エリックの考察
江梨香のパフォーマンスに歓声を送る兵たちを眺めながら、ランカスター公爵アウレリウスは、傍らに控えるレキテーヌ侯爵に声をかけた。
「侯爵。貴殿は良いクリエンティスをお持ちだ」
「恐れ入ります。閣下」
「末恐ろしい女だな。エリカは。私が鼓舞するまでもなく、兵どもの士気が上がっている」
「あの者には、我らも驚かされることが絶えません。歌と魔法にこのような使い道があるとは」
「そうだな。私も北部方面軍司令長官としての迷いが晴れた心地よ。この戦。勝利は我らのものだ」
「仰せの通りです」
「善し。北部方面軍司令長官として下令。所定の作戦を速やかに実行せよ」
「ははっ」
敬礼を返す軍首脳部を背に受け、アウレリウスは演説のために用意していた馬にまたがる。
馬は黒毛が艶やかに光る見事な体格であった。
アウレリウスは、兵たちに向かって頭を下げたまま微動だにしない江梨香に馬を寄せると、彼女を馬上へと引き上げた。
突然の事に目を白黒させている江梨香を抱えるように横座りさせ、兵たちの間に馬を進めた。そして倒れた戦士たちへの弔辞を述べ、今回の遠征の意義を大音声で宣言する。
「アルカディーナの祝福を受け、私は北部方面軍司令長官として、この戦、我らの大勝利で終わることを確信した。神々もご照覧あれ。我ら栄えあるロンダー王国軍は必ずや逆らう蛮族どもを討伐し、この地に平和と楽土を実現するであろう。そして、その栄光を築くのは他でもない、ここに居る我々なのだ。戦士戦友諸君。倒れた輩の無念を晴らし、王国に逆らう者どもに神々の鉄槌を下せ」
歌の余韻が収まらない兵たちの心に、その演説が深くつきささり、さらなる大歓声が巻き起こるのであった。
「エリカよ。よくやった」
冷凍保存のマグロのように硬直していた江梨香は、耳元で声を掛けられ、一瞬だけ解凍して、また硬直した。そして、どうにか動く唇を震わせる。
「おおおおおおおお、下ろしてくださいいいい」
「何を言っている。見よ。兵たちの顔を。皆、其方の歌と魔法に戦意を高ぶらせておるわ。そして皆が一目、其の方を見たいと望んでいる。私はその望みを叶えているにすぎぬ」
「ええっ」
「手でも振ってやるがよい」
「むむむ無理です」
どうにか逃れようと馬上で身をよじるが、アウレリウスはそれを許さない。
「其方が手を振れば、兵達の士気はさらに高まり、勝利へと近づく。そして、これは其の方にしか出来ぬ仕草だ。勝利を望まぬのか」
「・・・いいえ」
「では、手を振ってやることだ。ふふっ、王家の者を差し置いて、兵たちの希望となるか、エリカ・ド・アルカディーナよ。見事だ。ここは王家の負けだな」
整列する兵たちの間を抜けながら、アウレリウスは愉快そうに笑うのだった。
そして、江梨香が言われた通りにおずおずと手を振ると、更なる歓声と指笛が暮れ行く森に木霊した。
慰霊祭を終えた翌日。
江梨香はアマヌの一族との折衝のために軍を離れる事となった。彼女に付き従うのは家臣のクロードウィグと神聖騎士団、そして北部方面軍司令長官が特別に派遣した一個中隊であった。
エリックは兵糧方として、コルネリアは通信型魔道具の運用のために軍に残った。江梨香の周りに見知った者が少なくなったことを危惧したエリックは、側近のマリウスを江梨香の為に派遣することにした。
「マリウス。頼むぞ。あいつが大北山を目指すとか言いだしたら宥めてくれ」
「お任せください。神聖騎士団の方々にも根回しを行いましょう。エリカ様もお一人では無茶もなさいますまい」
「ああ、そうしてくれるか」
一方で、隊を離れる江梨香に、コルネリアは受信機である緑色の石を渡した。
「エリカ。これを持って行きなさい。貴方の力であれば、遠く離れた場所からも会話ができるやもしれぬ」
「分かった。実験ね」
「そうなる。何かあれば試みてほしい」
「うん。やってみる」
こうして江梨香は、アマヌの一族が集結している彼らの砦に向かって駒を進めることにした。
江梨香が立ち去った後の遠征軍は、慰霊碑を中心に砦を築く作業に取り掛かる。
周囲の樹木を伐採し、地面を掘り返し塹壕や堀を構築していく。掘り出した土は盛り上げ土塁とした。
二万もの男たちの働きによってわずか数日で、小さいながらも堅牢な砦が完成する。ここにドルン河以南から運び込んだ兵糧を集積するのだ。
エリックは兵糧方として、この砦と先を行く本隊との補給線を守ることとなる。ただ、エリックも含め、多くの兵たちは薄気味悪い不安を抱える。
