宴にて
通信型魔道具による部隊運用は、第五軍団首脳部に大きな衝撃を与えた。
コルネリアと江梨香は将軍だけではなく配下の部隊長からも質問攻めにあい、説明と実演でフラフラになる。エリックも日が暮れるまで、実演に駆り出され走り回ることとなった。
「疲れたー」
江梨香は草原にひっくり返り、呆然と夜空を眺める。地球とは違い、薄い緑色に輝く月がゆっくりと登っていく。
しばらくすると、草を踏む音と共にエリックが現れた。
「お疲れ。若殿の宴に出るのはやめておくか」
「うん。無理っぽい。若殿には謝っといて」
「任せろ。ゆっくりと休め。明日も大変だ」
「そーする」
「そのまま寝るなよ。風邪をひくぞ」
「分かってるって」
よっと掛け声をかけ身体を起こした江梨香は、よたよたと自分の天幕へと歩いて行った。
エリックはそれを見送ると、宴会が行われている広場へと向かう。やや気後れしながらも馬廻り衆の輪の中に入ると、既に出来上がっている同僚が赤ら顔で声をかけてきた。
「シンクレア。エリカ殿はどうした」
彼の名前は確か、ターマック卿。
妙に艶やかな褐色の肌に、癖のある黒髪の騎士だ。
「演習で疲れ果てて動けない様子でした。明日の事もあるので早めに休んでおります」
「それは残念だ。エリカ殿と話してみたかったのだがな」
何の話だと考えていると、それが顔に出たらしい。
「なんだ、シンクレアはむさくるしい男共の顔を眺めながら酒を飲む方が好みか」
そう言って辺りを見渡す。
フリードリヒを中心に同じ年ごろの男たちが、酒を呷り肉に食らいついている。
エリカを筆頭にコルネリアやユリア、最近はファルディナと、若い女たちが活躍しているニースのギルドと比べると、確かにむさくるしい。
「ターマック卿は、エリカに酌でもさせる気ですか」
「強要はせん。しかしな、シンクレアよ。エリカ殿に注いでいただけたら、この酒は至高の酒となるだろう」
ターマックは月に向かって杯を掲げると、一気に飲み干した。
「私が注いでも同じ味ですよ」
傍にあった酒壺からターマックの杯に酒を注いでやった。実際にエリカは酌を要求された程度では気を悪くしたりはしないだろうが。村の宴会では率先して村の者たちに酒を注いで回っていたぐらいだしな。
「シンクレア。貴様とは初めて話すが、存外風情を解さぬ男だな。酒に月に美女。人生の楽しみが詰まっておろうが」
「無粋な軍団兵上がりですから」
「なんだ。出自を気にしておるのか」
「多少は」
「余計なことを考えるな。今は俺と同じ若殿の馬廻り衆だ。因みに俺は代々アスティー家にお仕えする一家の出身だが、まったく気にしておらんぞ」
ターマックはそう言って笑った。
自慢なのか慰めなのか良く分からないが、不思議と嫌味のない男だ。
「でだ。貴様に一つ聞きたいのだが、エリカ殿を娶っていないのは本当か」
唐突な話題の展開に、思わず無言になる。
「赤毛の色男から聞いたのだが、貴様、エリカ殿に手を出しておらんそうではないか。なぜだ。一緒に暮らしておるのだろう」
ターマック卿は、本当に不思議でならんという表情でこちらを覗き込んで来た。
「もしや、男の方が好みなのか」
「違います」
「ならば、ますます分からん」
「エリカは教会のアルカディーナですよ」
「関係あるか。そんなもの。修道女だろうが何だろうが、いい女がいれば言い寄るのが男の礼儀であろう。貴様は礼儀がなっとらん」
エリカに言い寄るか。そんなことは考えたこともなかったな。
いや、全くないわけではないが、あいつと話をしていると、そんなことはどうでもよくなってくる。
「礼儀のために、エリカと話をしてみたかったのですか」
「いかんか。貴様の嫁ではないのであろう」
「ターマック卿を拝見していると、エリカが私の妻であっても言い寄りそうですね」
エリックの指摘に、ターマックは愉快そうに笑う。
「ハッハッ、バレてしまったか。左様。俺は人妻でも気にはせん。いや、より燃え上がる」
