独断専行
左翼の別動隊に配されたエリックは、焦燥感に駆られていた。
遅い。遅すぎる。
左翼部隊の軍団兵の歩みの遅さに苛立つ。
騎兵である俺と比べて遅いのではなく、去年までの軍団兵と比べて遅い。なだらかな丘陵地帯でこれであれば、ドルン河以北の森林地帯ではさらに遅くなる。
そうか。今年は新兵が多いからか。去年の戦いで多くの精兵を失った穴は新兵によって埋められている。
どうすればいい。
「ベイツ千人長」
エリックは左翼部隊の指揮官に馬を寄せる。
「どうした。シンクレア百人長」
「我が隊だけが遅れています。隊を二つに分けましょう。足の速い隊を先行させるのです」
「馬鹿を言うな。隊列が乱れる」
王国の軍団兵は北方民のそれとは違い、整然とした隊列を維持し、その高い統率力をもって戦力を高める軍制を採用している。だが、
「既に乱れています」
エリックの言葉にベイツ千人長は眉をひそめた。
「エリカからの報せによれば、右翼部隊は既に敵本隊を捕捉しています。我々は未だ」
「くどいぞ。シンクレア。統率の取れていない兵など夜盗の群れと同じ。部隊は分けん。以上だ」
「はっ」
強い叱責に一旦引き下がる。
千人長の認識はもっともなものだ。槍先の揃っていない部隊で挑んでも、閣下に簡単にはじき返される。
それは分かる。
だが、この作戦の本旨は何だ。それは複数方向からの同時攻撃のはず。
そう。同時でなければ意味はない。それを可能にするのがこの魔道具だ。時間差で別々に接敵するのであれば、今までの戦い方と何が違うというのか。
それに、コルネリアの画期的な魔道具を世に知らしめるためには、"同時"に重きを置くべきだ。であるのなら、演習での勝ち負けは二の次ではないのか。
俺達が遅れればそれだけ本隊や右翼部隊に無用な負担がかかる。右翼が我々の到着を待っている間に本隊が壊滅しては目も当てられない。だから足並みをそろえるにも限界がある。
エリカからの報告を聞くに、このままでは限界を超えかねない。必然右翼は先行するだろう。それでは駄目だ。閣下には右翼と左翼が同時に現れる姿を見せなければならない。そうで無ければ閣下や側近の方々は驚いたりはしない。
そう、この演習の目標はただ一つ。閣下を驚愕させること。その為の多方面からの同時攻撃だ。
若殿も仰っていたじゃないか。「今日は伝説の、そして新しい戦を見せてくれよう」と。
よし。
「エミール。配下を集めろ」
「はっ」
エミールが鞍の上に立ちシンクレア家の軍旗を振り回すと、後方に居たエリックの配下たちが馬を飛ばして集まる。
「全員。集結しました」
「よし」
ここはエリカに倣うとしよう。あまり褒められたものではないが、事態の突破力は比類ない。
「何の真似だ。シンクレア百人長」
エリックの行動に、ベイツ千人長は表情を消したまま怒りをあらわにする。
「千人長。私と私の配下だけでも先行させてください。右翼部隊と同時に接敵できます」
「十騎ばかりで何になる」
「何にもなりませんが、右翼と本隊は納得します。若殿もです。やれるだけはやったと」
エリックが思いついた江梨香の真似事とは、彼女の得意技である独断専行であった。
エリカの奴は何か問題が起こると、とりあえず突撃する。困ったことに後先考えたりはしない。頭はいいのに何故かそちらには使わない。どうしたものやら。
兎も角そうすると、俺やコルネリアとかの仲間たちがエリカを心配して後に続き、それが勢いとなり一つの流れとなる。不思議なことに、その流れが他の流れを呼び込むんだ。小さな川でも幾本か集まれば大きな流れになるのと同じで、気が付いた時はエリカを先頭に多くの者が問題に対して挑みかかることとなる。こうなると誰にも止めることはできない。
「今回の作戦は、時を置かずに全ての部隊が出現することが先決です。我が隊は後れを取っています。このまま手を拱いている訳にはいきません。お願いします。いえ、先行せよとお命じください」
しばしの間、馬をすすめながらも千人長とのにらみ合いが続いたが、一本の通信が事態を動かす。
『エリック。聞こえるー? 準備が出来たら教えろって。若殿がー』
「分かった」
これは若殿の準備も整ったという事だ。
無言で千人長を見つめる。
僅かな逡巡の後に千人長が折れた。
「許す。だが十騎では足りぬ。エリック・シンクレア百人長に臨時の指揮権を与える。騎兵隊は全てシンクレアに続け」
「ありがとうございます」
