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メルキアからの使者

 軍勢が駐屯地へと進んで行くと、見覚えのある顔と出会う。

 それはヘシオドス家の騎士、イスマイル卿の姿であった。

 エリックは怪訝な表情を浮かべる。


 どうして彼がこんな所に居るんだ。メルキアに帰ったはずだが・・・

 教会や商会からの報せによると、メルキアに展開していた討伐軍は引き上げたらしいが、それでもこんなところに居るのはなぜだ。

 俺の困惑に対してイスマイル卿の表情もそれに近い。彼は明らかに俺が率いている人の多さに驚いている様子。彼はニースの村を自身の目で見ているから、猶の事信じられないのだろう。エリカの作戦は少なくともイスマイル卿には効果があったようだ。

 知らない仲でもないので挨拶すべきなのだろうが、俺が止まると行列も止まることになる。それは出来ないから後でいいだろう。

 戸惑うイスマイル卿に、彼の傍らに馬を並べていた初老の騎士らしき男が声をかけ二人で話しはじめる。

 俺は軽い会釈に留めてその場を通り過ぎると、後ろからエリカが声を上げた。


 「あれ? 今、イスマイル様いなかった」

 「いたな」

 「やっぱり。ふーん。あの人も参加するんだ」

 「どうだろう」


 イスマイル卿が蒐に参加するのは少し変だ。

 王家から討伐令が出ている家の者が参加出来るとは思えない。それとも王家との間で和睦が成立したのだろうか。メルキアは遠く、窺い知る事が出来ない。

 エリックが考え事をしている内に、軍勢は駐屯地の中心である本陣へとたどり着いた。

 到着後、引き連れていた軍勢は解散となり、各々に割り振られた場所へと散っていく。

 俺はエリカとコルネリアと共に、先ぶれとして先着しているダンボワーズ千人長に挨拶をした。

 将軍と若殿はニ三日後に到着するらしい。セシリーもまだ来ていない。

 少し早かったか。まぁ、いい。時があるのだから、今の内にもうひと訓練して皆の足並みをそろえておこう。

 自身の天幕を設営し終えエミールに声を掛けようとすると、マリウスが先ほどの二人を連れて現れた。


 「エリック様。イスマイル様がご挨拶をしたいと仰っています」

 「分かった。お久しぶりです。イスマイル卿。メルキアはいかがですか」

 

 驚きを引きずったままのイスマイル卿が馬から飛び降りた。


 「ああ。いや。先日は世話になりました。シンクレア卿」


 これまでの喧嘩腰の話し方は鳴りを潜め、随分と丁寧な口をきいてくれる。

 

 「幸いなことに王家との和議が成り申した。メルキアには平穏が訪れております」

 「よかった」


 本心からそう思う。あの豊かな土地が戦乱に荒れるのは忍びない。

 イスマイル卿は調子が出ないのか、幾度かの咳ばらいを繰り返したのちに、傍らの騎士を紹介してくれた。


 「紹介させてほしい。こちらはザイク・ベーデブルック・クールラント卿」


 イスマイル卿と共にやって来た老騎士は、一歩前に進み騎士の礼を行った。


 「お初にお目に掛かる。エリック・シンクレア卿。私はメルキアを預かるバルザック・ヘシオドス・クールラント様の近習を務めております。以後、見知りおきを」

 

 その流れるような所作に年期の深さを感じた。

 ベーデブルック卿は綺麗に整えられた長い髭を蓄えている。髭には白いものが混じり灰色がかっている。

 こちらも挨拶を返し、来訪の用向きを尋ねた。


 「私はバルザック様とヘルガ様の名代として伺っております。シンクレア卿。姫様はご壮健でしょうか」

 

 その問いかけに思わず眉をひそめた。

 ベーデブルック卿が言う姫様とはマリエンヌ嬢の事だろう。しかし、もうこの世界にマリエンヌはいない。いるのはファルディナだ。

 話が伝わっていないのかとイスマイル卿に視線を向けるが、彼は表情を消して直立不動だ。

 困ったな。何と伝えるべきなのか。

 返答に窮していると、ベーデブルック卿は小さく頷く。


 「失礼いたした。姫様は王都でご自害なされたとの事。御いたわしい限りです」


 意味ありげな微笑みを浮かべる。

 どうやら試されていたようだ。

 二人の様子を見るに、他人には聞かれたくない話をしたいのだろう。


 「ここで立ち話もなんです。よろしければ中へ。マリウス。しばらくこの周りに人を近づけるな」 

 「はっ」


 俺は二人を天幕の中へと誘った。


 「ご配慮、感謝いたす。和議が成ったとはいえ、我らはまだまだ肩身の狭い身の上。貴殿と話をするのも一苦労というありさま。ご容赦を」


 ベーデブルック卿とイスマイル卿が二人して頭を下げた。


 「気にしておりません。それで、今日はどの様なご用件ですか」

 「まずはこちらを」


 ベーデブルック卿はイスマイル卿から二通の書簡を受け取り俺に差し出す。

 立派な蠟封がなされた書簡だ。

 開封して目を通すと、ファルディナへの助力に対する感謝と、メルキアでの扱いに対する謝罪の文言。末尾には、バルザック・ヘシオドス卿の署名と押印が連なっていた。

 尊大な文言ではあるが、誠意は伝わってくる。

 もう一通は、ディアマンテルを預けてくれたご隠居様のもの。こちらは読みやすい文体で、感謝とお褒めの言葉が綴られていた。

 考えてみれば、ご隠居様が提供してくれたディアマンテルのお陰であの裁判を戦えた。いくらエリカが知恵を巡らせ作戦を立てようとも、いかにロジェ先生が喉を嗄らして弁論を張ろうとも、あの資金が無ければこの結果は得られなかった。真に孫娘を助けたのは祖母の力だったのかもしれない。