「お相手の亭主に殺されても知りませんよ」
王国の法では、不倫現場を押さえた夫が間男を殺害しても罪に問われない事がある。場合によっては妻の処刑すらも黙認されたはずだ。他でもないエリカから聞いた話だ。
「恋も戦も命がけだ。違うか」
「浮気も含まれるのですか」
「差別はいかんな。人を愛しく思う心に違いなどない。二つは等しく真実なのだ」
「浮気は一時の気の迷いです。朝日とともに消える霧のようなものです。真実とは言えません」
俺の反論にターマック卿は、しばし考え込む。
「ふむ。中々に哲学的論争であるなシンクレアよ。浮気は嘘か誠か霧の迷いか。夜空に浮かぶ月は美しい。が、水面に映る月もまた美しい。天の月は実存だが、水面の月は幻よ。しかし、美しいと思う我が心に偽りはない。違うか」
「はあ」
エリカとは違う意味で訳の分からない御仁だ。なんとなくだが、ファルディナの話し方に近い気もする。
「エリカに言い寄られるのはご自由ですが、何かあれば私だけではなく教会も相手にすることをお忘れなく」
念のための忠告を加えるが、ターマックは意に介さない。
「シンクレアよ。見くびってもらっては困る。教会に限らぬが、何かが怖くて女一人口説けないようでは、真実の愛にはたどり着けぬ」
真実ね。言いたいことは分かるが、この人が口にするとどうにも言葉が軽い。
ともかく、全てはエリカ次第だ。変わり者同士、案外気が合うかもしれない。
「それには何よりも、エリカ殿にご挨拶と行きたかったのだが、お疲れとは誠に残念。魔道具を駆使して全軍への伝令役。気疲れも多いことであろう。こうなれば貴様で構わん。エリカ殿の話を聞かせろ」
「ここでですか」
「場所で話が変わるのか」
「変わりませんが」
「ならば、ここであろう。それでエリカ殿は何がお好きか。花か宝石か菓子か」
「私にも聞かせよ」
突然、エリックの隣にフリードリヒが座り込む。
「若殿」
「苦しくない。私もお前から見たエリカの話を聞きたいものだ。ああ、ターマックよ。私が知っているエリカの好物を一つ教えてやろう」
「是非に」
「それはな」
全ての馬廻り衆の注目が集まる。
「エリカの好物。それは喧嘩よ」
フリードリヒの言葉にエリックは吹き出す。少し離れた場所に座っていたアランは咳き込んでいた。
「私の知る限り、あ奴ほど怖いもの知らずの喧嘩好き、喧嘩上手もいない。この中で王都の十人委員会相手に、金貨を溶かしながらの殴り合いが出来る猛者はいるか」
無論、名乗り出る者などいない。
「では、ドルン河を渡り北方民を説き伏せ、文字通りの"夷を以て夷を制す"をやってのける者は」
「おりますまい」
馬廻りの一人が答える。
「うむ。あ奴はその二つをやってのけた。故に私はエリカを無類の喧嘩好きと評すのだ。違うか。エリック」
「恐れながら、エリカは全力で否定するかと」
「そうであろう」
エリックの返答に、フリードリヒはクスリと笑う。
「この私相手にも一歩も引かずに猛抗議だ。喧嘩だ。大喧嘩。最後は私が謝罪して終わり。私の負けだな」
フリードリヒのオチに笑いが広がる。
その後、馬廻り衆はエリックの披露する、エリカのおもしろ武勇伝で盛り上がったのであった。
天幕で眠りつに就こうとしている江梨香は、盛大なくしゃみを連発したとかしないとか。
「エリックよ」
宴もお開きとなり馬廻り衆が散っていく頃、フリードリヒに呼び止められた。
「はっ」
「決まった話ではないが、父上が相手を探して下さるそうだ」
「相手・・・ですか」
何の話か分からずに固まる。
「お前の嫁取りの話だ。エリカを妻にする気があるのかないのかは考えておけ。前にも言ったが、私からも口添えはしてやる。よいな」
返答も出来ずにエリックは、その場で立ち尽くすのであった。
続く。
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