一瞬だけ笑顔が広がるが直ぐに引き締め、鐙を使って立ち上がり大声で命令を下した。
「聞け。これより騎兵隊の指揮を執るエリック・シンクレア百人長だ。騎兵隊は総員、私に続け」
そう宣言すると、愛馬アンゼ・ロッタに鞭を入れた。
「騎兵隊はエリック様に続け」
軍旗を掲げたエミールが叫びエリックの家臣が駆け出すと、左翼部隊の騎兵たちが後に続いた。その数は百騎程度。しかし、十騎に比べれば大きな塊だ。
小さな丘を駆け上がり、集結地点としていた林にたどり着くと、視界に将軍の部隊が入る。
「エリカ。エリックだ。準備ができたぞ」
『了解ー。若殿に伝えるね』
エリックは傘下の騎兵を整列させ息も整えさせる。自身も深呼吸をしてその時を待った。
『若殿より全部隊へ。突撃せよ。突撃せよ』
「突撃」
江梨香が伝える号令の下に、一斉に駆け出す。
フリードリヒ旗下の部隊が時を置かずに動き出した。
ダンボワーズ卿が率いる本隊は後退を止め反撃に移り、右翼の別動隊は歩兵を先頭に槍先を揃えて前進。僅か百騎ではあるがエリックの騎兵隊も戦場に駆け込む。
将軍の部隊は三方向からの同時攻撃にさらされた。しかし、将軍の部隊に一切の乱れはない。予想の範疇であったからだ。あらかじめ、分割していた対処部隊がそれぞれに向かって向きを変える。
その動きを見てエリックは確信した。
勝ったと。
「左旋回。敵外縁を抜け若殿と合流する」
エリックの号令と同時に、一つの塊が将軍の部隊の背後に現れた。それはフリードリヒ直隷の騎兵隊。
彼の馬廻りを主軸に四百騎が本陣めがけて突撃していく。
フリードリヒが企図していたのは、三方向からの挟撃ではなく、四方向からの包囲殲滅戦。騎兵による長距離迂回攻撃であった。遥か東方の伝説の大王イスカンデルが指揮した、アクアロイナの戦いの再現である。
エリックはたった百騎と拍子抜けしている対処部隊を横目に、その眼前を駆け抜ける。通り過ぎさまに矢を放つことも忘れない。
エリックの配下の中ではエミールとマリウス、そして猟師のブノアのみが騎走しながらも矢を放てる。狙えはしない、運よく当たれと矢じりの代わりに丸い木片を付けた矢を放つのだ。
エリックは駄目で元々と百人長の飾り兜めがけて放ってみると、矢は放物線を描いて見事、百人長に命中した。その時には聞こえるはずもない、カンという音が聞こえた気がした。
「お見事」
エミールが満面の笑みで称える。
「当たったか」
「はい。当たりました」
「では、あの隊は混乱したな」
「はい。お手柄です」
そのまま、フリードリヒの騎兵隊に後ろから合流する。これで背後からの部隊は五百騎となった。
フリードリヒに報告したいが近づけない。彼は正に騎馬部隊の先頭を駆け抜けているのだから。
ああそうか。こんな時のための魔道具だ。
エリックは魔道具の宝石を握り、反応する光を整える。
「若殿。左翼の歩兵は遅れています。騎兵だけで先行しています」
『よし。ならば左翼側に押し込む。エリカ。伝えろ」
『はーい。若殿からです。全部隊へ、本隊から見て左に押し込んでくださーい』
エリカの場違いなまでに呑気な口調に笑いが起こった。
「まるでニースにいるみたいだな」
「はい」
エリックとエミールにも笑みが広がった。
やがて遅れていた左翼部隊が姿を現し、戦闘に加わったところで演習終了の合図が出た。
フリードリヒの騎馬部隊は将軍の本陣に肉薄していた。
「見事だ」
将軍は大音声で息子を称える。
「ありがとうございます。しかしながら、父上を討ち取るまでにはいきませんでした。残念です」
「練度が充分であった去年の兵を率いたのであれば、儂は討ち取られておったわ」
将軍は悼むように惜しむように笑う。
結局、左翼部隊の遅れが祟り、フリードリヒの包囲網は完成しなかった。
左翼に限らず、各部隊に配属された新兵たちが足を引っ張った形となった。配属されたばかりの兵には荷の重い作戦行動であったのだ。なにせ伝説の戦いの再現なのだから。左翼部隊は通信役であったエリックが抜けたのも大きいだろう。
将軍の部隊は連結した指揮系統を駆使して、包囲網を各所で分断し部隊を立て直した。時間がたつにつれ背後に回った騎兵隊も衝撃力を失い、長時間に渡り戦線を支えていたフリードリヒの本隊の損害も大きく、結果としては痛み分けと言ったところであろうか。
しかしながら、フリードリヒの企図した複数同時攻撃は、アスティー家首脳部に大きな衝撃を与えたのだった。
続く