 書かれていた手放しの賛辞に、くすぐったいような気持になる。あの大きな流れの中で、俺もやれる事はやった。


 「お褒めのお言葉を頂戴し、恐縮です」


 お返しというわけでもないが、手紙の主の為にも少しぐらいは話してもいいのかもしれない。


 「私の所領にファルディナという名の修道女が新たに加わりました。彼女は美しく聡明で気持ちの良いお方です。お話しても」

 「是非ともお聞かせください。」

 

 そこからしばらくファルディナの近況について話した。

 体調も良くなり本来の美しさを取り戻したこと。俗世のしがらみから解放され、心穏やかに暮らしていること。砂糖ギルドの一員となり活躍していること。その高い教養でニースの政庁での業務でも頼りになること。

 特に後ろの二つは、メルキア人たちに大きな驚きを与えたようだった。

 

 「シンクレア卿のお心遣い、感謝の念に堪えない。我々も主に良い報告が出来ます」

 

 話し終えると二人は同時に頭を下げる。

 これで彼らもお役目を果たせたという事だろう。秘密の話もこれで終わりと腰を上げかけるが、ベーデブルック卿が咳払いをする。話はまだ終わりでないらしい。


 「さて、シンクレア卿。当家は貴殿の尽力に対して報いたいと考えております。何かご希望があれば承る」

 

 驚いた。まさかヘシオドス家から褒美をもらえるとは思いもよらないことだ。そして俺の答えは。

 

 「お気遣いは無用です」

 「遠慮なさいますな。望みのお品をお教え願いたい。当家に出来うる限りの事をしましょう」

 「いえ。本当に何もいりません」

 「そうおしゃらずに」


 困った。

 別に遠慮をしているわけではない。本心から何も要らないのだ。俺はエリカを手伝っただけで、ヘシオドス家に恩を売るつもりは全くない。どうしたものやら。


 「それでしたら、エリカに何かわた、ああっ駄目だ。今のは忘れてください」


 慌てて取り消す。

 エリカがこの件に関して何かを受け取るはずがないのは、俺が一番理解している。あんな苦労はもう沢山だ。

 いや、待てよ。俺に褒美を渡すという事は、当然、エリカにも・・・

 

 「ベーデブルック卿。もしかしてエリカにも何か褒美が出ていますか」

 「無論です」


 悪い予感は的中したらしく、ベーデブルック卿は大きく頷いた。


 「王都でのご活躍はイスマイルから聞き及んでおります。ひいてはシンクレア卿。アルカディーナ様への取り次ぎをお願いしたい」

 「・・・それは構いませんが」

 「感謝いたす」

 「ああ、やはり先にお伝えします。エリカはその褒美を受け取りません。絶対にです。例え褒美が金貨1,000枚であっても」

 「金貨1,000枚・・・」


 イスマイル卿があっけにとられる。


 「はい。2,000枚でも3,000枚であろうとも、断固受け取りを拒否します。私も苦労いたしました」


 そこから二人には、俺がいかに苦労したか話して聞かせる。

 自身が持ち出した資金を受け取らせるために一日かけて説得したこと。

 つい先日も"アリオンの雫"の所有権に関してひと悶着があった事。これについては自然と乾いた笑いがこみ上げてきたほどだ。


 「お役目を果たされたいのであれば、悪いことは言いません。エリカには褒美の話は一切しないことです。下手に話すと"アリオンの雫"を持って帰ってくれと言いだしかねません」


 これは容易に想像がつく。


 「いや・・・しかし」

 「お礼に行って、ディアマンテルを持って帰るわけにはいかないでしょう。私でなくとも何をしに行ったのかと思われます。これはヘシオドス家のためを思っての忠告です。この件はエリカの、アルカディーナの誇りを大いに傷つけることになりかねない」 


 尚も逡巡する二人に受け取った感謝状を手に取って見せた。

 

 「エリカにも私にも、このお手紙だけで十分です。ヘシオドス家の皆様にはそうお伝えください」

 「・・・分かり申した。ここはシンクレア卿の御助言に従う事といたそう」


 ベーデブルック卿はこの場は一旦引くと決めたようだ。判断が速くて助かる。

 その後、二人をエリカの元に案内してやった。

 二人は忠告を聞き入れ感謝の念を伝えるに留めたため、何事もなく終わらせる事が出来た。

 自分の事の様に安心する。

 問題になる前に片付いてよかった。

 ほっと一息を着くと、ベーデブルック卿が近寄って来た。


 「シンクレア卿。貴殿のご配慮に感謝いたす。本日はここで下がらせていただくが、褒美の件については考えておいてほしい」

 「それは」

 「分かっております。貴殿たちは誠の騎士だ。しかし、これほどの尽力をしてくれた方に対して何もしないという事は当家にとっても看過しえない。そのことだけはお心に留めおいてほしい。アルカディーナ様にもそれとなくお伝え下され」

 

 俺の答えも待たずに二人は完璧な騎士の礼を行い立ち去った。

 

 エリカにそれとなく伝える方法・・・

 そんなものが有るのなら俺が教えてほしい。



              続く

 いつも誤字報告して頂き、ありがとうございます。

 大変助かっております。

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― 新着の感想 ―
黒馬の騎士イスマイルさんが小ぢんまりとした態度で再登場!嬉しー! 規格外のニース勢に翻弄されっぱなしですが、すごく有能な人ですよね。エリック追跡行も途中までは完璧で、修道院長がエリックに道案内役をつけ…
[一言] お礼受け取らないのは相手は世間体や面子もあるし、与えようとした物を断られるといい気分はしないので角がたちますよね、まともな所はあげなくていいのかラッキーとはなりませんし。 エリカの地位では既…
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