商売繫盛
ファルディナの所在についての口論がひと段落すると、再びコーヒーをすすめられた。
場の雰囲気を切り替えるためだと思う。
滅多に飲めない高級品だからありがたく頂戴した。
私、コーヒーはブラック派だけど、牛乳と砂糖を入れたカフェオレも好き。もっとお安く手に入ればいいんだけどね。王都の市場で値段を調べたことがあるけど、気軽に買える価格ではなかった。紅茶に関しては、売っているお店も飲んでいる人も見たことがない。残念。
「リリーナ様はカッフィがお好きなんですね。私も大好きです」
「ふむ。好きと言うか、飲みなれておるだけだ。私は酒が得意ではないのでな。自然とこればかり飲んでおる」
「流石は伯爵令嬢様。お金持ちです」
見え透いたおべんちゃらに、リリーナ様は苦笑いを浮かべた。
「そういう事か。確かに安いとは言えぬが、王都で求めるよりかは手軽に手に入るのでな。我が故郷カランティクでは、下々の者たちも嗜んでおる」
「えっ、凄いです。どうしてお安く買えるんですか」
「カランティクは港町だ。南方や西方からの貿易船が交易の為に当地を訪れる。港では毎日のように様々な産物が取引され、カッフィもその一つだ」
「へー。凄いです。他には何が来るんですか」
「香料、染料、宝石、奴隷に金なども持ち込まれる。ほれ、今、焚いておる香も、交易によってもたらされた品だ」
リリーナ様が台に置かれた香炉を手にすると、お線香よりも甘めの香りが立ち上がった。
「いい香りです」
「であろう。わらわのお気に入りである。気に入ったのであれば、少し包んでやろう」
「ありがとうございます。でも、いいんですか。お高いのでしょう」
「エリカは存外細かいことを気にするのだな」
「根が貧乏性ですから」
「ハハッ、何だそれは」
機嫌が戻ったのか、リリーナ様が声をあげて笑った。
ああ、やっぱり貿易って最強よね。日本だって貿易立国だし。ニースやモンテューニュが最終的に目指すべきは、船を使った交易による発展。
帰ったら港の整備に本腰を入れないと。個人的にも色々と手に入れたいものが有るのよね。
今一番欲しいのが、お米。もう一年以上食べてない。
あーっ。どっかに売ってないかな。少々高くても無理して買っちゃう。理想はジャポニカ米だけど、こうなったらインディカ米でも許す。パエリアにして食べるからね。でも一番食べたいのはおにぎりかな。もちろん炊き立てを。海苔と梅干しも欲しい。
そう言えばお母さんが健康のために麦飯を炊いたら、お父さんがぶち切れた事があった。
うちのお父さんは、ご飯に何かを混ぜるのが大嫌いな白米至上主義者。豆もワカメも混ぜない。五穀米なんてもっての外って叫んでたわ。
私は好きだけどね。豆ごはん。
私たちが豆ごはんが食べたいときは、お父さんだけパックご飯だったこともあったっけ。
あーっもう。こんなこと考えたら、口の中が白米になったじゃない。これは脳に強烈にインプットされてるからね。日本人なら誰でもこう感じるはずよ。
私の領地は岩だらけだけど港には向いているって話だから、早急に港を整備して海外と貿易したい。こっちの世界にも小麦やコーヒーがあるんだから、お米だってどこかにあるはずよ。
江梨香はお米を食べたいがために、港湾開発に本腰を入れる気になった。
皆がコーヒーを飲み終えた頃、リリーナは姿勢を正して軽く頭を下げる。
「さて、まずは客人たちに詫びを入れねばならん。招いておいて、口論を吹っ掛けるなどと、騙し討ちの様な真似をしてしまった。少なからず気分を害したであろう。すまぬ。言い訳になるが、わらわには、他の手段が思いつかなかったのだ・・・ハァ」
その小さなため息には、真実が含まれているように感じた。
この人は、恐らくだけどセシリーを上回る箱入りお嬢様。ブラフ混じりの交渉なんて、人生で初めての経験だったのかも。だから、段取りが滅茶苦茶になって、私たちから上手く言質を引き出せず喧嘩みたいになってしまった。
「お気になさらず。心中お察しいたします」
みんなを代表してエリックが答える。
