わった色で染められている。これがカランティク伯爵家の兵か。
なるほど、だからこのお方は千人長相当官なのだな。謎が一つ解けた。
「私兵と侮るなよ。当家の兵たちは特別な技能を持っておる」
「侮ってなどおりません」
むしろ、希望が湧いてきた。二千の兵でなら戦える。
敵を砦に引き寄せて背後から叩くという、俺の予測は的を射ていたのだろう。彼らの存在がその証といえた。
そこから、こまごまとした指示を受ける。近くの河原から、投石用の石を集める手伝い。リリーナ様が持ち込んだ大量の投石機の組み立てと設置。そして、
「そうだ。そこでよい」
砦の外縁に、一抱えほどの大きさの丸く磨かれた白大理石を等間隔に並べる作業。砦を囲むように丁度十二個配置した。
恐らくこれは、投石機の距離を測るための目印なのだろう。こんなものまで持ち込んで、用意の良いことだ。
リリーナ様の部下と共に汗を流す。これらの作業で嫌でも分かる。リリーナ様は砦に押し寄せる敵に対して、石礫の嵐をお見舞いするつもりだ。
砦に既に設置されてある、固定式の床弩(バリスタの一種)と組みあわせることによって、敵に大きな損害を与える事が出来るだろう。
作業は日が暮れてからも続く。
斥候からの報告によれば、奴らも野営に入ったそうだ。砦に襲い掛かって来るのは、明日の夜明けごろだろう。それまでの時は補強作業に使える。
リリーナ様の命令だけではなく、ダンボワーズ卿からの追加の指示に従い、丸太を突き刺しただけの木の柵の外側に土嚢を積んでいく。降り注ぐ火矢への対策だ。砦内には複数の井戸があり、飲料だけではなく、消火用の水も準備される。
隊の全員がふらふらになったところで、仮眠が許された。準備万端とまではいかないが、本隊が反転するまでの時は稼げるだろう。
エリックは月明かりの下、藁を敷いただけの寝床で薄い毛布を頭から被って眠りにつく。
夢は全く見なかった。
目を閉じた次の瞬間には、鳴り響く角笛の音に跳ね起きる。目を開くと、敵襲を告げる狼煙が朝日に照らされ上がっている。その下で兵たちが慌ただしく走っていた。
いよいよ、北方民の部隊が来襲してきたのだ。
「エリック様。鎧を」
エミールが、装備を手に駆け寄って来た。
「助かる」
二人で鎧を着せ合う。
剣はドーリア商会から贈られた業物。鎧はギルドの収益から新調した白銀に光る一品。ただ、兜だけは父ブレグが使っていた物を被った。何度も父の命を救った兜だ。先祖の加護があると信じ、兜の緒を締めた。最後にエミールの腰ひもをきつく縛り、準備は整った。
「隊長殿。総員準備整いました」
報告を上げるコモンド達に頷く。
眼前に整列した部下たちを前に、軽い訓示を与える。
「昨日も説明したが、俺たちは予備だ。損害の大きい箇所に駆け付ける。それまでは力を蓄えておいてくれ。俺たちの後はない。俺たちが突破されたときが、この砦の最期だ。だが、心配するな。三日も持ちこたえれば、本隊が駆けつけてくれる。我らに味方する北方民も多い。エリカの、アルカディーナの歌を思い出せ。この地で倒れた戦友の無念を晴らし、一人も欠ける事無く家に帰るんだ。いいな」
「「おおー」」
皆が一斉に右手を突き上げた。
よし、戦意は旺盛だ。
エリックは隊をエミールに任せると、司令部の屋根に上って遠望した。
太鼓の音と共に、西と南から北方民の大軍勢が押し寄せてくるのが見える。数を推測しようと目を凝らすと、背後から声を掛けられた。
「ありゃ。先客がいると思ったら、エリックじゃないか」
振り向くと、傭兵のサーシャが、ひらりと屋根に上ってきたところであった。
「サーシャ。調子はどうだ」
隣に立つ女傭兵に声をかける。
「まだ。眠い」
そう言って、目を擦った。
あの軍勢を目にしても眠気が冷めないのか。肝が据わっているのか強がりなのか。どちらにしても怯えているよりはいい。
「そういえば、あんたのくれた砂糖菓子、美味かったよ。ありがとな。お嬢も喜んでた」
そうか。お気に召したか。
「生き残ったら、追加をくれてやる」
「へえ。あんた金持ちだね」
「サーシャの主人には遠く及ばないがな」
30メルテほど先に立つ、物見やぐらに目を向けて応えた。
櫓にはダンボワーズ卿とリリーナ様が上っている。
「ハハッ。お嬢は確かに金持ちだが、金遣いも荒いよ。テム爺が嘆いてた」
「どこかで聞いた話だ」
自然と笑いがこみ上げてきた。
「なんだ。ああそうか。アルカディーナ様も金遣いが荒いのか。美人だし金の掛かりそうな人だったもんね。あんたも大変だね」
「その倍、稼ぐがな」
「そいつは凄い」
サーシャは口笛を吹いた。
それが合図だったかのように、砦に設置された最も巨大な投石機が恐ろしい唸り声をあげ回転した。
人の頭ほどの大きさの石が、無数に敵の隊列の中に飛び込んでゆく。先頭を進んでいた幾人かが吹き飛ぶ、凄まじい威力であった。
あれは助かるまい。遠くからでも分かる。
敵の機先を制するためのリリーナの一撃に、敵の足が一瞬止まった。その光景に思わず、
「確かに金遣いが荒そうだ」
「だろ」
一瞬の静寂の後に、北方民が砦を包囲するように走り出した。
大地を震わす雄たけびと共に、北方民による攻囲戦の始まりだ。こちらも負けじと角笛を吹き鳴らし対抗する。
持ち場に戻ろうとするサーシャの背中に声をかける。
「死ぬなよ」
「あんたもね」
続く