よりにもよって、どうしてこの場所なのかと。
その不安は当然のものであった。この砦は第四軍団が奇襲を受け壊滅した場所にあるのだ。低いながらも丘に囲まれたくぼ地、周りの木々を切り倒したとはいえども、奇襲を受けたり包囲されやすい地形には変わりがないのだ。どれほど堅牢な砦であろうとも包囲されると弱い。防衛線が突破されるよりも先に、兵たちの戦意が破綻するからだ。そんな場所に大切な兵糧を備蓄する。上は何を考えているのだろうか。北方民も愚かではない。弱点を見つけ出しそこを突くだろう。そしてこの砦は弱点そのものだ。
エリックの疑問をよそに、本隊は先年の侵攻を主導したベルベル族の本拠地に向け出発した。
砦には1,000人程度の軍団兵と補助兵の混成部隊が残された。エリックの部隊はその一部として組み込まれる。不思議なことに本隊の出発直前に、コルネリアから魔道具である緑の宝石を渡された。使うことがあるかもしれぬから肌身離さず持っていろとの事。
江梨香には反論することはあるが、コルネリアに反発することが皆無のエリックは、素直に言いつけに従った。
こうして何度か、本隊と砦の間を行き来して補給線の維持に努める。兵糧の運搬は村から連れてきた人夫と部下に任せ、自身は馬を駆り周囲の偵察に専念する。北方民の軍勢を見つけ次第、速やかに退避するためであった。時折、魔道具を介して本隊のコルネリアと連絡を取る。先行する本隊の位置を確認し、ついでに周囲の状況についても報告する。有効範囲内であれば、恐ろしく役に立つ魔道具であった。
コルネリアも含め、魔道具を任された者たちの練度は日に日に増していく。
エリックは与えられた任務を行いながら、この戦いの趨勢について考える。
ベルベル族が降参する気配は今のところない。噂によれば、彼らは森深い本拠地で、こちらを待ち構えているとのこと。
深い森に潜んだ北方人との戦闘は、彼らに地の利があるだろう。その辺りをどうすればいいのだろうか。もしも自分が総司令官であれば、そんな所に踏み込んだりはしない。こちらに有利な場所で決戦に及ぶべきなのだ。こちらに有利な地形か。この深い森と湖に川が点在する地で、そんな都合の良い地が有るだろうか。心当たりはない。
今度は逆に考えてみる。俺が北方民の首領であればどのように戦うであろうか。まず、広い平原での正面衝突は絶対に避ける。平原での王国軍の強さは、周辺諸国において比類ない力を持っている。そんな相手に正面から突撃する愚かなことはしない。必ず側面か背後へと旋回する。ならばどうやって旋回すればよい。王国の軍も動いている。確実に所在を発見する頃には、こちらの位置も相手側へと伝わっているだろう。そうなれば正面衝突だ。それを避けるためには先年と同じように待ち伏せか。それは難しいだろう。同じ手が何度も通用するはずがない。何か他の方法を、確実に相手の側面へと回る方法・・・
「ああっ、そうか」
馬上で唐突に大きな声を上げてしまった。
周りにいた兵たちが怪訝そうな視線を向ける。
「エリック様。どうなされました」
エミールが主に馬を寄せる。
「エミール。総司令官閣下の作戦が分かったかもしれない」
「はあ。どのような作戦なのでしょう」
「いいか」
エミールに馬を寄せ、他の者に聞こえないよう耳打ちした。
「まさか。いえ。言われてみればその通りかと」
「これは思っていたよりも重大な役目だな」
「いかがいたしましょう」
「騎馬兵は、速やかに偵察活動に移れ。二人一組だ。俺たちの側面。特に西側を重点的に探れ」
「はっ」
エミールが配下に命令を伝達するために離れる。
もしかしたら余計な命令だったかもしれない。なぜならば俺の予測が正しければ、司令部はとっくの昔に偵察隊を巡回させているはずだからな。だが、念には念をだ。完全に無駄という事もないだろう。
慰霊地の砦の守備を任されているダンボワーズ千人長の下には、数多くの報告が舞い込む。
その中の一つに目を細めた。
「それは確かか」
「はい。直接確認いたしました。シンクレア家の旗印。第十六中隊の騎馬兵でした」
「分かった。ご苦労」
斥候兵が下がると、ダンボワーズは僅かに微笑んだ。
「エリックめ。独自に斥候を放っているとはな。どこかで作戦を聞いたのか、それとも・・・」
ダンボワーズは粗末な椅子の背もたれに体を預けた。
続く
誤字報告、いつもありがとうございます。感謝です。