そうなのよね。本当に心中はお察しできてしまう。だって身近だった人が、ある日突然謀反人として捕らえられ、挙句の果てに見捨てる羽目になってしまった。家のためとはいえあんまりよ。
私たちは法廷で戦えたけど、この人はそれすらも許されなかった。そんなの一生モノのトラウマ。
「貴殿らの寛容の心に感謝する。詫びと言っては何だが、わらわの持ち物の中から何か譲ろう。今後の親交も含め受け取ってほしい。サーシャ」
「はいな」
遠慮の言葉を口にする前に、目の前にサーシャが大きなお盆を滑り込ませた。
お盆にはいろんな品々が並んでいる。
ええっと。どうしよっかな。
この場合、遠慮して見せるのが日本人的美徳ではあるけど、こっちではあまり遠慮の文化はない。と言うか場合によっては失礼にあたるのよね。
ファルディナを助けた報酬としてだったら絶対に受け取れないけど、お詫びの品ってことであればいいのかな。
「気に入ったものがあれば、持ってゆくがよい」
眼前のお盆に目を向ける。
ガーネットみたいな色石に、翡翠の様な玉石。革製品の小物に、銀製品の器。どれもそこそこのお値段の品だ。
セシリーや光り物大好きのコルネリアが、幾つか手に取って物色を始めた。
ここはテキトーに何か貰って、リリーナ様のお顔を立てて差し上げたほうが面倒は少ないかな。
そんなことを考えながら赤色のガーネットに手を伸ばそうとすると、途端に左腕に衝撃を感じた。左腕には魔法の腕輪。痛みはないけど、明らかなシグナル。腕輪に目を向けると僅かに光っている。
えっ。なんだろう。なにかあるのかな。目を閉じ耳を澄ましても腕輪さんの声は聞こえない。ここで眠るわけにもいかないし、どうしよっかなと視線を彷徨わせると、"ソレ"が視界に飛び込んで来た。
「えっ・・・」
思わず声に出る。
私の目はリリーナ様の背後の棚の上に鎮座している、ソレに釘付けとなった。
えっと、見間違いかな。でも私の脳は正しい情報だと告げている。いやいやそんなことある? 逆にどうして今まで気が付かなかったのだろう。
私は無意識の内に、それに向かって近づこうとした。
「どうした」
エリックの問いかけにも答えられない。
皆の視線も無視し礼儀をかなぐり捨て、赤ちゃんもビックリの高速ハイハイでリリーナ様の背後に回り込み、ソレを間近でガン見した。
高さ十センチぐらい。おそらく銀製品。鈍い光沢。
着物姿で左腕に大きな鯛を抱え、右手に釣り竿。頭に頭巾をかぶり、めっちゃいい笑顔で私に微笑みかけているソレ。
「え・・・恵比寿さん」
持ち主の許可も得ずに手に取った。金属製のずしりとした重みが掌に伝わる。
そう、これは恵比寿さん。どこからどう見ても七福神の恵比寿さんよ。商売繁盛で笹もってこいのえべっさん。
「リリリリ、リリーナ様。ここここ、これはどこで手に入れられたのですか」
恵比寿さんの像を手に取り、リリーナ様に詰め寄った。
「急にどうした。それが欲しいのか」
「違います。いや、違わないけど、どこでこれを」
両手が私のコントロール下から離れて、痙攣している。今はそんなことはどうでもいい。
これは明らかに日本人の痕跡。いくらこの世界が地球に酷似しているとはいえ、文化も時代も歴史背景も全く違う世界観で、偶然にこの造形に至るとは思えない。
99.9%の蓋然性をもって日本人の手による品と告げている。こんな所でお目に掛かるなんて、夢にも思わなかった。
「これか・・・」
私の手から恵比寿さんが消えた。
リリーナ様は恵比寿さんを片手で保持して応える。
「これは、以前に爺がくれた品だ。どこで手に入れたかまでは知らぬ」
「爺。その爺さんはどこに」
物凄く早口になる。
「すぐそこにいる。爺。爺。アルカディーナ殿の御下問である。近こう」
「ははっ」
仕切り幕の向こうに人の気配が近づく。
これは、日本人の情報を手に入れる大きなチャンスよ。
続く
誤字報告、いつもありがとうございます。感謝しております。
自分で書いておいてなんですけど、江梨香さんの高速ハイハイには笑ってしまった。気持ちは分かりますけど。




