火花ちる
江梨香は、悲嘆に暮れているリリーナに、どう声を掛けようかと思案する。
事の詳細を明かすわけにはいかないけど、マリエンヌはファルディナとして穏やかに暮らしている事は教えてあげたい。でも、"秘密のお話"や"ここだけの話"は外に漏れると考えた方がいい。
もしも何かの拍子に将軍様の耳にでも入ろうものなら、どのような惨事になるかは想像するだに恐ろしい。
当然のことだけど、めっちゃ怒られる程度では済まない。かなりの確率で、ファルディナは私たちの手の届かない別の場所に移されるだろうし、保護しているエリックの一門の中での立場も悪くなる。そうなるとセシリーの怒りが私に向くかも。
これは生き地獄です。
結果的に情報が漏れるのは仕方がないとしても、それの出所が私たちであってはならないのよ。
みんなも、どう慰めたらいいのかわからずに困った表情。
そんな中、不思議なことが起こった。
今にも泣きだしそうな佇まいのリリーナ様に笑みが走り、続いて朗らかな声が響いた。
「しかし、天上の神々は私を、マリエンヌを見捨ててはおられなかった。あの子は生きておる。そうであろう。シンクレア卿」
私含めて全員が、リリーナ様の顔を凝視する。
今の話からどうしてその結論に至るの。失礼ながら、気がおかしくなったのかと思った。
だが違った。
「其の方たちが、マリエンヌを救い出した。どのような方法かは分からぬが、あの子は確かに生きている」
えーっと。これはどう解釈したらいいのでしょう。
二つの考えが脳裏によぎる。
一つ。事実を知っている。もしくは何かしらの情報から真実にたどり着いた。
一つ。不確かな情報を足掛かりにした、かまかけ。
ああ、もう一つ。この人の願望。
どれだろう。
「リリーナ様。お言葉ですが、マリエンヌ嬢は残念ながら・・・」
問いかけに応える形で、エリックが口を開く。
私たちとしては、マリエンヌは死亡したという公式発表を否定するわけにはいかないからね。
「ふむ。死んでおると言いたいのだな」
「口にするのも憚られますが」
リリーナ様の瞳がゆっくりと細くなっていく。よくわかんないけど、嫌な予感がする。これは何かしらの、確度の高い情報を持っているパターンなんじゃ。
そして予感は的中した。
「ならば不思議なこともあるものよ。わらわは死者の手による文書を読んだことになる」
死者の書いた文書? どゆこと。
ファルディナがリリーナ様にお手紙を書いたってこと? いやいや、そんなことある? ダイヤモンドを出資してくれたおばあ様にも、直接のコンタクトは禁止されてるのに。
私たちの疑問に答えるように、リリーナ様は隣で控えていた変わった格好の女兵士に声をかける。
「サーシャ。例の手紙を」
「はいな」
サーシャと呼ばれた女兵士が、細かい螺鈿細工を施された箱から、一通の書簡を取り出した。
まさか本当に、ファルディナからの手紙なの。なんてこと。
「この手紙に、見覚えが無いとは言わせぬぞ。シンクレア」
リリーナ様がエリックの鼻先へと書簡を突きつけた。
エリックが見覚えのある書簡ってなんだろう・・・あっ。もしかして。
受け取った書簡を横から覗き込む。
内容はノルトビーンの取引における数量、金額、決済方法、期日、債務不履行における違約金などなどの条項が並んでいる。そして末尾にはギルド長としてのエリックの署名。
ああっ、やっぱり。
これはうちが発行する証書のテンプレだ。それらが端正な文字で簡潔かつ品の有る文言で記述されている。間違いなくニース発行。そしてファルディナの手によるもの。因みに書式は私が考えました。だから偽造した線もないでしょう。
「こと、わらわがあの子からの手紙を見間違えることは無い。Reの跳ね方など、あの子特有の筆跡である。なんであれば、わらわが保管しているマリエンヌの手紙と比較してみるか。サーシャ」
「待ってました」
サーシャさんが、更にもう一通の書簡を取り出し、私に渡してくれた。
「どうも」
「ふふっ。どういたしまして」
場の雰囲気にそぐわない笑顔。この人、名門お嬢様の側近にしては、妙に乗りが軽い。
書簡を紐解くと、まぁ分かってはいたけど、一目瞭然。少し砕けた書体ではあるけれど間違いなくファルディナの筆跡。私でも見分けられるレベルってことは、親しい人相手には当然バレるわ。
これがリリーナ様が、ファルディナが生きていると確信した物証ってことね。
「これで其の方らにも、わらわの言いたい事が分かるであろう」
「言いたい事とは」
エリックは分からない振りをすることにしたみたい。
「皆まで言わせる気か。良かろう。その期待に応えてやる。あの子は、マリエンヌは生きている。其の方の所領でな。この書状はその証であろう」
リリーナ様が半身を乗り出して問い詰めモード。だけど、エリックも譲らない。
「お言葉ではありますが、マリエンヌ嬢は死にました。それは揺るぎません」
「では、この書状の、この筆跡はなんだ。全くの同じではないか」
「似ているだけでしょう」
「似ているだけだと」
「はい」
「世迷言を」
「違います。そのような書状一枚で、人の生き死にを決めるのは如何なものでしょう」
二人はしばしの間睨み合う。
動かぬ証拠があるにもかかわらず、エリックが思いのほか強気な答弁。
エリックも後半からとは言え、あの裁判を経験したからかな。物言いがちょっとロジェ先生に似ていると申しますか、ディクタトーレっぽい感じ。
まあ。公式発表としてはその通りですからね。エリックがその路線で行くのであれば、私としても追随するしかない。
「リリーナ様。お気持ちは痛いほど伝わりましたが、亡くなられた人を」
「死んでなどおらん」
話を遮られてしまった。
リリーナ様としても、そこは譲れないといったスタンスか。それも分かる。
無意識の内に腕を組んで考え込む。
どうしよっかな。
貴方の知っているマリエンヌは、修道女ファルディナとして生まれ変わったと言えばいいのかな。でも、それで納得してくれるのかが微妙。
納得とまで行かなくても、リリーナ様が落ち着けるような落としどころは無いかな。
エリックは、鐘のように鳴り響く自分の鼓動を押さえつけるために、大きく息を吐く。
ここに居る誰よりも高位の存在であるリリーナに対して、真っ向からの反論。相手は千人長相当官。軍団の序列から言っても、控えるべき行為である。
だが、この件に関しては迂闊な返答は出来ない。
下手に認めでもしたら、どこまで話が大きくなるのか分かったものではない。最悪な結果として、ファルディナの生死に関わる。
視界の端でエリカの様子を窺う。
腕を組んで考えを巡らせ始めたようだ。こうなれば、エリカが妙案を思いつくまでは、俺が時間を稼ぐべきだろう。
このまま言を左右にすれば、リリーナ様は少なからず怒りを覚えるはず。頭に血が上れば、どこかに綻びが生じ、それが隙へと繋がるかもしれない。隙さえあれば、それを見逃すエリカではない。必ず何かの行動を起こすだろう。
矢面に立った者が切り開いた活路に、後ろで見ていた者が突っ込み事態を打開する。よし。いつも通りにいくぞ。
リリーナ様には失礼だが、突き放した物言いを続けよう。
「貴方様も王都におられたというのであれば、あの裁判がどれほど危険なものであったのかはお判りのはずでは」
リリーナ様の形の良い眉がひそんだ。
「我々ごときでは事の詳細など窺い知ることも出来ませんが、あの裁判には様々な高位の方々の思惑が渦巻いていたことだけは確かです。その渦の中でマリエンヌ嬢は落命したのです。それを否定することは、ご自身もその渦中へと飛び込む行為です。タナトス家と言えども無傷ではいられません」
気持ちを落ち着けるために、一旦間を置く。リリーナ様は続きを促すように黙っておられる。
さて、ここからが本番か。
「裁判の後半。マリエンヌ嬢が自害なされたという報がもたらされた時。騒ぎ出した市民を鎮めるために繰り出したのは、王都の警備を司る邏卒ではなく、国王陛下直属の近衛軍団でした。多くの者が国王陛下のご意向を、あの裁判から感じ取ったのです。そして、貴方様も近衛軍団の一翼を担っていらっしゃるではありませんか」
そうなのだ。何が危険なのかと言えば、リリーナ様自身が近衛兵であることだ。つまりファルディナの自害を、既成事実として扱った側の人だ。
嘆きの姿が偽りには見えなかったが、もしかしたらこのお方の裏に誰かいるのかもしれない。考えすぎかもしれないが、この件に関しては考えすぎぐらいで丁度よい。
俺の返答に、リリーナ様は明らかに怒りを抑えながら口を開く。
「わらわも・・・わらわも同罪と申したいのか」
「いいえ。私が申し上げたいのは、我々ごとき下の者に尋ねずに、もっと深い事情をご存じのお方から、事の次第を伺うべきでしょう。レキテーヌ侯爵閣下や、それこそランカスター公爵閣下にお尋ねになるべきです。より多くの事柄をご存じのはず。なぜ、そうなさらないのですか」
リリーナ様の返答は沈黙。その瞳には怒りと苦悶の色が見て取れた。
もしかすると既に試み、失敗したのかもしれない。だからこそ俺たちを招き、ファルディナの所在を明らかにしたかったのかもしれない。
続く
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